私には趣味友がいない
幼いころから見た目に似合わずお転婆で、周囲をしょっちゅうヒヤヒヤさせてきた。父親が屋敷の庭に白いブランコを作っても、見向きもせず木登りばかり。
ある日、サルスベリの幹に足をかけたところで、母親の鋭い声が飛んだ。
「またそんなことして!」
けれど、きょとんとした顔で答えた。
「猿より木登りうまいから平気よ」
大人たちは、何も言い返せなかった。
――そんな吉峰琴美も、高等学校に入って十か月が過ぎるころには、分別というものをわきまえ、女子高生らしく振る舞う術を手に入れていた。…少なくとも、外側は。
ただ、彼女の“特異な趣味”を共有できる友達はできず、どこかもどかしい日々を送っていた。
その日の掃除当番、伊勢野真平はゴミ捨てを終え、空にしたゴミ箱を押しながら教室へ急いでいた。焼却炉から教室までは距離がある。日はすでに傾き、長い影とオレンジの残光だけが廊下に伸びている。人の気配はない。
……と思ったが、教室には灯りがともっていた。扉を開けると、女子生徒がひとり。掃除当番が一緒だった、吉峰琴美だ。彼女は机に寄りかかり、スマートフォンの画面を覗き込んでいる。
長く赤い髪は特別手をかけているようには見えないのに、自然とまとまっている。うなじは白く、目尻から目頭まで真っすぐ切れ込む大きな目はビスタチオ色にも見えた。鼻筋はすっと通り、小さな顔に全てがバランスよく収まっている。細いのに主張のある胸元まで含め、漫画雑誌の巻頭グラビアにそのまま出られそうだ――と、真平は見てしまってから慌てて視線を逸らした。
彼女はクラス委員で成績優秀、スポーツもできて、性格は優しい。真平の中の“吉峰琴美”は、だいたいそういうタグで整理されていた。
「吉峰さん、ゴミ捨ててきたよ」
とりあえず報告すると、
「はーい、おつかれー」
と、いつもの柔らかい声が返ってくる。
ゴミ箱を定位置に戻し、カバンを手に取って「じゃあ、また月曜」と言いかけた瞬間――琴美のスマホが軽快な着信音を鳴らした。教室に響くそのフレーズに、真平の口が勝手に動く。
「それって、古いアーケードゲームだよね」
琴美の表情が、ぱちんと切り替わった。穏やかさが一瞬で驚きに変わり、次の刹那には、堰を切ったようにレトロゲーム談義が始まる。基板はどうだ、移植で処理落ちがどうだ、当時の開発者インタビューでは――と、熱量がすごい。真平は「あ、やばいスイッチ押した」と内心ひやりとする。
一息ついたかと思えば、琴美は突然言った。
「というわけで真平! 明日、家に遊びにおいでよ」
(いきなり呼び捨て? ていうか、なんで吉峰さんちに?)と真平は固まる。彼の困惑を無視して、琴美は上機嫌で続けた。
「いやだからね、明日家に遊びにきなって、私が言ってんのよ」
「あ、そうだ。私のことも下の名前で呼び捨てにしてよ」
キュートな笑顔。
真平は「はい……」とだけ返し、そそくさと教室を出ようとする。
その瞬間、琴美の表情がさっと曇った。彼女は足早に近づいてくると、真平を壁際に追い込み、左腕で――壁ドン。逃走経路を塞いだ。
(あっ、女の子に壁ドンされてる)と、真平は現状認識だけは冷静だったが、目の前の琴美は明らかにイラついている。
「モニターから抜け出てきたような美少女の自宅に呼ばれるなんて、好感度MAXで三年目じゃないと起きない激レアイベントよ!」
(うわー、自分で美少女って言っちゃったよ)と顔に出たらしい。琴美は顔を真っ赤にして叫ぶ。
「そういう目で人を見るんじゃありません!」
数秒前の自分の発言を、本人がいちばん恥じているようだった。
「……吉峰さんの家の場所も知らないし」と真平が言いかけると、琴美はぐいと詰め寄り、
「だから、私のことも下の名前で呼んでよ」
「……ごめんなさい、覚えていません」
「信じられない! バカじゃないの!! もう一月よ!!!」
琴美は激怒し、遠慮なく真平を責め立てた。
そして、ふんっと胸を張って言い切る。
「じゃあ明日、家に遊びに来ること。いいわね」
「はい……あの、場所なんですが……」
完全に敬語になっている自分に気づきながら、真平は屈服した。
このあと二人はアドレスを交換し、ようやく解放される。外はすっかり暮れていた。
校門を出てから届いた“琴美”からのメッセージは、句読点多めで、やたら楽しそうだった。
真平はため息をひとつついて、思う。
――俺の週末、何が起こるんだ。




