294 覚悟と信念と裏切④(扇動)
ギリギリ間に合った……ゲフ。
(いつも以上に誤字脱字が酷いと思いますが、許して?)
アルベリオン王国のとある街に影が差す。雲程に大きく、雲よりも鮮明な影に違和感を覚えた者たちに天を仰がせた。
「なんだ、あれ?」
誰かの呟きに釣られ、一人また一人と視線を上へ向ける者が増える。
逆光により何かは判然としないが、そこには街の中心を軸に旋回する巨大な何かが居た。
魔力濃度の低い人里に、強力な魔物が現れる事はほぼ無い。巨大な体躯を持つ者も同様である。その為、巨大な何かが魔物だと思い至るものは少なく、思い至ったとしても非現実的な光景に付いて行けず、草人達は唖然と見上げるだけである。
……そんな巨大な影から、小さな影が零れ落ちる。
雲を引きながら降りて来るその影は、草人達が行方を追う中、真っ直ぐ広場中央へと……衛兵が取り囲む磔台が並べられたステージへと着地する。
着地の衝撃の代わりに、突風と影が引き連れた雲が広場に吹き荒れる。
「……エミリー?」
「えぇ、久しいわねメイソン。生きているようで幸いだ」
突然空から降ってきた女性の名を、目の前で磔にされて居る男性が呟く。視界が晴れたそこには、白銀の鎧を纏い、深紅の花弁を悠然となびかせるエミリーの姿があった。
「……さて、『対象指定』『拡散』『浸透』……『切断』」
エミリーが一瞥すると、ステージ上の磔台に赤い線が走る。続けて腕を一振りすれば、磔台がバラバラに切り刻まれる。
「す~~~……ふぅ~~~……やはり、相当の精神力と魔力を持って行かれるな。いや、性能に比例して魔力消費量は破格か……やはり私には過ぎた力だな」
拘束されていた者たちが突如解放された事で、困惑に包まれる広場の中、一躍この場の主役へと躍り出たエミリーは深呼吸を一つ。振るった腕の調子を確かめる様に軽く動かし、小さく愚痴をこぼす。
そんなエミリーに向け、声を掛ける者がいた。
「エミリー、何故君がここに? その姿は? 今までどこに? 一体何があったんだい?」
「ふふ、お前は相変わらず質問が多いなメイソン。こんな時まで職業病は健在か」
彼の名はメイソン。家名がない所から分かる通り、平民の出である。
荒事とは無縁な体格と、ぼさぼさの茶色の短髪。酷使した視力を補う為に眼鏡をかけているが、特徴らしい特徴が無いいかにも一般人といった風貌の男だ。
魔術に魔装具、魔物に薬草と、学者として幅広く活動する彼は、長年のライフワークで意外と体力はある方であるが、流石に何日も磔状態で放置されて居た為、立つことすら困難な程に疲弊している。
そして何を隠そうこの男……エミリーの恋人である。エミリーがメイソンの前に着地したのもその為だ。
そんなメイソンに対し、普段であれば気恥ずかしさもありツンケンとした態度を取りがちなエミリーであるが、生きている姿を直接確認できたためか、エミリーの態度は普段よりも優しげだ。
普段であればメイソンの質問攻めに対し、エミリーの実力行使が入る所である。
「悪いが質問は後だ、メイソン。やらねばならない事もあるし、落ち着いてから説明した方がいいだろう。それと、諸君らも動くな……衛兵としての任を全うしようとする意気込みは買うが、肉塊にはなりたくないだろう?」
メイソンの問いを軽く流し、じりじりと間合いを詰め取り囲もうとしていた衛兵たちを牽制する。
「まだこれに慣れていないのだ。動かない標的ならばいざ知らず、動く諸君らの命は保証しかねる故、これ以上近付かないでいただきたい」
「!? 下がれ、下がれ!!」
勘の良い者が、足元に薄く立ち込める赤い霧に気付き、エミリーから距離を取る様に声を上げ、全員素直に距離を取る。
因みに、衛兵たちの後ろで捕らえる様に喚いている成金法衣の言葉は、満場一致で却下されている。
そもそも、真っ当なアルベリオン国民である彼等。昨今のアルベリオンに対する不信感は拭えず、疑念に塗れたエミリー達に対する処分も相まって、職務に対する本気度が著しく低下している。
仕事だから仕方がなくやっているだけ、仕事をしているポーズだけは取っておこう……彼等の心境はそんな所である。今回の任務に対して、命を張る気概も使命感もさらさら皆無だ。
