第51話 大氾濫――スタンピード―― 2
「その魔物の名は――緑小鬼だ」
その瞬間、静かだった訓練場にざわめきが広がっていった。
「ゴブリン? なんだ、ただのゴブリンなら心配はいらねえな」
「馬鹿、お前。町を攻めてくるような奴等がただのゴブリンであって堪るか!」
「あん? 所詮、上位種に進化して強くなってもゴブリンはゴブリンだろうが。それともお前、ゴブリン相手にビビってんのか?」
「そういう意味じゃねえよ! まず間違いなく将軍以上はいるし、場合によっちゃあ王までいるんだぞ!」
「おいおい、落ち着けって。そりゃあ、状況を考えればそれもあり得るだろ」
「これが落ち着いてられるか! 王がいるってことは数百数千じゃ済まないかもしれないんだぞ!」
「な、何を根拠に言ってんだよ?」
「そんなの、こんな真夜中にただのゴブリンの群れが襲ってくるわけないだろ! 明らかに知性があるタイプの奴だ! そういう奴は自分が勝てると確信するくらいまで力を蓄えていやがるんだよ! くそッ、最悪だ! またあの地獄を見る羽目になるのかよッ!」
今の現状を正確に見抜けた男は半狂乱になり、悲愴な面持ちで頭を抱えると先程まで話していた男が何とか落ち着かせようとしている。
そんな光景がいくつか見られたが中には余裕そうに、
「この機会って一気に名を売るチャンスじゃね?」
「なあ、どっちが多く狩れるか勝負しようぜ! 負けたら一週間奢りな!」
「全く、ほんとゴブリンとか死ねばいいのに。肌が荒れたら恨んでやる!」
「ガハハッ! 何百体だろうとこの斧で葬ってくれるわ!」
と沈痛な冒険者達とは対照的に、様々な理由で意気揚々と闘志を滾らせていた。
「――皆それぞれに言いたい事や思う所もあるだろう。けれど、これは事実で、そして避けようのない真実だ。
それにどの道、今から一人で逃げたところで、後ろから無数のゴブリンに追われ続けるのが関の山。運良くここから逃げられたとしても、他の町も同様に厳重な体勢のため中に入る事は叶わず、いつ来るか分からないゴブリンの恐怖から怯え続ける羽目になるだろう。
だがしかし! ここにいる俺たち全員の力を合わせれば万の軍勢のゴブリンだとて、必ずや打ち破る事が出来ると俺は信じている!
――ならば戦おう! 俺達が今いるこの町を守る為に! 大切なものを奪わせない為に! 逃げる事が叶わないなら、活路は自らの手で開くしかないのだ!!」
「ウオオオオオォォォォーー!!」
冒険者達が雄叫びを上げる。
すると、ある者は大地を踏み鳴らし、ある者は武器を掲げ、ある者は武器を地面へと突き立てた。
それにより彼らの興奮は最高潮に達し、ついには彼らの声は訓練場だけでなく、ギルドの外にまで大音量が響き渡った。
「――これから、現在判明している事を伝えていく」
ゲオルグは場が静まるのを待つと、先程までの興奮を冷やさぬようにか素早く詳細な情報を伝えていった。
何でも、数日前から大氾濫とやらの兆候が見られたとかで秘密裏に調査をしていたそうだ。
そこで知り得た情報が先程ポロッと出た万にも及ぶゴブリンの軍勢だ。
どうやらこれは冒険者を鼓舞するための言葉だけではなく、事実でもあったようだ。
他にも、発見はしていないがゴブリンキングがいる事はほぼ確定的だったり、何体もの上位種がいると調べがついているとか。
内訳については推測を多分に含んでいるが、通常の緑小鬼が推定七千体。他に一段階目の進化である剣士、槍士、呪術師などの十種類が約千八百体。二段階目の進化である兵士、指揮官、魔術師などの十五種類が約六百体。そして三段階目の進化である騎士、指導官、暗殺者などの二十五種類が数百体だそうだ。
その上、緑小鬼王の周りに将軍や近衛兵とかいう守護している奴がいるから倒すのは骨が折れるらしい。
といってもまあ、俺は後方で優雅にレベル上げの機会とさせてもらうので、前線の情報を得ていてもあまり意味は無いのだが。
「――以上だ。皆の健闘を祈る」
話は終わるとすぐさまテキパキと冒険者達が動き出した。
