69.『王認勇者』は朗らかなのですわ!
時は少し巻き戻り、ルヴィアリーラが第二試合──スタークとの戦いを終える前に遡る。
闘技場で繰り広げられていたその戦いは、流麗という言葉からは程遠かった。
常に七つの剣を魔力によって使い分けるアースティアナ・エル・クレバース卿は、「一撃」の重さで「皇国の双璧」と称えられてきたスタークとは違って、「手数」をこそその本質としていた。
地と風の魔力という相反する力を同時に使いこなすアースティアナは、皇国始まって以来の逸材であり、一対一という条件に限定すれば、あのスタークですら及ばないのではないか、という噂さえ流れているほどだ。
故にこそ、皇国で最も美しい騎士は誰か、という問いに、人々は口を揃えて「それはアースティアナ卿である」と答える。
容姿もさながら、七本の剣を華麗に使い分けて戦うその姿は、否、戦いそのものが、銀盤の上で舞い踊るが如き優雅さを誇っているからこそ、市民たちは最も美しき騎士としてアースティアナを称えているのだ。
だが、今ここで繰り広げられている戦いは、美しさとは程遠い。
「くっ……!」
「どうしたんですかアースティアナさん! あたしから……仕掛けますよ!」
六本の剣を宙に浮かべ、常に死角からの攻撃を試みる「ジグ・ダート・クリンゲ」──アースティアナが独自に開発した魔術にして技練の象徴である──の全ては、相対する敵を翻弄し、掌の上で弄ぶがごとく回避を強要してきたはずだった。
しかし、相対する相手は、「王認勇者」リーヴェ・エメラリヒトは、その全てを回避することなく突き進むという道を選んだ。
彼女が纏う魔力障壁は、さながら要塞のごとく死角を常にカバーし、飛んでくる六本の剣を、ことごとく弾き返している。
まるで無駄だと言わんばかりに、そうでなければ突き進む重戦車のように、リーヴェは止まることはない。
それはひとえに、彼女が「王認勇者」であるが故であった。
ジグ・ダート・クリンゲが通じないと判断したアースティアナは六本の剣を回収すると、その中から細剣を手に取って、手数を重視した剣技でもって、リーヴェの相手をしようと試みる。
だが──その全てはリーヴェの纏う魔力障壁と分厚いプレートアーマーに受け止められて、有効打を与えることができなかった。
いってしまえば、リーヴェ・エメラリヒトという個人と、アースティアナ・エル・クレバースという個人の相性は、最悪の一言に尽きる。
その重装甲に任せて突っ切っていく、いわゆるタンクにしてアタッカーを務めるのが勇者であるリーヴェの役目なのに対して、アースティアナは手数と回避を主体とした軽戦士だ。
或いは、スタークとリーヴェが当たっていて、ルヴィアリーラとアースティアナが戦っていたなら、結果はまた違ったのかもしれない。
無論、全てはたらればの話でしかない。
そのあり得ざる結論は、朗らかに笑いながら、しかして裂帛の気合を緩めることなく突き進む小さな重戦車の一撃によって棄却される。
「あたしの必殺……全力斬りです!!!」
「ぬ……うわあああああっ!」
剛毅果断という言葉を体現するように、大雑把に、しかしながら強烈になぎ払われた王認勇者の一撃は、アースティアナが持っていた六本の剣とそして持っていた細剣、その全てを吹き飛ばして、喉元にぴたりと刃を突きつけた。
それは、まだ幼さが残っている見た目の通り、リーヴェ・エメラリヒトは若干十三歳という若さにして、「皇国の双璧」を打ち破るという偉業を成し遂げてみせた証明である。
故にこそ、会場は困惑に包まれた。
あのアースティアナが繰り出す剣技が全て通用しない。
そんな化け物が今、この闘技場に立っているという事実にある観衆は戦慄し、ある観衆は絶望に膝をついた。
しかし、その戦いを最後まで見届けていた神王ディアマンテだけは、口元に浮かべた微笑を崩すことはなかったという。
彼の真意は、お付きの近衛騎士にすらわからなかった。
だが──その視線が見据えていたのは、リーヴェではなく、もっと遠くであるように、騎士の男には感じられたのだった。
◇◆◇
「全く、死ぬかと思いましたわ!」
時は進んで、準決勝戦を終えた控え室。
ルヴィアリーラは、溜息とともにそんなことを口走っていた。
「……お、お姉様……でも、勝ったんですよね……?」
「ええ、リリア。見事に勝利を収めてみせましたわ」
サポーターとして控え室への入場を許可されたリリアから受け取ったヒーリングポーションを一気飲みするなり、ルヴィアリーラは小気味の良い笑顔を浮かべて、親指を立ててみせる。
しかし、彼女が零した通り、パルシファルとの戦いは、紙一重の勝利であったことに違いはなかった。
あの「祝福」の力は、確かに正しく振るわれたなら、一国を、世界を救うに値するものだろう。
だからこそ、それを失うことに対して、ウェスタリア神聖皇国が懸念を抱いていて、ルヴィアリーラが鉄砲玉として選ばれたこともまた、納得はできずとも理解はできる。
あの時もし、パルシファルが「祝福」を解いていなかったら。
