縁結びの副神の微笑み14
警兵達のおかげで命拾いして無事に帰宅。家族と話して食事をしたり風呂に入った後は疲労と寝不足で倒れるように寝た。
目覚めたら同じ布団の中にメルがいて俺にくっついていた。
暗くて寝顔は見えない。手で探って頬を撫でて温かさを確かめる。俺は生きていて彼女も同じ。
当たり前のようになっていた日常を失う手前だった恐怖に身震い。今夜は特に冷えるから余計に。
「ん……」
「あっ、起こしてしまいましたね」
頭や頬を撫でたり唇を指でなぞったり自分も彼女も生きていると確かめていたからメルを起こしてしまった。
「お義兄さん達が来て聞いて怖かったです….」
「俺もです。話した通り化物狼が目の前で….」
身を寄せられたのでメルの背中に腕を回した。
「とても行って欲しくなくて、そうしたらこんな事件で……」
「メルさんのいざって時の勘は当たるから話を聞かなかったからです。死ぬかと思った時にもそう思いました」
「遅刻受験者はイルさんかもしれない。その勘は外れました」
「えっ」
そんな勘を感じた事があったのか。試験を受けに行って遅刻者の話をした時だろう。
「ようやく子どもが出来たかも。それも外れました」
「……ええっ」
メルはポツポツ喋り始めた。元々月のものが不順で中々子宝に恵まれないから気持ちが悪いなどはしっと無関係。でもなんだかそんな気がしない。
産婆ではまだまだ分からないと言われて胎動があれば、というから待ってみた。
二年前にかなり月のものが来なかった時に違う気がすると思いつつ俺や家族に話してお祝いの雰囲気になったけど結局違った。
またとてもガッカリしたという顔を見たくないから確信が持てるまでは何も言わないでおこう。
待っていたら月のものがきて、今回はなんだか本当な気がしていたからとても落ち込んだ。
「夜を断られていた頃です」
「産婆さんに悪いらしいと聞いて。特に……」
ゆっくりとか落ち着いてなら、と言われたそうだ。メルはまた俺の落胆顔を見たくなかったと口にした。
(そんなにガッカリ顔をしたのか俺は。二年前はメルさんこそ落ち込んでいたから気にかけていたつもりだったけど気を遣われた……。二年前の時日俺の態度がメルさんを傷つけた……)
「気を遣わせた挙げ句に一人で悲しませてすみません。なのに俺……」
「三年子なしは縁なし離縁とか……。三年どころではないですし……」
俺が子どもを欲しいという望みを持ったら俺はいつでも私や我が家から逃げられる。
どう見ても欲しそう。そういう話をたまたま何度か盗み聞きしてしまっている。
だから一緒にいてくれるのは我が家やお店や自分を気に入っていて大事だからだと毎日そう感じられて幸せだけど三年過ぎた頃からずっと不安だったと言われた。
今回の喧嘩の始まりはかなり前だ。積み重ねた俺の言動のせいだし、メルはメルで怖さや不安などで気持ちを押し殺した。
直接言われるまでは何も言わない。倍の六年目には尋ねよう。子なし離縁後二回は再婚して子どもの可能性あり、なんて言うから九年まで。
そうやってメルは自分の気持ち、離縁は絶対に嫌を優先して俺の気持ちを確認しないで無視して目を閉じて耳も塞いだことを俺に謝った。
(気にするな、なんて気休めの簡単な言葉しか伝えていなかったし、軽く注意してもなんだかんだ言う家族親戚……。ガツンと注意とか、気にしなくて良いではなくて……)
もっと本人にも周りに対しても言うべきことがあった。
今回、月のものがこなくて体調不良があったし勘も伴っていたから朗報。
