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55.これが最後の皇国依頼、竜退治なのですわ!

 それは、大いなる翼をはためかせ、けたたましい咆哮を上げて空を埋め尽くしていた。


 その美しさゆえに、そして「神々のきざはし」と名高いセントスフェリア山の中腹に程近い高度であるがゆえに、神々の庭園の名をほしいままにするヒンメル高地、その山麓には目もくれずに、彼らは何かに急き立てられるように、そうでなければ追い出されたかのように、一目散に「そこ」を目指して羽ばたく。


 その光景を目撃した木こりは、恐れから気が動転して腰を抜かしていた。


 ──ありえるはずがない。


 何故なら、今飛んでいるのは怪鳥として知られるロック鳥のように、生易しいものではないのだから。


「りゅ、竜種……ワイバーンが、こんなに!?」


 竜。人々の中に恐れの象徴として刻まれたその名前に括られた下位の飛竜たちはヒンメル高地の山麓で二手に分かれ、大陸の東西に分かれて、大移動を開始する。


 それは誰かが図ったものなのか。


 それとも、何か、高地の頂で荒れ狂っている自然の猛威に、彼らもまた追い立てられたのか。


 わからない。一介の木こりに過ぎない自分には。わかるはずもない。


 そんな風情に、木こりの男が、荒れ狂う波濤のように押し寄せた困惑に腰を抜かしている、その時だった。


「す、すまない……そこの方……少し、肩を貸してくれないか……」


 明らかに、這々の体といった風情の、傷だらけな男性が、折れた剣を杖の代わりにして、高地から下山してくる姿が、木こりの視界に映し出される。


「い、一体なんなんだ、今日は……!?」


 それこそが、悪夢の開演を告げる号砲であると、或いは、引き絞られた、これから始まる大いなる戦いの嚆矢であると知らず、木こりは大怪我をした男に駆け寄ると、手持ちのポーションを手渡すのだった。




◇◆◇




 王都にその報せが舞い踊ったのは、ちょうどルヴィアリーラたちが御前会議を終えて一週間が経った頃だった。


「号外だ! ヒンメル高地からワイバーンの大群がウェスタリア神聖皇国とイーステン王国、両国に向けて飛び立っているとのことだ! 現在両国騎士団と『王認勇者』がこれを討伐するために動き出したぞ!」


 冒険者ギルドの職員が、慌ただしく掲示板に御触れを貼り出しているが、両国がその情報を把握していたのは、ちょうど御前会議が終わってすぐの辺りでの話だ。


 ワイバーン。下級の飛竜の代名詞とされるそれが群れをなすことは珍しくないが、今回のように、徒党を組んで人類に牙を剥くという事例は、極めて珍しいものである。


 竜種というのは、基本的に格を問わずして孤高なものだ。


 故にこそ、近縁種である竜と人の両方の姿を持つドレイクと呼ばれる魔物が人里に姿を現すことは全くといっていいほどないし、ワイバーンの目撃例だって、多くても三体かそこらが関の山だった。


 だが、今回はそれが二十を超える、否、遙か五十に迫る群れが王都へと明確に向かっているらしい。


 それが判明したのは、冒険者ギルドに所属する職員の活躍があったからだ。


 ヒンメル高地における冒険者の失踪について調べていた、その職員は、山頂から命からがら逃げ帰り、その情報を王都ウェスタリアとイーステン、両国に齎すと共に力尽きたと、スタークはディアマンテに代わって対応を行なったオブシディアン侯から聞かされている。


 そんな、名もなき彼の奮闘があったからこそ、ディアマンテは、早期に王都守護騎士団を出撃させるための決断と編成を組むことが可能になったのだが、不幸なことに、問題はそれだけではなかったのだ。


