299 逃走からの闘争④
私の名はローズマリー……ローズマリー・クリア・サン・アルベリオン。アルベリオン王国第6王女。18人いる王位継承権所持者の内の末子そして、現アルベリオン王家最後の生き残りです。
もしかしたら存命の姉兄がいるやもしれませんが、私が知る限りでは一人のはずです。
私が物心つく頃には父は病に伏せており、そのお顔を見る事もなく崩御。側室であった母は、私を生んだ時に無理が祟り亡くなられたとか……それもあり、私の命は失う訳にはいかないものなのだと教わり生きてきました。
元々体が弱かった事もあり、危険だからと碌に外に出る事も無く、私にとって外とは小さな窓から覗く風景と、アルベルク様のお話だけ。
王家の末席として必要最低限の教育を受けてはいますが、その力を振るう場もなく比較する対象もいない為、私がどれ程振舞えるかも分かりません。
そんな私の世界は……狭い。
身の回りの世話をして下さいます侍女数名と、時折様子を見にお越し下さいますアルベルク様、それが私の世界の全てでした。そしてそれでも良いと思っていました。
私は、私の世界が平穏であれば、他に望むものは有りませんでした。
ですが、そうもいきません。気付いたのはいつ頃でしたでしょうか……最初の違和感はアルベルク様でした。
日に日にアルベルク様の顔に影がさし、安心させようと浮かべる笑みの奥には焦燥が募っていました。未熟な私ですら気付いたのです。努めて気付かぬように振舞いましたが、外で何か動きがあったのは明白でした。
そんな折です……私が倒れたのは。
当初はいつもの体調不良だと思い気にも留めていませんでしたが、私が思っている以上に、事態は緊迫したものだったようです。
慌ただしく動く侍女に抱えられ、その日の内に私は部屋の外へと連れ出されました。
初めて外へと出ましたが、その後の事はよく覚えていません。
気絶していたのか、眠っていただけだったのか、運ばれている内に気を失ってしまっていた様なのです。
確かに私は虚弱ですが、これ程だったのかと当初は落ち込んだものです。後の侍女の話で知った事ですが、とても虚弱では済ませられない程にひどい顔をしていたのだとか。
話を戻しまして……次に私が目を覚ました時、最初に目にしたのは知らない天井と、心配そうに私の顔を覗くアルベルク様でした。
周囲に視線を向ければ、見たことのない質素な部屋。恐らく、普段アルベルク様が御使いになるお屋敷とは別の場所でしょう。
私が目覚めたことに気が付いたアルベルク様は、真っ直ぐ私の目を見て私に語りかけます。
この国が正常に機能していない事。
王家の血筋の者が、次々と死ぬか消息を絶っている事。
そんな中、私が死ぬわけにはいかない事。
安全な場所がある事。
アルベルク様は動く訳にはいかない事。
元々、逃がすための算段は立てていた様で、それを前倒しにする形で行うとの事でした。今まで一緒に過ごした侍女も一緒であり、私を守って下さる方も沢山いるから大丈夫だと、アルベルク様は私を安心させようとして下さいますが、正直なところ、そんなモノは二の次でした。
始めから、アルベルク様の手腕を疑ってなど居りません。元から準備していたと言うのであれば尚の事です。
私が渋る理由は、私を逃がさなければならない場所にアルベルク様が留まると言う事です。
そんな私の思いを見透かしたかのように、渋る私の両手を取ったアルベルク様は、最後に私にとあるお願いをしました……助けを寄こす様にと。
……分かっております。それが私をこの場から逃がすための方便と言うモノであることを。私ができる事は、アルベリオン王家の一人として生き残り、血を絶やさない事。それが私に課せられた使命であり、アルベルク様の願い。
私にできる事と言えば、他の者たちの邪魔をしない事だけ。
……私は、無力です。
夜闇に乗じて、侍女と共に馬車に乗り込みます。体調はお世辞にも良いとは言えませんが、魔道具らしいその馬車の中は、外観からはとても想像できない程に広く、走っている事にも気付かない程に揺れがありませんでした。
馬車は揺れてお尻が痛くなると、アルベルク様が愚痴をこぼしていたのを覚えていた為、この馬車が特別なものであることは容易に想像がつきました。
馬車は休むことなく走り続け数日……気が付けば私はまた、普段使っている物と違うベッドに横になっていました。
