77.それは禁忌の術法、なのですわ
「茶番は終わりにしたらいかがでして? パラケルスス伯」
ルヴィアリーラが投げかけたその言葉には、明確な侮蔑と憤慨が込められていた。
このクラリーチェ・グランマテリアを名乗る少女が偽者である、という確信に至れたのは、その目を見ることができたからだ。
自称クラリーチェは誰のことも愛していない。
もしも本人であったのなら、死したとはいえ「大戦士」グランのことを誰よりも愛していた悲しみがそこには滲んでいるはずだ。
だが、この少女の瞳は何も、否、憎しみしかそこには映していない。
ぎらぎらと燃え盛るどす黒い炎、それこそ魔剣グランヴォルカのものとよく似た淀んだ輝きは、覗き込んでいれば此方もまた引き摺り込まれそうなほどに、暗く、深いものであった。
「パラケルスス? ククク、何のことを言っているのかわからないね、ルヴィアリーラ……君は私を慕っているのだろう? なら、私の軍門に……」
「人体錬成」
ルヴィアリーラが淡々と、しかしながら明確に怒りの滲んだ声で紡ぎ出したその言葉に、自称クラリーチェの肩がぴくりと震える。
人体錬成。
それは錬金術の真理に至る一過程にして、錬金術師の間では最大の禁忌だとされている術法に他ならない。
素体となる人間の一部──例えば髪の毛であるとか皮膚欠であるとかそういうものだ──と、人体を構成するために必要な物質を捧げることで錬成できるとされているのが人体錬成の要旨である。
しかし、それは厳密に定義するのならば、「人体」の錬成でこそあっても、「人間」の錬成ではない。
「ホムンクルス……魂を移し替えることで姿を変えたのでしょうね、パラケルスス! 何故わたくしがアトリエを開けたのか……何故王都に古びたアトリエが残されていたのか、その答えこそが貴方というわけでしょう!」
ルヴィアリーラは自称クラリーチェこと、パラケルスス・フォン・アンドラダイトを指差して、咆哮するようにその事実を突きつけた。
パラケルススへと指摘した通り、人体錬成で作り上げられるのはあくまでも人の身体そのものであって、命──魂までは錬成することができない。
だからこそ、古来、不老不死を求めた錬金術師たちは万能なるエリキシル、「賢者の石」こと「グランマテリア」を求めて研究を繰り返してきたのだ。
賢者の石──グランマテリアがあれば、等価交換の原則を無視して魂を複写することも可能である。
勿論、新たな魂を創り出して命を思いのままに生み出すという、神の摂理に背くような行いをすることも可能なのだ。
だが、パラケルススの身体はまだホムンクルス止まりである。
だからこそ、ルヴィアリーラは合点がいったのだ。
「魔物と組んでいたのは人間の魂が複写先として必要だからでしょう! 外道が……恥という言葉を知らないのでして!?」
一応、グランマテリアに至ることはなくとも、ホムンクルスに魂を移し替えることで、擬似的な不老不死は実現することが可能である。
だが、そのためには等価交換の対価として、他者の魂を用いる必要があるからこそ、ルヴィアリーラはその行いに憤慨しているのだ。
「……ククク、驚いたよ。まさか君がそんなところまで調べ上げているとはね」
「問答無用!」
ルヴィアリーラは即座に星剣アルゴナウツを抜刀し、パラケルススへと全力で斬りかかった。
しかし、その一撃はクラリーチェの身体を借りたパラケルススが展開する魔力障壁によって虚しく阻まれ、ただ甲高く、虚しい金属音を鳴らすに留まってしまう。
「その障壁……!」
「察しの通りだよ、ルヴィアリーラ。私は……真理に至ろうとしている。そして私はね、君に大いなる期待をかけているのだよ」
「くっ……ああっ!」
魔力障壁を防御から攻撃に転用することでルヴィアリーラを弾き飛ばしながら、パラケルススは底意地の悪い笑みを口元に浮かべて、そう語る。
今の自分であれば、ルヴィアリーラも、傍に控えている魔法師も容易く鏖殺できる。そんな余裕が感じられる、底意地の悪い笑みだった。
「『光よ』、『分かたれし開闢の欠片』、『その威光をもって』『眼前の過ちを穿て』!」
リリアが怒りに任せて放った雷の極大魔法をもその魔力障壁で難なく受け止めながら、パラケルススはかつかつと踵を鳴らして、旧跡ロスヴァイセには興味が尽きたとばかりにルヴィアリーラたちの眼前まで歩み寄ってきた。
「私は期待しているよ、ルヴィアリーラ。君が……私と同じようになることを、そして、真理へと至る鍵を見つけることを」
「よもやこのわたくしを……!」
「それではご機嫌よう、またいつか……いや、そう遠くはない内に会おうではないか」
パラケルススは万能ポーチから、「風鳴りの羽」を取り出すと、それを天高く放り投げていずこへと消えていく。
