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みにくいおひめさま  作者: れんじょう
『みにくいおひめさま』
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第三十六話 後日・上皇の画策


 国境間近の広大な森は、魔物の森と呼ばれています。

 いつからそのような名前が付いたのかはわかりませんが、森に近づくものは誰しもが怖ろしい思いをして逃げ帰ってくるからです。

 歩いて森に入ろうものなら、生い茂った樹々が人を狩るようにぶわりとふらんで迫ってきますし、何よりも頭の中に直接『帰れ』と森が話しかけてくるようで気味が悪く、二度と森に踏み入れる気力を奪います。

 馬車で森に入ろうものなら、馬はぼたぼたと汗を滴らせて、むちを当てずとも必死で森から逃れようとしますし、中に乗っている人もまた、森から『逃げろ逃げろ』と追い立てられると感じ、必ず気持ちが悪くなって冷や汗を垂らしながら森を抜けました。

 森で狩りをしようものなら、歩いているときは見える動物が、弓を引くために立ち止った瞬間から獲物はどこかに消え失せて、そのかわりあちこちに黄色く光る眼だけが狩人をねめつけ、ざわざわと風もないのにざわめく葉音がだんだんと大きくなって狩人を追いたてました。

 そしてみな、ほうほうの体で森から逃げることになり、いつしか森には魔物が住んでいると噂されるようになったのです。

 誰も留まることを許さない、魔物の森。

 その森の奥のさらに奥深くに、その館はありました。



 

 「おかえりなさいませ」


 ツァーレンは簡素なドレスにリリュシュから譲り受けたエプロンを着付け、館の主であるフロレスを出迎えました。

 といっても、玄関で出迎えるのではなく、ツァーレンが一日のほとんどを過ごす厨房の近くにあるフロレスの仕事に使う部屋の中です。

 仕事部屋の中央の床には不思議な文様が描かれ、その上にはさらに不思議なことに複雑に彫りこまれた真っ白い石の扉が宙に浮いていました。

 その扉の隙間から光が強烈に漏れてくると、扉が開いてフロレスが帰ってくるのです。

 この扉と同じ扉がレステアの王城の一室にあることを知ったのは、式のあった神殿から直接城に入ったその直後でした。その扉を使って、ツァーレンとフロレスは馬車で訪れようものなら数十日はかかる森の館に一足飛びでやってこれたのです。

 それから数カ月。

 ツァーレンはフロレスが驚くほど早く、他を拒絶した生活に馴染みました。

 それは早く一緒に暮らしたいというフロレスの願いを退けて、無理やり離宮に留まらせるように画策した上皇の思惑通りでした。

 王女であったころはできもしなかった料理や掃除も離宮で数カ月しごかれたお陰で難なくこなし、それどころか暇を見つけては館の裏に畑を作り育てようとします。

 森はそんなツァーレンを優しく育みます。

 畑に必要な日光は十分に与えますが、肌の弱すぎるツァーレンを思ってか、ツァーレンが館の外に一歩踏み出せば、直接日光が肌にあたらないように樹々が枝を震わせて葉を広げ、柔らかい色に変えてツァーレンに届けられるのです。

 誰も入ることの許せれない森では、動物たちがツァーレンの歌の聴衆でした。

 無意識に歌を口ずさむたびに、小鳥たちが窓枠で列をなし、動物たちは館の廻りで鎮座します。

 ツァーレンはフロレスとこの森をこよなく愛していました。


 

 扉を開けると、そこには欲してやまなかったフロレスの妻が頬を染めて立っていました。

 式以来、動きづらい優雅なドレスを着ることはなく、いくら言っても簡素で質素なドレスを好んで着ているツァーレンは、逆にその禁欲さがツァーレンの魅力を存分に引き出していることに全く気が付いていない様子でした。

 甘い香りが館に充満しているところをみると、ツァーレンは最近覚えた菓子を作っているところだったのでしょう。

 フロレスは出迎えたツァーレンの腰を掴んで抱き寄せて、料理の邪魔にならないように結んでいた亜麻色の髪に顔を埋めました。


 「甘い匂いがするな」


 くんくんとわざとらしく髪を嗅ぎながら髪にキスをすると、ツァーレンはみるみる真っ赤になって固まってしまいました。

 一緒に暮らし始めて数カ月。

 いまだにフロレスの愛情表現に戸惑うツァーレンがそこにはいました。


 「フロレス。儂は帰った方がよいのかのぉ」


 甘い世界に浸っていた二人は、低くからかう声にぎょっとして声のする方向に目を向けると、フロレスが先ほど城で別れたばかりの上皇が二人に生暖かい目を向けています。


 「まあ、上皇さま。ようこそお越しくださいました」


 慌てて挨拶をしようとしたツァーレンを、フロレスは押しとどめて上皇を睨みます。


 「叔父上殿を呼んだ覚えはまったくないが。勝手に転移門をくぐってくるとは」

 「何を言う。真後ろにいたというのに気付かぬ方が愚かよ。それにそろそろいい加減、儂の功績を讃えて呼んでくれてもよかろう?この数カ月、どれだけ後始末に翻弄されたことか。ツァーレン殿にも式以来、()うてないので寂しくての」

