(和やかでいいことだ)
王の代替わりから二年。貴族やそれに準ずる者は慌ただしく過ごしている。新たに王となった者は若く、次期王に指名されたのも王になる少し前だ。
それまで見向きもしていなかった者が次期王になるとわかったときもそうだが、実際に王になった後もどうにか顔を覚えてもらおうと躍起になっていた。
だが市井に暮らす民としては、王が変わろうと生活に劇的な変化はない。
なんらかの政策が進めば影響は出るかもしれないが、王が変わったばかりで革新的な政策が行われることはそうないため、これまでと変わらない生活を送っている。
戴冠式で王の姿を一目見ようと王城にまで足を運んだ者はいるが、そんなものは生活に余裕のあるひと握りか、王都に居住を構えている者だけだ。
王都から遠い地では王の顔を知らない者も多い。
王都と他の町を繋ぐ交易地と栄えている町でも、王の顔を知る者が半分もいればよいほうだろう。
そのくらい、民と貴族では王に対する意識が違った。
「生活が悪くならなきゃそれでよし。良くなるならもっとよし」
それが大抵の民の考えだ。
「ねえ、私のおしろい知らないかしら。見当たらないのよねぇ」
「小物入れにでも入れて忘れてるんじゃないの? あなたってそういうところあるし」
「それよりも、今日は湿気が多いから髪を整えるの手伝ってくれない?」
姦しく騒ぐ女性たちが集う場でも、王のことは話題に上らない。彼女たちはその日を生きるために必死で、王かどうとか貴族かどうとかを気にするほどの余裕はない。
「お客さんとして来るなら別だけど、お貴族さまなんてもっといいとこ使うし」
というのが、ここで働く女性の意見だ。
貴族とも王族とも無縁なここ――娼館は今日も慌ただしく開店の準備をしている。
(和やかでいいことだ)
そんな彼女たちの世話をしながら、アルミラはのんびりとそんなことを考えた。
アルミラがここで働きはじめたのは今から二年ほど前。他国に亡命するための伝手は別の者に譲ってしまったため、どうしたものかと悩んだ末、ここで働くことを選んだ。
交易で栄えているだけあって人の流れが多く、商人や護衛として雇われた傭兵を対象としたこの娼館もそこそこ客がいる。
だが貴族と繋がりがある商人は高級娼館を利用するため、下級よりの中級娼館に足を運ぶのは稀だ。
下働きとして人を雇う余裕があり、貴族との縁が薄い場所としてアルミラはこの娼館の戸を叩いた。
娼婦として働く気はなかったので、下働きを希望したところ難色を示されたため、用心棒をのした結果、用心棒兼下働きとして雇うことを了承してもらえた。
この娼館を仕切っている婦人の顔が引きつっていたのはきっと気のせいだろう。
「ねえ、ミラ。この色どう思う? 少し濃すぎないかしら」
「いいえ。お似合いですよ」
アルミラはここではミラと呼ばれている。
突然やってきた素性不明のアルミラに、彼女たちはよくしてくれた。前の用心棒の評判があまりよくなかったからだろう。
好色な目で見られ、金払えよと思っていたらしい。
それでもなにも言わず見られるがままにしていたのは、用心棒がいなくては不安だからだ。支払える給金内で一番腕の立つ男だったそうで、目つきが気に食わないという理由だけでは解雇できなかった。
そういった事情があるからこそ、いやらしい目で見てくることのない用心棒で、なおかつ女性ということもあり、アルミラに対しての待遇はよかった。
「ミラもお店に出てみない? それなりに売れると思うわよぉ」
たまにこうして誘ってくるのだけは困りものだったが。
(世の中には女性らしくない体つきを好む者もいるそうだな)
娼館で働くようになってから得た知識の一つだ。
貴族の場合、女性は守るものとして認識されているため、小さく可愛らしい――レイシアのような女性が好まれる。
だが世間は広く、特殊な趣味を持つ者も多い。女性らしくない、というのは特殊とまではいかないが、貴族令嬢として育ったアルミラとしては特殊な部類に入る。
(ミハイル殿下も特殊な趣味の持ち主だったんだろうな)
自分に好意を寄せてきた稀有な存在を思い出し、一人納得する。
「ねえ、ちょっと疲れちゃったから肩もんでくれる?」
「いいですよ」
開店準備も後少しで終わるというところで、妙齢の女性に声をかけられる。培ってきた腕前を披露したところ、こうしてお願いされることが増えた。
レオンと違いお礼を言うので、アルミラも快く受けている。
「今日は昨日みたいな人が来ないといいけど」
憂鬱そうな顔で愚痴をいう女性に、アルミラは首を傾げた。肩を揉む手を止めることなく「なにかありましたか?」と問いかける。
「昨日ね、とっても失礼な人が来たのよ。顔はすごくよかったけど、娼館に来ておいてすっごく不満そうなの。こわーい顔しちゃって、近づこうとしたら汚らわしいとまで言うんだから……じゃあなにしに来たんだって話よね!」
喋っているうちに昂ってしまったのだろう。最後は声を荒げて苛々と地団駄を踏んでいる。
アルミラはそれをなだめながら、首元に剣を突きつけられたようなひやりとした、嫌な予感に襲われた。
そういった嫌な予感はよく当たるもので、それから一刻もせずアルミラに娼館を仕切っている婦人から声をかけられる。
「あなた、どんな訳ありなの? 偉そうな人が会いたいって言ってきてるわよ」
自主的に娼館で働く者は大抵なにかしらの事情を持っている。そのため、この娼館では、それぞれの事情には触れないことが暗黙の了解になっていた。
アルミラもこれまでなにをしていたのかを聞かれたことはない。今を除いて。
「……追い返していただくことは、できませんよね」
「貴族の後ろ盾とかあったらできたかもしれないけど……うちじゃあねぇ」
上客はそれなりに稼いでいる商人止まりな娼館では、偉い人が来ても追い返すことはできない。そう暗に言われ、アルミラはしかたなく溜息を零した。
「一番いい部屋に案内してあるから、頑張るのよ。無体なことされそうになったら遠慮なく倒しちゃいなさい。うちとは無関係な賊が押し入ったことにするから安心してね」
情が深いのか浅いのかよくわからない婦人に送り出され、アルミラはこの娼館では上等な部類に入る調度品と香が用意されている部屋の扉を叩いた。
それから、すぐに思い直して扉を開ける。
一番いい部屋と呼ばれているのは、調度品だけが理由ではない。声が外に漏れないように――人に聞かせたくない行為をしたい場合に利用できる、防音の優れた部屋だったことを思い出したからだ。
そうして開けた先にいた人物に、アルミラの顔が引きつった。
「……どうしてあなたがこちらに?」
「君に会うために」
色々と怪しい雰囲気を醸し出している部屋に所在なさげな表情をしていたミハイルだったが、アルミラの姿を認めると柔らかく微笑んだ。
今回からエピローグに入ります。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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