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80.急がば回れ禁断の海、なのですわ!

 ウェスタリア神聖皇国が唯一、直接的に海路で向かえるのは、「橋の街」で結ばれている北方大陸のみだといってもいい。


 北回り航路と呼ばれる、「橋の街」から船を出すルートを通れば東方大陸や南方大陸へ向かうことも可能ではある。


 だが、日数が嵩む上に「橋の街」アーチブルクの港から陸路で物品を輸送しなければならないという問題を抱えているため、「南回り航路」の開拓はある種、皇国が掲げ続けてきた目標だ。


 しかし、それが何十年経っても実現しない理由は、その南回り航路に「断海」と呼ばれる海域を抱えていることにある。


 ちょうど、南方大陸と北方大陸の中間点、「光の壁」で覆われている封鎖大陸イーヴィルから少し進んだ辺りに広がるその海域は、封海竜オーツェンツァーリの縄張りだ。


 竜種は本来、人間が勝てる相手ではない。


 今まで幾度も南方海路への遠征は試みられてきたが、オーツェンツァーリの前に尽くウェスタリア神聖皇国が有するガレオン船は沈められ、幾人もの聖騎士がその犠牲になってきたとされている。


 スタークによって王宮に招かれたルヴィアリーラは、今回計画されている第十次断海遠征について、そのようなことを聞かされていた。


「事情は把握しましたわ、ですがわたくしたちに可能なのでして?」

「そう踏んでいるから、陛下は君たちに賭けているのだろう」


 南回り航路が開拓されれば、イチノ自由交易都市を介さず、南方大陸との直接的な貿易が可能となる。


 故にこそオーツェンツァーリの討伐、「断海」の踏破に皇国は腐心し続けてきたのだ。


 ルヴィアリーラとしても、それで民がより豊かに暮らすことができるようになるならば問題はないと思ってはいた。


 だが、風雪竜シュネーヴァイスよりも遥かに強力で、古より恐れられてきた封海竜オーツェンツァーリを自分たち二人だけで倒せるのだろうか、という懸念は拭えない。


 断る理由こそないものの、両肩にのしかかる重責は凄まじく、鉛の腕が身体を押さえつけているかのような錯覚を一瞬抱く。


「……そうですわね、やるしかないならば、期待の人がわたくしならば応えてこそわたくしというもの! そんなわけで委細承知ですわ、ピースレイヤー卿」

「協力に感謝する、冒険者ルヴィアリーラ、そして冒険者リリア」


 小さく頭を下げるなり、その前に、と、スタークは懐からごそごそと封書を取り出して、ルヴィアリーラたちに提示してみせる。


「断海を越えるための船に必要な資材を書き出したものだ」

「なるほど、これが次の皇国依頼、ということなのですわね」

「その通りだ。呑み込みが早くて助かる」


 ルヴィアリーラは羊皮紙にリストアップされていた物品類を頭に叩き込んでいく。


 まず、補強板としての頑丈な木材。


 これは以前に作ったスタリロ合板があれば問題ないだろう。


 そして、航海の無事を祈るための女神像。


 それ以外のものについては皇国側が用意するため、事実上、合板と女神像の作成が、「断海」踏破の第一歩ということになるだろう。


「しかし幸運の女神像を造る、というのも不思議なものですわね」

「例え願掛けであったとしても、我々が挑もうとしているのはそれほどまでの脅威なのだ、そういったものがあるに越したことはない」

「それもそうですわね、でしたら早速わたくしたちは依頼に取り掛かることにしましてよ!」


 相変わらずスタークの視線に怯えて、ぷるぷると震えているリリアを宥めながら、ルヴィアリーラは豊かな胸を反らして得意げに宣言するのだった。




◇◆◇




「なに? ルヴィアリーラのねーちゃんたち、今度は『断海』渡りに行くわけ?」


 行商のためにアトリエ・ルヴィアリーラを訪れていたリィは、正気を疑うとばかりに目を丸くして、スタリロ合板を作成しているルヴィアリーラに向けて言った。


 断海への遠征は事実上の死刑宣告に等しい。


 だからこそ、リィとしてはお得意様であるルヴィアリーラが何かやらかしたのかと気が気でないのだ。


「ええ、その通りですわよ、リィ。懲罰とかでもなく、わたくしたちが依頼として引き受けたのでしてよ」

「……は、はい……ダメ、でしたか……?」

「ダメもなにも……って、リィが言っても意味ねーか、ルヴィアリーラのねーちゃんたちは『竜殺し』なんだし」


