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みにくいおひめさま  作者: れんじょう
『みにくいおひめさま』
33/44

第三十二話 意匠

ほとんど幕間。

 翌日。

 二日間降り続いた雨もやっと上がり、枯れ果てそうになっていた草木は緑の色も匂いも色濃く生き生きとしていました。

 扉越しに参室を眺めていたツァーレンは、最近の日課である朝餉の支度のために厨房へと足を向けました。

 いつも通りの朝。

 タブリエから普通のエプロンを手渡されたのはもうずいぶんと前のこと。

 昨日上皇に「そろそろ」と答えていたツァーレンの料理の腕前はその実、夕餉は全部とはいかないまでもリリュシュが教えたほとんどのものを作れるようにはなっていたのです。

 

 「ツァーレンさま。今日くらいはまだ寝ていらっしゃっても」


 気を失って目覚めた直後に無茶をしたツァーレンの体調を慮って、普段ならツァーレンを起こしにいく時間になってもリリュシュは部屋にはいきませんでした。けれどもそれは杞憂に終わったようでした。


 「もうすっかり起きていたわ。上皇さまが畑を見に行っている姿も見えましたし。……なにか野菜を摘んできてくださったかしら」

 「ええ。雨に流されて駄目になっているかもとはおっしゃられていましたが、野菜は丈夫ですわね。結構生き延びていたそうです」

 「それはよかった」


 上皇が使う籠の中にはすこししんなりはしていたものの、色とりどりの野菜がたくさん摘まれていました。

 ひとつひとつ吟味して、リリュシュと今朝の料理を決めると、二人は手際よく作業に取り掛かりました。 

 昨日のことがまるで嘘であったかのように、いつもと変わらぬ一日が始まりました。

 


 

 「ツァーレンさま。目録はご覧になられましたか」


 昼も随分と過ぎて、ツァーレンがそろそろ手を休めようと刺繍枠を籠に戻そうと顔を上げたそのさきに、ツァーレンの婚礼道具と目録を確認していたリリュシュの姿が見えました。

 疲れた目の際を軽く押さえながら「いいえ」とリリュシュがかざす目録を確かめもせずに答えると、リリュシュは綺麗な額に皺を寄せながらツァーレンの目の前に目録を差し出しました。


 「おかしいのです。朝餉が終わってから今まで目録と道具類の照合をしていたのですが、足りないものがあったのです」

 「まあ。そんなことはありえはしないでしょう。スズーリエから離宮に運び込むまでは開けもしなかったのですから」

 「そうなのですが。この離宮で無くすということもあろうはずがございません。ですからおかしいと」

 「何がなくなっているの?」

 

 ツァーレンは広げられた目録を受け取ると、リリュシュの指が差すその文字を追いました。

 『献上品 マント 一揃え』

 それはツァーレンの鴉が持ち去った天鵝絨のマントのことでした。


 「……これは……。これは、なくて当然なものなの」


 一瞬大きく目を見開いたツァーレンでしたが、それを隠すように目録から目をそらし、擦れた声で答えました。


 「どうしてでしょう。目録に書かれているものでないものなどないはずですが」

 「これは、わたくしが上皇さまに差し上げようと縫っていたものなの。結局間に合わずにこちらに持ってくることが叶わなかったのだけれど……まさか目録に記載されてるなんて」

 「まあ。そういうことがおありになったのですね。ツァーレンさまが縫われていたのでしたら、見事なものだったのでしょう?私、拝見したかったですわ。どのような意匠のものでしたの?」

 「それは……」


 ツァーレンはとっさに言葉がでてきませんでした。

 脳裏に浮かぶのは今にも飛び立ちそうな漆黒の鴉の刺繍と艶やかで豪奢な羽根飾り。上皇のためとうそぶきながら本当は自分のために作った、なめらかな天鵝絨(ビロード)のマントでした。

 スズーリエにいるときは、まさかレステアの王族の男子が鳥を自分自身の意匠として自分のものに刺繍することなど知らなかったツァーレンでしたから、上皇に差し上げることをよしとして鴉の刺繍を施すことができたのですが、それを知った今ではあのマントを上皇になどと不敬に当たることは考えられません。ツァーレンの賢い鴉は、まさかそのことを見越してマントを奪っていったのかと考えたほどです。

 想いをかき消すようにふるふると頭を振ると、ツァーレンはリリュシュに言いました。


 「持ってこれなかった不出来なものを、リリュシュに教えることなんてできないわ」

 「ツァーレンさまったら、結構完全主義ですのね。わかりました。もう聞きませんわ」

 

 くすくす笑いながらリリュシュはツァーレンから目録を返してもらうと、それ以外のものは合致して、必要なものがすべてそろっていることを伝えました。


 「ただ」

 「なあに?もったいぶらないで何か教えて」

 「せっかくの婚礼衣装なのですが、ツァーレンさまの意匠らしきものがどこにも縫われていないのです。レステアでは婚礼衣装のどこかに必ず夫婦の意匠を施します。後半月あるのですから、縫われてはいかがですか?」

 「意匠?わたくしの?……わたくし、自分の意匠などもってはいないのだけれど」

 「まあ!なんてこと!どうしましょう」


 リリュシュは両手を頬にあてると、はしたなくもばたばたと大きな音を立てながら慌てて部屋を出て行きました。

 そして戻ってきたリリュシュの後ろにはリリュシュ以上に慌てた上皇の姿がありました。


 「ツァーレン殿。意匠が無いとはまことか?」

 「ええ。スズーリエでは自分の意匠というものが存在しないのが普通なので。……なにか拙いことでも」

 「ううむ。ツァーレン殿はスズーリエの王族じゃから、持っておるものばかりと思おておったが……これは失態じゃ。ツァーレン殿、レステアの王族はみな意匠を持っておるのじゃ。儂が大鷲、今上さまは大鷹、妃は蓮であったな、リリュシュ」

 「はい。付け加えて言うならば、男性は鳥、女性は花でございます。今のところ王族で使用されている花は、蓮、木蓮、百合、茉莉花、桔梗ですわ。ですからツァーレンさまの意匠を考えるのであればそれ以外となります」

 「取り急ぎ考えなければ。ツァーレン殿は何の花がお好きじゃ?これからその意匠がツァーレン殿の持ち物すべてに付けられるのじゃから、よく考えられよ」


 上皇とリリュシュの勢いに呑まれてこくこくと頷くと、上皇はそれでも足らずに明日までには決めておくようにと再三念を押しました。

 そうしないと半月の間にツァーレンの婚礼道具に意匠を施すことができないからでもありました。


 「当たり前のことなのでしょうけれど、本当にわたくし、レステアに嫁ぐのですね」


 上皇が去った後に、ツァーレンはぽつりとつぶやきました。

 その言葉には今までの自分の常識とは違った世界に嫁ぐことへの小さな驚きが隠されていました。



 いつものごとく話が進みません(泣)

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