第61話 決闘 前編
「……んん、今何時だ……?」
もぞもぞと布団の中で何かが蠢く。
そこからゆっくりと気だるげな表情でベッドの上から上体を起こす。
ぼさぼさになった頭はまだ完全に目覚めていないのか、目蓋が半ば閉じかけながらユートは窓から空を見上げた。
ぼーっと空を見上げながら、突然目をぱっちりと見開くとあることに気付いた。
「あー……もう昼なのか」
そう、既に太陽が真上を通る様な時間帯だった。
「二度寝……するには遅いし、眠くもない。……はぁー、起きるか」
ガシガシと頭を掻きながらベッドから起き上がる。
う゛ーん、という奇妙な声を上げながらストレッチをすると、体中からボキボキボキという音が部屋中に鳴り響く。
長時間寝すぎたせいか、はたまた夜中に訓練をしていたせいか関節の響きがいつもより激しい。
手慰み程度にストレッチを終え、身だしなみを整えると重い足取りで一階へ向かった。
時間が時間だったせいか食堂も人が少なく、そのおかげで静かに食べることが出来た。
腹を落ち着かせながらのんびりとした時間を取っていると、フルーツでも口に入れたいなと何となく思ったので、ギルドに向かう道中、美味しそうなフルーツを幾つか手に取りながらブラブラと通りを歩く。
ちなみに、ブラブラすると言えばフェリシアはあのスタンピードの翌日、どこかの町へとすぐに旅立った。
あまりにも早く立ち去るのを本人も気にしていたが、目的地はしっかりと定めているようなので別れの挨拶はせず、いつかまた会えるだろうという気持ちを込めて「またな」と簡潔に言ったのだが、本人は苦笑いしながら、「そんなんじゃ、女の子にモテないぞ!」という謎のお節介を言い残して町を出て行った。
彼女がどんな町に行ったのかは知らないし、どうして町を出るのかもあえて聞いていない。
ただ一つ、覚悟を決めたような目をしていたのが印象に残っているが、縁があればまた会う事もあるだろう。
そんなこんなで嵐のように通っては過ぎ去っていった女はどこかへ消え、そして俺ももう少ししたらこの町を去る。
あと一週間ほどで異世界に来てから一か月目になるが、心境は全くと言っていいほど変化していない。
一応、命尽きるまでこの世界を楽しむ事とついでに元の世界への帰還方法を探すのを目標にしてはいるが、今は力や知識をつけるだけで精一杯。
そんな中でせいぜい郷愁と言えば、柔らかいベッドと好みの音楽が恋しいくらいだが、その程度の郷愁でしかない。
まあ宿屋のベッドも悪くは無いが、現代の既製品には流石に及ぶべくもない。
音楽、というか娯楽自体も極端に少ないし、多めに見積もっても、広場に訪れる吟遊詩人やソロの旅芸人、酒やお菓子といった嗜好品ぐらいなものだ。
その吟遊詩人や旅芸人もここ最近見ただけで、それ以前は一切見かけなかった。
だから、もっぱらこの世界で暇をつぶすことは本を読んだり、魔法で遊んだり、町中を散歩するくらいしか見つかっていない。
といっても、そういう事の積み重ねでフェリシアのような変わった人間にも会えたのだが。
……それは相手も同じか。
自身のモノローグにオチを付けると、ギルドが見える距離になっていた。
途中で買ったフルーツを全て飲み込み、べたべたになった手を魔法で綺麗にしてからギルドに入っていく。
一瞬全体をチラッと見た時、人が少ないなと思いつつも受付に向かう。
すると、都合よく見知った受付嬢のマリーがいたので解体して欲しいものがある旨を伝えた。
「わかりました。ちょっと聞いてきますので待っててくださいね」
という言葉に頷くとテーブル席の方には向かわず、依頼掲示板の方に歩いていった。
すると後ろの方から「ちっ、ガキがなめた真似しやがって……」という声が聞こえて来た。
今のギルド内に人が全くいない訳ではないが、平日朝のカフェ並みに疎らに存在するだけだ。
そのため、「ガキ」という言葉に該当する人間は受付嬢のマリーの様な小柄な人間を除いてほぼいないと言っても過言ではないだろう。