どうやら回復薬の支給を受け取った人から、森に面しており進行してくるだろう北門、東門、南門のいずれか三方向に指示された場所へ分かれて行った様だ。
後方支援部隊に属するつもりの俺はここで矢の支給もしてくれるらしいので動かなくていいみたいだ。
ふと、ジャック達が気になりそちらに目を向けると、同じ様に向けて来た三人とそれぞれ目が合った。
「どうやら俺達は全員別々の門に分けられたらしいな」
「そうみたいだね。あたしとアルが東で、ジャックが南、ユートが北か」
「見事にバラバラだな。まあ、正式にパーティーを組んでいる訳でもないからそれも致し方ない事だが」
「それよりも俺はユートの方が心配だが……」
ジャックがまたいつもの調子で俺のことを見ながら心配してくる。
「はぁ……むしろ俺としてはジャックの方がお人好し過ぎて心配だけどな」
俺の演技がかった言葉にオルガとアルが吹き出した。
「アハハハッ! 確かにそうだね! ジャックは超がつくお人好しなんだから」
「くくくっ、流石の俺もそれは否定できない」
二人して腹を抱えて笑い続けているのを見てジャックは額に青筋を立てる。
「お・ま・え・ら・なーッ!!」
「まあまあ、落ち着けって。それより三人共早く移動しなくていいのか?」
周りの冒険者たちを視線で追うと、支給品の回復薬を受け取りと同時に加速度的に出口へ向っている。
「誰のせいだと思ってんだよ! この件が片付いたらお前ら全員、覚えてろよな!」
「悪いけど多分、疲れて忘れてるから」
「ユートに同じく」
「……まあ、覚えて居たら、な?」
ユートとオルガは真顔で言ってのけ、アルジェルフはツボにはまったのか、途切れ途切れになりながらしれっと予防線を張った。
そんな三人にジャックは更に青筋を浮かべるも、柳に風とばかりに受け流されるのは目に見えているのか、大きく溜息を吐きながら最後には諦めた。
「……はぁ、もういい。それより俺は先に行くけど、いつまでもふざけていると痛い目を見るからな」
ジャックは頭をガシガシと掻きながら回復薬を受け取ると外に向かった。
そんなジャックの言葉を尻目に俺は目を点にして、オルガ達に話し掛けた。
「なあなあ、ジャックって最後まで俺達の心配をしているんだけど」
「そりゃあ、ジャックは超が付くほどのお人好しだからね」
「違いない」
「流石、ジャックだな」
「そうだな、流石ジャックだ」
「うむ、流石はジャックだ」
「……おい、お前ら聞こえてんぞ」
最後まで緊張感が無いまま俺達は町を守るためにそれぞれの場所へ別かれていった。
──☆──★──☆──
ジャック達が先に向かった後、訓練場に残った俺達弓士は三つのグループに分かれ、ギルド職員から一人につき百本もの矢を支給された。
しかしその後は誰が後方部隊の指揮を執るかで一悶着あったが、同じ後方支援であり冒険者としても弓士としてもベテランの先輩が一喝するとすぐさま争いは収まり、どういう訳かその人がリーダーになる事で一応の決着がついた。
流れるままにリーダーに選ばれてしまった彼の名前はクフェウスと言い、照明に照らされた禿頭と左目の横を流れるような顔の傷がトレードマークらしいのだが、見た目のせいで人に恐がられやすいのが悩みだそうだ。
けれど話してみると結構気の良い人で、個人的には評価が高く性格も嫌いではなかった。
そんな彼だからこそリーダーに選ばれたのか、どうやら誰も文句は言わないらしく、黙って指示を待っていた。
クフェウスも覚悟を決めたのか、出された指示の通りに俺達は城壁まで向かうと階段を駆け上っていく。
石造りの頑丈な城壁の上に降り立ち外の世界を見下ろすと、そこは闇の中で幾つもの光が灯った美しい町の姿があった。
「おー、結構な高さがあるんだな、ここ」
各々好き勝手に位置取りをし始めたり最後の武器調整をする中、俺は城壁に手を付けながら町を見下ろしていた。
「何だお前さん、ここに来たことは無かったのか?」
突然、クフェウスが話しかけて隣に寄ってくると、同じように町を眺め始めた。
「……ああ。というかここに入って来れる事も今知った」
