そんなことある? 偶然にめぐり合わせて隣の席になった人が実はとっても重要な人だった。
「もしかして?」
「え? まさか……」
大学2年生になって付き合いだした彼と大喧嘩をしてしまった週末、麻倉琴こと、社会人1年生の私は、一人暮らしをしているアパートの部屋にいることも嫌で、気晴らしにお出かけをすることにし、何かを買うということをするわけでもなく、どこか目的地があるわけでもなく、ただぶらぶらと町の中を歩き回り、夕方になって少しばかりお腹がすいたことに気が付いて、駅前の繁華街から少しだけ奥入った場所にある、小さな居酒屋の暖簾をくぐった。
奥にはテーブル席もあったのだが、そこにお客さんの影はまばらにあるだけで、『混んでいる』とはお世辞にも言えない状態ではあったけど、一人しかいないのだから当たり前のように、中に入って通されたのはカウンター席だった。
――静かに飲みたいという気持ちがあったわけじゃなかったけど、まぁいいか……。
大喧嘩したからということで気晴らしをしたかっただけで、飲みたいという気持ちがあったわけじゃない。お腹がすいたからたまたま入った……それだけ。
店員さんから椅子を引いてもらいそこへと腰を下ろすと、荷物を入れるかごをスッと渡してくれた。こういう気配りがあると本当にありがたい。
かごに荷物を入れて「ふぅ~……」と一息つき、何を頼もうかとメニューを探す。
瞬間にスッと私の横から差し出される白い物体。
「え?」
「メニューですよね?」
「あ、は、はい……。有難うございます」
ぺこりと頭を下げて挨拶をした私が、頭を上げてしっかりと確認すると、私の横に同じくらいの年齢の女性が座ってすでに飲み始めていた。
「おすすめはホッケかな?」
「え?」
「このお店は初めてなのかな? 私がこのお店でお勧めしているのは、お魚関係なんだけど、その中でもここのホッケは身が厚くて脂がのってておいしいんですよ」
「そうなんですか? 有難うございます。私も頼んでみます」
私の返事を聞いてにこり微笑みを返すと、自分の前にあったお猪口を口に運んでクイッとあおる。
――あ、日本酒だ……。
私は飲めないので、ちょっとかっこいいな……なんて思ってしまった。
「ん?」
「あ!! ご、ごめんなさい!! 嫌ですよね……」
「ん~……別に構わないけど、一人なんですか?」
「あ、はい。一人です」
「じゃぁ一緒に飲みません? 私も一人なんですよ」
「いいんですか?」
「いいですいいです!! と、いうか誰かと話をしたかったんですけど、みんな誘ったのに誰も相手にしてくれなかったんですよ!!」
そういうと、隣に座っていた女性が立ち上がって、椅子を私の方へと近づけ、テーブルの上にあったものを横に滑らすようにして移動し、彼女自身も私の横へと腰を下ろした。
「私、由佳。角田由佳って言います。今年社会人1年目の22歳です」
「あ、え? えっと私は麻倉琴です。私も今年社会人1年生で……」
「そうなの!! じゃぁ敬語とかなしでいい?」
「うん。も、もちろん」
由佳さん? 由佳? が手を伸ばしてきたので、私も手を伸ばし、二人で握手を交わす。
少し話をしながら、そこから自分で頼みたいものを注文し、飲み物が来たところで改めて隣に視線を向けると、私の視線に気が付いてくれた由佳さんがこちらに体を向けてくれた。
「改めまして」
「うん。改めまして!!」
カチンと音を鳴らしてグラスをぶつけ、そのままグラスを口に運んで、飲み物――1杯目はビールと行きたいところだけど、実は苦手で私はレモンサワーを注文している――を喉の奥へと流し込む。
互いの勤め先のことを聞くなんて野暮なことはしないで、その一期一会を楽しむというのがこういう場合はあっていると思うからこそ、世間話をするにはするけど、深くなりそうな話の時は切り込まないようにセーブ。
それが逆に心地いい時もある。
そうして話を始めて、お酒も進み、つまみも1品目、2品目と、胃袋の中へと消えていった頃、唐突に由佳さんが私の方へと真剣なまなざしを向けた。
「何かあったの?」
「へ?」
「ここに入ってきたとき、ちょっと影がありそうな表情をしてたから……」
「あぁ……そんなひどかった?」
「うん。心配になって声かけちゃったくらいには……」
「あらら……」
顔に出してはいなかったはずだし、しかも初対面の人にまで心配をされるようなほどにまで、表情が曇っていたなんて思ってなかったので、自分の顔を両手で覆って隠す。
「えっと……」
「話をすれば楽になることもあるよ?」
「そうかな?」
