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持ち去られた頭部と右手  作者: ASP
エピソードフィナーレ
30/31

後日談

終.


 数日後。

 一日で最も気温が上がる昼時に、ヒカリとアキラは日向家のリビングで将棋を指していた。冷房が効いており、外の馬鹿げた暑さから隔離された、のどかな昼下がりである。


 先日、事件の最中でヒカリが負かしたアキラはどこへ行ったのだろう。六枚落ちだというのに、ヒカリは圧倒されてしまった。脚無しの将棋盤の上に乗るヒカリの駒は、アキラの駒よりも少なくなっていた。

敗着はどうやら随分と前で、悠長に構えることでアキラの形成を許してしまったのが、問題だったようである。


 今更気づいても遅いけどね。胸中でぼやき、ヒカリは『負けました』と投了を宣言する。


「合理的に考えて、もっと早く投了すべきだったな」というのがアキラの評価だ。

「合理合理って、そろそろうるさいよ。アキラ。そんな理屈ばっかりじゃ、モテないよ?」


 特に真に受ける様子もなく、アキラは黙って初手から並べている。

「ああ、そう、その辺り」持ち駒だったヒカリの銀が、玉の囲いに打ち込まれたところで、ヒカリは指を指す。「これが駄目だったのかなあ。なんかうすうす、無駄な一手だったんじゃないかって、後から思ったんだよね」

「無駄どころか、飛車道を塞いでるし。何と戦ってたんだ、お前は」

「お恥ずかしい」


 そこでアキラは腕を組む。

「『病感』はあったんだな」

「病感?」

「何となくおかしいと、はっきりとはいかないまでも、微妙に気付き始めている段階のことだ」アキラは瞑目して蘊蓄をたれる。「はっきりおかしいと認めたとき、それは『病識』に変わる。形勢が悪くなることで、病識を感じたとき、ヒカリは投了したというわけだ」


「ふーん」ヒカリからすれば、だからどうしたという感じだ。


 アキラは目を開く。その瞳はヒカリをはっきりと見据えていた。

「雨音さんは投了と言っていた。彼女はあのとき、初めて病識が芽生えたのかな?」

 アキラの問いに、ヒカリは彼の意図するところに気が付いた。ヒカリが動機を問いかけた際の、雨音の氷のような怪気が甦る。


「病感はあったはずなんだ。『アリア』を掘り出すのを見られた時点で、彼女からは抵抗の意思がみられなかった。雨音さんは自分のしていることが、おかしいと薄々感じていたんだ」

 いつものように、あっけらかんとした雨音の態度。あのとき、ヒカリは恐怖すら覚えた。


「彼女が病感を認識していたのは、いつからだったんだろうな?」

 アキラが駒を仕舞い始める。

「桐生さんが夕輝さんの死体を切断し、雨音さんの計画が狂った。そのときだろうか?」

 和室で泣き崩れた桐生の姿が、脳裏をよぎる。

「夕輝さんを殺したときには、自分のしていることは合理的でないと思っていたかもしれない」

 ジャラジャラと、駒が本榧(ほんかや)の駒箱に収まっていく。

「警察が藤堂家に来たとき、後悔し始めていても不思議じゃない。もしかすると、朝陽さんを殺してからかもしれない」

 ヒカリは自分の頬に手を当てた。やはり、口角が上がっているようだ。

「案外、殺人の計画を練っているとき、もう気が付いていたのかもしれないな。不合理を合理で埋めようとした矛盾に」


「ねえ、アキラ」ヒカリは問い掛ける。「結局、動機はなんだったの?」

 アキラは渋い顔を作った。

「さて……、な」今度はヒカリの駒も仕舞い始める。「……よくわからんが、遺産か憎悪か、行き過ぎた愛情だったのか。いずれかが近似解ってところじゃないか」

 いずれにしても、とアキラは続ける。

「理解するのは諦めろよ」


『わたしを、理解してくれるの?』


「殺人はいつだって不合理だ。他人が理解しようなんて、不遜ってもんだ」

 あの凄惨な事件を『不合理』の一言で片づけるのは、ヒカリにはどうしても抵抗があった。

「それは不合理じゃなくて、不条理とか理不尽だと思うんだけど」

「こんな言い方はしたくないが」アキラは片付け終えた二つの駒箱を、将棋盤の上に置いた。「そんな死に方は幾らでもある。病死、事故死。本当に中庸な目でみれば、朝陽さんと夕輝さんの死は、その程度の理由しか存在しない」