「まあ、いつもは衛兵が数人ずつで見回っているが、特別禁止されている訳ではないからな。頻度は多くないが、子どもから年寄りまで遊びに来ているとこを見たことがある」
「へえ、一般人も入れるのか。ん? そういうあんたも何度か来たことがあるのか?」
「確かに来たことがあるが、正確にはギルドの常駐依頼だな。お前さんも見た事があると思うが、その中に街中を見回る警備の仕事があってな。そこで何度かここに来たことがあるんだ」
常駐依頼――多分ゴブリン討伐とか薬草採取のような、定期的に必要とされている依頼を常駐依頼と区別して呼んでいるんだろう。
意味的にも「待機してある依頼」だからそうに違いない。
しかし俺は適当に依頼を選んでしまったから、そういう細かい所は未だに分からないことが多い。
とりあえず一人納得していると、今度は彼の方から話しかけて来た。
「お前さん、確かユートって言ったよな。調子はどうだ?」
さきほど簡単に自己紹介した時にでも名前は覚えていたのだろう。
しかしそれよりも、どういう意味で聞いて来ているのか。
数秒の間をおいて考えた末に、少し警戒心が滲み出た無愛想な受け答えをしてしまった。
「……別に、特に問題は無いが」
「そうか……それは何よりだ。お前さん、“ユート”って呼ばせてもらうが、この町に来たのは最近か?」
なにが「何より」なのか分からないが、そんなことはおくびにも出さず適当に答えていく。
「ああ、つい最近だ」
「ははっ、それは災難だったな! でもいつもは騒がしいくらい良い町なんだ。だから嫌いにならないでくれよ?」
もしかして俺が町から逃げる事でも危惧しているのだろうか?
それとも問題が起きた町への嫌気を感じさせない様に気を配っているのか。
いくつか考えてみるが何も分からない。
「そんな事はしないさ。自分の運の無さと神様へ文句を垂れるくらいだよ。“どうしてこんな時に魔物なんて呼びやがったんだ、こん畜生!”ってな」
肩をすくめながら何でもない様に言いのける。
それを聞いてクフェウスは吹き出した。
「ふっ、そりゃいいな。しかもよりによってゴブリンだから余計にたちが悪い。豚鬼とか草原狼とかなら、まだ食えるところも売れる部位もあってやる気が出たんだがなあ……」
「あんた、こんな時にも金の事なんて考えているのか?」
ユートは呆れた顔をしながら、こんな状況でも金に汚いと罵るべきか、それとも平常心どおりに振る舞える精神を褒めるべきか少し悩んだ。
「お前さんもまだまだ分かってないな。一流の冒険者ってのはどんな苦境でも冷静さを心掛けるもんだ!」
「……そういう割には足、震えているように見えるが?」
「ば、馬鹿言えっ! これはただの武者震いだ!」
「あと、高い所が苦手なだけだ!」と自己弁護しているようだが無視した。
話を聞いて最初に頭に浮かんだのは、この世界にも「武者震い」という言葉があったのかという些細な疑問だ。
けれどすぐにスキル【言語術】による作用だと思い直した。
現実に戻った俺はクフェウスの足元を見るがやはり震えている。
こいつも顔に似合わず緊張しているのだろう。
かくいう俺も、こうして誰かと話していなければ体が震えていたかもしれない。
しかしそれは恐怖や緊張という意味ではない。
そもそも恐怖というのは一度、似たような体験しなければ分からないものだ。
ゴブリンやハニーベアと戦った時も、驚きや危機感、警戒心というものこそ感じたものの恐怖とまでは行かなかった。
それ故に他の冒険者とは一歩違う目線で見れていると自認していた。
「まあ、そういう事にしておこう」
「ほ、本当だぞ! これから倒すだろうゴブリンの山を想像してるだけだ!」
強調しながらも決して弱みを見せないのはリーダーとして選ばれた責任感からか。
もうこれ以上つっこむのは無粋だと思い、俺は静かにすることにした。
それを好都合だと感じたのかは分からないが、クフェウスは他の奴の所に行くと告げ、最後に「お互い頑張ろうぜ!」と言い残して去っていった。




