52.どうしてこうなるのかわからないのですわ!
「……それでうちに来てんの、一種の業務妨害じゃね?」
職人通りに居を構える大衆食堂、「キッチン・ライズサン」に務める、ハニーブロンドを後ろで括った女性、クロエ・シトリンは溜息をつきながらも、来客である二人──ルヴィアリーラとリリアにデニッシュとコーンスープ、そしてサラダと魚のフライという「本日のおまかせランチ」を提供する。
「それはわたくしも悩んだのですけれど……食べ物の話を訊くならば、結局食べ物を扱っているお店に行くのが一番だと判断したのでしてよ!」
「うっわポジティブ……まあいいや、とりあえずその錬金術? 料理の試作品が出来たらあたしと店長が試食すればいいって話っしょ?」
「ええ、食の話はわたくしだけで判断するのは危険ですわ、ですからどうかお願い申し上げましてよ」
「……まあいいや、そこの可愛い子にぷるぷる震えながら睨みつけさせてるのも悪いし」
クロエは嘆息しながらも、言葉通りに、睨み付けているというよりはどうか聞いてくださいと眼力で主張しようとしているリリアを一瞥し、小さく肩を竦めてみせる。
来客がいきなり「錬金術で造った料理の試食に協力してほしい」と言い出した時は、いつものこととはいえルヴィアリーラの正気を疑ったものだが、彼女が最近皇国から色々と頼まれていることはクロエも、雑貨屋の主人やロイドを通して把握していた。
これで錬金術料理を店のメニューに加えてくれ、と言われたら流石に頭を抱えていただろうが、試食だけなら問題はない。
「感謝いたしましてよ、クロエ!」
「そんな感謝されることでもないって……んじゃ出来上がったら持ってきて」
それ以上はスープが冷めてしまうとばかりに短く告げると、クロエは次のオーダーを捌くべくキッチンへと引っ込んでいく。
そして、ルヴィアリーラとリリアも注文した「今日のおすすめランチ」に手をつける。
「はむっ……もぐもぐ、ごくん。やはり、ここのデニッシュは芳醇ですわね」
「もぐもぐ……素材にこだわっているとか……」
ルヴィアリーラは一欠片だけかじって、スープに浸さずそのまま食べたデニッシュから感じられる素材の芳醇な味に舌鼓を打ちながら、同時にこれを超えられるとはいえずとも並び立つものを作れるのかと思案する。
キッチン・ライズサンで提供されているデニッシュは、貴族が普段食べているようなそれと相違がない、ハイレベルなものだ。
その秘密に関して、店主は黙して語らないものの、「黄金平野」から供給される小麦の恩恵はウェスタリア神聖皇国全体に及んでおり、庶民と貴族の間で主食における大きな差がない、というのは特筆すべき事項だろう。
素材が良ければあとはパン職人としての腕がものをいうのだが、この「キッチン・ライズサン」を取り仕切る寡黙な青年、アクセル・アゲートのそれは疑いの余地がない一流だ。
だからこそ、この職人通りに店を構えているともいえるのだが。
ルヴィアリーラはちぎったデニッシュをスープに浸して食べ進めながら、そんなことを思考の片隅に浮かべて、「錬金術料理」の方程式を組み立てようと奮闘するのだった。
◇◆◇
とりあえず食後に食堂で小麦粉と酵母を買い付けた上で、ルヴィアリーラはアトリエ近くの井戸で水を汲み上げて、「錬金術料理」の試作品であるデニッシュを作り上げようとしていた。
と、いってもこれはほとんど未知の領域で、理論はわかっていても、その通りにやって出来上がるのか、そのイメージを描くのが極めて難しいのだ。
「食べ物も爆弾も大して変わらないといえば変わりないですけれど……」
「……さ、流石にその二つは……違うかと……お姉様……」
「むむむ……確かに……うーん、しかしリリア、錬金術の基本原則では同じといえば同じなのですわよ」
理論を信じるのであれば、というより理論上、錬金術においてあらゆるものは素材となり、役に立たないとされているのは、錬金に失敗したときにできる「産業廃棄物」ぐらいだ。
つまりそれは、爆弾だろうがインゴットだろうが食パンだろうが、用途は違えど、理解していれば同じ理論のもとに分解、再構築が可能だということである。
だが問題は、基礎理論を修めつつもルヴィアリーラはごりごりの感覚派だった、ということだろう。
「……だ、だったら……お姉様なら、きっと、できる……と、思います……」
「リリア……そうですわね、ここでやってみせねばルヴィアリーラの名が廃るというもの!」