数秒の沈黙が広がる中、解放された内の一人が、裏でギャーギャー喚く成金法衣を押しのけ、二人の元へ現れる。
「イーサンお父さん」
「お前にお父さんと言われる筋合いはないわぁ!!」
「はぁ、お父様……お元気そうでなによりです」
イーサン・レナエ・ウォー、エミリーの父親であり、ウォー家現当主である。
ロマンスグレーのオールバックに、目元に刻まれた皺が年齢を感じさせる壮年のナイスミドルだ。
服装は貴族が纏うモノとは思えない程に貧相なものであるが、それ故に、鍛え抜かれた無駄のない肉体を際立たせていた。
「あぁ……エミリー、生きていたか」
エミリーの両肩に手を置き、目頭に涙を滲ませるイーサン。跡取り娘が生きていたのだ、国が何と言おうと親として嬉しくない筈が無い。
だがしかし、それと共にエミリーに対する国の扱いに、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべている。
今現在、エミリーはアルベリオン王国の裏切り者として扱われているのだ。裏切り者の仲間として扱われているイーサンとあっては、立場上手放しで歓迎することはできない。
無実であろうとも、誰かの陰謀であろうとも、国に忠誠を誓っているイーサンは、エミリーを捕らえなければならない。でなければ、上に立つ者として下の者達に示しがつかないのだ。
そんな親の背を見て育ったエミリー。イーサンの反応が当然だと判断している為、別段その事に対して思う事はない。
融通の利かない堅物親子……此の親にして此の娘ありである。
「言いたいことは多々あるでしょうが、先にやらなければならない事がありますので、説明は後程、ここを離れてからにしましょう」
「なに?」
エミリーは両肩に乗せられたイーサンの手を軽く払い除けると、空間に手を突っ込み、そこから瓶を引っ張り出す。
スポン! っと、瓶の栓を引き抜くと、メイソンへ向けて中身を振りかけた。
「え? え? これは? 薬か何かかい?」
「…………ふぅ、変化なし、ね。良かった」
メイソンの様子を見て、心底安心した表情を浮かべるエミリー。対して何を掛けられたのか皆目見当のつかないメイソンは、疲労で回らない頭も相まって、眼を回している。
そんなメイソンを尻目に更に腕を振るい、囚われていた者や取り囲む衛兵に向け浴びせ掛ける。瓶の容量がそれ程ある訳ではない為、雫が掛かる程度である。が、
始めは毒かと怯んだ衛兵たちも、体調の変化がないことに互いに顔を見合わせ、首をかしげるだけで、メイソンと同様に変化はない。
「無視するな無礼者どもがぁ!」
ずっと無視し続けられていた成金法衣が、一際大きな声を上げる。
「……これは司教様、もうし―――」
「ワプ!?」
イーサンが成金法衣に向け、形式上の礼の姿勢をとるよりも前に、エミリーが新たに取り出した瓶の中を乱暴に浴びせかけた。
不意を突かれた成金法衣が、呆けた顔を晒す。
何をされたのか気付き、成金法衣の視線が反射的にエミリーへと向くと、怒りでわなわなと拳を振るわせ、血走った眼でエミリーを睨み怒号を上げた。
「な、何をするか無礼者!? 裏切り者の野蛮な売女ごときが、至高の存在であるイラ神の使者である俺に逆らうとは、びゃんぴにぱぺぺぺぺぺぺ」
自身の変化に気付いて居ないのか、怒号を上げ続ける成金法衣であるが、その変化は劇的だった。
怒りで茹で上がった赤い顔が黒く染まり、手足が気色悪い音を立てながら内側にめり込む。代わりに頭からは粘り気を纏った触手が幾本も生え、異臭を放つ白濁液を撒き散らす化け物へと変貌する。
人が悍ましい化け物へと変貌する様を目の当たりにした民衆から悲鳴が上がり、取り囲んでいた衛兵たちも、エミリーへ向けていた獲物の穂先を成金法衣だった者に向け後退る。
「皆の衆聞け! これがこいつ等の正体だ!」
恐怖と混乱が蔓延し騒然とする広場に、エミリーの声が響く。
迷宮から供給されている幾つかの魔道具の内、演説用にと渡された<拡声>の魔道具も合わさり、エミリーの良く通る声は広場全体に響き渡る。
「ゲッヒャヒャヒャヒャ!」
「む? おっと」
「え? キャーーー!?」