まあ、有体に言って俺なのだと思うが。
というのも先程ギルドに入って来た時、俺を嫌っている冒険者の一人がエールを飲みながら俺だと気付くとこちらを睨め付けてきたのだ。
俺はそれをあえて気付かないふりをしながらマリーに解体依頼を頼んだ後、我関せずの様相でクエストボードの方へ避難していった。
それが気に食わなかったのか、いや、元々気に食わなかったんだろうが、いつにも増して俺への態度を露骨に出していた。
まるで、体育館裏に呼び出した不良が一方的にした約束をすっぽかされて、ガンつけてくる様な感じで睨みながら居座っているが、普通にただの迷惑客にしかなっていない。
もしかして俺が下手に出てくることでも期待していたんだろうか? ああいうよく分からない人間とは絡みたくないのだが……。
「面倒くさいのに絡まれた……」と眉を顰める。
クエストボードの方を向いているため、顔を見られることは無いのでそこの心配ない。
しかし、俺の後方にその面倒くさい人間がいることは変わってない。
(どこかに行ってくれないかなあ)
と半ば現実逃避していると、何か言い合いをするような声が聞こえてきた。
とばっちりを受けない様に後ろを振り向かないまま盗み聞く。
どうやらウェイトレスっぽい若い女性がさきの迷惑な冒険者に向かって注意しているようだ。
けれど冒険者はそんなことに意を介さず、むしろ「邪魔すんじゃねえ!」と逆切れしている。
この調子だと暴力を振るわれるんじゃ……と女性を心配していると、謎の風切り音が聞こえた直後にドン! という大きな音が部屋中に広がった。
突然の出来事に辺りがシーンと静かになる中、流石に気になったので自然な動作で後ろを振り向くと、俺を嫌っている冒険者が入口側の壁へ吹き飛ばされたかのように倒れていた。
何があったのだろうか……?
そう思い、周りを見回すと幾つもの視線が一つの場所に集約しているのに気付いた。
彼らと同じ場所に視線を移すと、ウェイトレスの格好をした一人の若い女性が佇んでいた。
言葉にすれば何も違和感はないだろうがその佇まいがやけに堂に入っており、周囲から向けられる視線や雰囲気の中でも一切の強張りを感じられない様子は、ただのウェイトレスとは到底思えなかった。
そんないまいちよく分からない状況の中、絡まれるリスクを冒さなかったため場に乗り遅れた俺は「ここはあえて傍観者を演じて眺めていた方が良かったか?」などとつまらない考えを巡らせていると、ウェイトレス姿の女性がゆっくりと口を開き始めた。
「はぁー……全く。酔っぱらいの三流冒険者風情が私の可愛い後輩に手を振るおうなんて、いい度胸してるじゃない」
唐突に口を開いたと思ったら、出てきた内容は冒険者の男を詰る言葉だった。
それとどうやら絡まれたのはあの女性ではなく、バーカウンターの裏から心配そうに覗いているその後輩と思しき女性だったようだ。
「カハッ!? うっ、テメェ……いきなり何しやがるっ……!?」
壁にぶつかった衝撃からか男はうめき声をあげたもののすぐに立ち直すと、自身を屈辱的な目に遭わせた女に声を荒げて凄んだ。
「ハッ! アンタ、今の自分の格好を客観的に見てみれば? そんなダサい姿で凄まれてもなーんにも怖くないんですけど」
「クソアマが……一発入れたくらいでいい気になりやがって! あんまなめてっと痛い目見してやるからな!」
そんなちんけな脅しをかけてくる冒険者の男を見下ろすと、女はやれやれと首を振りながらさらに煽る言葉を吐いた。
「出来もしない事を言うのは恥ずかしいから止めといた方が良いんじゃない? あっ、もう恥をかいてるから一緒だったわね! ふふっ」
「……くそ女が、ぶっ殺してやるっ!!」
男は短気なのか、女性を睨みつけると発した言葉通り、実行に移しそうなほどの怒りを浮かべていた。