かなり嬉しかったけど違ったら悲しくてならないし、間違いで俺の落胆顔を見て見たくないから胎動を待っていたら結局違かった。
仕事で疲れているのか俺の様子が変でなんだかどんどん遠くへ離れているような感覚がして怖くて悩んでいたら遊楼へ行くに加えて手紙。
気持ちが離れているのは正解で、遊びというより噂な花街にも妻とか恋人みたいなことかと思った。
何も知らない俺は何度も断られて拗ねて誘わなくなり、懐妊ではなくて落ち込むメルの憂顔——街行く子どもを見てそう——を八つ当たり妬きもち思考で誤解し今回の手紙の件ってこと。
「待った。待ったメルさん。色々謝りたいけどあの手紙は誤解です。二通とも誤解があります。本当に。さらに説明するので信じて欲しいです」
「地区兵官は目で追います……」
昔話した通りわざわざ会いに行く関係ではないけど見かけたら頑張ってと手を振りたい。その気持ちはずっと変わらず。
夏の終わりからポチの元気がなくて、ポチに客が朝顔を沢山持ってきて「昔俺を励ましてくれたから逆だ。元気でいろよ、ポチポチ犬」と告げたそうだ。
ポチに激励の沢山の朝顔はありがたいみたいな従業員との雑談で発覚し、従業員に聞いたら地区兵官の格好だったという。
「ポチポチ犬と言うのはイルさんです。あの頃、イルさんはポチと密会くらいの勢いでした……」
長屋では飼えないから犬がこんなにかわゆいとは知らなかった。飼いたい。そんな話をふと思い出してもしかしたら時々見回りついでにポチと会っているかもしれないと感じたそうだ。
昔、イルが妹と作った七夕飾りを贈られて一緒に川へ流した。その竹には朝顔が飾ってあった。
だから朝顔なのだろうと思っていたらまた朝顔が沢山きた日にポチの首輪に病除けお守りが増えたという。
「私はしばらく彼の本名を思い出せなくて、おまけにフューネ家にお線香もあげにいかなくなって、すっかり忘れていて。なのにポチにわざわざ幸せ区の神社の御守り……」
……。
まさか迎えに来ないよな。来るならポチにだけ会ったりしないか。しかし、メルが俺とすれ違ったりかなり悩んでいた時期にこの話。
「両親もお姉さんも名前をイルさんで覚えていて、本名が分からなくて、薄情家族だから手習先もです。フューネ家もうろ覚え。でも考え続けていたら彼の名前を思い出しました」
朝日屋地区兵官に差し入れも兼ねてポチを抱いて、父の足が悪化しないように行っている散歩がてら姉と三人で屯所へ行った。
忙しさや落ち込みの方に気が向いていて、名前を思い出したのは年末のことだそうだ。
「居ないと言われたんです」
「えっ?」
「名簿に載っていないから居ませんって。夏から殉職者はいないから退職したか異動したのだろうと言われました」
「……えっ。退職はなさそうだから異動ですかね」
「待つから調べて欲しいと告げたら少し知り合いとか小さい恩があるみたいな人のためにそこまでしません。手続き出来ませんと断られました」
「あー、まあ、そうでしょう」
イルはポチへお別れを告げに来たのかもしれないとメルはそう告げた。
「異動するからポチへお別れってことでしょうか」
「はい。出世街道を外れると異動みたいな話を聞いたから多分それです。イルさんはきっと退職しません」
「定期的に気にかけてくれたというより、異動するから気になってポチに会いにきて様子を見て朝顔や御守りかもしれませんね」
「そうかもしれないです。幸せ区のどこかの番地へ異動したのかもしれません」
「桜の君が幸せ区。なんだか似合いますね」
