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84.決戦、封海竜なのですわ!

 ルヴィアリーラたちが港町を経ってからしばらくは、噂の「光の壁」に阻まれた、封鎖大陸イーヴィルへと繋がる「絶海」を見る以外は、比較的穏やかな海路が続いていた。


 封鎖大陸イーヴィル。


 かつて魔王と呼ばれた恐るべき魔族の居城だとされているその大陸を遮断している「光の壁」がなんなのか、そして、今その封鎖大陸で何が起こっているのかをルヴィアリーラたちは知らない。


 だが、物々しく人類の侵入を拒むその海はいずれ、誰かが切り開かねばならない未知であり未踏なのだと、ルヴィアリーラは海風に吹かれながらそんなことを茫洋と考える。


 風の調べと海鳴りと、時折聞こえる海鳥たちの声以外には何もない、ただ青々とした海原だけが広がる旅路は、死地へ向かうというのにはあまりにも穏やかで、本当に「断海」なる、幾人もの命を奪ってきた場所が存在するのかさえ、疑わしくなってくるものだ。


 だが、事実として封海竜オーツェンツァーリは存在し、そして今も尚「断海」の覇者として君臨し続けている。


 竜は生きる時間が長ければ長いほど「龍」に、恐れの化身へとその姿を変えていくという。


 ならば、記録されていたオーツェンツァーリよりも、今剣を交えようとする彼の実力はより研ぎ澄まされ、洗練されたものとなっているのだろう。


 ルヴィアリーラは万能ポーチを漁って取り出した「切り札」を太陽に透かしながら、考える。


「……まあ、結局のところ、出たとこ勝負なのですわね」


 そもそも自分の目的とは離れた場所にある依頼であることを思い出しながら、ルヴィアリーラはそう呟いて苦笑した。


 アトリエを開くことを目標として掲げてきたものの、結果として人々の生活が豊かになるなら、ということで討伐依頼を引き受けているのはなんだか本末転倒のように思えるのだが、期待の人は自分たちなのだ。