 「上皇さま……」

 「じじいは離宮にひっこんでいればいいものを。何も転移門をくぐってまでここに来る必要はないだろう。城で会えばすむだけではないか」

 「お前になど会いたくはないわ。儂が会いたいと思うは娘のように思うておるツァーレン殿じゃ。だいたいここに来るのに転移門以外にどうやってくるというのじゃ。お前の魔法でこの森も入りづらくてかなわんわ」


 「森に入りづらい、ですか?どうしてでしょう」


 相変わらずフロレスに腰を抱かれながら、ツァーレンは上皇に問いました。

 そういえば以前リリュシュが同じことを言っていたことを思い出したツァーレンですが、ツァーレンには森はとても優しく、上皇やリリュシュが言うほどの厳しさに遭遇したことなど一度もないからでした。


 「この阿呆は魔法の修行をするために、この森に誰も立ち入らぬように結界を張ったのじゃ。初めはこの屋敷のまわりの小さな空間だけだったのが、こ奴の魔力が増えるごとに空間も広くなって、気が付いたら森全体に魔法が掛かっておる。……まだあの当時はレステアの領土ではなかったというに、無茶をしおって」

 「ツァーの持参金にこの森があったのには驚いた。まあ、この森に関して言えばスズーリエでも厄介の種だっただろうから、入らぬ領土であったのかもしれんが」

 「誰が厄介の種にしたんだか。よくもそうぬけぬけと言えるものじゃ」


 大きくため息をついた上皇は、どさりと椅子に腰を落としました。

 ツァーレンはフロレスに目配せすると、そのたくましい腕をほどいてお茶の準備を整えます。

 オーブンを見ると甘い匂いを放つ菓子は見事なきつね色に焼き上がり、それを切り分けてお茶と一緒に上皇の前に差し出しました。


 「ほう。これはうまそうじゃ」

 「叔父上殿は甘いものが苦手だろう。これは私が」

 「何を言う。疲れた時は甘いものが一番じゃ。それにツァーレン殿が作るものにまずいものはない。なんといっても離宮のリリュシュ仕込みじゃからの」


 テーブルの上でお皿を取り合う二人を目をぱちくりとさせて見ていたツァーレンは、くすくす笑いながら菓子を一片大きく切り分けて二人の前に置きました。


 「どうぞ。まだ沢山ありますから」 

 「ほれ見ろ。お前が子供じみた真似をするから、ツァーレン殿に笑われてしまったではないか」

 「叔父上こそ、はしたない。とても上皇という地位にあろう者がすることとは思えないが?」

 「お前こそ、それがレステア随一といわれる魔法師のすることか!」

 「私のツァーが作るものを叔父上だろうと誰だろうと渡したくない、それだけだ」


 真顔でそんな惚気話を聞かされては、さすがの上皇も馬鹿らしくて引きさがるほかありません。

 『私のツァー』だとか、『誰にも渡さない』だとか、よくもまあ本人を目の前にいえるものだと呆れるを通り越して感心すら覚えます。

 以前どうすればツァーレンを娶れるか悩んで上皇に相談していたフロレスとは同一人物と思えないほどの変貌ぶりです。

 ちらりとツァーレンに目をやると、顔どころか耳すら赤く染まって恥ずかしそうに俯いていました。


 ――――ふん、幸せそうじゃ。


 上皇は自分の策がこれ以上なくうまく運んだことに満足を覚えましたが、そんなことは(おくび)にも出しませんでした。

 そのかわり懐からあるものを出しました。

 リリュシュから預かった、ツァーレン用のグリスです。


 「ツァーレン殿。これはリリュシュからじゃ」

 「まあ!ありがとうございます。リリュシュは元気にしていますでしょうか?お礼を書かなければ」

 「リリュシュは今、離宮にはおらぬよ。自宅に戻っておる。また、時間があれば訪ねられたらよいじゃろう。手紙は預かって渡すことはできるぞ?」

 「はい。よろしくお願いいたします」


 ぺこりと頭を下げると、ツァーレンは早速お礼の手紙を書きに自室へと向かいました。

 

 

 楽しい時間は過ぎ去るのが早く、上皇は転移門をくぐって王城へと戻って行きました。



☆長くなったのでひとくぎり。

フロレスの性格って……そういえば初めてでてきたような。イメージ違ってたらごめんなさい(爆)


 2012.6.29 誤字訂正



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