70.その一瞬に、全てを懸けるのですわ!
「それではただいまより始まる御前試合の決勝戦、入場しますは赤コーナー、イーステン王国からの来賓にして『王認勇者』リーヴェ・エメラリヒトさんですっ!」
アイリスディーナの煽りを受けて、湧き上がる歓声に応えるかのように、満面の笑みを浮かべながらリーヴェは観衆へと手を振り、会場へと足を踏み入れる。
「続いては白コーナー、めきめきとその頭角を表してきた冒険者にして今試合屈指の大番狂わせを成し遂げてきた、冒険者ルヴィアリーラさんですっ!」
リーヴェに上がった歓声よりも一際強く、野次も混じったものがルヴィアリーラの背中へと突き刺さる。
それは今、皇国の名誉を一身に背負っているのが彼女であるからに他ならず、観衆の期待は隣国の王認勇者が華麗に勝利を収めることよりも、何かと暴走しがちな錬金術師が、スタークを相手にやってのけたようなジャイアント・キリングにかけられていた。
だが、ルヴィアリーラには、その野次も歓声も、何もかもどこか遠く離れたように感じられてならない。
この戦い、一度でも機を逃せば、負けるのは自分であることは確定しているようなものだ。
言い方こそ悪いが、観衆の態度に左右されていたのでは間違いなく負ける。
だからこそ、意識をルヴィアリーラは戦いの前からその全てに集中させて、剥き出しにした闘志を隠すことなく、リーヴェと相対してその剣先を突き合わせるのだった。
「ビリビリ感じますね、ルヴィアリーラさんの闘志! あたしも負けてられません!」
「ええ、こちらこそお手柔らかにお願い致しますわ」
リーヴェは、相手が強ければ強いほど燃えるタイプの人間だ。
ルヴィアリーラの闘志に触発されて、その翡翠の瞳に炎が宿ったかのように、ルヴィアリーラは一瞬、そんな錯覚を抱く。
悪手だったかと心中で毒づいたが、油断を誘うような、最初から相手の失策に期待するような戦いをしていては、戦う前から負けているようなものだ。
故にこそ、戦いは──戦いとは、勝ち筋を掴み取り、負け筋を潰すこと。
それこそが、常道に他ならない。
「開始めいっ!」
剣先を合わせた後、二人が所定の位置についたことを確認すると、審判を務めるオブシディアン候が高らかに宣言する。
そして、それから一秒の間を置くこともなく、ルヴィアリーラは手数を重視した、パルシファルから手ほどきを受けた剣技でリーヴェに、息もつかせぬ連撃を打ち込んでいく。
「無窮瞬撃閃──わたくし流、ですわ!」
「むむむ……なんの! このぐらいどってことないです! もっとじゃんじゃんきてください!」
しかし、リーヴェはその全てを自慢の魔力障壁によって弾き返しながら、恐らくは無意識に、どこか煽るような言葉をルヴィアリーラへと投げかける。
確かに、リーヴェに対して、ルヴィアリーラの攻撃が効いていないのは事実だった。
一振りで二度の斬撃を放つ、という離れ業を披露しているルヴィアリーラだが、いってしまえばそれ自体は、アースティアナの「ジグ・ダート・クリンゲ」の下位互換でしかない。
故にこそ、観衆たちも絶望し、誰ともなく呟いた、勝ったのは「王認勇者」かと、そんな言葉が会場を絶望へと、沈黙へと包み込んでいく。
随分好き勝手に言ってくれる、と、リリアはただ一人、憤慨していた。
ルヴィアリーラが速度を重視した攻撃を、下馬評を知りながらも繰り出していることに対して、何か理由がないはずはあるまい。
がきぃん、きぃん、と金属同士がぶつかり合うけたたましい音が沈黙に包まれた会場に響く中、一瞬だけリリアの虹の瞳と、ルヴィアリーラの深紅の瞳、その視線が交錯する。
──ああ、やっぱり。
そこから伝わってきた感情に、リリアは安堵を抱く。
ルヴィアリーラは、最初から諦めてなどいなかった。
巧みに繰り出される剣撃は、確かに有効打を与えられてこそいないかもしれない。
だが、リーヴェが攻撃を繰り出すことを咎めるように放たれているそれらは全て、ルヴィアリーラにとっては牽制打に過ぎなかった。
そして、ルヴィアリーラは確信する。
このリーヴェ・エメラリヒトという少女は、相手の攻撃をあえて受け止めながら攻撃するタイプなのだと。
「どうしましたかルヴィアリーラさん、それで終わりなら……あたしがやりますよ! てりゃああああっ!」
「なんのッ!」
迂闊な攻撃を誘うように剣先を逸らしたルヴィアリーラは、力任せに振るわれるリーヴェの大剣による一撃を回避すると、「爆炎筒」を万能ポーチから取り出して投擲する。
だが、そのけたたましい爆発も、並の魔物であれば一瞬のうちに肉塊へと変えてしまうその一撃も、リーヴェが纏う魔力障壁は弾き返してしまう。
それでも、ルヴィアリーラにとってはそれも計算のうちだった。
桁違いの魔力障壁を、全て削り切れるとは思っていない。
「ぐ……っ、やりますね、ルヴィアリーラさん!」
リーヴェは好戦的な笑みを浮かべながら、両腕を交差させることで「爆炎筒」による一撃を防いでみせたのだが──ルヴィアリーラはそこにこそ、好機を見出していた。
そうだ。
今、リーヴェは明確にガードするための行動をとった。
幼い頃より錬金術を学ぶことで培ってきたルヴィアリーラの観察眼が、そこにわずかな蜘蛛の糸を、どこまでも細く、薄い好機を見出して、微かな希望を紡ぎ出す。
アースティアナとリーヴェは、確かに相性が悪かった。
ただしそれは、アースティアナという個人に還元される問題ではない。
もしもの話ではあるが、リーヴェとリィが戦っていたのなら、或いは第三回戦でルヴィアリーラに敗れたロマーノ伯が戦っていたのなら──案外善戦したのではないかと、ルヴィアリーラは一瞬のうち、脳裏にそんなことを閃いていた。
爆炎が魔力障壁によって阻まれるのは計算の内で、確かめたかったのはそこではない。
爆風によって発生する衝撃、それに対してリーヴェがどう出るか、というのがルヴィアリーラにとっての関心であり、言うなればこの戦いの勝敗を分かつ最大のポイントであったのだ。
そして、リーヴェはガードという選択肢を取った。
ならば──この戦い、乾坤一擲を賭せば、希望は決して失われてなどいない!