 ならば、それを拒んで何とするというのだろう。


 無鉄砲で向こう見ずで、後先を考えない己の性分はきっと損なのだろうと、そう思いながらも、ルヴィアリーラは決してそれを呪うことはしなかった。


「お姉様、どうかされましたか……?」

「いいえ、何も。ただ、こうして大海原を見ていると、今から死地に向かうというのが信じられなくなるというだけですわ」

「そ、それは……確かに……」

「なればこそ、気合を入れ直さねばなりませんわね!」


 そもそも物憂げに、アンニュイに落ち込んでいること自体が自分らしくないのだ。


 船室から姿を現したリリアの言葉にどこか背中を押されたような感じを覚えながら、ルヴィアリーラはあーっはっは、と、自らを激励するようにいつもの高笑いをあげる。


 そうだ。


 このルヴィアリーラの辞書に不可能という文字はあんまりない。


 そして、今回の戦いで切り札になるのは何も、リリアの魔法、それだけではないのだ。


 右手に握っていた「それ」を万能ポーチの中に仕舞い込みながら、ルヴィアリーラはふんす、気合を入れ直す。


 考えたり反省したりするのなんて、後からで構わない。


 後に悔やむから後悔なのであって、先に立つものは憂いのみだ。


 ならば、憂いていても仕方ない。


 常にイメージするのは最高にして最善。


 信じ抜くのは己の信念。


 ルヴィアリーラは青々と広がる大海原を睨め付けて、やってやろうじゃありませんのと高らかに叫ぶ。


「封海竜がなんのそのでしてよ! わたくしに……できないことは色々あってもなんとかするのですわ!」

「……お、お姉様……」

「どうしまして、リリア?」

「……そ、その……無理は……しないで、ほしいです……」


 だが、そんなルヴィアリーラの強がりを見抜いていたのか、リリアはどこか消え入りそうな声で、虹の瞳に涙を浮かべながら囁きかける。


 もしもそれが自分のせいだったら居た堪れない、というのもある。


 ただ、リリアにとってはそれ以上に、ルヴィアリーラが無理をしていると、いつか壊れてしまうのではないかと不安になるのだ。


 頑張ることは美しいかもしれない。


 けれど、頑張りすぎればそれは自らを苛む毒となってしまう。


 誰ともなく呟いたその言葉をリリアは知らずとも、本能的に感じ取って、ルヴィアリーラへとそう進言していたのだ。


「……やはり、リリアは優れていますわね」

「そ、そんな……でも、わたし……」

「無理をしている、確かですわ。強がっている。それもまた然り……ですが、それを踏み倒して前に進むのは、わたくしがわたくしへと課した使命なのですわ」


 そこに何の意味があるかと問われれば、きっと答えに窮するようなちっぽけなプライドがそうさせているのかもしれない。


 だが、ルヴィアリーラにとって、「誰かのために何かをする」というのはアトリエの経営に限らず、幼い頃から一貫してきた信念のようなものだ。


「使命……」

「ですが、心配してくれるのは嬉しいことですわ。感謝しましてよ、リリア」


 その言葉の重さをリリアはわからなくとも、ルヴィアリーラがいつだって誰かのために頑張り続けていることだけはわかる。


 だから、ひょっとしたら自分の言葉は届いていないのではないかと、そう思っていたのだ。


 だが、リリアの言葉はルヴィアリーラにいつだってダイレクトに届き続けていたのだ。


 なぜなら、それは。


「わたくしが作りたいのは、リリアが笑って暮らせる世界なのですから」

「……お姉様……」

「だから……頑張るのですわ」


 アトリエの経営。それは確かに放逐された後に生き延びていく手段としてルヴィアリーラが考えたものだ。


 そこには目的が欠如していた。


 強いていうならば誰かのために、というふわっとしたものがそうなるのだろう。


 そして、その誰か、をルヴィアリーラが考えたときに浮かんでくるのは、いつだって、細く綺麗な銀髪に、虹の瞳を持つ、リリアの顔なのだ。


 だから、戦って。だから、錬金術で人々を助けて回って。


 今もルヴィアリーラは、豊かに人々が暮らせる世界を作ろうとしているのだった。




◇◆◇




 その名前とは裏腹に「断海」は天候もあって、凪いだ穏やかな海だった。


 しかし、「海駆けるウーンドワート号」の推進機関が生み出す音を聞きつけたのか、或いはその本能で自らの縄張りに入ってきた異物の存在を嗅ぎつけたのか、突如として、船首にいただく女神像の目と鼻の先から海面が競り上がっていくのを、船員たちは目撃する。


「来たぞ、封海竜だ! 碇を下ろして機関を停止しろ、そして錬金術師様と魔法師様を呼ぶんだ!」

『へい、船長!』


 船長を務める壮年の男性──エリアルドは一通りの指示を下すと、海底からその姿を現したオーツェンツァーリの巨体と威容に恐れ慄く。


 今までいくつもの船を沈めて、幾人もの命を奪ってきた暴君の瞳に睨めつけられて、平静など保っていられるはずがない。


 それでもエリアルドは、船を任された者としてのプライドから、持ち場を離れずにルヴィアリーラたちが戦線に合流するのを、一秒が永遠にも感じられる錯覚の中で待ち続けていた。