待て、と、ルヴィアリーラが叫んだところで待ってくれるはずもない。
ただエーテルに一度還元されて解けていくパラケルススの姿を見送ることしかできない自らに屈辱を覚えながら、ルヴィアリーラは石畳とよく似た、しかし別物な地面を拳で殴り付けた。
「くっ、あの男……!」
パラケルスス・フォン・アンドラダイト。
皇国図書館にもその名を示す資料はほとんど残されていなかったものの、唯一あのボロボロだったアトリエの所有権が元々誰にあったのかを調べた時に見つけた名前だった。
そして、資料に名前が残っていないということは、歴史に黙殺されたということでもある。
彼がいかなる理由でクラリーチェ・グランマテリアを名乗って、そしてその姿形をホムンクルスとしているのかはわからない。
だが、どうせろくでもない理由であることぐらいは予想がつく。
ルヴィアリーラは血の滲む腕で立ち上がりながら、ただ歯を食いしばって黙り込む。
「……お姉様……」
悔しいが、パラケルススの言っていることは本当なのだろう。
あの魔力障壁は、錬金術の真理、その入り口に辿り着かなければ創造することのできない「光」そのものだ。
錬金術は四大元素を変換する魔術である、というパブリックイメージは決して間違っていない。
だがそれは、多くの錬金術師がそこで止まっているからだ。
「……屈辱ですわ……!」
ルヴィアリーラはリリアからの慰めを受け取りながらも、受けた屈辱に、奥歯が砕けかねないほどの力を込めて歯を食いしばる。
錬金術には段階がある。
そして、ルヴィアリーラも、先日、アイリスディーナからの依頼をこなして「創造」の段階に至ることで、また、真理の二、三歩手前にいることも確かだった。
だが、それでは足りないのだ。
ルヴィアリーラはふらりと立ち上がり、ヒーリングポーションを一息に煽ると、大きく息を吐く。
「あんの野郎……次に会ったら百倍返しですわよ!」
それは負け惜しみであり、強がりなのかもしれない。
しかし──ルヴィアリーラの言葉に呼応するように、星剣アルゴナウツが、その鍔に埋め込まれた「素たる火の宝珠」が、同意を示すかのように激しく煌めくのだった。
◇◆◇
旧跡の調査そのものは、パラケルススと遭遇したこと以外は順調に進んだ。
中にはボルグートたちに駆逐されたのか、野生化した魔物もおらず、ただ静寂と、そして無常のみがかつての栄華を誇った都市には横たわっているのみだ。
その中でルヴィアリーラが見つけ出したのは、街区の奥に結晶の塔を作り出していた、虹色の光を放つ謎の鉱石だった。
持ち帰ってきたそれをスタークに提示しながら、ルヴィアリーラは「クラリーチェ」の正体も含めた顛末を、スタークに全て語った。
「ふむ……旧跡周辺の安全はひとまず確保してくれた、ということか」
「パラケルススがどこに去ったかはわからずじまいで、申し訳ない限りですけれど」
「いや、良い。まさか数十年前、アトリエを開いた時点で老齢だった人物が、そのような形で生き延びていたとはな……」
スタークも、皇国の歴史について知っているわけではない。
ただ、このアトリエを元々管理していた人物がそういった名前であったことを覚えていただけだ。
しかし、人体錬成という禁忌だけでなく、魂を移し替えるために他人を犠牲にするという道を選んでいたのであれば、パラケルススは第一級の犯罪者として手配する他にない。
だが、彼がその皮として被っているホムンクルスの身体は、クラリーチェ・グランマテリアのものであり、下手に人相書を出せば、彼女の名誉すら貶めてしまう。
「……ともかく、陛下には全て報告しよう。その上で、『夜天の軛』についてはイーステン王国と共に対処を考えねばなるまい」
「『夜天の軛』ですの?」
「うむ……『王認勇者』リーヴェ・エメラリヒトが倒したキングオーガ、『豪雷のガルムト』がそう名乗っていたらしい。『爆炎のボルグート』もその一員と見て問題ないだろう」
聞き慣れない単語と新たな頭痛の種に頭を悩ませながらも、ルヴィアリーラは臆することなく、同じ錬金術師としてパラケルススを討ち果たすべく、拳を固める。
「上等ですわ。何がなんでもこのルヴィアリーラ……同じ錬金術師としてケジメはつけてやりましてよ!」
「……頼もしいな。それでは引き続き依頼の方を頼んだぞ、錬金術師ルヴィアリーラ」
「任されましてよ!」
とはいえ、まず解決しなければならないのは当面の課題だろう。
旧跡ロスヴァイセの安全が確保できた以上、湯治場を開く開拓村まで導水管を運ぶことはそう難しくない。
ルヴィアリーラは去っていくスタークに向けて親指を立てると、相変わらず彼の三白眼と仏頂面に怯えていたリリアの頭をそっと撫でて、次の課題へと臨むのだった。




