304 闘争からの逃走③
深紅の刃が空を切る音と、地面を何かが転がる音。
傍から見れば、エミリーが一人で剣を振り回している様にしか見えないが、そこに何かが居る事を証明するかのように、巻き上がる土煙が見えない何かによってかき乱され、虚空を舞っていた。
「キョクヤ様、ウォーは無事なのですか?」
「ん~~~……まぁ、向こうがどう足掻いても、負けることはなさそうかな~? ケガも負ってないよ~」
キョクヤが作ったドーム状の尾の中から、声が掛かる。ローズマリー姫の不安気な声とは対照的に、キョクヤは拍子抜けしたかのように、覇気のない声で答える。
見えないだけでなく気配もない為、エミリーは相手が放つ音を頼りに剣を振るっている。反撃を警戒して攻撃頻度は少なく、範囲を広く取る為に大振りになっているが、相手は避けるのに必死なのか、防戦……いや、逃走一方だ。
何かを狙っている様でも無い為、これでは危機感を持つ方が難しいだろう。
「良かった……お姿が見えないとの事でしたが、キョクヤ様は何故見えておられるのですか?」
「簡単よ、見えないなら、見えるようにしちゃえばいいのよ」
魔力の流れも見えないのであれば、魔力の流れを付ければよい。
最初の襲撃時、エミリーが花弁で吹き飛ばした時に散った火花を目掛けて吹き付けた、魔力の痕跡。マーキングの様に新たに施された魔力は、傍から見れば無色透明で気配も感じないが、キョクヤの目には人型が無様に地面を転がっている姿が、鮮明に映しだされていた。
それでなくとも、魔力が流れない場所、流れが不自然に乱れる場所を見つければ、探し出すのはさほど難しくない。
そしてキョクヤは、相手の動きからその実力をある程度把握していた。
ド素人。ステータスは高く、エミリーの攻撃を何とか避けてはいるが、それまで。姿が見えないだけの一般人。折角の姿を消す能力も、音を消し切れていない所から見ても、その実力は窺い知れる。まるでぽっと湧いたかのように手に入れた能力を、訓練もせずに使っているかのよう。
「能力を使うのでは無く、能力に使われている奴、って感じね。雑魚よ雑魚。エミリーが負けるような相手じゃないわ、寧ろ何で手間取ってるのよ~」
「こいつ、意外と、避けるの、だ!」
「線と点で攻めるからよ。面制圧すればいいじゃない」
キョクヤの言葉に、見えない敵を追いかける事を止めるエミリー。
やはり相手の姿は見えないが、今ではぜぇぜぇと荒い息遣いが、虚空から聞こえている。その音量は、一般人でもそこに何かが居る事が容易に分かってしまう程だ。
「しかしそれでは、死ぬ可能性が高いぞ? 十中八九アルベリオンからの刺客だろうが、確定ではない。可能ならば生け捕りたいところだ」
「それは他がやるわよ。私達の役目は違うでしょう? できるからって欲張ると、碌な事にならないわよ」
「……それもそうだな」
キョクヤに向き直り、難色を示すエミリーであるが、呆気ない程簡単に攻撃の意思を手放す。対して見えない相手は、何をとち狂ったのか……整った息を潜め、極力足音を立てない様にそろりそろりと、キョクヤの方へと向かっていた。
当然、キョクヤにはバレバレ。エミリーも、砂利を踏みしめる足音から、だいたいの位置を把握していた。
「はぁ……視界が潰れる故、あまり好きでは無いのだがな」
エミリーは溜息を吐きつつ……虚空へと腕を伸ばし、一言呟く。
「『朱乱』」
エミリーの言葉に反応し、紅い霧が吹きだすと……視界を紅が埋め尽くす。
渦巻き逆巻き、散った紅い霧が一点に集約する。眼前で球状へと形を成した紅い霧は、雷雲の轟きがごとし音を絶え間なく奏でる。
音が止み、紅い霧が晴れるとそこには、不自然に広がる砂場と、その中心に滲む湿った赤色だけが残されていた。
「……まぁ、今はこの程度が限界か」
接触したものを浸食し、切り裂く。ただそれだけの行為を、延々と繰り返す斬殺の霧。それは空気を切り裂き、地面を切り裂き、骨肉を切り裂く。後に残されるのは、切断不可能になるまで細切れにされた、残りかすだけだ。