 竜という言葉は人々の中に恐怖と厄災の象徴として刻まれている。


 御伽噺の英雄が実在や架空を問わず、「竜殺し」をその代名詞としているのは、人間が抱く、根源的な災厄に対する恐れと、その克服に対する憧れだからでもあるのだ。


 ルヴィアリーラたちはそこに特別何か大きな価値を見出しているわけではない。


 だが、本来ワイバーンのような下位種ではない、ネームドの「竜殺し」を成し遂げた人間は、紛れもなく英雄として祭り上げられるような存在なのだ。


 ──ついこの前、一緒に冒険したばかりだというのに、随分遠いところにきてしまった。


 そんなルヴィアリーラに向けて、リィは呆れたような、それでいて信頼と、少しの羨望がこもった複雑な笑みを向ける。


「わたくしは確かに褒め言葉を素直に受け取る主義ですわ、ですがリィ、何度も言ったようにわたくし一人の力ではないのでしてよ」

「そんなもんかねぇ、謙遜もあんまりすぎると毒だよ?」

「リリアがいてくれるから、リィがこうしてわたくしのアトリエに上質な素材を提供してくれるからこそ、今のわたくしがいる。そういうものではなくて?」


 リィから仕入れたコルツァ材と国から提供されたアイオライト鉱を掛け合わせることで、より強固な性質を獲得したスタリロ合板を掲げながら、どこか諭すようにルヴィアリーラはそう言った。


「……え、えへへ……わたし、錬金術には何の役にも立ってないかもしれませんけど……お姉様の力になれているなら、嬉しいです」

「んー……まあそういう考え方もあるのかねぃ、とりあえず今日も買い付けありがとうね、ルヴィアリーラのねーちゃん。あとお茶美味かったよ、リリアのねーちゃん」


 主義や主張というものは千差万別だ。


 ルヴィアリーラの主張に少しばかり理解は寄せたものの、納得はいかないといった風情のリィがアトリエから去っていく背中を見送りながら、ルヴィアリーラは苦笑する。


 リィにも彼女なりの理由があるなら、それは尊重すべきものだ。


 とりあえずリィの前では謙遜するのはやめておくかと反省しつつ、ルヴィアリーラは大量に要求されたスタリロ合板の錬成に戻っていく。


「んー……」

「どうかしたんですか、お姉様……?」

「いえ、一枚一枚丹念に造るのも悪くないのですけれど、こうも要求枚数が多いと骨が折れる、と思ったのですわ」


 ルヴィアリーラは小首を傾げて、出来上がったスタリロ合板を凝視する。


 錬金術の原則は等価交換だ。


 要求された素材を一度分解し、混沌に還す──エーテルに還元して再構成する、という過程を踏まなければ錬成は成功しない。


 だが、「錬金術体系全著」に記されていた術法の中には、賢者の石グランマテリアに辿り着けずとも、例外的にその原則を無視することのできる、というよりは仕様の穴を突くような方法が存在していた。


 一つ試してみるかと、ルヴィアリーラは出来上がったスタリロ合板に魔力を注ぎ込み、その構造と素性を分子の一つ一つに至るまで脳裏に刻み込んでいく。


 膨大な情報に血管が焼き切れそうな感覚に陥るが、ルヴィアリーラは何一つ取りこぼすことなく、スタリロ合板の構造を理解すると、次のステップに進むべく、魔力を更に集中させる。


「……素成複製(デュプリケイト)!」


 ルートパスは開かれた。


 魔力を対価の天秤の皿に乗せることでスタリロ合板を文字通り「複製」するという荒技を、ルヴィアリーラは一発で成功させた。


 不可思議なことに増殖したスタリロ合板はルヴィアリーラが持っていたものと文字通り瓜二つである。


 リリアが鑑定魔法を使っても、その品質から何から全て同じだという結果が導き出されるほどに、同一性が保持されていた。


 だが。

 

「……これは、没ですわね」

「お、お姉様……!」


 代償とばかりに、ルヴィアリーラはつぅ、と、生温かい液体が鼻から頬に伝う感じを覚える。


 確かにデュプリケイトは便利な魔術だが、ルヴィアリーラほどの魔力を持ってしても「完璧な複製」にはこれほどの代償を必要とする欠陥が潜んでいたのだ。


 リリアから受け取ったハンカチで鼻血を拭きながら、ルヴィアリーラはその脳裏に、「急がば回れ」という諺を思い描き、がくりと項垂れるのだった。

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