第二十八話 悲嘆の歌
☆上皇視点です
「ツァーレンさまの様子がおかしいのです」
居間で寛いでいる上皇の元にリリュシュが来るやいなや、挨拶もそこそこに勢い込んで話しだしました。
「ほう。どうおかしいと」
「心ここにあらず、といった感じです。何を言っても返事はぬるく、言われたことはなさいますが動きは緩慢で。刺繍をしているときなど、以前でしたらそれこそ一心に刺しておいででしたが、今は一針縫えばぼうと庭を眺めていらっしゃいます。……上皇さま。ツァーレンさまに何かされました?」
「人聞きの悪い。儂がツァーレン殿に何をするというのじゃ」
「その笑い方をなさるときは何か悪だくみをされている時と決まっています!」
くってかかるような勢いに、上皇はわざとらしく片眉を上げてけん制します。
「しかし、めずらしいのぉ。リリュシュがそのように人に対して感情を露わにするとは。そなたは随分とツァーレン殿を気に入ったにみえる」
「ええ、ええ。気に入っています。上皇さまはそれも見越して私をスズーリエまで向かわせたのでしょう?ほんっとーに策士ですわ。さすが賢王と謳われるだけありますわ」
ぷいと拗ねて横を向いたリリュシュの不敬と咎めもせずに楽しそうに笑っている上皇がいました。
「まあまあ。そのように拗ねるでない。折角の可愛らしい顔が台無しじゃぞ」
「お世辞も大概になさいませ。白々しいにもほどがあります」
「何を言う。リリュシュは可愛らしいに決まっておる。なんていっても我が大事な孫だしの」
「それは身内の欲目というものですわ。ほんっとーにおじいさまは人が悪い」
分かってはいたものの、大伯父とはいえ血縁をも駒にしてしまえるその性格に、リリュシュは諦めに似たため息をつきました。
「ツァーレン殿の憂いは儂にはわからぬ。リリュシュの方がツァーレン殿と接する機会があるというに、逆になぜわからぬのかの。レステアに来てすでに三カ月。そろそろ故国が恋しくなっているのかもとは考えぬのか?」
「……ツァーレンさまを見る限り、あまりスズーリエに心が無いように思われます。さらにいえばこの離宮にも。ただ過ぎる日を過ごされている、そう見受けられます。スズーリエで過ごされていた時に比べると数段こちらのほうが自由に動けるようですが。まあ、おじいさまが料理を食べたいなどと駄々をこねられたものですから、ツァーレンさまはそれはそれは努力をなさっておいでですよ?何をお考えになられて料理を覚えさそうとなさっているのかはわかりませんけれど」
「何を、か?儂はツァーレン殿には幸せになってもらいたいのよ。スズーリエでは王女でありながらその扱いを受けなかったのでな。ここに来て、少しでも人らしい感情を持ってもらいたかったのじゃが」
「人らしい感情ですか?確かに初めてお会いしたころは泣かれてばかりおられましたけれど、離宮に来られてからは驚かれたり……最近ではよく笑われるようになられて。けれどここにきてまた沈み込むようになられてしまいました。それもジャムを作られた翌日から急に沈みこまれてしまわれて、これはなにかおじい様がなさったのだろうと推測したのですが」
「違うと申しておろう?」
「はい。ですから、読めません。私だってツァーレンさまには幸せになっていただきたいですわ。スズーリエの王女であったというのにあれほど自身を卑下なさるほどの生活を送ってこられたのですから。それに彼女の笑顔はそれはそれは眼福ものですわよ」
それを聞いたら悶絶しそうな者を一人知っているなと、上皇は椅子の背もたれに体重を預けながら思いました。
一瞬、リリュシュとの会話に間が空いたそのとき、耳の奥深くに微かな音が届きました。
それは注意深く聴かないと、逃してしまいそうなほどの音でした。
リリュシュはすかさず庭に続く扉を音もたてず開きます。
とたん、ふわりと紗のカーテンが風をふくんではらみました。
それとともに耳に届いたのは、参室の方向から響いてくる悲しげな歌でした。
「……これは」
「ツァーレンさまですわ。最近では夜になると庭に行かれて、歌を歌われるのです」
「なるほど。この歌を聴けば、そなたがそこまで心配する理由もわかるというものよ」
ツァーレンの歌は、一切の希望を見出すことができないほどの愁嘆に満ち、それでいて夜の闇に溶けだしそうな儚さがありました。
「胸が苦しくなるほど、切ない歌を歌われて……ツァーレンさまは何を思っていらっしゃるのでしょう」
この歌の根底にあるものを、己自身が分かっているのか。それとも分からずただ悲しんでいるだけなのか。そこに全てがかかっておる――――
上皇はリリュシュと共に扉の前に立ち悲嘆が奏でる歌を聴きながら、歌の持主の心情を推し量っていました。
リリュシュは上皇の兄王の外孫にあたります。




