縁結びの副神の微笑み12
約一週間後、シアドと共に海辺街へ漁師と定期交渉へ行ったら衝撃的な事に遊霞が道芸をしていた。
着物は葡萄柄の訪問着で垂衣笠を顔が見えるように被っている。
顔が見えるといっても顔半分が隠れる狐のお面姿。この声は短期間では忘れられない。
「へえ。これは得ですね。良い歌で鈴舞も美しい」
「え、ええ」
春売り借金登録者だと花街から出られない。ここにいるということは彼女は違うということだ。
売られたのは嘘だと確定。つまり彼女は彼女の意志で菊屋で働いている。
「ねぇアンジュ。鐘に隠れたって無駄なのよ」
「おっ、劇なのか?」
「貴方の香りは特別だから」
妖しい笑みを浮かべた彼女がこちらの方へ向かってくる。特別だから……。
「地の果てに去っても見つけられる」
歩き方が優雅で目を奪われる。俺を見てる? まさか。これだけ大勢の人がいる。お面なので目線不明。
「私を騙して逃げて許されると思って?」
遊霞の鈴付きの棒を持つ右手がこちらの方へ伸びてくる。
なんだか怖っ。彼女の唇は歪んだ笑みを浮かべている。目は見えないのに血走った目で見据えられている感覚。
「ねえ、アンジュ」
甘ったるい誘うような声で唾を飲んだ。
「ねえ」
泣きそうな声。
「アンジュ……」
俺はシエル……。
シャラン、シャララランと鈴が鳴った。遊霞は品の良いお辞儀をすると「続きは皆様の懐次第です」とぐるっと周りを見渡した。
次はお金を置くところ、地面の上に広げてある風呂敷を鈴棒で示してシャンシャン、と鳴らした。
「うわあ、上手いですね。さっき観たばかりだけど気になります。なあシオン」
「ええ兄上」
道の上に広げられた小さな風呂敷の上にお金がかなり乗っている。そこにさらにお金が増えた。シアドも俺も追加。
「それでは皆様、お終いに致します。続きはどこかの陽舞伎一座の再演をお待ち下さい」
シャンシャンと鈴を鳴らすと遊霞は風呂敷を掌で示した。口元は微笑んでいる。
「おお。額が集まらなければ終わりって高飛車な方ですね」
高飛車だしがめついとも言う。俺とシアドが少し上乗せしてしまったように、この煽りで金額が増えたので遊霞は鈴を置いて三味線を手にして演奏を開始。
知らない曲で酷く切なくて悲しい旋律だ。舞ながらごくごく自然に三味線を地面に置くと彼女は懐から扇子を出して広げて別の舞を披露。
派手な衣装の美女数名だった夕霧花魁達の舞と迫力というか印象が互角な気がする。
「忘らるる」
扇子を使った美しい舞から目が離せない。
「身をば思はず」
唇は悲しげでとても苦しそう。震えて見える。
「ちかひてし」
声も苦痛に満ちた響きだ。
「人のいのちの惜しくもあるかな」
忘れ去られる私の身は何とも思わないけど、いつまでも愛すると龍神王様に誓った方に神罰が下って命を落とすことになるから惜しまれます。
メルがイルに失恋したばかりの時に彼とは何も誓い合っていないからこの龍歌にはならないと口にしたな……。
裏切った男がアンジュで彼に愛憎のある女性がアンジュを追いかけている話のようだ。
「神とは我也」
パシンッと扇が閉じられた。
「たとえ神が許そうと私は許さない」
扇が俺に突きつけられた気がして後退り。殺されそう。
「アンジュ、アンジュ、アンジュ。ねぇ、アンジュ……」
最後の名前の呼び方は涙声で胸が締めつけられた。
「愛おしいと語ったその偽りの口など裂けてしまうが良い!」
彼女は扇子を持つ手を真横に切った。次は縦。
それから泣き出してうずくまって天を仰いで扇を喉元に突き立てた。それで倒れてしばらく動かず。男を殺して自害ってこと。
よく見たら三味線の近くに戻って倒れていて彼女はゆっくりと体を起こしながら三味線を手にして正座。今度は語り弾き。
狐姫は嘆きながらその場で自害。十字に斬られたアンジュは釣鐘に磔にされていて夜明けに和尚が発見。
鐘の周りには狐の剃刀が大散乱。それで鐘の下には血塗れの狐が一匹横たわっていた。
和尚はその傷だらけだった狐を優しく看病。琴も素晴らしかったけど三味線の腕前も凄いし声が心地良い。
「しばらくすると狐は消えていました」
(狐の剃刀ってなんだ?)
