第二十一話 儚い夢
離宮に詳しいリリュシュの案内で部屋に通されたツァーレンは、その装飾のあまりのなさに驚きました。
初めて足を踏み入れたその場所は、ツァーレンが暮らしていたあの部屋と同じほど、いえそれよりも男性が主人のこの離宮全体の色が少ないだけに、こちらのほうがより質素に感じます。
―――――でも、とても落ち着くわ。
「気に入られたかな?」
部屋をぐるりと見ては嘆息しているツァーレンを面白そうに部屋の入り口で見ていた上皇が、いつまでも自分に気づかないツァーレンにしびれをきらして声をかけてきました。
「はい。上皇さま。このお部屋も庭もとても気に入りました」
「そうか。それはよかった。ここは見ての通り周りは庭で囲まれているが、面白味も何もないところでな。ツァーレン殿のような若い方には少々退屈かもしれぬが、出来るだけここの生活を楽しんでもらいたいとは思っておる。何かあればなんなりと申されよ」
庭師のような衣装からいつの間にか着替えていた上皇を、ツァーレンはぽかんと眺めました。
紫苑色の美しいチュニックとホーズを緩く着付け、白銀に輝く髪を垂らした姿は凛々しいものでしたが、なによりツァーレンの目を奪ったのはその容姿でした。
馬車から下りたった時に感じたあの既視感を、また感じたのです。
「おや。儂の顔をそのように見惚れずとも」
かかかと上皇は笑います。
けれどツァーレンはまじまじと見ることを止めることができません。
―――――初めてお目にかかった方だというのに、どこの、誰に、似ていると?
「ツァーレン殿はよほどこの老いぼれの顔がお気に召されたようじゃ。それともなにか顔についておるのかな?」
「……っ。いいえ。申し訳ございません。失礼を」
帽子を被ったままのツァーレンは、この時ほど目の間に布があることに感謝したことはありませんでした。布越しとはいえ目線がどこにあるのかは人は分かりますが、顔色は綺麗に隠すからです。
「よいよい。……ああそうじゃ。隣の部屋に医者が参っておる。手をどうかされたようじゃが」
「すこし、出来物が」
「そうか。では参ろう」
上皇に手を取られて案内された場所には、男性ほどに背が高く、意思が強そうな女性とリリュシュがなにやら話し込んでいました。けれどもどこにも医者らしき人はいません。
「あ。ツァーレンさま」
気配に気づいたリリュシュが女性の元から離れて、ツァーレンに歩み寄ってきました。
そしてツァーレンの手を取って、部屋の中央にある椅子に座らせました。
「ツァーレンさま。はじめまして。私、ツァーレンさまの専属医師を任されましたアデーレ・アーデルと申します。アデーレとお呼びください。以後お見知りおきを」
「まあ。こちらこそよろしくお願いいたします。今日はさっそく無理を聞いてくださってありがとう」
「では早速拝見いたします。まずは症状が現れたお手をお出しいただけますか」
ツァーレンが言われるがままに手を差し出すと、アデーレは手に巻いている布をするすると外して赤く腫れた皮膚と一面の出来物をしげしげと見ては手をひっくり返してたり、指の腹で擦って確認をしていました。
―――――レステアでは女性でも医者になれるのね。スズーリエでは女性は決して医者になれないのに。文化の違いといえばそれまでなのでしょうけど。
アデーレの見事な黒髪をぼんやりと見ながら、ツァーレンはカルチャーショックに見舞われていました。
「この出来物にかゆみは?どういうような状況で発疹されましたか?」
「無意識に手を指すっていらっしゃいましたのでかゆみはあるようです。それと食べ物が合わないのかと思いましたが、出来物がでる直前の食事は今まで使ったことのある材料で作られているものばかりで特に変わりはございませんでした。違うことと言えば、今日は馬車の窓に寄られて、外をご覧になっていたぐらいでそのほか特に変わったことはございません」
アデーレの問いにツァーレンが言い淀んでいると、すかさず侍女のリリュシュがすらすらと答えました。それは医者に聞かれるであろう事項を先駆けてまとめていたように思われました。
「この出来物はとても珍しいものです。食べ物が原因で出るものとも少し違いますね。あとは状況を見るほかないとしかいいようがありませんが、……ツァーレンさまはよく外においでになりますか」
「外、ですか?……いいえ。ほとんど室内で過ごしますが、それが何か」
「そうですか。肌の腫れが衣服のない場所にしかないということは、もしかすると日光か、それとも風が何かを運んで露出している肌についてしまってなってしまった可能性があります。ですので普段外に出ることが少なければ肌も免疫がないのかと存じます」
「そういうことがあるのですね。では外に出ない方がよい、ということでしょうか」
「どうでしょう。腫れが引くまでのしばらくは出ないほうがよろしいかと。もしかすると出来物もひくかもしれません。出来物の範囲は広がってはいないのですね?」
リリュシュに確認するようにアデーレが言うと、リリュシュは「はい。広がりはないようです」と注意深く答えました。
「ではやはり、外の何かが原因の可能性がありますね。しばらくは外出をお控えください」
最後に丁寧な礼をしてアデーレがリリュシュを伴って退出すると、ツァーレンのそばに上皇が寄りそうようにやってきました。
そして無意識に庭を眺めて涙を流しているツァーレンの肩に、ぽんと無骨な手が置かれます。
そこからじんわりと温かい熱が、ツァーレンの動揺した心に流れ込みました。
―――――夢は、夢で終わるのかしら。
外にでるという小さい希望を持ってしまった、ツァーレンに現実は冷たいものでした。




