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63. 『おかし』な依頼の仕掛け人、なのですわ!

「ん、確かにこいつぁ悪くないんじゃねえかな」


 ルヴィアリーラたちが、「ふわっとしてしゅわしゅわしていてびっくりするようなお菓子」を作り上げた翌日、いつものように、行商へと訪れていたリィは渡された試作品にかぶり付くと、指先で丸を作って合格点を示す。


 約束の期日よりはかなり早い仕上がりになってしまった、と、いうことでユカリを通して、アイリの所在と言伝を頼んでいるのだが、効果があるかどうかはわからない。


 リィが合格点を出したということは単純に自分たちが主観的に美味いと思い込んでいるというわけではなさそうだ、と、ルヴィアリーラは安堵に胸を撫で下ろしつつも、所在不明の依頼人について頭を悩ませる。


 さしものルヴィアリーラとて、市民一人一人の名前を把握しているわけではない。


 そして、無闇に他人の素性を暴こうとする行いは、法で禁じられているわけでこそないものの躊躇われる行いだ。


 故に、アイリと名乗った彼女が何者なのかを推察する手がかりはあの、肩の力を抜きながらも、並々ならぬ高貴さを溢れさせている所作ぐらいしかない。


「むむむ……」

「ん? どーしたのさルヴィアリーラのねーちゃん、リィは美味いと思うよ?」

「ああいえ、ごめんあそばせ、リィ。少しばかり依頼人のことについて考えていたもので」

「なるほどねぃ、まあリィは割となんでも食う方だし、パン買いに行くならパン屋行くっしょ?」

「パン、ですの?」

「まー、要するに食堂の二人にも試食頼んだ方がいいんじゃねーかなってこと。んで、依頼人がどうしたのさ」


 相変わらず、小柄な体躯と細腕に似合わない戦鎚をそっと床に置くと、その柄に寄りかかりながらリィは少しばかりふてぶてしい、と、いうよりは、子供がいたずらを企むような笑みを浮かべてルヴィアリーラへと問いかける。


