30.燃える炎は未来を照らすのですわ!
ヒンメル高地の山嶺は、万年の雪に閉ざされてこそいるが故に美しく、そして気高く人類へとその威容を誇ってきた。
神々の住う場所ともあだ名されるセントスフェリア山の中腹に、高度としては最も近いヒンメル高地は彼らの庭の異名を取り、故にこそ天の名を人々から授けられたのだ。
その遠目から見ればあえかな美しさを誇る銀嶺は、しかしてその中に踏み入ったなら、人々を歓待することはない。
寒冷地と高地という猛威に加えて、極限の環境に適した魔物たち──いずれも、Bランクを超えた、一流の冒険者でなければ相手取れないような怪物が跋扈する魔境。
それが、ヒンメル高地の持つもう一つの側面なのだ。
極限下における生存競争もまた過激であり、現在最も優れた金属、「ゾンネリウム」を精製する原料となる「サンライト鉱」の採取に赴いた冒険者たちや、開拓村の村民が命を落とすケースは後を立たない。
しかし、その山嶺に棲まう怪物の一柱であるグランマムートが、人里近くまで降りてくるなどという災害は、滅多にないことだった。
先遣隊が壊走したという報せを聞いて、王都から追加で派遣された騎士団は、開拓村という「万年氷石」の採取が望めない低高度まで降りてきたことで、より凶暴化したグランマムートに手を焼いていた。
『PaOoooooooo──!』
彼が咆哮を上げ、長い鼻や、鋭さこそなくとも、鈍く、硬く成長した大牙を振りかざし、その巨体で地を踏み締めるだけでも、人間にとってそれは局所的な災害となる。
「弓兵隊、放て!」
「はっ!」
現場を指揮している壮年の男、スプライト・アルガス男爵は兵が一人、また一人と目減りしていく様に歯噛みしながらも、皇国が決定した「王認勇者」の派遣と、そして、冒険者ギルドが派兵してくる精鋭の到着に希望を賭して、戦線を必死に維持していた。
アルガスの指示によって放たれた弓兵たちが構える弩からは、引き絞られた矢が放たれる。
しかし、それこそ並居る兵士の鎧であっても正面から防ぎ切れるか怪しいほどの威力を持ったそれも「山の化身」にとっては蚊に刺されたのにも等しい。
厚い体毛と脂肪、そして筋肉に覆われた脚や胴体へと浅く刺さったものはまだマシな方だ。
『PaaaaaaOoooooooo』
邪魔だ、とばかりに長い鼻から噴き出される強烈な冷気を、それこそ魔法である「風防障壁」のように纏うことで、グランマムートは、それを己を守る強固な盾とする。
冷気によって弾き返されたり、明後日の方向に飛んでいく矢は、大自然という、人類が決して争う事のできない敵、その化身であるグランマムートに、ほとんど届くことはなかった。
それでも、近接戦を挑むよりは遥かにマシなのだ。
「怯むな! 我らの目的はあくまで足止め、こいつを倒す事ではない!」
騎士団としては極めて屈辱的な言葉だったが、今が誇りだの誉れだの言っている暇ではないことぐらいは、アルガスも理解している。
しかしそれでも、騎士としてこの無力な状況に立たされていることに何か思うところはないかと問われて首を横に振ったのなら、それは気休めの嘘でしかない。
屈辱に拳を震わせながらも、アルガスは怒りと共に咆哮して弩を引き絞った。
彼が接近戦は困難だと判断した所以は、グランマムートが前脚や頭部に纏う強固な甲殻の存在もあれば、なによりもその巨体がそうさせている。
迂闊に懐に潜り込めばその足に踏み潰されて物言わぬ肉塊に変えられる以上、こうしてちまちまと遠距離から矢を射掛けることぐらいしか騎士団にできることはない。
或いは、王都で推し進められているらしい「魔剣の量産」とやらが成功していたのならまた違ったのかもしれないが──
「ぐわああああっ!」
「エリック! ヨーゼフ! クソ……っ、我らに打つ手はないというのか、そして援軍は……!」
断末魔をあげた二人が雪深い大地のシミとなり、手兵が二十を切ったことを確認し、アルガスは絶望する。
王認勇者だか腕利きの冒険者だか知らないが、自分は捨て駒にされたというのか。
貴族たちの中でも位階が低く、誉れがどうの誇りがどうのという理由で最前線に送り出され、そして名誉の戦死を遂げることを期待されるのが、成り上がりで男爵位を手にしたアルガスたちのような家の宿命であった。
それでも、希望はあると信じて戦ってきた。
ウェスタリア神聖皇国を、そこに生きる民草を守るためのノーブルとして、アルガスは犬にでも食わせておけとまで自嘲しながらも、確かな誇りを胸に荒れ狂う山の化身、怪物と対峙していたのだ。
