40.初めての皇国依頼は成功なのですわ!
ルヴィアリーラが制作したスタリロ合板は、リィが一週間という期間をかけて仕入れてきた、大量のコルツァ材によって量産に成功していた。
どれもこれも「鑑定」してみれば、品質は申し分ない。
試しに、リリアにも依頼してみたが、リリアの「鑑識測定」の魔法が映し出した水鏡にも、同様のことが記されていた。
だからこそ、提出には問題ないと判断したルヴィアリーラはさっそく、大量のスタリロ合板を雑貨屋から借りた荷車に積み込みながら、王城へと一路ひた走る。
「さあ参りますわよリリア、わたくしたちの栄光、その第一歩が待っているのですわ! しっかり掴まっていてくださいまし!」
「……わ、わわ……は、はい! ルヴィアリーラ様……!」
スタリロ合板と共にリリアを荷台に乗せたルヴィアリーラは、それこそ千里を駆ける赤い馬のごとく、「躯体強化」の魔術を発動して、王城へ繋がるメインストリートたるライズサン通りを疾駆していた。
しかし、三週間という時間と、あのあばら家を掃除しきったとなれば、ルヴィアリーラの変人、もとい特異な人間性も、周囲の人間には周知されるものだ。
全力で通りを駆け抜けるルヴィアリーラを避けつつ、またあいつか、と、懲りない悪ガキを見るような目でルヴィアリーラを一瞥する青年がいる。
またあのお方が張り切ってらっしゃるわ、と、苦笑を浮かべながら、橋桁に佇んで水面を眺めている貴婦人がいる。
ここ最近は常にアトリエに篭っていたからわからなかったものの、やはり、城塞都市ファスティラと変わらず、この王都ウェスタリアもまた生きているのだ。
そんな街のメインストリートを、ルヴィアリーラはリリアを乗せて、汗の滴を散らしながら駆け抜ける。
時折手を振ってくれる市民に手を振り返す傍で考えるのは、活気に溢れたこの街が、一つの生き物のようだということだ。
無論、このスタリロ合板をピースレイヤー卿に提出して、王国依頼の可否を問うことこそ、今のルヴィアリーラにおける最大の目的ではある。
そうではあるのだが、それはそれ、これはこれというやつだ。
アトリエに篭り切るのも嫌いではないが、こうして身体を動かしている時間というのもまた、同じように愛おしい。
「楽しいですわね、リリア」
「……え、えと……速くて……」
「あら、ごめんあそばせ。次からはもっとゆっくり走るようにいたしましてよ」
ゆっくり走るとはなんだろうか。
ルヴィアリーラの悪びれないけれど、どこか憎めない返答に小首を傾げて曖昧な笑顔を浮かべながらも、リリアはその時間を、彼女と同じように愛おしいと思っていた。
城門前にたどり着くまでにかかった時間は、五分もなかっただろう。
あまりにも濃密で、それこそ気を抜いたら、紐で固定しているはずのスタリロ合板ごと振り落とされてしまいそうだったような道のりだった。
けれど、なんだか風になったみたいだと、リリアの唇の端は微かに吊り上がって、控えめな笑顔を描いていた。
「冒険者ルヴィアリーラとリリアですわ、皇国依頼の件でピースレイヤー卿に御用があって参りましたわ」
「ルヴィアリーラ……ああ、あんたが噂の……じゃなかった。ピースレイヤー卿から許可は下りている。守衛に挨拶なしで王城に入っても構わないとのことだ」
「あら、そうでしたの……でしたら、こちらの荷物、依頼の品なのでしっかりと見張っていただけまして?」
「それぐらいはお安い御用だ、さあ行った行った」
噂の、というのが具体的にどんなものであるのかはわからないしなんとなく聞きたくないような気もしたが、ルヴィアリーラは守衛の青年から許可を得て、リリアと共に王城へと足を踏み入れる。
その手には、サンプルとして作成した、最初のスタリロ合板が握られていた。
この依頼には、失敗が許されない。
赤絨毯に足を乗せたその瞬間、ずしりと、両肩に鉛のような重みが降りかかってくる錯覚を、ルヴィアリーラは感じていた。
失敗すれば、アトリエを追い出されてまた根無し草としての生活に戻らなければいけない。
それ自体はなんとか飲み込むとしても、失敗に伴う最大の問題は、ルヴィアリーラという名前の信頼が失墜することだ。
もしこの国でもう一度、今度は規定の金額を貯めるという手段でアトリエを開こうとしても、「皇国依頼に失敗したルヴィアリーラ」に、ウェスタリアが出店の許可を与えてくれるかどうかは疑わしい。
だからこそ、妥協も失敗も許されないのだ。
そして。
「ふふふ……」
「ルヴィアリーラ様?」
「心配ありませんわ、リリア。こんな時だからこそ……即ち、窮地の時にこそ微笑んでという格言がありましてよ!」
「……き、窮地の……それは、その……誰の……」
「無論、わたくしのものですわ!」
あーっはっは、と、流石に王城のフロアで高笑いを上げることはしなかったものの、それでもルヴィアリーラはいつも通り大胆不敵な笑みを浮かべて、豊かな胸を反らしてみせる。
これは格言でもなんでもない。
今、たった数秒で考えただけの言葉だ。
それでも、言葉には魂が宿る、という考え方が東の大陸には存在していると、小さい頃に読み漁った本には記されていた。
そして、特定の言葉によって神々の法を地上に出力するのが魔法であるなら、言葉というのは、即ち、力である。
だからこさ、ルヴィアリーラは強がるのだ。