 ルヴィアリーラは、スタークを経由して冒険者ギルドに呼び出され、その旨を伝えられていたところだった。


 何やらワイバーンの群れが襲ってくるから、冒険者も王都の防衛に徴発するという噂はルヴィアリーラ自身も聞いていたし、それ絡みの話だろう。


 ルヴィアリーラはそう予想していたのだが、スタークの口をついて出てきたのは、ルヴィアリーラの予想の斜め上を突き抜ける提言だった。


「……冒険者ルヴィアリーラ」

「なんですの、ピースレイヤー卿。改まって」

「王都に大量のワイバーンが向かっていることは承知しているな」

「ええ、先ほど職員の方が大慌てで御触れを貼り出しておりましたわね、防衛にわたくしたちも参加しろ、と?」

「いや……むしろ、危険を承知で君たちに皇国依頼を出すことが決定された」

「……危険、ですの?」


 訝るルヴィアリーラに、スタークは許してくれ、とばかりに顔をしかめてその提案を、皇国が正式に依頼として認可した案件を口走る。


「……冒険者ルヴィアリーラ、そしてリリア。君たちは王都の防衛に参加してもらいたかったのだが……ヒンメル高地に赴いて、この現象の中心になっていると思しき元凶の調査、そして討伐に当たってほしい」

「……マジで言っておりますの、それ?」

「二言はない、そしてこれが、最後の皇国依頼となる」


 確かに、ワイバーンの群れはヒンメル高地から王都と隣国に向けて襲来しているというのは確かな情報だ。


 そして、そのために王都防衛騎士団が動く、というのも理解できる。


 だが、ヒンメル高地を領地に持つ護衛団が動かないというのは納得がいかない、と、ルヴィアリーラは小首を傾げ、眉根にシワを寄せた。


「……申し訳ありませんけれど、ピースレイヤー卿。そういうのは、正規軍やそれこそ『王認勇者』の仕事ではなくて?」

「正規軍は先日のグランマムートとの戦いで再編に時間がかかる。そして……『王認勇者』、リーヴェ・エメラリヒトは現在イーステン王国の防衛任務に当たっている。擁立したのが隣国である以上、我々からは強く言えんのでな」


 そこまで口にしたところで、スタークは、冷静な彼にしては珍しくこれ見よがしに頭を抱えてため息をついてみせる。


 スタークも、自分が何を言っているかは理解していた。


 要約すると、この依頼は、ルヴィアリーラとリリアに軍の再編が済むまでの時間稼ぎないし、代わりに戦って死んでこいと言っているようなものだ。


 飛竜たちがヒンメル高地を飛び立った原因がそこにあるのなら、その元凶は当然、ワイバーンを上回る怪物となる。


 だが、スターク、その背後にいる神王ディアマンテとしてもこれは苦心の決断であったのだ。


 ルヴィアリーラは、錬金術師として国の未来に欠かせない人材である。これに間違いはない。


 しかし、彼女は同時に「王認勇者」にも匹敵する優れた冒険者でもあり、王都守護騎士団の活動権限が王都の周囲に限られる以上、時間をかけて特例法を作るよりは、ルヴィアリーラたちを送り込んだ方が勝算もある。


 要するに、皇国が自由に動かせる人材の中で一番強いのがルヴィアリーラとリリアで、イーステン王国が「王認勇者」を王都の防衛に割かせたことで、彼女たちがそのしわ寄せを喰らった形になっているのだ。


「……すまないとは思っている、君たちを死地に送り込むようなものだ。幾ら詫びたところで足りないだろう。だが──」

「そこまでですわ、ピースレイヤー卿」

「ルヴィアリーラ?」


 頭を下げようとするスタークの発言を静止して、ルヴィアリーラはいつものように得意げな表情を浮かべると、豊かな胸を支えるように腕を組んで、勝ち誇ったように笑ってみせる。


「民の危機とあって、そしてこのルヴィアリーラが必要とされているのなら、立ち上がらない理由などなくってよ! そう、これはわたくしに課せられた試練……そういうことなのでしょう?」