だが、この結末がこれでは、あんまりではないか──
もはや戦線の維持が不可能だと判断して、アルガスが処罰を受けることを覚悟で、絶望と共に撤退を決めたその時だった。
「いいえ……御味方は、ルヴィアリーラはここに来れり、ですわああああああッ!」
吹き荒ぶ地吹雪の中でも凛と響き渡るその声は、猛々しくも砂糖細工の鈴を鳴らしたような甘い響きをそこに伴っている。
声のした方に振り返れば、アルガスの視界に映るものは確かに──グランマムートの直上へと飛び上がり、巨大な「何か」をその手に携えた金髪赤目の少女の姿だった。
そして。
「『炎よ』」
猛々しく叫ぶ少女に遅れて、その後ろに隠れていた銀髪の少女が樫の杖を構えながら、その魔法を、詩歌でもなぞるかのように口ずさむ。
爆発的に火の元素が──グランマムートが嫌うそれが高まってきたことに、アルガスもまた気付いていないわけではない。
そして本能的に危険だと判断したグランマムートは、詠唱を始めた銀髪の少女、リリアを標的としてその巨体を進めていく。
「いかん、我々に注意を向かせるんだ!」
突然現れた彼女たちが王認勇者とやらなのか冒険者ギルドから派兵された腕利きなのかは知らないが、この機会を逃せば、次はない。
そう直感的に判断したアルガスは弩を放り捨てて、背負っていた大楯を持ち、残存している騎士たちに目配せをする形で、自らをグランマムートの突進から守る盾とする。
「『清らに燃える焔よ』『憐み』、『焼き尽くしたまえ』!」
「これがわたくしの全力全開、そして最後の切り札! 火炎筒もとい……『爆炎筒』なのですわああああッ!」
リリアが劫炎の極大魔法、その四節詠唱を完成させると同時に跳躍していたルヴィアリーラは、グランマムートを目掛けて、あの時定期市で購入していた「ヒァーレの実」を素材として、更に火炎筒を中間の媒介とすることで錬成していた爆弾である「爆炎筒」を全力で放り投げた。
邪魔になると判断して、騎士団が詠唱までの時間を稼いだ後、咄嗟に待避を選んでくれたことはルヴィアリーラにとってもリリアにとっても幸いだった。
何故なら、この連携は彼らすら巻き込みかねないのだから。
山麓に春を迎えた今も降り積もっていた雪の全てを吹き飛ばすかのように、活性化した火の元素が、極大魔法と極限の爆弾という、敵からすれば、悪夢のようなマリアージュを遂げて盛大に燃え盛り、そして爆ぜる。
炸裂した、鉄板を強引に纏めて撃ち貫いたような、耳をつんざく轟音にアルガスは思わず耳を塞ぎ、顔をしかめていた。
だが、爆炎が晴れたその瞬間に、ルヴィアリーラと名乗った少女とそして銀髪の少女があげた戦果を目の当たりにして、今度は愕然と目を見開くこととなる。
『Ooooo……Ooooooooo!!!』
山の化身は悶え、苦しんでいた。
身を捩り、生半可な魔法であれば受け付けることのないその毛皮は火がつき燃え盛り、体内に貯蔵していた「万年氷石」の力で消火を試みようにも、体を這い回る蛇のようなそれが消えてくれることはない。
極大魔法と錬金術によって作り出された、今のところは比類なき爆弾による二連撃を受ければ、さしものグランマムートといえどもただではすまないのだろう。
しかし、腐っても彼は強敵だ。
暴れ回るたびに巻き起こる振動に顔をしかめながらも、ルヴィアリーラはまだ決して斃れていない、膝をついていない山嶺の象徴に一角の敬意を払いながらも、愛剣を鞘から引き抜いてその言葉を唱える。
「しぶてぇですわね、ですが……これで終わりでしてよ、グランマムート! 『照らせ』、星剣アルゴナウツ……スカーレット! ですわ!」
先日の戦いで手に入れた「素たる火の宝珠」は見事に星剣アルゴナウツの鍔に設けられていた空白にぴたりと収まり、リリアが放った炎の極大魔法にも匹敵する、その「素」たる元素の力を噴き上げていた。
誂えたように嵌まったそれが、元から想定されていたのか、そうでないのかはルヴィアリーラにはわからない。
さながらそれは神の悪戯というべきもので、人類には決して理解の及ばない領域なのかもしれなかった。
──だが、それの何に関係があるのか。
声には出さず彼女の掲げた切っ先へと、宝珠から噴き出した炎がオーバーコートされ、そしてルヴィアリーラが纏っている、純白と薄桃色に包まれた聖衣ローズリーラも、火の元素そのものともいうべき気配に触発されてその装いを改める。
