68.ですから、とっくに終わっているのですわ!
因縁は終わっている。
ルヴィアリーラから宣告されたその言葉に、パルシファルは静かに怒りを募らせていた。
思えば、この女は昔からこんな具合に自分のメンツを潰すことに長けていたのだ。
だからこそ、半歩後ろを付き従ってくれるアリサの存在はパルシファルにとってありがたいものであったし、彼女の、乾いた大地に染み渡る慈雨のような懐豊かな性格に絆されて、いつしか愛を捧げるようにもなっていたのだ。
「随分と……ふざけたことを言ってくれる!」
「何もふざけておりませんことよ! ルヴィアリーラ・エル・ヴィーンゴールドは死んだ! そういうことになったではありませんか!」
ルヴィアリーラが振るう魔剣の炎をかき消すが如く、「祝福」によって得た水の魔力を魔剣ゴットフリートに纏わせたパルシファルは、怒りにその身を任せながらも、舞い踊るように流麗な技で、かつて自身が手ほどきをしたルヴィアリーラを追い詰めていく。
だが、ルヴィアリーラもパルシファルに教えられた技ばかりを使っているのではない。
己の戦いの中で鍛えた喧嘩殺法、剣術のみならず蹴りや道具の投擲などを利用して巧みにパルシファルの攻撃をいなしていくのだが、戦いは一進一退といった具合だった。
確かに、彼女が言う通り、ルヴィアリーラ・エル・ヴィーンゴールドという貴族は死んだということになっている。
だが、彼女は気付いていないのだ。
現在の「冒険者ルヴィアリーラ」もまた、パルシファルの面子を尽く潰しているということに。
思えばルヴィアリーラは、幼い頃からこんな具合に思い込んだら一直線で、周りを顧みないような跳ねっ返りだった。
剣を交えながら、パルシファルは「祝福」の力を得ても尚、打ち倒すことのできないルヴィアリーラに苛立ちを覚える。
「思い出すな、ルヴィアリーラ! 君はいつもそうだった!」
「わたくしは……自分を曲げない主義ですわ!」
「その主義こそが私を苛立たせてきたのだよ!」
「……ッ!」
ルヴィアリーラは、パルシファルから投げつけられた言葉に少なからず動揺を抱く。
自分がパルシファルに嫌われているということは薄々感づいていた。
ただ義務感から彼が優しく接してくれたのだというのは、言葉の端々から感じられたことだったし、実際に魔物討伐から帰還したときの彼は、氷のように冷たい顔をしていたことを、ルヴィアリーラは覚えている。
だが、自分の主義が誰かを傷つけている、という事実を伝えられて動揺を抱かないほど、ルヴィアリーラは豪胆な人物ではない。
例えわかっていることでも、言葉にされれば少なからずそれは心に傷を刻む力となる。
その隙をついてパルシファルが繰り出す音速の刺突がルヴィアリーラの頬をかすめて、一本、筋の走った微かな傷を刻む。
この程度ならポーションで何とかなる範囲だ。
首が飛ばなかっただけマシだというべきか。
刺突によって前傾姿勢となったパルシファルの腹を蹴り飛ばして、ルヴィアリーラは改めて剣を構え直す。
やってくれたな、とばかりに、無言で自身を睨み付けるパルシファルの力が更に増大していくのをルヴィアリーラは感じ取り、思わず背筋を震わせていた。
その闘気は、かの風雪竜シュネーヴァイスに勝るとも劣らない。
と、いうよりも国がパルシファルと聖女アリサの損失を惜しんだからこそ彼らを切り札として温存していたのだろうし、ルヴィアリーラが「名誉の戦死」を遂げていれば、筋書き通り彼がシュネーヴァイスと戦うこととなったのだろう。
──だとしても。
「……お姉様……!」
微かな、声援の中では掻き消えてしまいそうな叫び声を、「躯体強化」によって強化された感覚でルヴィアリーラは聞きつける。
そうだ。
例え自分の主義が誰かの面子を潰していたとしても、例え自分の腕が全ての世界を救えなくとも。
「……そうですわね、まずは……!」
「まずは、なんだというのだね!?」
「わたくしの道を切り開いてから考えさせていただきますわあああああッ!」
ごちゃごちゃと、難しいことを考えるのは後でいい。
困っている誰かがいたら手を差し伸べて、そしてリリアと一緒にこの国で、否、この世界で一番のアトリエを経営する。
それこそが、ルヴィアリーラの掲げる「夢」であり、全てに優先すべき「理由」でもあったのだ。
故にこそ、この戦いで、こんな戦いなんぞで負けるわけにはいかない。
己の中に眠る全ての魔力を注ぎ込むように、ルヴィアリーラは星剣アルゴナウツ・スカーレットに意識を集中させて、音速での攻撃を繰り出し続けるパルシファルの攻撃を、全てパリィと呼ばれる基本的な技法で弾いていく。
パルシファルの刺突は確かに強い。
だが、その攻撃は性質上、「点」に偏ったものとなっている。
対して、ルヴィアリーラの攻撃は「面」に集中したものだ。
そのどちらが優れていて、どちらが劣っているということはないが──ただ、読んでしまえば弾きやすい、というのが、ギリギリの感覚の中でルヴィアリーラが導き出した答えだった。