「私となんて、今日初めて会ったばかりなんだし、また会うなんてことがあるわけでもないじゃない? そういう人になら話をしたとして、何かが変わるわけじゃないと思うけど」
「うぅ~ん……」
まったく知らない人だからというのは、確かに話しやすいのかもしれない。ただ、話をするとしたらずっと愚痴を言い続けることになると思うから、由佳さんに迷惑をかけちゃいけないと思う気持ちが胸の奥で交錯する。
「えっとね……」
「話しちゃえ!! 話しちゃえ!!」
「うぅ~ん……」
私の腕をぐりぐりと人差し指でえぐる由佳さん。「ん?ん?」と迫る由佳さんに根負けして、ちょっとずつ話をしていく。 と――。
だんだんと眉間にしわが寄っていき、しまいには私の話を聞きながら頭を抱え込んでしまった。
「と、いうわけで……」
「ちょ、ちょっと待ってくれる?」
「ん?」
頭を抱えたまま、由佳さんがちらりとこちらに視線を向ける。
「その人って○○に勤めてるって言った?」
「うん」
「○○市に住んでるって言った?」
「そうだね」
「もしかして○○っていうマンションに住んでたりしない?」
「え!?」
喧嘩相手が住んでいる場所をピンポイントで言われると思っていなかったので、びっくりして由佳さんの顔をまじまじと見つめてしまう。
「その人の歳って私たちと同級生じゃない?」
「そう」
「大学って○○大学ってところに通ってたよね?」
「う、うん……」
「で、名前は――」
もうここまでくると、どうしてという気持ちよりも、詳しく知りすぎていることの方が怖くなってくる。
「あいつ!!」
先ほどまでは由佳さんの表情が見えていなかったので、私もどうして? という気持しか持てなかったけど、頭を上げた由佳さんの表情は静かな怒りの表情をしていた。
「あの……」
「琴さんにはいってなかったけど、私がここで一人で飲んでるのにも実は訳があってね。その訳っていうのが浮気した彼氏とケンカしたからなんだけど」
「え? 浮気? え?」
「そいつが――って名前の、琴さんが言ってる男なのよ」
「はぁぁぁぁぁ!?」
衝撃的な話に、今度はお店の中に大きく響き渡るくらいの大きな声が出ちゃった。
その後、詳しい話を聞いてみると、由佳さんが言っている男性が、現在私の彼氏であることは間違いないみたいで、由佳さんの方は付き合いが2年ほどになるという。私の方は3年になるので、明らかに私と一緒にいるときから由佳さんともお付き合いしているということになる。
「琴さん」
「はい」
「どうする?」
「え?」
「あいつ許せる?」
「……たぶん無理かも……」
「だよね!! ならさぁこういうのはどうかな?」
「――なるほどね。いいかも!!」
「けってーい!! 早速行動に移しましょう!!」
「うん!!」
それからの行動は早かった。まずはそのお店のお会計を済ませ、その足ですぐに乗れる電車に乗り、『彼』の住むマンションへと向かうと、部屋番号を押して、私が彼を呼び出す。
インターホン越しに出た彼の前に映るのは、私ではなく由佳さんで――。
その後、パニックになった彼と、激おこな由佳さん、そして私の修羅場ともいうべき幕が上がったのだった。
数週間後――。
「「かんぱーい!!」」
カチンと大きな音が鳴り、少しだけ中のものがこぼれてしまうのも気にせず、私と由佳さんは互いにグラスを口に近づけると、ぐびぐびと一気に飲み干していく。
ぷはぁ~っと飲み干した後に大きく息をついて、二人で顔を見合わせる。
「あはは」
「「あはははははは!!」」
どちらともなく笑い声が出て、ぷっと噴き出すと二人で大きな声で笑った。
場所は二人が初めて出会った居酒屋の、今度は店員さんに頼んで奥の座敷にしてもらっている。
「その後どうなったの?」
「無事にお別れしました」
「そうなんだ。まぁ私はあの時にもう別れちゃったんだけどね。まだ気持ちが残ってる?」
「ううん。なんだかすっきりした感じがする」
「だよね。わたしも」
「それに……」
溜めて私の顔を見つめると、にこりと私に微笑んだ。
「ん?」
「琴っていう友達ができただけでも満足っていうかさ」
「あ、なんとなくわかるかな……その気持ち」
「これから、仲良くできそうだね」
「うん!! 同じ男に騙されてた同士だけどね?」
「それはもう過去の話!!」
「そうだね!!」
そうして私たちはお代わりを頼むと、それもまた一緒に飲み干してしまう。
こうして、偶然隣に座っただけの人が、私にとって大事な永遠の友達になったという、小さな出会いの物語。
お読みいただいた皆様に感謝を!!
今月の新作掌編となります。
このお話も、『声劇』の原作として使用しますので、そちらにもご興味ある方はどうぞお立ち寄りくださるとうれしいです。