「うわぁ……相変わらずな性能してるわね、それ。流石はあの開発課達の傑作の一つだわ」
「その代わり、気難しすぎるがな。今の私では御機嫌取りが精一杯だ」
若干引き気味なキョクヤに対し、エミリーは肩をすくめる。
エミリーからすれば、魔武器の能力に身を任せた力技だ。武器に使わされている感が否めない為、結果も合わせて使いたくない一手である。
「お~い、終わったか~?」
「……レックス、何処に行っていた」
「塔の壁に張り付いてた。いきなり花弁ばら撒いてさ、危なかったんだぞ」
「そんな軟な鱗をしていた覚えはなかったのだが?」
「いやいや、荷物をダメにしちゃ駄目だろ?」
「む」
終わったのを見計らい、レックスが皆の元に降り立つ。 エミリーが半目で睨むも、荷物を押し付けていたのは自分達なので、レックスの言い分に言葉を詰まらせる。
また、危険と判断したなら、何を言わずとも動くだろうことはエミリーも分かっているので、それ以上言及する事も無い。相手がその程度だったと言うだけの事だ。
「はぁ、まぁいい……他には居ないか? 居ないのであれば、姫様を早く安全な場所へ送りたいのだが」
「ちょっと待ってねぇ……周囲に敵影ナシ、大丈夫だって。転移先も切り替えたから、侍女も一緒に転移していいってさ」
「それは助かる」
念のため、姫と侍女はキョクヤの尾の中のまま塔へと入り、入り口を閉じる。一階は大広間となっており、床には巨大な魔方陣が薄く光を放っている。
「ふぅ……もふもふでした」
「なんか言った、姫ちゃん?」
「いえ何も……もう安全なのですか?」
室内に誰も居ない事を確認すると、キョクヤは尾を解き、四人を解放する。
キョクヤの尾から解放されたローズマリー姫は、周囲を見回し少し乱れた身形を正す。侍女たちも一斉に加わり、ローズマリー姫が裾の皺を伸ばしている間に、その他全てを整え終える。その速度と手際は、並みの戦士の動きを軽く凌駕する。
「おぉう、はっや。動き見えなかったんだけど」
「必要と言われる意味が解る、見事な手際だな」
キョクヤは引き、エミリーは感心したように相槌をうつ。
戦闘とは全く関係のないスキルが中心の為、戦闘能力はからっきしだ。反面、生活のサポート能力で、右に出る者がいないエリート達である。ある意味、他の可能性や能力の取得を捨てているとも言える。伊達で王族の専属従者など、できはしないのだ。
「さて、帰りましょうか~。はぁ、何だったんだか」
「まったくだ……ローズマリー様、上からの許可が出ました。侍女の皆様もついてきて大丈夫です。先ずはここから避難しましょう」
「まぁ! それは良かった」
共に移動できることに安堵したローズマリー姫と侍女達は、安堵したかのように一息つく。
移動先は世界樹の中とは別の場所だが、世界樹の近くの施設のどこであろうとも、ここよりも、いや、何処よりも安全だろう。
「さて、帰~りましょ、帰りましょ! 帰って皆で御飯でも食べましょ。私お腹すいちゃった」
「呑気なものだ」
「なぁなぁ、それって俺も入っても良い?」
「レックス……お前なぁ」
「ふふ、良いではありませんかウォー。皆で食事など、今しかできないでしょう?」
キョクヤの言葉で、僅かに残っていた緊張も霧散。呆れるエミリーを余所に、和気藹々と淡く光りを放つ<転移陣>の上へと立つ。
室内が強烈な閃光で満たされ、<転移陣>が起動。一行はその場を後にした。
「狙いは姫ちゃんでしょうねぇ、暗殺とは違う感じだったし、誘拐目的だったんじゃないかしら?」
「そうなのですか?」
「暗殺だったら、もっとうまい奴寄こすでしょ。能力だけ見れば、攫う方が得意そうだったし。自分の姿を消すだけなら、服とか装備とかは? って、なるでしょ? たぶん、対象にしたモノの姿を消す能力かなにかでしょうね」
「「「あぁ~」」」