「はい。私もそう思いました。なのでもう地区兵官を眺めることはないです。六番地どころか南三区にはもういないから。桜の君、頑張ってと手を振れません」
街行く子どもに憂い顔に加えてイルの本名を思い出せないから見回りする本人と会ってポチへのお礼を言いたいとか、本名やあれこれを忘れるなんてという表情だったということ。
今までと異なる気配だから俺は気にしたけど、違和感の確認が怖くてまだ問いかけていなかったから今回の喧嘩へ繋がった。
「昔からずっと誤解させていたようですみません。教えたし私の気持ちは誰に向いているか分かってくれていると……」
謝るのは俺の方なので全身全霊で謝罪。それから遊霞の誤解もひたすら説明。
「聞いていません。夫婦で一銀貨の話も一緒にって事も」
「……えっ? 言わなかったでしたっけ?」
「ええ。気分が悪いから話を遮って途中で寝ていました」
「あー、遮られているから続きみたいに話をしたのかもしれません。毎日ってそうです」
「調べずに責めたと反省したのでお店に行きました。シエルさんに言い返されて、あの時シエルさんは調査して考えてくれたと言ってくれたなと思い出して」
「ええっ。なら遊霞さんや撫子さんに会いました?」
「はい」
菊屋へ行って何もしていない夫に悪戯手紙を渡した遊女撫子がいて両親と喧嘩になったと文句を言いにいったそうだ。
お店の女将、内儀が出てきて夫は一日一回しか出来ないから何もしていないと分かるのにこの
手紙。お金の使い込みをしていると夫と両親が喧嘩になって迷惑していると謝罪と慰謝料を要求。
その日夫を連れて行ってくれた夕霧花魁の馴染み客に言いつける。
天下の一区花街の大店菊屋の遊女撫子はろくな接客も出来ないとあらゆる方面に噂を流す。馴染み客に空売りした話もする。
(嘘つき難癖メルさん怖え。年々肝が据わっていく気がする)
朝日屋だけならそうでもないけど母と涼風屋関係とソイス家から食事処一号店の準備関係で骨太になっていくと感じる。
内儀に待たされて撫子と一緒に戻ってきて謝罪された。
慰謝料はなんの法的根拠もないので、と言われるも両親用に説明文を作ると平謝り。
新人で客を間違えたと言うので夫は嫌がらせ、悪戯と言っているとか理由はこうとか、お金より謝れと問い詰め。
二人の態度や店の出方を知りたくて強気の難癖。
(やはり怖い)
「間違えてすみませんと言いながら嫌そうな不貞腐れ顔です。内儀さんの表情で嫌がらせな気がしたので撫子さんには用なしです」
悪戯というよりも嫌がらせ。無料客になれるのに帰ったから腹を立てたとか、宴席中に俺が時々する女性の気持ちを腐すことをした気がした。
俺を信じたい気持ちへ後押しなので撫子の手紙の件は納得。
「俺、女性の気持ちを腐しますか?」
「シエルさんって顔が良いし仕事関係ではキリッとしっかりしていますけど、私生活ではちょこちょこポンコツです。私はそこが良いですけど。口滑りもそんなに直ってないです」
そうなのか。そうだな。自覚はある。俺は撫子に近寄るな、触るなと手を払ったりしていた話をした。メルはこれに関する感想を何も言わない。
「それで次は遊霞さんを呼んでもらいました」
「逞しいですメルさん。そこまでして確認をありがとうございます」
「自分のためです」
撫子に怒りをぶつけた話はせずに遊霞にはハムスターを見た宴席に夫がいて、覚えていればどのような様子だったか知りたいと問いかけたそうだ。
俺の見た目や個別に演奏をしてもらったことを説明して。