流石にそろそろ雲行きが怪しくなってきたのを感じ取るが、いかんせんあの女性が何をしでかすか分からず、そんなところに部外者の俺がのこのこ出て行ってもさらに話をややこしくするだけだろう。
特にあそこにいる冒険者には嫌われているのだ。
しゃしゃり出ようものなら、怒りの矛先が最悪の場合こちらに向きかねない。
(冷たい様だが、巻き込まれない様にここは一旦離れるか)
それに方法は不明だが、不意打ちとはいえ女性が成人男性を吹き飛ばしたんだ。
なら、そんな女性を喧嘩慣れしていない俺が心配するだけ烏滸がましいというものだ。
それに、そもそも俺は解体を依頼したいだけで、他人の喧嘩に混ざりたいといった趣味も無い。
フェリシアの様な根が善人な人間だったなら、我先へとこの諍いを仲裁しに行ったかもしれないが、あいにく俺はそういう面倒な事とは極力関わり合いたくない主義だ。
そんな典型的な日本人らしい言い訳が即座に思い浮かべられる自分に呆れながらも、次第に二人から興味が離れていく。
そして彼らから目線を外すと、マリーが戻ってくるだろうカウンターの方へと何とはなしに目を向けた。
すると予想が的中し、書類を抱えたマリーが息を切らしてタイミングよく帰ってくるではないか。
これは運が良いとすぐに近寄っていくと何だかマリーが怪訝な顔をし出し、近くにいた職員と何やら話し込んでいる。どうしたんだろうと思った次の瞬間、マリーが大きな声で喧嘩を止めに入りだした。
「ちょっと、何をしてるんですか!!? ギルド内で喧嘩はご法度ですよ!!」
これには一触即発な雰囲気だった二人だけでなく、周囲で傍観していた人間まで視線をマリーに向けた。
しかし、俺が思ったことはそうではなかった。
――せめて、俺の用事が終わってから喧嘩の仲裁でも何でもしてくれ……。
とはいえ、口から出してしまったものは既に無かった事には出来ない。
覆水盆に返らず。落花枝に返らず、破鏡再び照らさず。
そんな諺が囁かれるようにふと脳裏を過る。
こんな時こそ、時間を巻き戻すような魔法でもあればいいのに……と溜め息を吐かずにはいられなかった。
俺が現実逃避している間にも話は進んでいく。
マリーがおろおろしながら何とか争いを止めようとしているが、火の付いた二人はすでに後戻りを望んでいない。
周囲の冒険者が時折、焚き付ける様に茶々を入れるのも理由の一つかもしれない。
そんな二人だが、片や苛立ちを隠せずそろそろキレそうな男と、片や表面上は余裕ぶって一応の自制心を保ち続ける女。
どちらも互いに距離を置いてはいるが、いつ戦い始めてもおかしくないほどすこぶる機嫌が悪そうだ。
そんな時だった。テーブル席で酒を飲みながら騒いでいた冒険者の一人が「そんなにお互いが気に食わねぇなら、決闘でも何でもしてケリつけりゃいいのに……」とボヤいたのだ。
「――そうだ、そんなに自信があるなら、決闘でケリをつけてやろうじゃねえか!! まさか、あれだけ調子乗ってたんだ。逃げたりなんかしねえよな!?」
「はん、上等じゃないか! その決闘受けてやろうじゃない! まあでも、今から逃げるってんなら、追わないでおいてあげるけどね!」
すると耳ざとく声を拾った渦中の男が決闘を女性へと突き付けた。
これには流石に嫌がるかと思いきやそんなことはなく、ウェイトレスの女性も挑発を混ぜ込みながら意気込むように決闘を承諾した。
そんな二人を見ていた周りの人間は面白い娯楽が始まる予感を感じ取ったのか、再び煽り、持て囃すと、
「訓練場に急げ! 今から、決闘が始まるぞ!」
「俺もこうしちゃおれん! 場所を確保しなければ!」
「おい、俺はゴーンに小銀貨三枚賭けるぞ!」
「俺はあのマルナに小銀貨二枚だ!」
と騒ぎ出した野次馬が我先にと急ぐように訓練場へと駆けだした。
途中、無銭で流れに乗ろうとした奴もいるが、決闘予定者のウェイトレスがそいつの襟元を捕まえて代金分払わせていたりなどの些事もあった。