「防ぐだけでは勝てん、そして自慢の爆弾は使わせんよ……!」
「ふっ、なら……攻めに転じさせていただきますわ!」
パルシファルの攻撃は残像が見えるほどの速度で繰り出されるために、彼が宣言する通り道具を取り出している暇さえ与えてくれない。
だが、ルヴィアリーラは長らく勘違いしていたが、アルゴナウツ・スカーレットは「焔の剣」こそをその本質としているわけではなかった。
むしろ、「焔の剣」はその形の一つにしか過ぎない。
刀身を錬金術の要領で一度エーテルに還元すると、ルヴィアリーラは魔力によって可変する炎を「鎧」のようにその身に纏う。
「なんだ……!? ルヴィアリーラが、燃えて……!」
「そう、これこそがアルゴナウツ・スカーレット!」
何にでもなれるその万能性こそが「アルゴナウツ・スカーレット」の本質であり、ルヴィアリーラは身に纏った炎の鎧によって、魔剣ゴットフリートが纏う水の魔力を掻き消しながら、徒手空拳でパルシファルに果敢な攻撃を繰り出していく。
聖女による「祝福」は確かに強力だ。
そして聖女の魔力はほとんど無尽蔵である以上、ペアとして「祝福」による消費を肩代わりするアリサが負担を負うことはほとんどない。
だが、「祝福」には一つだけ弱点が存在する。
それは普段であれば、弱点とも呼べないようなものだ。
だからこそ、パルシファルも気にすることはなかったのかもしれない。
歯を食いしばり、確かな闘志を燃やして、物理的に燃えている炎の拳がパルシファルの横っ面を捉えた、その時だった。
「ぐ、あああああっ!!!」
「くっ、アリサ!?」
観客席で戦いを見守っていたはずのアリサが、突如としてけたたましい金切り声を上げたことに、パルシファルも、そして彼をぶん殴った当人である、ルヴィアリーラすらも動揺していた。
無敵ともいえる力を授かる「祝福」の魔法──聖女にしか使えないそれの弱点は、祝福を授ける相手が無双の英雄でなければ、そのダメージまで自身にフィードバックされる、という、極めて単純なものだ。
そして、パルシファルは今この瞬間まで無双の英雄だった。
そんな彼に「強烈な痛み」を明確に感じさせるほど、全力を込めたルヴィアリーラの右ストレートに、聖女とはいえ元は一般人であるアリサが耐えられるはずがあるだろうか。
「いかん、これでは……ええい、『祝福解除』……!」
だからこそ、アリサを心から愛しているからこそ──パルシファルは「祝福」を解除する形で、その代用として「躯体強化」の魔術を発動させる。
それが何の意味もなさないことなどパルシファルにはもう理解できていた。
今のルヴィアリーラは、自身が限界まで「祝福」を得た状態でようやく渡り合えるほどの強敵だ。
そんな彼女に対して「全力を尽くす」と大言壮語しながらも、「祝福」の弱点に気づくことのなかった自身の愚かさに、パルシファルは左の拳を握りしめて歯噛みする。
その一途な想いには、見るべきところがあるのだろう。
ただ、それでも。
それでも、アリサを信じているのなら、パルシファルは「祝福」を解くべきではなかったと、ルヴィアリーラはそう感じていた。
喜びも痛みも分かち合ってこそ、という価値観を押し付けるつもりはない。
ただ、「祝福」が解かれたその瞬間に、観客席のアリサが哀しそうな顔をするのが目に映ったというだけのことだ。
そして、これは戦いだ。
模擬戦であったとしても、そこに私情や同情を持ち込むことは戦う相手に対する侮辱に値する。
ルヴィアリーラは自身の纏っていた炎の鎧を再び剣に収束させると、「祝福」を失って尚勝利を諦めないパルシファルに向けて突撃していく。
「ルヴィアリーラぁぁぁあああッ!!!」
「……ちぇえええええすとおおおおおおッ!」
ちぇすと。
そう叫ぶということは、この戦いに幕を下ろすという宣言に他ならない。
ルヴィアリーラは「祝福」を失って尚、自身の速度を上回る「躯体強化」によってブーストされた、元祖たる「瞬撃閃」の一撃に、上段からの一閃でカウンターを叩き込む。
そうして、全力を解放した「アルゴナウツ・スカーレット」の焔は、魔剣ゴットフリートの刃をへし折る形でパルシファルの首元へと突きつけられた。
宣言通りの結末に、それを見届けたディアマンテはルヴィアリーラが入場してきたコーナーである赤の旗を即座に上げた。
「そこまで! 勝者……冒険者、ルヴィアリーラ!」
それを確認したオブシディアン侯による宣言によって、ルヴィアリーラとパルシファル、二人の因縁の戦いに幕が下される。
立っていたのはルヴィアリーラだった。
そして、その深紅の瞳にはもうパルシファルも、アリサも映してはいない。
彼女が見つめているのは未来と、そして。
「よかった……お姉様……!」
観客席で静かに祈りを捧げていた虹の瞳を持つ義妹と築くアトリエのこと、ただそれだけでしか、ないのだった。