それもまた、もしもの、空想の話でしかない。
それでも、結果は変わっていたのではないかと、ルヴィアリーラは死と隣り合わせだった音速の戦いを脳裏に描いて、戦慄する。
「……つ、次のお相手は……その……」
「ええ、『王認勇者』……何やら油断ならない相手のようですわね」
リーヴェ・エメラリヒトなる人物について、ルヴィアリーラはほとんどその情報を知らされていない。
先に敗れたスタークも助言を残さなかったのは、大会の規定で、サポーターを除く選手が他の選手に対して助言を行うことは禁止されているためだ。
しかし、人の口には戸が立てられないといった風情に、「王認勇者」についての噂は、会場にひしめく観衆たちから、ルヴィアリーラのもとに流れてきていた。
曰く、手数による攻撃が一切通じない。
曰く、全ての攻撃を跳ね返し、一撃で全ての試合に決着をつけた。
どこまでが真実で、どこまでが噂話なのかはわからない。
だが、その重装甲と圧倒的なパワーこそが彼女の本質である、ということは読み解ける以上、事前に警戒をしておくに越したことはないだろう。
「むう……」
ルヴィアリーラは掌の上で切り札である「素たる風の宝珠」を転がしながら、どうしたものかと天井を見上げ、低く唸った。
そして、ちょうどその時だった。
ばたん、と爆ぜるような音を立てて、勢いよく控え室の扉が開かれたのは。
何事かと驚いて、身を震わせるリリアを抱き寄せながら開け放たれた扉の先を見れば、そこには茶髪をショートボブに切り揃え、立派なプレートメイルに身を包んだ少女──王認勇者たる、リーヴェ・エメラリヒトその人が立っている姿が、ルヴィアリーラの視界に映る。
「こんにちはっ! えっと……金色の髪の人が、ルヴィアリーラさんでいいんですよね!」
なんだかやけにテンションが高けぇですわね。
そんなことを口走りかけたのを抑えて、きんきんと響く大声に、ルヴィアリーラはいかにも、とばかりに大仰な仕草をとって答えてみせる。
「ええ、わたくしが冒険者のルヴィアリーラに他なりませんわ! あーっはっは!」
郷に入っては郷に従えといった格言があるように、ここは相手の流儀に合わせるべきなのだろう。
無駄に高笑いを上げながらも、ルヴィアリーラは決して油断することなく、リーヴェの、丸くて大きな、翡翠色をした瞳を覗き込む。
そこにあるものを示すのならば、純粋、の一言に尽きた。
憧れ。期待。高揚感。
不安など微塵も感じることなく、この後に控えている戦いへと臨もうとしている、強者としての風格が、既にリーヴェには備わっている。
「やっぱりルヴィアリーラさんでしたか! あたし、リーヴェです! リーヴェ・エメラリヒト! 次の戦いで当たるって聞いたから挨拶に来たんです!」
「あら、随分と礼儀正しいのですわね。それは美徳ですわ」
「あれがとうございますっ! ルヴィアリーラさんも次の戦い、勝っても負けてもいい試合にしましょうね!」
言いたいことをぶちまけるだけぶちまけると、リーヴェは踵を返し、大手を振りながら反対側のコーナーへと去っていく。
「……お姉様、その……」
「心配などいりませんわ、リリア」
リーヴェの大声に怯えていたリリアが、上目遣いでルヴィアリーラを心配そうに見遣る。
だが、ルヴィアリーラは安心してくださいまし、と、いった風情にいつも通り、リリアの銀髪をそっと撫でながら立ち上がった。
いい試合も何もあるまい。
相対した瞬間に理解できた。
あれは、リーヴェ・エメラリヒトは、「祝福」を受けたパルシファル以上の化け物だと断言していい。
立っているだけで地形を歪ませそうなほどに迸る魔力が、幼く小さな身体には不釣り合いなほどに、ルヴィアリーラには感じられた。
自分以上に魔力の扱いに長けているリリアが怯えているのもまたその証拠だろう。
だからこそ、いい戦いも何もない。
「……この戦い、一撃で決着をつけなければ、わたくしに勝ち目などありませんわね……!」
微かな戦慄に唇を震わせながらも、決意を込めて、ルヴィアリーラは祈るように、持っていた「素たる風の宝珠」を握りしめる。
星剣アルゴナウツ。
その本質はあくまでも万能性──どんなに雑に扱っても刃こぼれせず、そして適合した宝珠の力を様々な形で発揮するのなら、癖だらけで使いづらいこの「風」もまた、切り札となりうるかもしれない。
「……そ、その……頑張って、あ、いえ、今も頑張ってて、その……だから、お姉様……ご無事で……!」
「ええ、必ず勝利を手にして戻ってまいりますわ、リリア! あーっはっは!」
高笑いは、ルヴィアリーラ流の強がりだ。
それでも、強がって何が悪いのか。
強がらなければやってられないような戦いだ。
さながら、蜘蛛の糸を手繰り寄せつつ、「神々へのきざはし」と例えられる、セントスフェリア山の頂へと登っていくように、絶望的な行いだ。
しかし、不可能を可能にすることが錬金術師の本質であるなら。
──やってやろうじゃありませんの。
ルヴィアリーラは心中で静かに呟き、そんな地獄のような戦いの場へと、赴いてゆくのだった。




