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みにくいおひめさま  作者: れんじょう
番外編『さくらのはなのちるころに』
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第六話 侍女の願い 王女の願い

 

 乳母がツァーレンの元を去ってから、ツァーレンは塞ぎがちになりました。

 あれほど意欲に燃えていた勉強も身が入らずに教師陣を落胆させ、ダンスも、喜びを見つけた音楽すら手に付かなくなっていました。


 「ねえ、おしえて。うばやはどうしてるの?げんきなの?」


 口を開けば瞳を潤ませて乳母のことばかりを尋ねます。

 それはまるで母親をなくした子供のようでした。

 ツァーレンの母親代わりをずっと勤めてきた乳母でしたから、血のつながりがないだけで精神的には繋がっていたのでしょう。

 まだ七歳という年齢であれば無償の愛情は必要ですが、それは親から与えられるべきであり、その親からの愛情が叶わなければ他者に向くのは当然です。

 乳母も我が子に向けるべき愛情が子供を亡くしたことによりツァーレンに向いていたのも事実です。

 けれどもそれは、主従契約によって成り立つものだということを、有限のものであることを忘れていたのです。

 いつかは城を去らなければならない身の上で、無償の愛情をいくら与えても、有限のものでしかないのです。

 侍女であるゼリーシアは、自分がツァーレンに無償の愛情を与え続けることができないということを知っていました。

 乳母は正しく乳母であるべきでした。

 ゼリーシアも正しく侍女であるべきなのです。

 幼いツァーレンには酷だとは思いましたが、主従関係であることは大前提なのです。

 ですからゼリーシアはツァーレンが彼女の名を呼ぶことを嫌いました。そしてどんなにせがまれてもツァーレンを敬称で呼びました。

 この時もゼリーシアは名を呼びませんでした。それがたとえツァーレンに取ってどんなに冷たく聞こえるのだとしても。


 「ひめさま。城から下がった彼女がいまどうなのか知ることができません。けれども彼女でしたら、今のひめさまを見てきっと嘆きます。どうされたのですか、と。お食事もほとんど召し上がらなくてお痩せになられた今のひめさまを見るときっと心配するでしょう。ですから、ひめさまは彼女が心配しないように、城の外で元気に暮らしていけるように、きちんとしなければいけません」


 ゼリーシアも人の子。ツァーレンの身の上が気の毒で仕方がありません。

 けれど気の毒で可愛そうだからとそれ以上心痛まないように可愛がっていても、それは甘やかしであって彼女のためにならないとゼリーシアは思いました。

 ゼリーシアはツァーレンのためにきちんとした線を引き、ツァーレンがいつか心強くなるための努力を惜しみませんでした。

 

 「わたくしがきちんとべんきょうしたりしょくじをとれば、うばやはしんぱいしないかしら」


 ゼリーシアの意図をくみ取ったのか、ツァーレンは健気にも潤ませた目を何度かしばたたかせてゼリーシアに請いました。


 「そうですね。ひめさまがきちんとなさっているのなら、乳母は安心するに間違いないと思います」

 「ほんとうに?ほんとうなの?」

 「間違いはないです」


 何度も尋ねるツァーレンを、ゼリーシアは根気よく答え続けました。

 するとやっと納得したのか、ゼリーシアに向かってにっこりとほほ笑むと、テーブルの上に積まれていた本を手にとって表紙を開いて読み始めました。

 被ることを強要された帽子と布が邪魔をしてとても読みにくそうにしていましたが、それでもいったん気持ちが入るとその煩わしい布も気にならなくなったようで、次々に頁をめくり読みふけっています。

 ゼシーリアはそんなツァーレンにお茶を淹れようと、そっと席を立ちました。


 ―――――強くなってください。ツァーレンさま


 王には見捨てられ、血のつながらないお妃さまはツァーレンを疎んじています。

 後ろ盾も何もない王女であるツァーレンに、この王城の中では誰一人味方はいませんでした。

 ゼシーリアは、素直で優しいツァーレンが折れないように心を配ろうと自分に誓いました。



 ***



 ツァーレンは人差し指と親指で、元が何の羽根かわからなくなった芯をくるくるとまわしていました。

 とても大切な思い出があったはずの羽根なのですが、長い年月の間に大切であったことは覚えていても何が大切であったのか、どうしてこの羽根がツァーレンの手元にあるのか、分からなくなっていました。


 「まあ、ひめさま。まだその羽根をお持ちでしたのね」


 ゼリーシアが懐かしそうにその芯を見ていました。

 ということは、この羽根はゼリーシアがツァーレン付きになってから手に入ったものなのでしょう。

 くるくると回す指を止めて、ツァーレンはゼリーシアに向き合いました。


 「ええ、というよりも本当はこの本の間に挟まっていたの」


 ツァーレンがテーブルの上から取り上げた本は、ツァーレンが乳母のことで泣かなくなった日に読み始めた本でした。


 「懐かしい本ですわ。その本を読まれたころのひめさまは本当に素直で可愛らしかったですわ」

 「まあ、それでは今のわたくしは素直で可愛らしくないということかしら」

 「そんな風に聞こえましたか?それは申し訳ございません。もちろん気のせいですわ」


 もちろん気のせいでないと匂わせて、ゼリーシアはくすりと笑いました。


 あれから七年。

 ツァーレンは十四歳になり、本来でしたら来年には社交界デビューをする年齢になりました。

 けれども隠された王女であるツァーレンにそれは起こり得ないでしょう。

 肌の状態は安定せず、調子のよい時は亡きお妃さまそっくりの美しい風貌になり、悪い時は痛々しくて目をそむけたくなるほどになりますが、その宿る精神はとても美しく、ゼリーシア自慢の王女に育ちました。

 ときどき、忘れたようにお妃さまがやってきますが、相変わらず酷い言葉をツァーレンに投げかけて、来た時と同じようにいきなり帰りました。

 王さまがこの部屋にやってくることはありません。

 教師と御典医、そして侍女であるゼリーシアがツァーレンの世界でした。

 ツァーレンはきっと命が尽きるまで、この世界から出ることはないと考えていました。

 部屋の扉がツァーレンのために開かれるのは、きっと鼓動が止まった時でしかないと。

 それがいつのことになるかわかりませんが、ツァーレンはその時まで穏やかに暮らせれればと願いました。



 もちろん、その願いが叶わなかったのは、ご存じのとおりです。







 [さくらのはなのちるころに・おしまい]

 これにてツァーレン編はおしまいです。

 果てしなく暗いお話に最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました^^


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