遊霞は内儀から何かを聞いていたようで新人撫子の接客について、丁寧に謝罪してから俺の話をしたそうだ。
「宴席の記憶はほぼなくてその後の事はとても珍しいから覚えていると教えてくれました。それで聞きました。私達夫婦なら一銀貨の話を」
「彼女から聞いたのですか」
「はい」
妻がお店に入るのが嫌でなければ夫婦で聴きたいと語った話も聞いたそうだ。
妻の話ばかりする客が夫婦で思い出の曲を聴きたいと口にした。妻に誠実そうで好ましい。その方に大事にされている妻はきっと思い出の曲の演奏を喜ぶ。
夫がいるなら妻は女色家でないだろうし、この身なりの男性の妻はそれなりの育ちだろうからこのお店に入りたくないはず。
「なので特別扱い致します。そう言われました。希望曲名も聞きました。全部夫婦で好んでいる曲です。龍歌で惚気られたとまで言われました」
「俺はメルさんにしょうもない嘘をついても裏切り行為はしません。多分。メルさん以外に理性を壊されたら分かりません」
「お店がお世話になっているお店に恩着せ宣伝を兼ねていて、他のお客からもお金を集めるし、引き抜き話がきたら給与を釣り上げるので一石四鳥なのでぜひ、だそうです」
がめついというか強か。
「……。そういうことか! まるで奥様のために良いお店、みたいにお店を紹介されたけどそういうことです!」
「シエルさんなら気がつきそうなのに気がつかなかったんですね」
「ほろ酔いと演奏酔いとメルさんと楽しく観光に二人で彼女の芸。場所を変えて夫婦で人気の連れ込み茶屋なら許してくれるかなとか浮かれていました」
「特別扱いではないと本来どのようなのか尋ねました。それで彼女の買い方を説明されました。特別扱いは一度きりなので芸を気に入ったら是非接待でご利用下さいと」
「話してなかったです。彼女は芸しか売りません」
「シエルさんに説明した話はこうです、とか記憶にある会話はこうと教えてくれました」
同じかどうか知りたいだろうから俺は記憶にある限りの会話をメルに伝えた。彼女はまた何の感想も言わず。
「ここは遊楼で芸だけなんておかしい、色春売らずなら置き屋所属であちこちで稼ぐのでは? と問いかけました」
借金がないなら確かにその通り。
「何か言っていました?」
「性格が悪いから自分は色春売らずなのに憐れと高見の見物をしたいからですって。あの方、そういう顔つきや目はしていないのに。私は勘が良いし商売人としてそれなりに人と会うから違う気がすると言いました」
俺はメルにまだ話していない海辺街で遊霞と私兵派遣の女性兵官との会話を伝えた。
話題変更ではなくて道芸をしていたのは遊霞と言おうとした事も伝える。
「あれこれ指摘したら花柳界には花柳界の暗黙の了解やツテコネ派閥などがございます。この街では稼げば正義です。身分も素性も何も要りませんと」
「花柳界関係の家柄の没落令嬢か家出人は本当なんですかね。家はない、ですし」
「私も似た指摘をしました。ミレイさんみたいはまさしくです。謝罪時に当たり前みたいに扇子を出したり言葉遣いや仕草など、隣の内儀さんと明らかに違いました」
親しくはなかった同じ教室の格上気味の同級生も思い出したという。
「彼女は何も言わず。突然の歌と舞に驚いて少し見惚れていたらそのまま退室です」
ここは血の池、血を吸って生き、刺されて血を流し、突き刺して返り血を浴びる紅蓮煉獄。私は真のない街の霞でございます。
お金は裏切りませんので続きや他の芸も見たいと思われたいです。そう告げて笑顔で去ったそうだ。