広場の視線を一身に集めるエミリーの隙をつき、いや、そもそも周囲の状況など判断する脳を持たない成金法衣の成れの果ては、ステージから飛び降りると、周囲の男を無視し掻き分け、視界に収めた女性に飛び掛かった。
イーサンが手近な衛兵から槍を奪い取ると、襲い掛かろうとする化け物へ向け投擲し、地面へと縫い付ける。襲われそうになった町娘は、恐怖のあまりに腰を抜かして座り込んでしまった。
「なにを取り乱している! それでも栄えあるアルベリオン王国の兵か!」
「「「は、ッハ!」」」
イーサンが放つ覇気を前に、及び腰だった衛兵たちは背筋を伸ばす。
この場を纏めていた……纏めていた? 成金法衣がこの様な事もあり、自然且つ迅速に、上の者の指示に反応して仕舞う。
調きょ……訓練の賜物である。
「この化け物の名はケルド! 人に化け、人の中に紛れ、盗み殺し犯し、化け物の子を撒き散らし汚染する、最低最悪の化け物だ!」
エミリーの言葉に思い当たる節が有るのか、広場に今までとは違うざわめきが広がる。
この化け物を撒いているのは他でもない。たった今化け物になった成金法衣が所属するイラ神聖国。その国教であるイラ教だ。
そして、イラ教を広める様に勧告を出し主導しているのは、他でもないアルベリオン王国である。その国のトップがイラ教を広めようとしていると言う事は、自ずとその答えへと辿り着く。
「既にアルベリオン王国は、乗っ取られている! 今、この国を支配下に置いて居る者は、アルベリオンの名を騙る……敵だ!」
アルベリオン王国に巣食う邪悪が暴かれた瞬間であった。
「そして奴らは、手を出してはいけない存在に手を出した! 皆は覚えているだろうか……西の山脈を越えた先、世界樹の存在を」
話が明後日の方向に飛び、エミリーの言葉に耳を傾けていた民衆は首をかしげる。
国が大々的に発表して、アルベリオン国内でも記憶に新しい出来事である。
……その後、なんの音沙汰もなく、商人や帰還した者たちから流れる噂から、あぁ、やっぱり嘘だったかと呆れかえっていた出来事である。碌な噂が立たなくなったアルベリオン国内でも、比較的真面な内容だっただけに、覚えている者も多い。
「偽物だった、そもそもなかったなど、様々な噂が立っている様だが、それは違う。世界樹は存在した! そしてアルベリオンの名を騙る者どもは、世界の怒りを買った! 森を荒らし、眷属を殺し、禁忌とされる<死毒>まで持ち出し、世界樹を殺そうとしたのだ!」
エミリーが抱く思いの籠った言葉に、息を飲む。
特に禁忌。
それこそ、所持しているだけで周辺国家から非難轟々。最悪、宣戦布告無しに侵略しようと許される。それを……所持どころか使用したなどとなれば、それだけで国としての信用はガタ落ちだ。だてに禁忌などと言われていない。
そして、民衆たちは思った、今のアルベリオンであれば、やりかねないと。
「世界樹は……我々が生きるこの世界は! アルベリオンを敵と見なした! だが安心してくれ、世界の敵はアルベリオンの名を騙る者、アルベリオン王国でも諸君らでもない! その証拠として、私は今、その世界樹の使者としてこの場に立っている」
エミリーが上空を見上げれば、民衆も釣られ視線を上げる。そこには今まで上空を旋回していた何かが、下りて来る姿があった。
ステージを踏みつぶしながら、豪快に着地したそれは、圧倒的な体躯と魔力を持って、人々の心にその存在を刻み込む。
魔力濃度の薄い場所に、巨大且つ強大な魔物は現れない。現れたとしたならばそれは、一般人にとって死を意味する。
だが、竜に敵意が無いことが幸いしたのか、恐怖よりも畏怖が先だったのか……そんな強大な魔物を前にしても民衆がパニックを起こすことなく、代わりに呆然と立ち尽くしていた。
「西へ向かえ、山脈の麓に、安全な場所がある! 命が惜しい者よ、守るべき者が居る者よ、世界の報復に巻き込まれたくなければ、生きる為に行動せよ!」
竜が纏った雲が渦巻き、囚われていた者たちを全てのみ込むと、その場に在ったモノを根こそぎ掻っ攫ったかのように、民衆の前から消え去る。
「これは最初で最後の、世界からの避難勧告だ!」
その言葉を最後にエミリーが竜の背に飛び乗ると、天へと昇ってその場から立ち去った。