「……リィは、『アイリ』と名乗る女性のことについて知っておりまして?」

「随分直球で訊いてくるねぃ……まあ、大方ルヴィアリーラのねーちゃんが考えてる通りだと思うよ?」


 リィはアイリに会ったことはないが、「アイリ」と名乗る人物についての噂なら、職業柄幾つも耳にしている。


 それは彼女が危険人物だとか、実は依頼を通してルヴィアリーラの抹殺を目論んでいたであるとか、そういうことではない。


 ただ、厄介なのは別な意味で──どちらかといえば、ルヴィアリーラが元々置かれていた立場に絡む話でのことだろうと、そう推察して、リィは小さく息をつく。


「あ、あの……これ、お茶です……」

「ん、あんがとねリリアのねーちゃん……っぷぁ、んでまあ、そのアイリさんがどーかしたのさ」

「どうもしておりませんわ」

「だから困ってる、と」


 どうもしていない。


 だからこそ困っているというより、意図がわからないといったところだろうか。


 リリアが淹れてきたお茶に舌鼓を打ちながら、どこか他人事のように、リィは、凝り固まった背筋を伸ばして欠伸をした。


 ルヴィアリーラが貴族たちの間で相当な問題児で、そして退っ引きならない事情を抱えて今の身分でいることは、裏の情報筋からリィも把握している。


 ただ、そのアイリがルヴィアリーラをどうこうしようとしているか、と考えれば、恐らくその答えはノーなのだろう。


「考えすぎじゃない?」

「ん、そうですわね……わたくしらしくありませんでしたわ! 元より難しいことなど考えないのがわたくしというもの! 感謝いたしますわね、リィ! あーっはっは!」

「……いや、ねーちゃんがそれでいいならいいんだけどさ」


 リィがどこか冷めた視線を送る(かたわら)で、あっけらかんと高笑いを上げているルヴィアリーラではあったが、その内心が穏やかであるわけでもない。


 彼女の推察が自分のそれと重なっているということ、そしてただ、誰も食べたことのない菓子を食べたいというだけで破格の報酬を払える立場にいること。


 そこから導き出される答えがもし想像通りであるなら、なんとなく、「ある人物」の顔が脳裏によぎってくるというだけの話だ。


「あ、あの……お姉様……」

「どうしまして、リリア?」


 そんなルヴィアリーラの内心を知ってか知らずか、控えめに聖衣の裾を引きながら、リリアが上目遣いに問いかける。


「……え、えと、どうでもいいことかもしれませんけど……これ、なんて名前なのかな、って……」

「……言われてみれば、考えてませんでしたわね!」


 リィにも渡した「ふわっとしていてしゅわしゅわしていてびっくりするような菓子」と、長い仮称の代物であるが、そういえば名前を考えたことがなかった。


 リリアに指摘されて初めてその点に思い至ったルヴィアリーラだったが、すぐに浮かんでくるわけもない。


「むぅ……ただのコットンキャンディというのも面白くありませんわね」

「面白さ、いる?」

「お黙りなさいなリィ、リリアは何か良い案とかありまして?」

「……え、えと、ごめんなさい……」

「大丈夫ですわ。まあ名前なんて要は識別できればいいから……『弾けるコットンキャンディ』とでもいたしますわ!」


 アトリエの玄関が開かれたのは、漫談じみた会話を展開した後、何か捻りを加えるでもなく、ルヴィアリーラがそのまま直球でのネーミングを宣言した時だった。


「こんにちは〜、ユカリさんから、依頼の品が出来上がったって聞いたんですけど……」


 問題のアイリ当人が、こんこんこん、と三度折り目正しくノックしながら、玄関のドアベルを鳴らす。


 ユカリを経由して情報がここまで早く伝わるということは、恐らく自身の推察はドンピシャで当たっていたのだろう。


「いらっしゃいませ、アイリスディーナ第一皇女殿下」


 ルヴィアリーラはそう確信しつつも、笑顔でアイリ──アイリスディーナ・カルボン・ウェスタリアを出迎える。


 その名前が示すものは、取りも直さず彼女がこの国の皇女にしてウェスタリア家の長女であることの証であり、そんな彼女が「アイリ」などと名乗って市井を訪れていたら、バレバレもいいところだ。


「あっ、バレちゃいましたかっ。えへへ」

「……流石にわたくしも皇女殿下からの依頼とあれば、肝が冷えましたわよ」

「ごめんなさい、こうでもしないとお父様が、勝手に出歩くなって怒っちゃうので……あっ、ルヴィアリーラさんに依頼しにきたことについてはお父様とはなんの関係もないですよっ!」


 第一皇女様はおっとりしていながらも相当なおてんばらしい。


 とはいえ、剛毅果断といった風情のディアマンテの性格を鑑みれば、父親に似たというべきだろう。


 ルヴィアリーラとリィはやっぱりか、といった具合に苦笑し、リリアは何が何やらと目を白黒させながらも、アイリスディーナをこのままでは失礼だとアトリエの中に迎え入れる。


 ディアマンテが娘を叱り付ける姿は想像しづらいが、それはそれとしてこのような形で、お忍びという名目で、ルヴィアリーラへ、王家から依頼を出したことについて関係ない、としらを切り通すのは無理な話だ。


 嘘をつけない、というのはある意味清廉潔白で、アイリスディーナという人物にとっての美点なのかもしれない。


 だが、貴族界においてそれは致命的となる。

 それは、ルヴィアリーラ自身が身をもって体験してしてきたことだった。


 と、いってもそれはあくまで貴族の事情であって、今のルヴィアリーラとアイリスディーナ、もといアイリは一人の依頼主と引き受け人という関係でしかない。


 嘆息し、苦笑しつつもルヴィアリーラは、完成品の「弾けるコットンキャンディ」をアイリスディーナへと手渡した。


「皇女殿下、こちらが『弾けるコットンキャンディ』でございます」

「わぁ……コットンキャンディ、食べたことなかったんですよね。それと、アイリでいいですよ?」

「……流石にそれはわたくしといえど恐れ多いですわ。ささ、召し上がってくださいな」


 毒味として一欠片ちぎったそれをルヴィアリーラは口に含んでみせると、「弾けるコットンキャンディ」を食べてみるようにアイリスディーナへと促した。


 ごくり、と、息を呑みながらも、アイリスディーナはずっと市民に紛れて参加していた皇国祭で、憧れながらも買ってもらえなかったコットンキャンディに、作法を捨てて大口を開けてかぶりつく。


 瞬間、口の中に広がったのは、はらりと砂糖の糸が解ける感覚。


 それに続いて──織り込まれた「アイレドロップ」の欠片がぱちぱちと弾けて、なんとも不可思議なギグを奏でる。


「わぁ……凄いですっ、ルヴィアリーラさん! ふわふわしてて……しゅわしゅわしてて……それで、びっくりする! 私のお願い、全部叶えてくれましたねっ!」

「それほどでもありませんわ、全てはリリアやリィに、ユカリさんに──周りの人々に支えていただいた結果でしてよ」

「ふふ、ルヴィアリーラさんは謙虚なんですねっ! これ、とっても美味しいですっ!」


 そう言って「弾けるコットンキャンディ」に舌鼓を打つアイリスディーナの笑顔は、まるで皇女という軛から解き放たれて、等身大の少女に戻ったかのように朗らかで、ルヴィアリーラの瞳には、どこか憑物が落ちたようにも映った。


 ノーブルとして生まれた以上、自由であることにある程度の制約を課されることは必然でもある。


 だが、プロレタリアートに完全なる自由が保証されているわけではないというのもまた事実で、ままならない。


 それでも、美味しいものを食べた時に笑顔を浮かべるのは。


 きっと万民に共通することなのかもしれないと、ルヴィアリーラは試作品のおかわりまで要求してきたアイリスディーナを見て、そんなことを想うのだった。

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