「へえ。突然歌って舞ったんですか。見事ですよね」
「はい。シエルさんが饒舌だった意味が分かりました。一区花街で大店になるとあのようなのですね。文学の花魁の印象が変化しました。芸妓でも遊女でも凄いです」
「彼女は派手な化粧をしていました?」
「いえ。素顔に近い薄化粧です」
メルは俺に対する感想をあれこれ述べて謝罪してくれた。嘘なんてつかないと信じたいのに信じずに激怒してろくに話も聞かずに調査もせずに決めつけて悪かった。
俺も悪いから謝って、俺こそ悪い気がするので謝罪し、今後はどうしていこうという話の前に遊霞への自分の気持ち、出張で家を出発する時に何を考えたのかも伝えた。
「あれこれ気になってズルズル深みにハマるので俺はもう会いません。関わりません」
メルが昔口にしたお礼の手紙だけ、一回話したら……というイル話を思い出したこととメルが言うならデレデレしたんだろうし、酔っていたけど確かに笑顔に照れたし、偶然会ったのは副神様の悪戯のようで怖い。
今話していてハッてしたけど、メルが解説してくれた狐に化けた副神様が男に悪色欲がないか確かめた物語のように俺も試された可能性。
浮気するぞ! とイライラしていたし遊霞に手紙とか少し照れたりしたタイミングで死ぬところだった。
なのでウィオラには関与しない。彼女が辛かろうがなんだろうが俺は無視する。俺はそう告げた。
「一石四鳥ならお義父さんとお義母さんとメルさんの三人で行っても聴かせてくれそうです。どうですか? 俺はその時間は別のお店で茶でも飲んでいます」
「あの距離なのでやめておきます。お父さんに急に何かあったら帰宅で苦労します」
「そう言うと思いました。がめつそうだし借金返済がもしも本当なら稼ぎたいでしょう。彼女はお人好し疑惑なのでお義父さんに聴かせたいと言って南三区六番地で道芸はどうか提案しませんか?」
借金返済話が本当ならなぜ他人の借金返済なんてするのかとか借金返済は優しさではないとは何か、とあれこれ気になるけど目も耳も塞いで無視して考察もしないとメルに宣言。
あの芸で人が集まるからで近くに出店を出して儲けよう。間に合うなら三月中にして桃の節句の小祭り風。メルがやり取りすると良いと伝えた。
売れ行きが良かったら雇用料を支払うと言えば稼ぎたい彼女は乗ってくるかもしれない。
「あの素晴らしい演奏をメルさんも家族親戚も楽しめます」
「悪くない案というか人集めに良さそうです。手紙を送って提案してみます。私もこの道芸話の一度きりにします。嫌ではないけどなんだかモヤモヤ気になるので副神様の悪戯という言葉通り深く付き合ったら何かある気がします」
だから余計に腹が立ったそうだ。ハムスターと戯れて可愛かった話の時の俺の顔には特に。しかも三回も同じ話をしたから。メルに頬をつねられた。
(メルがこう言うなら俺はデレデレしていたんだろうな。遊霞沼にハマると色遊びとは違ってタチの悪い不倫になるから激怒。無料だからつい遊んでしまった、ならそこそこ怒っただっただろう)
あの芸とお嬢様感で客の気を引いて、彼女は買えないと宴席や他の遊女を勧めて菊屋自体の沼にはめる。
そうなると遊霞にもあれこれ見返りがありそう。
(菊屋怖え。天下の一区花街の大店だからな。接客下手ではなくて俺にもなにか仕掛けてたか安客で使えないと思われたんたろう)
手ですくうように持つみたいだから二人の見本で持ってみせて、という夕霧花魁の遊霞への台詞も怪しく感じてきた。
(二人の見本って……。この考察が沼に繋がる! もう考えない!)