真紅と、黄金。
聖衣、バトル・ドレスもまた炎の力に染まると同時に、ルヴィアリーラの持つ星剣アルゴナウツは、その刀身に紅蓮を纏う。
あの遺跡で脳内に流し込まれた、膨大な情報は、蓋を開けてみれば何ということはない。
この星剣アルゴナウツが「素たる火の宝珠」を組み込んだことで、どうなるのか、そして、それをどのように扱うか、というだけだ。
手傷を負いながらも、果敢に敵を排除する山嶺の象徴、「山の化身」の片脚を、炎を纏った剣で両断しながら、ルヴィアリーラはふっ、と息をつく。
まともに戦ったところで、勝ち目があるかどうかは薄いものだった。
何か一つでもボタンを掛け違えていたのなら、そもそもこの場に立っているかどうかさえも怪しかった。
だからこそ、自分は奇跡ではなく軌跡に、リリアと歩んだ旅路によって、そこで出会った人々によって生かされている。
「が、頑張ってください……! ルヴィアリーラ、様……!」
「応とも、ですわ! さあ……こいつで幕引きでしてよ!!! ちぇえええええすとおおおおおおおッ!!!!!」
きっと山の化身と呼ばれたこのグランマムートにも何かのっぴきならぬ事情があったのやもしれない。
──だとしても、そんなことは関係ない。
大上段から振り下ろす炎の剣で、ヒビの入った甲殻から、その巨体を縦に両断すべく、ルヴィアリーラは裂帛の気合と渾身の力を込めて星剣アルゴナウツ・スカーレットを全力で振り下ろす。
貴族社会が旧弊に囚われてこのルヴィアリーラを悪だと断じるのだとしても、元婚約者が突如として異界から現れた女に首ったけだとしても。
何もかも、一切合切、今ここにいる自分には、そして剣を振り下ろす理由に、関係はない。なぜなら。
「何が悪かは……このわたくしが、ルヴィアリーラが決めるのでしてよ!!!」
全ては民のために。そして尊ばれるべき自由と愛と、そして。
今もその虹の瞳で自分のことを見つめてくれている──初めての親友のために。
肉を焼き焦がし、骨を灼き斬る。
歯を食いしばり、ルヴィアリーラはそこに恐れを抱かないように、たとえ寸分だって後ろに下がることのないように、言葉の形をなさない声でただ、叫ぶ。
「おおおおおおおおッ!!!!!」
『Pa、Ooooooooo……!』
力なく、銀嶺の主にして、山岳そのものと例えられた、グランマムートが上げる無念の断末魔が高らかに響き渡る。
そしてルヴィアリーラはリリアの声援を一身に受け止めて、その全力を、全身全霊を賭して。
とうとう「山の化身」を縦に一刀両断せしめるという、偉業を成し遂げるのだった。
◇◆◇
「どうやら、一足遅かったみたいね」
「うーん……でも、そのグランマムートっていうのは倒されてたんだよね? ならいいんじゃないの?」
「まあそれもそうだけど……仮にも勇者名乗ってるんだか名乗らされてるんだか知らないけど、名折れっちゃ名折れよね」
激戦が繰り広げられていたヒンメル高地の麓に二日遅れでたどり着いたそのパーティーは、ありったけの素材を剥ぎ取られて骨だけになったグランマムートだったものを丁重に運んでいくウェスタリア神聖皇国の兵士たちを見て、どこか呑気にそんな事を呟いていた。
彼女たちこそが、大陸の東側を主な領土とするイーステン王国によって擁立された「王認勇者」たちであることに間違いはない。
その先頭に立つ小柄な少女はその身に不釣り合いな大剣を背負いながらも軽快に跳ね回り、何か手伝えることはないかと、戦後処理に当たっていたマーカスへと遠慮なく尋ねる。
「落石とか瓦礫の処理とかが残ってるって! ほら皆、一緒に手伝おうよ!」
「……リーヴェも、本当元気よね。全く……誰に似たのやら」
大手を振って自分たちを招いている少女──リーヴェ・エメラリヒトを見守る、彼女とよく似た髪色をした女性、マイン・トーテンタンツは、妹の忘れ形見であるリーヴェにどこか今はもういない、そして会うことも叶わない女性の面影を重ねて、小さく苦笑する。
「しっかし、こいつを二枚に下ろしたパーティーね……いつか出会ったり、戦ったりするのかしらね?」
マインが静かに呟いた言葉は、麓を駆け抜ける山風に乗って静かに掻き消えていく。
吹き抜ける風は何かを語ることはない。
それでも宿星たちは、勇気の炎が照らし出した行き先へと誘われるかのように、そうでなければ導かれるかのように歩き出してゆくのだった。
爆薬令嬢再び──!