精一杯に胸を張って、「いつものルヴィアリーラ」として豪快に笑って。
そうやって、リリアの隣にいる自分を規定するのだ。
ロビーの受付嬢を務めている短髪の女性に皇国依頼で来た旨を伝え、ルヴィアリーラは高鳴る心臓を押さえ込むような心境で、スタークの到着を待った。
──落ち着け。スタリロ合板は完璧にできている。
ルヴィアリーラはそれを見た、そして実物を確かめた。
ならば、次は依頼に合格するだけの話ではないか。
きゅっ、と、無意識に左胸の下を握りしめていたルヴィアリーラの手に、そっと、春の日差しのようにあたたかなものが重なる感触があった。
「……リリア?」
「……だ、大丈夫です……ルヴィアリーラ様は、頑張ってきましたから、きっと……」
「……ふふ、感謝いたしますわ、リリア」
それは他でもなく、リリアが差し伸べてくれた手に他ならない。
小さくて、まだ荒れているのが治っていないけれど、細くて白くて美しい、リリアの指先が、見えない傷を幾重にも刻んだルヴィアリーラの手の甲と、そっと触れ合う。
それの、どれだけ頼もしいことだろう。
一瞬、ルヴィアリーラは目を伏せて感慨に耽る。
きっとリリアがいなければ、自分はここにくることはできなかっただろう。
それどころか、どこかで心が折れていたかもしれない。
だからこそ。故にこそ、ルヴィアリーラは、リリアの前にいるからこそ、「いつものルヴィアリーラ」でいられるのだ。
決意と共に目を開いたその時、ルヴィアリーラの視界に飛び込んできたのは、激務に追われて今日も無愛想な騎士、スターク・フォン・ピースレイヤーその人の姿だった。
その傍にはローブを纏った壮年の男性が控えていて、彼が恐らく王宮お付きの鑑定士なのだろう、と、二人は推測する。
「すまない、待たせてしまったな」
「いえ、わたくしが張り切り過ぎてしまったようで、申し訳ございませんわ」
「……流石に、一週間も早く提出しにくるとは、こちらも予想していなかったが、まあいい。それで、課題の方だが……」
「こちらになりましてよ、外には同じものを積み込んだ荷車を停めてありますわ」
ルヴィアリーラは、スタークにスタリロ合板を提出すると、王城の正門を掌で指し示してその旨を伝えた。
スタークには、提出された木材がどれほどのものなのかはわからない。
だが、樫の剣を実戦訓練で幾度も振ってきた経験から、その手触りが滑らかで、上質なものであることぐらいは理解できた。
ふむ、と、感心したように嘆息すると、スタークは提出された合板を鑑定士へとそっと手渡す。
「これは……」
「何か、不具合でもあったのか?」
「い、いえ! 今から鑑定いたします!」
しかし、鑑定士にとってはそうでなかったようだ。
手に取った瞬間からわかる、濃密な土の元素の気配とそして微かに感じられる金属の成分。
マナウェア加工にほとんど近い状態を保っていることは、「鑑定」の魔術を使わなくとも、熟練の男からすればすぐに見抜くことができる。
ルヴィアリーラという女性がアトリエを開く、ということについて、王都の人間はほとんど懐疑的だった。
それはこの鑑定士──アンリ・フォン・ヘンリークも同じで、今時アトリエを開こうという時代錯誤な錬金術師に開拓村の復興を託すなど、不敬なのは承知していても、王はご乱心されたのかと内心で思っていたぐらいだ。
しかしこうして彼女が錬金してきたものを手に取って、「鑑定」の魔術と「鑑識測定」の魔法による二重チェックで、不備がないどころか、完璧であることを見せつけられれば、腰の一つも抜けて仕方ない。
へたり込むアンリは、言葉なく、水の鏡に映し出されていた情報をスタークへと指し示した。
「あ、ああ……」
「ふむ……これほどの材質のものであれば、開拓村の復興には申し分なさそうだな」
「ありがとうございますわ、ピースレイヤー卿」
「うむ、こちらとしても予想を上回るものを納品してくれて感謝する。報酬には色をつけておこう。そして……次の依頼は近日中に出されることになる。それまで、ゆっくりと休んで英気を養うといい」
ルヴィアリーラたちにそう伝えるなり、床にへたり込んでいるアンリに荷車の鑑定を指示すると、踵を返してスタークは己の執務室へと引き返していく。
それに、誰かが気付くことはない。
だが、無愛想なことで知られるスタークの口元には、自然と笑みが浮かんでいた。
この合板があれば、ヒンメル高地麓を吹き抜ける冬の風に、住民が悩まされることもないだろう。
だからこそ、そこに住まう民の笑顔を脳裏に描いて、無愛想な騎士は、スタークは笑っていたのだ。
何故なら、彼もまた、ルヴィアリーラと同じように、国民を愛する一人に違いはないからだ。
そして、ルヴィアリーラは恭しく膝をついてスタークへと感謝を示していたものの、その内心ははちきれんばかりの喜びに溢れていた。
(お父様、リリア……わたくしは、ルヴィアリーラは一つ、事を成し遂げましてよ)
声には出さずとも、心の内側でそう呟いて、ルヴィアリーラは強がりではなく、ごく自然にこみ上げてくる高笑いを噛み殺す。
──あーっはっは。
心の底からそう笑えたのは、いつ以来だろう。
スタークが去った後も頭を垂れ続けるルヴィアリーラの赤い瞳には、知らず知らずのうちに、あたたかな涙が滲んでいるのだった。
爆薬令嬢の目にも涙