この後は子ども話へ移行。子どもは欲しいけど離縁して再婚したら出来るかもしれない、みたいな気持ちはゼロ。
むしろ出産死や子どもが亡くなる事に直面しないから三十歳を節目にポチの兄弟、別の看板犬を飼いたい。
そういう事を考えながら話したことがなかったと反省して謝った。
「昔々に話し合いは大切と学んだのに私達は大事な話をしていないですね。しょうもない女性からあまり成長していませんでした」
「話すことが沢山あるしついつい楽しいこととか仕事のことになるから二人で反省しましょう」
「言葉選びにも気をつけて欲しいです。うんざりって私の存在とかそういうのかと思いました」
「本当にすみません。喧嘩と自分にうんざりなのに。早く仲直りしたいからうんざりなのに言葉足らずです。少し待って出掛けたら良いのにあんな逃げるみたいに」
この際だから我慢していることはあるか、という話を開始。二人とも小さい事だけど結構出てきた。
寒いけど起きて、いつの間にか書かなくなった二人で使う筆記帳を開いてどんどん記入していく。
書き出してどう解決するか話し合って次と続けていく。しばらくこれは毎晩継続。
記入内容変更やまた書かなくなると困るので曜日を決めて強制にしようと約束。
「それにしてもシエルさんが遊女嫌いとは知りませんでした。私が初なのも」
「格好悪いと思われたくないです。失敗したくないと必死でした」
「比較対象がないのに格好悪いもなにもないです」
「……あっ。そう言われたらそうです」
最初のキスも緊張が激しかったけどメルのカチカチ固まりぶりが凄くて少し落ちついてなんとかなった。
俺はあの時メルはこれが初だと思ったし、後日恥ずかしそうに「初めてだから失敗しました」とか自分は嬉しかったけど呆れたり変だと思わなかったか恐る恐る尋ねてきた。あれは可愛かったし浮かれた。
そうやってイルへの嫉妬心はあっという間に消えた。
「私のシエルさんに触ったのは誰、くらいに思っていました」
このくらいの声の感じや少し笑っている妬きもちは可愛い。
「イルさんは異動か。最近気になったのは俺もメルさんと同じ勘ってことです。戻ってくるな。さらいに来るなと心の奥底で無自覚にずっとそう思っていたってことなのかなぁ。自信のなさや不安の現れで嫉妬心とはまた別です」
「来られてもシエルさんとこの家から離れないですよ」
「昔の恋が燃え上がるのは噂だとあるある話です。知らなかったけど今回はそういう時期だったとは恐ろしい」
「かつて恋仲だったらなくはないと思いますけど短期間の片想いで辛辣に袖にされました。私も袖にしましたけど。シエルさんをずっと選んでいます」
「うん、まあ」
「イルさんを気にするよりも私をちょこちょこ口説く男性に何も思わないのですか? たまに現れますよ」
「……えっ」
「嫌だから相手していませんけど。シエルさんは自分につく虫も気にしてないですしね」
握りつぶした手紙が自分の分や俺の分も片手の数くらいはあるし二人ともたまに遠回しに口説かれている。そう教えられた。
だからむしろそっちを気にして欲しいと言われた。
「思ったより多そう。俺は鈍っ」
「そう思います」
「他の男には余裕で勝てると思っているんでしょう」
「ふふっ、イルさんには勝てないのですか?」
「あれこれ思うし、飴一つを譲るだけであんなに悩むのかってまだ思い出します。ああ、借金返済は優しさではありません。返した事でなにか……危ない。沼にはまる」
本当の優しさとはなんでしょう。メルは子どもが出来なそうな自分の子どもが欲しい俺が半分ずつ譲るのは何か。提案を考えてから俺と話し合いと思っていたと口にした。
蓋を開けたら俺は子どもよりメルで、いないならいないで構わないしメルが出産死や子どもが半元服前に亡くなりやすい現実と直面にも及び腰。
大切な人と譲り合いには話し合いが必須なのに、前に学んだのに忘れていたのはメルだけではなくて俺もだ。
「いっそ二人で考察してそこで終わりはどうですか? 考えないようにするって考えています」
「そうします。考察どころかこうだと決めつけましょう。明日」
話し合いは大体終わり。どちらともなくキスをして、もう断られなそうと思って燃えたらメルもだった。
はしたないけど誘おうと思う事があったと言われてそれは嬉しさで衝撃だったので、はしたなくなくて逆!
