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60.ふわっとしゅわっと、探し物なのですわ!

 アイリがアトリエ・ルヴィアリーラを訪れた翌日、ルヴィアリーラは彼女からのオーダーを叶えるべく、寝る間も惜しんで「錬金術体系全著」を読み漁っていた。


 ふわっとして、しゅわーっとして、食べた時にびっくりするような菓子。


 それら全てを満たすものはこの世に存在しないかもしれないが、個々の要素一つ一つを抜き出してみれば、全く存在しないかと言われればその答えはノーだ。


 例えば、ふわっとした菓子といえば、砂糖を引き伸ばして作る、コットンキャンディの存在が挙げられる。


 他にもケーキのスポンジなども食感としてはふわふわしているといえるし、第一候補に当てはまる条件のみを探すのであれば、この世にそれはありふれたものなのかもしれない。


 だが、問題はそれ以降の条件なのだ。


「しゅわーっとして、ですの……」

「しゅわーっと、っていうのが、そもそも……」

「うむむ……リリアの言う通りですわね……」


 第二条件である、しゅわーっとした物体というのがどうにもルヴィアリーラにはイメージがつかないため、食事と風呂の時間以外はほとんどこうして「錬金術体系全著」を読み込むことでヒントを探しているのだが、なんせこの本自体、角で殴ったら人を殺められそうな代物なのだ。


 リリアが「それ」を見つけたのは、そう簡単に目当てのものは見つかってくれないかと、ルヴィアリーラが次のページをめくった時のことだった。


「あ、あの、お姉様……!」

「ん……? どうしまして、リリア?」


 それは、液体の項に分類されるものであり、食品のカテゴリにあるものではなかったためにルヴィアリーラは見落としていたのだが、慌ててリリアは彼女が読み飛ばそうとしていたページに指を挟んで、その情報を伝えようとする。


「痛っ……!」

「ああ、リリア! 何をして……大丈夫ですの?」


 しかし、勢いよく挟み込んだ影響で、リリアは紙の角で指を切ってしまった。


 じわり、と、血が滲む感覚と痛みから、リリアは思わず涙ぐんでページから手を引っ込めてしまったが、心配なのはそこではなかった。


 ルヴィアリーラが、お姉様が大事にしていた本を汚してしまった。


 だからこそ、リリアはびくびくと震えて、ごめんなさい、と繰り返していたのだが、ルヴィアリーラは大して気にすることもなく、切り傷がついたリリアの細い指を手に取ってみせる。


「ごめんあそばせ、リリア」

「……お、お姉様……? ごめんなさい、その……」

「あ……んむ……」

「ひぁっ……!?」


 じくじくと血の滴が滲むその切り傷は痛々しく、いてもたってもいられなくなったルヴィアリーラは、とりあえずとばかりにリリアが切りつけた人差し指を口に含むと、その傷口から溢れる血を舌で掬い取るように舐めとる。


 それがあまり褒められた行いではないことは、ルヴィアリーラにもわかっていた。


 だが、ポーションが手元にない今、暫定的な措置として出来そうなのがそれだけだったから、そうしただけのことだ。


 ルヴィアリーラはリリアの出血がひとまず止まったことを確認すると立ち上がって、薬品棚に備えてあるヒーリングポーションを手に取って、腰掛けていたソファに戻る。


 その顔に浮かんでいるのはリリアを叱責するような険しさではなく、どこまでも慈しむような優しさだけだ。


「どうぞ、リリア。さっきは突然ごめんなさいな」

「あ……そ、その、わたしも……お姉様の大切な本に……」

「本ぐらいどうってことありませんわよ。さ、リリア。それより何を見つけたのでして?」


 リリアがヒーリングポーションを口に含んだことを確認すると、ルヴィアリーラは微かに血の染みがついたそのページをめくり上げて、そこに記されている項目を一瞥する。


 カテゴリとしては「液体」素材群に分類されるそれは、確かに集中しすぎていた今のルヴィアリーラでは見落としそうな代物であることには間違いがない。


「……泡立つ水……?」

「は、はい……そ、その……しゅわーって、してるかな、って……」


 液体カテゴリのトップに位置されているその素材は、特殊な場所でしか採取することのできない水の仲間だった。


 ぱちぱちと、電気が走っているわけでもないのに泡立ち続ける不思議な水であるそれは、空気を含んでいるのではないかと推察されており、確か何か応用的な錬金レシピもあったはずだとルヴィアリーラは思い至る。


「でかしましてよ、リリア!」

「お、お姉様……?」

「これなら……しゅわっとしておりますわ!」


 そして、ルヴィアリーラは弾かれたようにぱらぱらと分厚い本のページをめくり、素材の項から錬金術のレシピが記された項へと視線を移す。


 確かそれは、限定的な状況でなければほとんど役に立たなかったはずだ。


 だからこそ、見落としていたが──菓子であり、そしてしゅわーっとしている、という点においては間違いがない。


 ルヴィアリーラが勢いに任せて開いた「錬金術体系全著」のページに記されていた、「泡立つ水」を素材として作られるそのアイテムは、確かに見ようによっては菓子類であるといえた。


「お姉様、これは一体……?」

「アイレドロップ……水の中でも呼吸ができるようになる不思議な飴だそうですわ」


 作ったことがない上についさっきまで存在も忘れていたが、「泡立つ水」を素材として使う以上、この「アイレドロップ」とやらがしゅわしゅわしていないはずはないだろう。


 ルヴィアリーラは自信満々に豊かな胸を反らして、ふんすふんす、と鼻を鳴らしてみせる。


「水の中で、呼吸……ですか……?」

「どうも湖の中を散歩したいとか、噂によれば沈んだ遺跡だとかそういうのを探索する時には使えそうですわ、ただ……今はアイリさんの依頼が最優先! これが見つかったのもリリアのおかげでしてよ!」


 感謝の意を込めて、ルヴィアリーラはリリアの細い身体を抱き寄せて、その頬にそっとベーゼを交わした。


 かあっと、身体が芯から熱くなっていくような感覚を覚えながらも、リリアはその感覚自体は嫌いになれない、どころか大好きで、いつまでだって身を任せていたくなってしまう。


 本当に自分のおかげなのかどうか、自信も確証もリリアにはまだ持つことができない。


 それでも、こうしてルヴィアリーラが自分のことを抱きしめてくれて、認めてくれるというのは何物にも代えがたいほどに嬉しくて。


 だからこそ、考えるのだ。


 ルヴィアリーラにとっての錬金術も、同じなのだろうかと。


 誰かのために、と、日頃から口癖のように呟いていて、今もアイリのために本気になって「錬金術体系全著」を読んでいるルヴィアリーラの背中を見つめて、リリアは静かに、そんなことを静かに想う。

 自分が見つけた、そして汚してしまったことが依頼の成功に繋がるのは嬉しいけれど複雑だ。


 ベーゼの柔らかな感触と温度が残る頬をそっと撫でて、リリアはそんな感情に、なんとも言えない表情を浮かべて、眉を八の字に歪めるのだった。


 そして、第三の条件が満たせるかどうかはわからない。


 ルヴィアリーラは、「アイレドロップ」を応用した一つのレシピを頭の中に思い描いていたが、それはなんせ「錬金術体系全著」に記されていない、全く新しいレシピなのだ。


 成功するかどうかはほとんど賭けだと言っていい。


 それでも、リリアの思いに報いるために。そして、初めての依頼人であるアイリの期待に応えるために。


 まずは「泡立つ水」を採取することから始めようと、ルヴィアリーラは当該する項目の「主な採取地」にペンでアンダーラインを引き締めるのだった。

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