ケチャップ先輩、誕生の瞬間
ホワイトデーの翌日、3月15日。
教室には春の空気が漂い始めていたが、文化部の部室はどこか妙に静かだった。
部屋の扉を開けた伊勢野真平は、警戒するように一歩引いた。
「……なんか嫌な予感がする……」
そのときだった。
「じゃじゃーん! 真平、お誕生日おめでとう!!」
満面の笑みで飛び出してきたのは、いつものごとく絶好調の吉峰琴美。
ちゃぶ台の上には、生クリームたっぷりのホールケーキが鎮座していた。
中央にはチョコプレートが載っている。
“Happy Birthday SHINPEI”
「……え、マジで?ちゃんと祝ってくれるの?」
驚く真平に、琴美はドヤ顔で胸を張った。
「当たり前でしょ! 文化部は仲間の節目を全力で祝うのよ!」
「えへへ~、ケーキ、わたしが焼きましたぁ~」
花村美優がふわっと微笑む。
「トッピングは僕が昭和の参考資料から研究しました」
加藤勇馬はどこか得意げだ。
沙羅は少し引きつった笑みを浮かべながら、真平に言った。
「さ、せっかくだから……もうちょっと近くで見てみなさいよ」
「えっ、なんでそんな圧……って、ちょ、近い近い――」
「パォ!!」
王小梅の声が響き、背後から強烈なプッシュ。
――ズドン。
真平の顔は、見事にホールケーキの中心へと沈んだ。
「大成功ーーー!!」
「……昭和式“祝砲”ケーキダイブ、再現度高かったわね」
「真っ白な真平さん、かわいいです~」
「おめでとうアル! 甘さは顔から染み込むがよし!」
勇馬はそっとタオルを差し出しながら、ぽつりとつぶやく。
「……これも文化のひとつ、ってことで」
真平はというと、甘い香りとスポンジにまみれながら、呻くように言った。
「……俺、なんか……嫌な予感してたんだよな……」
鼻の奥に生クリーム、耳の中にもスポンジの感触。
そんな状態の彼に、さらなる悪夢が迫っていた。
「さぁて、トドメよ!」
琴美の手には、いつの間にか業務用サイズのケチャップボトル。
何の迷いもなく、ボトルは逆さにされた。
――ドバァァァァ。
ケチャップが真平の頭上に降り注ぐ。
赤い液体が髪をつたい、ぽたぽたと制服を染めていく。
「……ちょ、琴美? おい、それ……」
「こうよぉぉおおおっ!!!」
「……あぁっ!? なんてこと!? 誰かに殴られたみたいになってるじゃない!?」
沙羅がひとつため息をついた。
「これはもう、いよいよ救急車案件だわ」
「パォッ!! 文化部、負傷者一名発生アル!」
「違う、これは事故じゃない。……文化的犯罪だ……!」
真平は顔面ケーキ、頭部ケチャップという“複合被害者”としてよろよろと立ち上がった。
ぽたぽたと赤い液体を垂らしながら、唇をわずかに歪める。
「……お前、ホントいいかげんにしろよ……」
その姿はもはや、祝われた男子高校生ではなかった。
――完全に、“事件の被害者”だった。
そのときだった。
部室の扉が、静かに開いた。
「こんにちは。文化部の皆さん、今日はお邪魔――」
現れたのは、かつての生徒会長、大野博美。
一歩、踏み出したその瞬間。
彼女の目に飛び込んできたのは――
顔からケーキ、頭からケチャップが滴る男子生徒の姿。
「……っ!!」
博美は即座にスマートフォンを取り出し、冷静に、しかし迅速に通報を始めた。
「はい。那須塩原学園内で、負傷者と思われる男子生徒を発見しました。
頭部からの出血を確認。加害者は……」
ふと、後ろを見る。
そこには、
ちゃぶ台。
ケーキ。
タッパー。
空のケチャップボトル。
――そして、誰もいなかった。
「これは…僕の関わったレシピじゃありませんからッ!!」
勇馬が姿を消し、
「文化部員に、発言の自由と逃走権を」
沙羅が窓から去り、
「真平さん、頑張ってください~♪」
美優はケーキ皿を持ったまま笑顔で走り去る。
「文化部、解散アル!!」
シャオは煙玉を残して退場。
「これは事故よ!文化の暴走じゃないの!!」
琴美はちゃぶ台ごと撤収。
――残されたのは、真平ただ一人。
その場に、ロングヘアを揺らしながら歩み寄ってくる人物がいた。
「……まったく、あなたたちは……」
それは、顧問教師・織田市子だった。
紅茶の香りが漂う静かな室内で、市子先生はおしぼりを差し出しながら、淡々と口を開いた。
「真平くん……これは文化活動と呼んでいいものかしら?」
「……誕生日だっただけなんです、僕」
「それで顔にケーキ、頭にケチャップ?」
「……はい」
「……で、ひとり残されて?」
「……はい」
市子は紅茶を注ぎながら、ゆっくりと微笑んだ。
「……文化部らしいわね」
こうして真平のホワイトデー&バースデーリベンジ作戦は、
文化部による最大級の“返り討ち”で幕を閉じた。
通報騒ぎは、博美先輩の機転によって「文化部特有の誤解」として処理されたが、
その後しばらく、彼は那須塩原学園内でこう呼ばれることになる。
“ケチャップ先輩”
――この名は、文化部の伝説として語り継がれていくのであった。




