73.皇国依頼、再びなのですわ!
ルヴィアリーラが御前試合での優勝を収めてから数ヶ月、アトリエ・ルヴィアリーラは大繁盛とはいかなくとも、ある程度の活気が出る程度には個人客からの依頼もくるようになっていた。
内容は主に日用品の修繕や保全、ポーションや薬品類の納品といった、ギルドから回されてくるのと大して変わらないものではあったが、ルヴィアリーラとしてはそれでも十分だった。
「これで鍋の錆は取れましたわね」
「ああ、ありがとうねルヴィアリーラちゃん。はいこれ、お代。いっつも本当助かってるわぁ」
「このくらい錬金術師として当然のことにして朝飯前でしてよ! ひーふーみー……報酬も確かにいただきましたわ!」
壮年の女性に錆のとれた鍋を手渡し、すっかり板についた庶民的な仕草で代金を受け取ると、ルヴィアリーラは額に浮かんだ汗を拭う。
個人からの依頼はこうした儲からないものが多いものの、それでも引き受けるのはルヴィアリーラなら困った時はなんとかしてくれる、という信頼を買う、という意味も大きい。
単にルヴィアリーラが底抜けのお人好しである、というのが理由の大部分でこそあるものの、彼女もまた自分なりに考えて、アトリエを経営しているのだ。
「……お姉様、お茶が沸きますよ……」
「感謝でしてよ、リリア! さて、そろそろお昼ご飯に……」
先ほどの女性が午前中では最後の客だったということもあり、ルヴィアリーラがアトリエのドアを閉めようとした瞬間だった。
「失礼する、錬金術師ルヴィアリーラはここにいるか?」
「ピースレイヤー卿? ご機嫌よう。お久しぶりですわね」
新たな来訪者──スタークがいつもの仏頂面でやって来たのだが、彼と出会うのは実に数ヶ月ぶりだ。
ルヴィアリーラは閉めようとした戸を開け放ってスタークをアトリエの中に招くと、早速何かあったのかとばかりに問いを投げかける。
「ピースレイヤー卿。貴方がここに来た、ということは国から何か?」
「察しがいいな。神王陛下より国認錬金術師ルヴィアリーラへ新たな依頼が出されている」
国認錬金術師。
肩書きだけ見れば立派なそれは、国がルヴィアリーラを正式に保護下に置くという意味合いであり、やっていることとしてはその実見習い錬金術師時代と大差ない。
とはいえ、正式に神王ディアマンテからの後ろ盾を得られた、という意味では立場的には大違いなのではあるが。
どの道、自身には拒否権などないことを悟り、ルヴィアリーラは苦笑しつつもスタークに続きを促す。
「で、それはどんな依頼ですの?」
「うむ……君は旧跡ロスヴァイセについて知っているかね?」
リリアが淹れてきたお茶を受け取り、一口つけて喉を潤すと、スタークはそう切り出した。
旧跡ロスヴァイセ。
ルヴィアリーラも地理は学んでいるから、そのような場所が王都から遠く離れて、イーステン王国との国境付近に存在していることそのものは把握している。
だが、それがなんであるのか、という意味については把握していない、と、いうより、知っていたら報奨金が与えられるレベルの、機械文明時代の遺産だとは聞かされていた。
「概要ぐらいは知っておりますわ、機械文明時代の遺跡なのでしょう?」
「ああ、それは間違いない。その近くで湯治場に最適な温泉が発見された、という報が入ってな」
「……温泉ですの、また話が複雑化しましたわね」
「いや、そうでもない。君に頼みたいことは三つだ。一つは旧跡ロスヴァイセの調査、二つ目はそこに棲まう魔物の駆逐。三つ目は湯治場に湯を送るための管を作ってほしいのだ」
旧跡ロスヴァイセは未調査、というより調査が困難であることも極まって、魔物の巣になっていると、ルヴィアリーラからの返事を待たずに、スタークは言葉を続ける。
と、いうのも、ここ最近では旧跡ロスヴァイセ付近に限らず、魔物の行動が活発化しているという報告が冒険者ギルドを通して皇国に多数寄せられているのだ。
元より危険地帯認定されているのと、アクセスの不便さによって調査が後回しにされてきた旧跡ロスヴァイセだが、御前試合で「王認勇者」すら制した自分ならばできるかもしれない、と、それがディアマンテの期待するところであるのは、ルヴィアリーラにも理解できた。
ただ、スタークの発言には一つだけ、引っかかることがあったのもまた事実だ。
相変わらず彼の三白眼に怯えて、自身の後ろに引っ込んでいるリリアの髪をそっと撫でながら、ルヴィアリーラはスタークへと問いかける。
「魔物の活発化、と仰りましたわね」
「ああ」
「……一つ訊きたいのですけれど、その魔物たちが『クラリーチェ』なる名を口にしていたとか、そういう報告は寄せられていまして?」
魔物の活発化、と聞いて真っ先に思い出すのはガーロンとの一件と、風雪竜シュネーヴァイスとの戦いだ。
ガーロンたちが旧鉱山で仕掛けようとしていた魔法陣は、今思えばあれは魔法的なアプローチで形成されたものでなく、「魔術による方陣」とでも呼ぶべきもので、同時にそれは、地脈を利用していることから、錬金術のアプローチにも近いと、ルヴィアリーラは推測している。
故にこそ、「クラリーチェ」と彼らが口にしていた名前がもしも本当にルヴィアリーラの想像する通りの「クラリーチェ」であったのなら、事態は思ったよりも深刻だということになる。
そして、驚いたように目を見開いたスタークの表情こそが、全ての答えであったといっていいだろう。
「……どこでそれを知った?」
「旧鉱山で戦ったトロールオーグが口にしておりましたのよ」
「なるほど……確かに『王認勇者』のパーティーが戦っている魔物の集団もクラリーチェなる存在については口走っていたと、ギルドマスターからは聞かされている」
「……なるほど。わかりましたわ、委細承知、その依頼、このルヴィアリーラが確かに承りましてよ」
正直なところ、気乗りしないところがあったのも確かではあるが、気がかりなことがあるならそれを放っておけないのもまたルヴィアリーラという女性なのだ。
「すまないな、期限については特に設けていないが……なるべく早く頼みたい」
「ええ、秒速で……とはいかなくとも、こちらとしてもできる限りの努力は致しますわ」
豊かな胸を張りながら、ルヴィアリーラはそう答えた。
そして、依頼を受けた彼女に短く感謝の言葉を告げてアトリエを去っていくスタークの背中を見送るルヴィアリーラの瞳には、少しばかりの憂いが滲んでいた。
「お姉様、その……」
「わかっておりますわ、クラリーチェ・グランマテリアは故人……それは確実なことですわ」
人を生き返らせる法はこの世界に存在しないが、人を生きながらえさせることのできる術ならば、存在している。
その答えは、錬金術だ。
ルヴィアリーラは自身が今も擦り切れるほど読み返している「錬金術体系全著」の中で、魔術的な封印が施され、白紙にカモフラージュされているページのことを思い返して唇を噛む。
ただし、クラリーチェ・グランマテリアがそんな手段を選ぶかどうかについて問われれば、間違いなく否であるとルヴィアリーラは確信しているが、可能性がないとは言い切れない。
活発化した魔物たちを締め上げて、それも含めて吐かせるべく、ルヴィアリーラは決意に拳を固めるのだった。
第五章、始まりましてよ!