 閃光が走り抜けたのは、船員たちの怒号が飛び交い、そしてオーツェンツァーリが今まさに咆哮を上げんとした瞬間だった。


『OoooooAhhhhhh!!!』

「この船は、沈めさせません……!」

「よくやりましたわ、リリア! さあ船長、わたくしが……この『竜殺し』ルヴィアリーラが来たからには心配ご無用!」

「すまない、後は任せたぞ!」


 閃光の正体は、天使の杖を構えて、挨拶がわりとばかりに詠唱を破棄したリリアの上級雷撃魔法だった。


 それは封海竜オーツェンツァーリにとっては身をよじる程度に「痛み」を感じさせるものであったが、致命に届くものではない。


 かつても人間たちが無謀にも挑みかかってきたかのように、海嘯をバリアのようにその身に纏おうと、オーツェンツァーリはその咆哮を上げようとした。


 しかし、その一瞬を待っていたのだとばかりに、ルヴィアリーラは跳躍して右手に持っていた「切り札」を全力でオーツェンツァーリの額を目掛けて投擲する。


「こいつが……わたくしの切り札と、白手袋の代わりでしてよ、オーツェンツァーリ!」


 その切り札、小さな瓶に詰まった液体は、いつもルヴィアリーラが錬成して万能ポーチに突っ込んでいる爆弾の類ではない。


 当たり前だが、小瓶は竜の鱗を貫くには足りず、ぱりん、と砕けてその巨体にただ浸透するのみだ。

 しかし、小瓶の中身は、強いていうのならばオーツェンツァーリにとっての劇毒のようなものだ。


 ルヴィアリーラが錬成したその物体──「透明インク」は、本来であれば秘密の文書を書くときに使われるものだった。


 魔力を通すことによって透明なインクで描かれた文字が羊皮紙に浮かび上がる、というマジックアイテムだが、その性質は極めてエーテライト溶液、つまりエーテルに近い。


 ──要するに、ルヴィアリーラの投げた「透明インク」は魔力の増幅作用を持ち合わせているということだ。


「『根差せ』、星剣アルゴナウツ・ジルコン!」


 ほくそ笑むルヴィアリーラは、星剣アルゴナウツの鍔にセットしていた「素たる土の宝珠」の力を起動させ、その剣を大楯と戦斧へ変えて、重装歩兵のような構えをとった。


『GrrrrrAhhhhhh!!!』


 海の暴君はさぞかしお怒りなのだろう。


 一息に、自らへ逆らう愚者であるルヴィアリーラたちを、その乗船である「海駆けるウーンドワート号」ごと沈めようと、水のブレスを吐き出す。


 だが、星剣アルゴナウツの本質は宝珠に合わせてその姿を如何様にも変えられることであり、そして、「素たる土の宝珠」の力は、その解号通りに、「根差し、護る」ことにこそある。


 ルヴィアリーラの叫びに応える形で、かの勇者リーヴェを思い起こさせる魔力障壁が展開され、並の船団であれば一秒も経たない内に海の藻屑と化すであろうそのブレスは、無力化されていく。


 竜との戦いでルヴィアリーラが得た教訓はただ一つ、シンプルなものだ。


 ──殺られる前に殺れ。


 それは奇しくもお伽話に詠われる英雄、ジークフリートと同じものであった。


 ルヴィアリーラが描いた勝利への方程式は、ただ一つ。


 水のブレスを「アルゴナウツ・ジルコン」の魔力障壁で防ぎ切って、アタッカーをリリアに一任することだ。


 ブレスを放射していた隙を縫って放たれた、詠唱破棄の上級雷撃魔法が海嘯のバリアを剥がし、そして。



「『光よ(Weiß)』、『分かたれし(Pieces)開闢の(of)欠片(Genesis)』、『その威光を(Fallen)もって(Thunders)』『眼前の(Judgement)過ちを(Any)穿て(Vice)』!」


 四節まで詠唱を圧縮しながらも、決してその威力を落とすことのない、この世に存在する中では一番の威力を持つ、極大のカテゴリに分類された大魔法。


 その中でも極めて難解であり、賢者と呼ばれる領域に至った者しか唱えることのできない極大雷撃魔法を、リリアは新たに備えた得物であるエンゲルスタッフの先端から、上級雷撃魔法を放ったのから間を置かずして、封海竜オーツェンツァーリの頭上へと叩き落とす。


 それは裁きの雷鎚であり、オーツェンツァーリにとっては災禍の具現といっても差し支えはなかった。


 魔力を極めて効率的に伝導させるエンゲルリウムによる増幅作用、そして事前にルヴィアリーラが投擲していた「透明インク」の魔力を通りやすくする効果に、「虹の瞳」が持ち合わせる力が加われば、果たしてそれは海の帝王を撃ち落とす、雷帝の一撃となる。


『Grrrrr……Ahhhhhh!!! Ooooooooo!!!!!』


 あまりの痛みに、そして自らの巨体が焼け焦げていく感覚にオーツェンツァーリは身を捩らせて、苦悶の咆哮を上げるが、全てはもう決した後だ。


「……ちぇすと、です……っ……!」



 リリアが呟いたその言葉を最後に、実に数百年間、この「断海」を縄張りとしてきた暴君はその力を失って、骸と化した巨体を海底へと沈めていく。


 もはやここは、断たれた海でも、暴君の住処でもない。


 防御役に徹していたルヴィアリーラは、最後の足掻きとばかりにオーツェンツァーリが起こした大波を見事に受け止め、「海駆けるウーンドワート号」を護り切ったことを確認した上で、星剣アルゴナウツを元の形に戻して鞘に収める。


「中々良いちぇすとっぷりでしたわよ、リリア!」

「そ、そうですか? えへへ……」


 これで、リリアも名実ともに「竜殺し」だ。


 はにかむリリアに対して船員たちが声援を上げるように、もはや彼女を迫害する存在はいないだろう。


 だが、リリアとしてはただ、ルヴィアリーラの役に立てたことが、それだけが喜びだった。


 斯くして二人によって拓かれた、新たなる文明の道を、「海駆けるウーンドワート号」は進んでいく。


 新たなる世界へ。そして新たなる航路へ。


 ルヴィアリーラたちは、その誇りを胸に、向かっていくのだった。

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