「……試練、というにはあまりにも重い。私の首が飛ぶことも覚悟して、陛下に進言することもできるが……」

「ナンセンスですわ、ピースレイヤー卿! 竜退治とあらば……そして期待の人がわたくしならば……やるしかねえですわ! そうでしょう、リリア!」


 ルヴィアリーラは組んだ腕が震えるのを感じながらも、撃発する感情に任せてそれを踏み倒すように、傍で樫の杖をきゅっ、と握りしめていたリリアへとそう問いかける。


 無論、リリアが拒否したのなら、ルヴィアリーラは一人でもワイバーンの襲撃を引き起こしたであろう黒幕を討伐しに行くつもりだった。


 だが、リリアもそれは同様だ。


 ルヴィアリーラが覚悟を決めた時点で、やると言った時点で、その言葉は自分のものとなる。


「……はい、お姉様……! わたしは……地獄の底まで、お姉様についてゆきます……!」

「……感謝いたしましてよ、リリア。さあ、これが最後の皇国依頼! 黒幕がなんであれ、わたくしの野望のために礎となってもらうのでしてよ!」


 あーっはっは、と、ルヴィアリーラは勝ち誇り、得意げな高笑いを上げるが、それらが全て強がりであることは、スタークにはわかっていた。


 同時に、このような国の未来を担う人物を、そして、幼い少女たちを死地へと送り出さねばならない無力に、王都守護騎士団の団長たる自分が、ただ静かに拳を固めることしかできずにいる。


 そのなんと不甲斐ないことか。そしてなんと情けないことか。


 王都の防衛戦力として冒険者ギルドに集まったリィから防寒装備を買い付けるルヴィアリーラとリリアを一瞥して、スタークはぎり、と歯噛みする。


「しっかし、竜退治とは派手な案件だねぃ」

「ド派手でいいじゃありませんの、さて……問題は往路ですけれど」

「それについては王都からヒンメル高地麓の開拓村に繋がる、緊急用の『風鳴りの羽』が支給されることが決まっています」


 リィと会話をしている間にいつの間にか現れたユカリが、背負った大荷物からヒンメル高地の地図や風鳴りの羽といった支給品を取り出して、ルヴィアリーラへと提示していく。


 方位磁針や防寒用も兼ねた大量のバイタリティポーション、そしてルヴィアリーラが作り出した強力なヒーリングポーションなど、金に糸目はつけないといった具合の支給品が、ルヴィアリーラの目の前に並べられる。


 とはいえ、その大半は自分が錬金術で作り出したものなのだが。


 ルヴィアリーラは苦笑しつつもユカリに感謝を述べて、支給品をありがたく万能ポーチの中にしまい込む。


「感謝いたしますわ、ギルドマスター」

「いえ……こちらとしても、これだけの支援しかできなくて申し訳ない限りです」

「何を仰いますの、わたくしとリリアの実力は把握しておいででしょう?」

「……それでも、貴女たちを死地へと送り出さなければならないのは同じです」

「ええ、ですから、そこから帰ってくる、と申し上げておりましてよ」


 確かにこの依頼は無茶苦茶だし、こういう任務こそ「王認勇者」とやらがやるべきで、それに皇国が擁立したはずの「聖女」も王都の防衛に組み込まれ、先陣には立たないということには、さしものルヴィアリーラとて理不尽を感じるところはある。


 だが、そこから生きて帰ってこその自分であり、リリアなのだ。


 そうでなければならないのだと、ルヴィアリーラは自分へと言い聞かせるように拳を固める。


「……か、必ず……お姉様と、一緒に……!」

「おう、リィはいつでも二人を待ってっからな!」

「お気をつけてくださいね、ルヴィアリーラさん、リリアさん!」

「……すまない、頼んだぞ!」


 激励を背中に受けながら、防寒装備に身を包んだルヴィアリーラとリリアは冒険者ギルドを後にして、「風鳴りの羽」を空高く放り投げる。


 降って湧いた災厄だった。


 だが、それに誰かが立ち向かわなければならないのなら。


 それで、民の生活が守れるのなら。


「このルヴィアリーラ……命を燃やす覚悟はできておりましてよ!」


 恐れを踏み倒して誇りに変えて、ルヴィアリーラは高らかに、凱歌を謡うかのようにそう宣言する。


 そうだ、今がその時だ。


 そして、立ち上がるのは、このルヴィアリーラだ。


 そうして、天高く「風鳴りの羽」が放り投げられたことによって発動した、マナとエーテルの働きが、ルヴィアリーラとリリアの身体を光へと解いてヒンメル高地麓の開拓村へと再構築していく。


 二人の身体が完全に程度から消え去るその瞬間、あーっはっは、と、恐れを知らぬ勇士が咆哮するような高笑いが、帝都へと響き渡る。


 それが、それこそが。


 竜退治という難関を目の前にして、ルヴィアリーラの固めた覚悟と決意、そして、勇気の証明に他ならないのだった。

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