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53.ギリギリ滑り込み合格点、なのですわ!

「まあ、形はともかく味は合格点なんじゃね?」

「そうだな……これはあくまで試作なんだろう?」


 結局期限ギリギリまで錬金デニッシュを作り直し続けていたルヴィアリーラは、六日目にして、ようやく爆弾ではない、まともな形をしたものが完成したことで、「キッチン・ライズサン」へと赴いていた。


 クロエとアクセルに出したのは試作品の爆弾型の方だが、完成品の方と味は相違ないはずだと判断して、ルヴィアリーラは二人に試食をお願いしたのだ。


「……ええ、本番はちゃんと普通の形のデニッシュを提出いたしますわ……」

「……で、デニッシュ……デニッシュ……」


 ルヴィアリーラは試作品をやけ食いしすぎた反動でどこかぐったりしながらも親指を立てて、アクセルの問いに答えてみせる。


 そしてついてきたリリアはというと、もうデニッシュという単語を聞くだけでお腹いっぱいといった風情で、机に突っ伏したままその単語を何度も呟く、シュールな光景を展開していた。


 一種の拷問でも受けたのだろうかと、クロエは少しばかり心配になったが、ルヴィアリーラたちが奇行に走っているのは割といつものことだから、と、身も蓋もない理屈で割り切って、爆弾型のデニッシュを貪り続ける。


 結論からいえば、ルヴィアリーラたちが作ったデニッシュの味は「キッチン・ライズサン」で提供しているものに勝るとも劣らないものだ。


 ルヴィアリーラがデニッシュを錬成する際に思い浮かべていたのがここの味だから、というのが実際のところなのだが、もしこれで店を出そうものなら営業妨害で訴えられそうな具合に瓜二つだった。


 そんな具合に、少し、アクセルは渋い顔をしていたが、依頼を出してきたのが他ならぬ神王ディアマンテとあっては、一市民でどうすることもできるわけではない。


「……お前たち、本当に店出さないんだよな?」

「わたくしたちのアトリエで食品は基本的に取り扱わないつもりですわ、依頼が来れば別の話ですけれど」

「その辺りはギルドのご機嫌次第ってところか、うちはパン一本でやってるわけじゃないからいいが、あまりやりすぎると恨みまで買いかねんぞ」


 老婆心からの忠告だ、と付け加えて、アクセルはクロエと同様に大量に運び込まれた爆弾型デニッシュにかぶりつく。


 錬金術が極めればなんでも作れるものだ、というのはアクセルも知識としては知っている。


 だがそれは、クラリーチェ・グランマテリアの御伽噺の中の話であって、ルヴィアリーラのようになんでも作れる錬金術師など、この国、いや、世界を探しても五人といないこともまた理解していた。


 それほどまでに、錬金術の初歩の初歩である「何かを理解して、分解して、再解──再構築する」という三原則を、魔力によって実現するのは難しいことなのだ。


 ルヴィアリーラがこれだけの実力を身につけたということは、裏で努力を重ねたかという話になる。


 否、それはきっと、努力という言葉ですら生温い。

 

 血を吐きながらも走り続けて、天高く聳え立つ壁に爪を突き立て続けなければ、成し遂げることはできなかったのであろう。


 だが、それを周囲が理解してくれるかどうかは全く別の話だ。


 アクセルは、大衆食堂としてメインストリートに「キッチン・ライズサン」を開いたばかりの時を思い出してふっ、と、自嘲するように笑う。


「……その辺りは存じておりますわ、わたくし何故か、貴族社会で評判がよろしくないので」

「ふーん……まあ、見てればなんとなくわかるけどね、連中、礼儀とかにうるさいっしょ」


 クロエは、ルヴィアリーラの事情を一から十まで全て知っているわけではない。


 苦々しげに眉を潜めて呟いたルヴィアリーラだが、彼女のように破天荒な振る舞いをする人間は、礼節やマナーだとかそういうものを表向きは重んじている貴族の間で疎まれやすい。


 表向き、というのは言葉通りの話で、要するに出る杭は打たれるとか、そういうことであり、だからこそ、皇国依頼を受けることでルヴィアリーラは、神王ディアマンテという後ろ盾を得ようとしているのではないかと、クロエはそう推察している。