「必殺、全力……斬りぃいいいいっ! てりゃああああ!!!」
「あっぶねえですわね!」
爆炎を晴らすように、黒煙の彼方から放たれる斬撃を、ルヴィアリーラは回避しつつ、ダメ押しだとばかりにもう一本の「爆炎筒」を取り出して、リーヴェへと全力で投擲する。
会場ごと破壊しかねないために爆薬の大盤振る舞いとはいかなかったものの、それでも、目眩しにはこれだけで十分だ。
たかが一瞬、されど一瞬、作り出した好機を見計らって、ルヴィアリーラは切り札を切る。
「『運べ』! 星剣アルゴナウツ・ペリドット!」
それは、風が示す行き先。
それは、過たず敵を穿つ飄風。
星剣アルゴナウツの鍔に埋め込まれた「素たる風の宝珠」に連動するかのように、聖衣ローズリーラもまた翡翠と金を基調とした色に変わっていく。
そして、一瞬にも満たないその間──星剣アルゴナウツは、剣と呼べないような形状へとその姿を変えていた。
ルヴィアリーラがつがえるものは、弓だった。
星剣アルゴナウツ・ペリドットは、吹き抜ける風のように、あらゆる感覚を鋭敏にするそれは、意図的にどこかしらの感覚を遮断していなければ風が吹く音だけで鼓膜が破れてしまいかねないほどピーキーな代物である。
だからこそ、ルヴィアリーラは速さを武器としていたパルシファルとの戦いでは、これを持ち出すことはなかったのだ。
「……これで、終わりでしてよ! ちぇえええええすとおおおおっ!」
鋭敏に強化された視覚は、爆風の中で腕を交差させているリーヴェの姿を、そしてその隙間を見抜いていた。
光の弓へと変じた星剣アルゴナウツ・ペリドットを引き絞ると、ルヴィアリーラは一瞬の内に音を超え、光に迫る、素たる風の魔力を一点に凝縮させた矢を放つ。
それは、敵を打ち貫くものである。
しかしてそれは刃ではない。
飄風が切り刻むのは、あくまでも副次的な作用であり、嵐が突き抜ける衝撃こそが、星剣アルゴナウツ・ペリドットの本質なのだ。
「が……っ……!」
リーヴェは、何が起きたのか理解できなかった。
爆炎を目眩しにして、ルヴィアリーラが何かをしようとしていたことは辛うじて理解できた。
だが、それだけだ。
気付いた時には、その不可視の弾丸は魔力障壁ごと自分の方へ押し返すかの如く鳩尾に着弾していて、その衝撃にリーヴェは吐血し、意識を手放すこととなる。
観衆もまた、何が起きたのかがわからずに混乱していた。
いきなり、突風が吹き抜けて爆炎が晴れたかと思えばリーヴェが地面に倒れ伏し、得物を手放していて、何かを仕掛けたであろうルヴィアリーラもまた、星剣アルゴナウツを地面に突き立てて、膝を震わせながらも辛うじて立っているといった風情なのだ。
だが、リリアは、そしてディアマンテは確かに見抜いていた。
莫大な風の魔力を収束させた嚆矢は、「王認勇者」が展開する魔力障壁を突き破るのではなく、防ごうとした時の衝撃を逆に利用する形で鳩尾に叩き込んだのだ。
それは、ルヴィアリーラが錬金術師であるが故に、幼い頃より観察眼を鍛えていたが故に為し得た技であった。
だが、同時に、その代償は極めて大きいものであった。
「そこまで! 勝者、冒険者ルヴィアリーラ!」
ディアマンテが白の旗を上げて、そしてオブシディアン候が勝利を宣言するなり、ルヴィアリーラは過剰なまでの感覚の増幅とフィードバックの代償に、その意識を手放して、ぷつりと糸が切れてしまったかのように地面に倒れ伏してしまう。
(リリア……約束は、果たしましてよ……)
しかし、それでもルヴィアリーラは膝をつき、倒れ伏したその瞬間まで──否、倒れ伏してもなお、蜘蛛の糸を手繰り寄せて、その手に掴んだ勝者の誇りを、手放すことはないのだった。