リリアの言葉に背中を押され、ルヴィアリーラは釜に火を入れると、その中身が沸騰するのを、豊かな胸を下から支えるように腕を組んでひたすらに待つ。
爆弾と同じ要領で食パンを作る。
そう考えるからややこしくて難しくなるのだ。
だから、今から出来上がるものは小麦粉と水と酵母と、少しのプルムオイル──油からなる化合物である。
そう考えれば、出来上がるもののイメージはしやすい。
ぼこぼこと泡立ちはじめてきた湖面を睨みながら、ルヴィアリーラは「デニッシュ」という食べ物ではなく化合物を作るイメージを抱いた上で、素材を机の上から持ち出して、沸騰に備えた。
やがて、釜の中身が吐き出す泡がぼこぼこと大きくなり始めてきたのを見計らって、ルヴィアリーラは規定の材料を投入する。
「あーっはっは、これでパンにお成りなさいな!」
自らを鼓舞するように高笑いをあげて、いつもの通り星剣アルゴナウツをかき混ぜ棒の代わりに突っ込んで、釜の中身をかき回す。
プルムオイルが持つ火の元素と、小麦粉が持つ土の元素は決して親和性が高いものではないが、エーテライト溶液の代わりに、両方の元素を持っている酵母が中和剤の代わりを果たしてくれる。
そのため、今回の錬金に関してエーテライト溶液は必要ないのだ。
ぐるぐると、酵母を中心にして投入した材料の元素を一つにしていくイメージを描きながら、ルヴィアリーラは釜をかき回す。
明らかに正規のデニッシュ作りの工程とは違うし、それどころかこれでパンができるのかどうか、見ているリリアにさえも怪しまれる工程だが、それでも「錬金術体系全著」にはこの通りのレシピが書かれているのだから信じる他にない。
ルヴィアリーラは額に汗を滲ませつつ、クラリーチェ・グランマテリアの言葉を脳裏に描きながら、ぐるぐると、元素を一つにまとめ上げていく。
そしてその額をリリアがタオルでそっと拭う様は、パン作りというより手術を行う医者と助手といった風情だった。
地脈による「覚醒」を利用しなくて済む分、魔力の負担は少ないものの、なにぶん未知の領域だ。
こうしてリリアがいてくれることはありがたい。
そろそろ釜をかき回す感触が変わって、魔力を一つにまとめ上げる工程に移ったことを認識したルヴィアリーラは、ふぅ、と小さく嘆息しつつ、力強く一周、材料が溶け込んだ水面をかき回した。
──巡り巡りて、混沌に還れ。
童歌のように、錬金術の基礎理論をなぞったクラリーチェの詩を思い返しながら、ルヴィアリーラは一つにまとまった魔力を一旦素たるエーテルに還していく。
──しかして一つ、巡ったときには歩を進め、汝、一つの秩序に還らん。
そして、無色の魔力に還ったそれを再び大きく、「何を作るか」というイメージを作り上げながら、かき回す工程は魔力の練り上げだ。
作るものはデニッシュ。しかしそれは分解してみれば小麦粉と水と酵母とオイルとあと何か、色んなものの組み合わせ。
ルヴィアリーラは半ば自分に言い聞かせるようにそう心中で呟いて、ぐるぐると釜をひたすらにかき混ぜて、そして。
──光が、爆ぜる。
ルヴィアリーラの瞳と同じ輝きを放ったということは、デニッシュの錬成に成功したということに他ならない。
そうして、ルヴィアリーラは光の中からふわりと舞い降りてくるそれを手に取って、一瞥した。
だが。
「……なんて言えばいいんですの、これ」
「……え、えと……爆弾……?」
「味は……もぐもぐ、ごくん。問題はないですわね……」
光の中から舞い降りてきたデニッシュは、いくつかの「火炎筒」を束にしたかのような「爆炎筒」と全く同じ、前衛芸術のような形をしたものだった。
とりあえず一欠片ちぎってルヴィアリーラは口に運んでみたが、味に問題はない。
そして体内に入れて数十秒経っても爆発する気配がないということは、これが爆弾でなくパンであると定義して問題はないだろう。
だが、それはそれとしてシュール極まっている。
リリアは困ったような笑みを浮かべ、味については「美味しいです」とフォローを入れてくれるが、貴族に出すパンが爆弾の形をしているなど、趣味の悪いジョークどころか自殺願望を持ち合わせていると取られてもおかしくない侮辱行為だ。
「作り直しですわああああっ!!!」
そうして、ルヴィアリーラの自棄を起こした叫び声が、アトリエの中に響き渡る。
理論は合っているのだから、形さえ整えればいいのだろう。
そんな具合にがくりと肩を落としたルヴィアリーラの背中をさすりながら、リリアは試作品の爆弾型デニッシュをもしゃもしゃと頬張り続けるのだった。