 ただそれも、考えること自体が野暮なのもまた理解しているのだが。


 丸々一斤、デニッシュを胃袋に収めたクロエは若干の胃もたれを感じながらも、グラスに注いだ葡萄ジュースでそれを流し込んだ。


「そこまでわかっているなら言うことはないが……まあこのデニッシュは合格だ、おれたちがいえるのはそれだけだ」


 爆弾型でそのまま提出しなければな、と、軽口を飛ばしながらアクセルは肩を竦めて、厨房へと引き返していく。


 賄い飯が浮いたのはいいが、これだけのパンを一度に食べるとしばらくは食べたくなくなる次第だ。


 そして、アクセルに続く形でクロエも立ち上がって、厨房へと赴く。


「あー……あんがとさん、ルヴィアリーラ、リリア。賄い分浮いたから」

「いえ、こちらこそ試食に付き合っていただいて感謝でしてよ」

「……あ、ありがとう、ございます……」

「代わりと言っちゃなんだけど、今度うちが新作メニュー出す時試食に付き合ってねー」


 ちゃっかりと、商魂たくましくそう宣伝しながらクロエは、いそいそと午後の開店に向けての準備を開始していた。


 それなら喜んで、と、ルヴィアリーラは一も二もなく答えたかったが、今はデニッシュで胃袋が埋め尽くされていてそれどころではない。


 代わりに親指を立てる形でその返答として、ルヴィアリーラはリリアに倣うように机に突っ伏すのだった。


「とりあえず、明日の御前会議には間に合いそうで何よりですわね……」

「……は、はい、お姉様……これならきっと、陛下も……気に入ってくれるかなあって……」

「そう言っていただけるのは嬉しいですわね、ただ陛下だけじゃなく……問題はカルセドニー侯にも錬金術の有用性をわかってもらえるかどうかでしてよ」


 後ろ盾の枚数が多いに越したことはない。


 基本的にウェスタリア神聖皇国において、貴族間の揉め事らしい揉め事といえばつい最近の、ルヴィアリーラ……ヴィーンゴールド家とガルネット家の婚約が破談になったことぐらいだ。


 だが、裏ではあれこれとめんどくさい暗黙の了解やら暗躍する問題が存在していて、ルヴィアリーラはそれをしゃらくせぇですわの一言で済ませているものの、アトリエを開くとなると話が違ってくる。


「最悪、営業妨害とかされたら洒落にならねえのですわ」

「……そ、それは……」

「だから、カルセドニー侯にもうまく気に入ってもらう必要があるのでしてよ」


 セオドア・カルセドニー侯爵は、王家に近しい血筋の、比較的年若い男だ。


 貴族らしく優柔不断で日和見、保守的な部分こそあるものの、基本的に人格に問題があるわけではない。


 ただ、人格と、貴族として人の上に立つ器については切り離して考えなければいけないのが政治の世界だ。


 カルセドニー侯がなるべく納得する形で鉱山の再国営化に賛成してもらって、その過程に錬金術が必要不可欠であるとするのが、ディアマンテの描いた筋書きだった。


 そして、その言葉に説得力を与えるためのアイオラメタルであり、錬金デニッシュなのである。


 そう考えれば、ルヴィアリーラの両肩にのしかかっている責任は、極めて重いものとなる。


「ただまあ、もう憂いはないのでしてよ!」


 しかし、不敵に、豊かな胸を下から支えるようなな腕を組んで、ルヴィアリーラは高らかにそう宣言した。


「……それは、どういう……?」

「ふふ……アクセル店長とクロエ、そしてリリアにお墨付きを貰ったのなら、きっと陛下にもカルセドニー侯にも気に入ってもらえるはずですわ、だから何も問題はないのでしてよ!」


 あーっはっは、と、高笑いをあげようとしたところで、ルヴィアリーラは胃袋の中身が喉の辺りまで迫り上げてくる感覚に閉口する。


 とはいえ、流石にそのために払った犠牲は大きかった。 


 デニッシュで埋め尽くされた胃袋を少しでも楽にするために無言で葡萄ジュースを流し込みながら、ルヴィアリーラは死ぬかと思いましたわ、と、嘆息する。


「……お姉様が……わたしを、必要としてくれるなら……」

「なんですの、リリア?」

「いえ、なんでもありません……えへへ」


 そんなルヴィアリーラの奇行を見ても尚、リリアは挙げられた名前の中に自分のそれが含まれていたことにぽわぼわと破顔した。


 ずっと、誰かにいらないと言われ続けてきた人生だった。


 些細な失敗を論われて、頬を叩かれて、無力感を心の底まで叩き込まれたからこそ、リリアは「虹の瞳」を持ちながらも奴隷の身分に落とされることを受け入れざるを得なかったのだ。


 だが、そんな、自己肯定感が底を突き抜けてマイナスになっているリリアでも、リリアだからこそ、ルヴィアリーラは必要としてくれる。


 それがどんな奇跡にも代えがたい幸運であると理解しているからこそ──リリアは今日も眦に涙を浮かべて、えへへ、と、小さく笑うのだった。

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