第121話 なんじゃこりゃあああ!
ジークリットはメイドである。
使用人であり、その能力は家事にすべて割り振られている。
もちろん、戦闘なんて必修能力ではない。
それでも、ある程度主人を守ることができるように、護身術程度のことは習得している。
それだけでも、ジークリットはかなり優秀な使用人ということができるだろう。
とはいえ、その程度では暗黒騎士に勝つことはできない。
戦闘の才能があり、ほぼ毎日鍛え上げてきてもなお、彼には届かないのである。
暗黒騎士の力は、そういった次元にある。
多少護身術ができる程度のジークリットに、彼を倒すことはできない。
ゆえに、あの不意打ちの奇襲。
その一撃が防がれてしまった時点で、彼女に勝ち目はないのだ。
使用人の能力として、足音を立てずに移動し、主人の邪魔をしないように気配を消すという副産物的なものを使用したのだが、それでも届かない。
暗黒騎士の中身は普通に騙せていたが、自分の危機関連に関しては恐ろしいまでに察しのいいフラウを騙すことはできなかった。
「きゃっ!?」
それゆえに、ジークリットが暗黒騎士に地面に抑え込まれてしまうのは、当然の帰結と言えた。
小剣は、すでに粉々に破壊されている。
攻撃的な魔法を使うこともできないジークリットは、もはやどうすることもできなかった。
完敗である。
「ふっ、これが私の力だ」
【お前何もしていないだろ】
どや顔を披露するフラウが、ジークリットの顔を覗き込む。
もう自分の命が脅かされないと分かったとたんにこの顔である。
暗黒騎士の背中に隠れていたくせに、今では呑気に顔を覗かせている。
「で、理由はなんだ? お前が私を裏切るなんて、よっぽどのことだろう。どういう理由がある?」
フラウはそう問いかける。
自分の命が狙われたのに、これほど寛容な態度をとる彼女に、暗黒騎士は兜の中で露骨に顔を引きつらせる。
普段の彼女ならば、罵詈雑言を吐いて止めを刺そうとする……いや、刺させようとするはずである。
本当にジークリットのことを大切に思っているのか、はたまた暗黒騎士がいるからとりあえず大丈夫と判断しているのか……。
ちなみに、何かの間違いでジークリットが起き上がって攻撃してきた場合、暗黒騎士は避けて背後に隠れるフラウを矢面に立たせるつもりである。
「わ、私は、ただ報酬に目がくらんであなたを……」
「そんなつまらない女じゃないだろ。私じゃあるまいし」
【お前は報酬に目がくらんだら人を殺すのか……】
堂々とクズい発言をするフラウに、暗黒騎士が引く。
暗黒騎士は殺しまではしないが、それに近しいことくらいならする。
ただし、絶対に自分がやったとばれないように、周到に準備と根回しをしてからだが。
こっちの方がたちが悪かった。
「……家族が、捕まっているんです」
ポツリとジークリットが言葉を漏らす。
それを皮切りに、ぽろぽろと言葉がこぼれる。
目からは涙も同様に。
「フラウ様を殺さなければ、家族を殺すと……。そう言われて、私は……!」
「なんかよくあるやつだなあ……」
【(こいつ、被害者の前でよくもまあそんな感想を言えるな)】
ジークリットの言葉を聞いての感想がそれである。
人質を取って思うままに他人を動かすというのはよくある話ではあるのだが……。
「安心しろ。私の手下が、すべてを解決してくれる。だから、私の傍を離れるな。誰が私の世話をするんだ」
「フラウ様……」
潤んだ瞳をフラウに向けるジークリット。
感動的な場面だ。
ただし、フラウの言動の一部分は聞こえないことにしなければならない。
すべてを聞いていた暗黒騎士は、白い眼を向けている。
「それで、お前を脅した奴は誰だ? 近づかないから教えておいてくれ」
嘘でも、何とかするから教えてくれというべきである。