こういう誤解もあるなら色話もたまにしようと約束。少し喋らせたらかなり照れたのでこれは良し。なぜ俺はこういうことを今までしなかった。
夫婦に人気のお洒落な連れ込み茶屋は南三区花街にもありそうと話したら、連れ込み茶屋は何かと言われた。これもわりと衝撃的。
メルがそれ系には疎いのはまだまだそうってこと疑惑。雨降って地固まりそうだし新しい楽しみをあれこれ見つけてしまった。
数日後、回覧板と一緒に回ってきた新聞に南西農村区の街に大狼が襲撃した事件が載っていた。
その数日後、メル宛に遊霞から手紙の返事が来た。
南三区六番地の観光をしたこどがないので桃の節句の日に南三区立庭園で道芸を致します。交渉事はなにもしません。そういう内容だった。
結婚記念日の桃の節句の日の前日、義父が熱を出したので家族は留守番と決めて出店は予定通り従業員達に任せた。
義父の熱は風邪と医者に言われたから行ってきたらと義母に言われて、結局義母を残して少し道芸を観に行くことにした。
遊霞ことウィオラは海辺街での道芸の時と同じように半面の獅子のお面を被って茶室近くに簡単に作られた場所で芸披露していた。観覧席も用意されている。
先に来ていた実家家族に尋ねると大興奮。特に子ども。楽しい踊りを見て「縁起良し。おめでとう」と騒いだらしい。
俺達が到着した時は琴の演奏を披露していてたまに歌付き。俺達夫婦の思い出の曲ばかり。
俺とメルもの思い出の曲の数々を優しくて温かい音色で演奏してくれるから尚更幸せを感じた。
出店や茶会目的だった人々が惹き寄せられて多くの者が見惚れ、聴き惚れている。
演奏の合間に俺は話しかけずメルだけ彼女に話しかけて義父が来れなかった話はせずにお礼を告げた。これでもう手紙を送らないから交流はないはず。
「シアド兄上。海辺街よりもすごい額ですね」
「演劇で続きを観たいならお金を寄越せというがめつさは今日はないです」
「演劇はなんだったのですか?」
「蛇の恩返しです。桃の節句だからでしょう。鬼退治場面に子どもを招いてこの子達も前に行きました」
「楽しかったです!」
「私も琴をこんな風に弾きたいです」
楽しい時間を過ごして義父が心配なので嫌姉夫婦と途中で帰宅。その日の夕方にメルと最近また元気めなポチも散歩していたら衝撃的なことに遊霞発見。今日一緒なのは女性二人だ。
行きつけかつ商売相手の佃煮屋の女性従業員へ向かって「海苔の佃煮なんて初めてです」と満面の笑顔。
(そこらで売ってるけどな)
俺はメルと顔を見合わせて回れ右。そう思ったのに勢い良く走り出して紐が俺の手からすり抜けて自由になったポチがウィオラへ突撃。
「あら、犬さん。愛くるしいぽたぽた模様の犬さんはどちらからいらしたのですか? わたあめみたいな毛並みですね。くす、くすぐったいです」
しゃがんでポチを撫でたウィオラはポチに頬を舐められてニコニコしている。
(ぽたぽた模様ってなんだ。わたあめも分からない。他地区出身は本当ってことか⁈)
「……。メルさんお願いします。俺はここで背中を向けています」
「……。はい」
しばらくしてメルが戻ってきてポチは彼女の腕の中で軽く暴れて珍しく小さく吠えた。彼女と遊びたい、不満だというように。
「驚き顔をされましたが挨拶とお礼をして逃げてきました。南三区六番地どころか南三区が初めてで観光で屯所近くの宿に泊まるそうです。遠ざかるようにトト川を勧めておきました」
「そうですか」
「ポチが初見で懐く方はかなり珍しいです」
「ええ」
「もう会わないと思いますが会ったら教えて下さい。何度も会うならシエルさんではなくて私が接触します。悪い印象がないです」
「そうして欲しいです。縁がありそうなら友人になって下さい。メルさんの友人に手を出すことは絶対にないです。俺はそういう人間です」
「私もそう思います。気になり過ぎて聞いたらわたあめは食べられる雲みたいな砂糖菓子だそうです」
「そうですか」
その後、彼女からメルへ手紙は当然こないしメルも手紙を送らず。俺がどこかで偶然ウィオラと会う事は特になし。
メルの時みたいにちょこちょこ偶然会ったら怖かったので一年が過ぎてホッとした。