「でもさ……」

「意味のある死を求めることは、生物として贅沢が過ぎる。雨音さんにとっては、二人の死に何か意味があったかもしれない。だが、朝陽さんや夕輝さんにとってはどうだ? こんな事情がありましたと言われて、理解出来るほどの理由があると思うか」

 そして、他の皆にとっても。とアキラは言う。

「締まらない気持ちはわかる。追求しようとする気持ちも。俺だって……」そこまで言って、アキラは黙り込む。

拙いことを言っていると思ったのか。口元を右手で隠し、俯いてしまう。


 そんなアキラを見て、彼にはどうすることも出来ないエゴをぶつけてしまった後ろめたさが湧いてきた。

「あはは。まあ、そうだよね。わたし達が……」そこまで言って、ヒカリは気が付いた。

 再び、自分の顔に手をやる。


 驚きだ。

 こんなにやるせない気持ちが、心中で渦巻いているというのに、やはり自分は笑っていた。


「ねえ、アキラ」少し嫌悪感が湧く。声のトーンが落ちていない自分に。「わたし、笑ってたかな?」

 アキラがヒカリを見て、首を傾げる。

「雨音さんの言う通り、わたし、事件のとき笑ってたかなあ?」


 アキラはやや沈黙を挟み、答えた。

「笑っていたよ。まあ、普段からみてる俺からすれば、感情の変化は読み取れたがな」

「そっか」

 あんなときまで表情を変えていなかった自分自身に、ヒカリは複雑な心境を覚えた。昔から思っていたことだった。自分は感情が希薄なのではないかと。


「お前のそれは、ただの愛想笑いだろ?」

 アキラの言葉に、はっとする。


『貴女はわたしとは違う』


「お前は昔から、愛想を振りまくのが得意だった。常に笑顔でいることが、誰にとっても利益になるという、お前の合理的判断だ。お前の考え(推理)で、お前が出した(こたえ)だろ?」アキラその顔に微笑を携えている。「大したポーカーフェイスだよ」


『大したアルカイックスマイルだね? ヒカリさん』


「ヒカリは強い人間性を持っている。それが無ければ、俺は事件に介入することなく、今頃後味悪い思いをしていたかもしれない」

 ヒカリは机の脇に置かれた、空になった紙の容器を見た。ヒカリが賭けで敗け、アキラのために買った六個入りのたこ焼きの容器だ。アキラはその中の三個を、ヒカリに分けてくれた。


 それは、アキラなりの。


「まあ、あれだ。……感謝だよ」


 ――貴女にも、感謝してる。

 ――ありがとね。


『この事件に真摯に向き合った隣人が居た。その事実そのものが、雨音さん、美雪さん、蓮さんにとって、かけがいのない救済になると信じています』

 そう和泉は言った。


「こういうこと……、なのかな」

 切なさで決壊しそうな心を誤魔化すように、ヒカリは立ち上がった。


「そういえば、美雪さん、今年の受験を続けるようだ」アキラは言った。

「ホント?」

「ああ。彼女も強いな」

 アキラに言わせれば、合理的に考えて、今年の受験を遅らせる手は無いのだろう。だが、それを貫ける彼女の強さを、アキラは素直に評価していた。

「俺も可能な限り、美雪さんの力になることにした。まあ、東京からじゃ出来ることは少ないけどな」

「それで十分だよ。……そっかぁ」尊いものを魅せられ、胸が高揚し始める。


 ヒカリは窓に駆け寄った。


 人間には感情がある。常に合理と対立する、心理と呼ばれる存在だ。だから人間は、いつも合理的な選択が出来るわけではない。

 自らの利益を追求し続けることが、人間の在り方として常に正しいとは限らないし、それ故に不合理な選択肢を取ってしまうのも、いわゆる人間性なのだろう。

 個々の価値観により、何が正解で何が間違いかが変わるように、合理的選択は普遍的なものではない。


 ヒカリにわかるのは、一つだけだ。

 『合理的である』ことの定義とは、人生を強く進み続けること。それが、真理(さいてきかい)に最も早く、最も高い精度で辿り着ける、近似解ではないだろうか。


 窓の外を見上げると、高く昇った太陽が力強く輝いていた。

 人間が過ごすのに適した温度ではない。なのに、まるでこの晴れやかな心を呈すかのように、からっとしていて気持ちいい。

 夏の風物詩と呼ばれる、人間が持つ不合理の一種なのだろう。



<持ち去られた頭部と右手 了>


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