しかし、ジークリットは口を開こうとして……。
「そ、その人の名前は、ア――――――」
鮮血が舞った。
◆
血が噴き出す。
それは、俺でも、残念ながらフラウでもない。
誰かの名前を言おうとしていた、ジークリットの身体からである。
【うおおおおおおっ!?】
「ぬああああっ!?」
俺とフラウが悲鳴を上げる。
俺の場合は、全身が鎧で覆われているということと、隙間であるはずの目元もなんか通らなかったらしく、血が付着することはなかった。
しかし、ジークリットを覗き込んでいたフラウは、まともに血液を顔に浴びていた。
(笑)。
「い、いきなり身体が血が!? どうなっているんだ!?」
激しく狼狽するフラウ。
俺も内心では案外冷静に考えられているが、それでも驚きがないと言えば嘘である。
なにせ、人の身体からいきなり血が噴き出してきたのだ。
ビビる。超ビビる。
俺とフラウは何もしていないから、ジークリットが何かを仕込んできたと考えるのが自然だろう。
それにしては、訳の分からない仕込みだが。
【自爆か? お前、がっつり狙われているな。たぶん、脅迫だけじゃなくて私怨も混じっているぞ】
「マジか……。暗黒騎士、キュッてした方がいいかな?」
言い方。
しかし、お前……あんな感動的なことを言っていたくせに、即座に言動を翻すのは止めろ。
あと、それも俺にやらせるつもりだな。
絶対にやらねえからな。
「ち、ちが……私は、こんなこと……ごふっ!」
何かを訴えようとするも、ジークリットは吐血してうまく話すことができていない。
というか、これ本格的にやばいだろ。
「うおおおおおっ!? あ、暗黒騎士ぃ! どうする、どうすればいい!? これはマズイぞ!」
【おおおおお落ち着け。まだ慌てるような時間じゃない】
「慌てないと死ぬぞこいつ!」
俺とフラウはただ慌てるしかできない。
人を救うということの経験値の薄さが原因である。
しかも、いきなり身体から血が噴き出して倒れるというとんでもない展開なのだから、うろたえるのも当然だろう。
俺たちは何をするべきか……。
【とりあえず、病院だろ。俺たちじゃあ、どうしようもできん】
この鎧さんも、人を殺すことはできても、救う力はないだろう。
病院に行けば、何か不思議な魔法で治してくれるのではないだろうか?
正直知らないが、何もしないよりはマシだろう。
……あれ?
そもそも、どうして俺はこのメイドを助ける前提に動こうとしているのだろうか?
別に逃げても……。
いや、そうしたら、間違いなく俺のせいにされる。
人間の国に単身で乗り込んできた魔王軍最強の暗黒騎士、王女殿下の使用人を殺害して逃走。
そんな知らせが王国中に飛び回り、いずれは魔族のところにも届いてしまうだろう。
それは困る。
いわれのないことを吹聴されるのは、イライラする。
「確かに。じゃあ、運んでくれ」
【ええ……血が付くし……】
「気にするな。その鎧は、すでに返り血でビチョビチョだ」
【ちゃんと洗ってるわ!】
あと、俺がやったんじゃないから!
全部鎧さんだから!
俺の手はきれいなままだ!
「じゃあ、はや、く……」
【……おい?】
ジークリットを担ごうとしていたら、フラウの様子がおかしいことに気づく。
言葉がとぎれとぎれである。
振り返れば、顔を真っ赤にしているフラウ。
それだけだったら、何かからかいの言葉を俺もかけていただろう。
だが、ボタボタと、目と鼻から血を流している彼女を見て、言葉が出てくることはなかった。
「えーと……なに、これ?」
自分でも何が起きているのか分からないという様子のフラウ。
そして、彼女はそのまま倒れ込み……そうになったところで、思わず抱き留めてしまう。
なんじゃこりゃあああああああ!!