白いシーツにはシミ一つなく、サラサラとした肌触りがなんとも心地よい。質も仕立ても、普段私が使用しているものと引けを取らない、寧ろそれ以上に上質なものでした。
道中で泊まる予定はなかったはずですし、聞き及んでいる国の現状を考えれば、捕まったとなればこの様な上等な扱いなど期待できないでしょう。であれば、自ずと答えは限られます。
身を起こして周囲の様子を窺い、近くに危険がないことを確認すると溜息をつきます。どうやら私は、何時の間にやら目的地に到着した様です。
ベッドから降り、誰か近くに居ないかと探そうとした時、はたと違和感に気付きます。
……私の体は、これほどまでに軽かったのか? と。
「ローズマリー様」
私が、私の体に困惑していると、部屋の出入り口と思われる方向から名を呼ばれました。振り向けばそこには、私の見知った顔がありました。
「……ウォー?」
「はい、エミリー・レナエ・ウォーにございます」
私の前で片膝を付き、頭を垂れたのは、既に亡くなったとばかり思っていた、エミリー・レナエ・ウォーでした。
普段の彼女からは想像できない鮮やかな紅いドレスを纏っていたため、気付くのに間が空いてしまいました。
……いえ、よく見たら胴や手足は鎧ですね。変わった格好? それとも私が知らないだけ? どちらにしても、唯の服でも防具でも無いのは明白です。
兎にも角にも、見知った者が現れた事を、素直に喜びましょう。幸いなことに、ウォーも私の事を覚えていて下さったようです。
最後に会ったのは、信頼できる者の一人として、アルベルク様が紹介してくださったとき以来だったと記憶しています。要するに、顔合わせの一度きりですね。
私の世界は狭いので、真新しい顔はすぐに覚えられますが、ウォーはよく覚えていてくれたものです。
「……挨拶、終わった?」
「あ、すまない、待たせた」
ウォーとお互いにこれまでの経緯を話していると、八本足の…………なにかがやってきました。私の乏しい知識と見識では、彼等をどう表現したらよいか分かりませんでした。魔物、で、よろしいのでしょうか? 魔物は、言語を扱えたのでしょうか? 分かりませんが、目の前に起きている事実が全てですね。
現れた魔物は、タラントというそうで、私の治療と健康管理を担当するとの事。最初は魔物が? と思いましたが、ここが何処なのかを思い出し、タダでさえ乏しい私の常識が通用する場所でない事を思い出します。
世界樹。世界の一部とまで言われる場所に、私は今いるのですね。
当初の目的地であった避難場所では無く、ここはその世界樹の中だと言うのだから驚きです。ここからでは分かりませんが、もしや世界樹とはお城よりも大きいのでしょうか? 後で聞いてみましょうか。
「……ふむふむ、取り敢えず、体内の毒は、完全に、抜けてる、ね」
「毒?」
タラントが発した言葉に、疑問がそのまま口に出て仕舞いました。私は確かに虚弱ですが、毒を盛られた覚えはありません、それは私の体調を鑑みてではなく、私の周囲を固めていた侍女が、その様な物を見逃すとは到底思えなかったからです。
そんな私の疑問に対して、タラントは丁寧に教えて下さいました。
本来、毒を摂取した場合<毒耐性>の類を取得するところですが、体に影響が出ないレベルの毒を長期に渡って取り込み続けると、その環境が通常と誤認し、あまつさえ毒による悪影響を受けていると心身が認識せず、毒に対して抵抗しようとしない……要するに、耐性を得ようと魂が反応せず、スキルを習得しない場合があるとの事。
……ここに来て初めて、私は毒殺されそうだったのだと自覚しました。それは侍女の皆も、血相を変えて行動に移す訳です。事態の重さを把握できていなかったのが私だけだったことに、惨めな気分になりましたが、タラント曰く、毒の影響で痛覚などの感覚や思考力も落ちていただろうとの事。
なるほどと思いました。ここに来てからの方が体調はいいですし、思考もなんだかスッキリしている気がするので、疑う理由はありません。胃の辺りがしくしく痛む気がしますが……逆に今まではそれに気付かなかったと言う事ですね。
取り敢えず今日は一晩様子を見て、それで問題が無ければ無事退院? との事。
本格的に動くのは、翌日からとなりました。
いつも誤字報告ありがとうございます!




