黄金比と油膜の彼方に
昼休み、部室にて。
「……すき焼き、きりたんぽと来て、次は魚の鍋が食いたいな」
真平がストーブ前でぼそっと呟いた。
「えっ、魚?」琴美が眉を上げる。
「うちじゃ冬はずっと肉鍋だったから、ああいうの食うと無性に“ぶり大根”とか“あら汁”的なもの欲しくなるんだよな……」
「それ鍋じゃなくて煮物寄りになってない……?」沙羅がつっこむ。
すると、勇馬が静かに口を開いた。
「魚メインなら、普通に寄せ鍋だな。鱈や鮭、ホタテも合う」
「パォ? ホタテ!? 贅沢な……!」
「でもマイナー路線なら、石狩鍋とかある」
「いしかり……なべ?」シャオが首を傾げる。
「石狩鍋ってなんですか~?」
「パォ、知らない名前です……」
「北海道の鍋。鮭を味噌ベースの出汁で煮て、キャベツ、じゃがいも、長ねぎ、豆腐、そして……バター」
勇馬がスマホも見ずに説明する。
「バター!?!?鍋に!?」
「鮭と味噌とバター……北海道の三種の神器」
「今、ちょっと魅力的に聞こえた!」琴美がぐらり。
「日本の地方鍋って面白いですねぇ~」美優がほんわか笑顔。
「パォ……台湾だと、魚の鍋っていったら“酸菜魚”とか“魚頭火鍋”……辛いのもあるよ?」
シャオが自分のスマホで写真を見せる。
「うわ、めっちゃ赤い!」
「それ、文化部が食べたら誰か脱落するやつだ……」真平が引きつる。
「じゃあさ、今回のテーマは“魚”で決まりとして――」
「寄せ鍋派? 石狩鍋派?」
琴美がホワイトボードにまた線を引き始める。
「魚初心者には寄せ鍋、でも文化部っぽいのは石狩鍋」
「野菜いっぱい取れるのもポイント高いですよねぇ~」美優
「パォ~……私は石狩鍋、試してみたいです!」シャオの瞳がキラキラと輝く。
「石狩鍋でいいと思う。いつか“魚で勝負”しようって思ってたし」
勇馬がぽつりとつぶやく。
「なにその“隠し玉ついに解禁”みたいな言い方……」真平が苦笑い。
「よし、じゃあ次回は石狩鍋チャレンジ!」
「ただし、バターは絶対忘れるなよ!」
「あと、あらかじめ部室の換気はしておこうね……」
「パォ……“さけの香り充満事件”にならないように……」
「じゃあキャベツと味噌はうちに任せて!」琴美が笑顔。
「……僕が鮭、捌いてきます」勇馬の言葉に、一同が一瞬静まり返った。
「えっ、捌けるの!?」
「祖父が釣り師だったから……」
「勇馬、ほんとに何者……」
「パォ……料理人のオーラです……」
部室の隅。
まな板、包丁、そして――ドン、と置かれた鮭一尾。
「……え、本当に捌くの?」
琴美が少し引き気味に問う。
「捌く」
勇馬は短く答えると、すっと割烹着を羽織った。
「似合うな!?」
「パォ! なんか武者の出陣前みたいです!」
「しかも手際が職人級……」真平が感心して見つめる中、
シュッ、シュッ……
勇馬の包丁が鮭を滑るようにさばいていく。骨も内臓もきっちり処理。
「見てください、皮もきれいに剥がれてる~!」美優が拍手。
「ついでに骨抜きもしておく」
「ついでのレベルじゃない!」琴美が崩れ落ちる。
一方、野菜班では……
「キャベツはざく切り!長ネギは斜めに薄く!」
「はいはーい!じゃがいもは輪切り~♪」美優がほわほわ調理中。
「バターって、どれくらい入れるの?」シャオがバターの箱を手にする。
「そりゃあもう、北海道魂でドンと!」琴美が勢いよくバターを三かけ投入。
「ちょ、入れすぎじゃ――」真平が止めようとしたが間に合わず、
ぐつぐつ鍋の表面に、あやしげな黄金の光沢が……。
「こ、これは……」
「パォ……なんか鍋というより、スープカレー油田……?」
「ま、まあ味見してみようよ!絶対美味しいから!ねっ?」琴美が笑顔で押し切る。
「鮭、投入」
勇馬が切り身を丁寧に並べ入れた瞬間、
ぶわぁぁっっ……!
石狩鍋特有の、鮭+味噌+バターの暴力的な香りが部室を包んだ。
「うおっ、すごい匂い!?」
「パ、パォ!? 北海道が来た!? 部室に直送!?」
「ちょっと、これ先生来たら絶対怒られるやつでは……」沙羅が窓を全開。
「大丈夫、匂いの強さはうまさの強さってばっちゃが言ってた!」琴美が謎理論を展開。
「……うまい」
勇馬が一口食べて、静かに呟いた。
「本当だ、バターと味噌が合う……!鮭もほろっほろ~!」美優がとろける。
「じゃがいも、いい味出してるな」真平が満足そう。
「……あ、キャベツ溶けてる」
「パォ!?溶けた!?鍋にキャベツ消えた!?」
「いや、味に溶け込んでるって意味で……」琴美がなだめる。
「これは……文化部史上、一番“味の深さ”があるかもしれないな……」沙羅がしみじみ。
「……ところで琴美。さっき“バター三かけ”って言ってたけど……」
「うん?」
「……バター一かけ=10gなんだけど、君が入れたの、業務用の“100gブロック”だったよね?」
「えっ」
「てことは……300g!?」
「パォーーー!?」
「1鍋あたりの脂質、限界突破!!」真平が叫ぶ。
「……なんか鍋の表面に、油膜張ってきてる……」沙羅が冷静に観察。
「でもうまいですね」
勇馬が追いバターしようとして、全員に止められた。
「結論:石狩鍋は、うまいけどバターは計量しよう」
「文化部の教訓増えたねぇ……」
「パォ……次は“ヘルシー鍋”がいいかもです……」
「じゃあ次は、“豆乳鍋”で女子力回復を目指すわよっ!」
「いや、それ“女子力の押し売り”だろ……」真平がぼやいた。