「すみません。家を亡くしてこの寺で休めないでしょうか。掃除をしていた和尚に世にも美しい女性が声を掛けました。物語は最初に戻るのかはたまた別の結末を迎えるのか……。それはまたの機会に」
ベベンッと三味線を鳴らすと遊霞は片手を狐の形にして「コンッ」と告げてニコリと笑った。拍手喝采で俺も自然と大拍手。
彼女は狐の形の手で風呂敷を示している。まだ寄越せってことか。がめつい。しかしこれは素晴らしかったと俺の財布の紐は緩んだ。シアドも「これは素晴らしい」と同じく支払い。
彼女に向かって人が集まろうとしたけど遊霞は「芸しかしません」と人々を牽制する女性と共にそそくさと去った。
「どこの置き屋所属みたいな宣伝はしないんですね。いや、先にしたのか。すみません」
シアドが近くにいた者に声を掛けて尋ねたけど演目名すら分からず。
「兄上、俺は彼女の所属先を知っています」
「そうなのか? なんだ、それを早く言って下さい」
説明しながら近くの食事処へ入って席に案内されたので着席。
「十七銀貨なんてとんでもない話のようであの芸を独占可能ならそうでもないです。あの道芸は得過ぎですよ」
「あのお金の山、道芸でいくら稼いだんですかね」
「あの感じは店で一刻と同程度までありえます」
「俺もそう思いました」
「色も春も売ってない生娘らしいです。お店に借金がないのは今日確定です」
「講師と宣伝が本職。それが本当なら宴席芸妓はついで。宣伝を見て芸を買いたいという希望が多いからか上から目線の高飛車条件なのでしょう」
「売れなくても講師と宣伝で給与が出ているから怖くないって事ですよね」
「自分なら出て行って他の店を宣伝すると言います。講師って遊楽女や遊女が似たような芸を覚えるってことです。短期よりも長期を見据える。店の格上げや他店との差別化に利用したいですよあれは」
「あれだけ稼いだのにご馳走しませんってウィオラさんは相変わらずケチですね」
「ええ。守銭奴ですのでお支払いは各自でお願いします」
俺は思わず振り返った。この声は遊霞。
パチリと女性と目が合った。
美人! ではないけどブサイクでもない平凡地味顔で俺としては好み。
彼女は眉間にしわを作ってお品書きを顔の前で広げて顔を隠した。
(今のが遊霞さんの素顔……)
「どうしましたシエルさん」
「今の声、道芸の方だと思って」
「へえ、よく気がつきましたね。どの方ですか?」
シアドも軽く後ろを振り返った。
「俺の右手後方の女性二人組。お品書きで顔が見えない方です」
「ああ。着物で分かりました。ジロジロ見るのもあれか。謎や秘密って気になるものだから後でさり気なく話しかけてみましょう」
俺達は運ばれてきた刺身定食に箸をつけ始めた。
「ウィオラさんはそんなに稼いでそのお金をどうしているのですか? 海へ来るだけで私兵雇用は屯所が潤うし私の特別手当も出て嬉しいです」
私兵雇用? 屯所? あの女性は女性兵官なのか?
「貯金です。お金はあればある程良いです。あの街では悲惨な方を多く見ます」
「お店の視察で噂を聞いたのですがお店の借金登録者達の借金を減らしているって本当ですか?」
「そのような方がいるのですね。私は生活も仕事の大半も皆さんとは別です。無関心です」
「嘘つきですね。内儀さんにウィオラさんだと聞きました」
「そうですか。内儀さんが嘘つきなのでしょう」
「またまた。あなたは優しいです」
「借金を減らすのは優しさではありません。自己満足の偽善です。己可愛さです」
「本当なのですね」
「あっ……。まあ、はい。自分の為です」
……。
席が近いから大きくない声なのに会話が良く聞こえる。
遊霞ことウィオラがお品書きを置いて二人は店員を呼んで注文。
「兄上、今の会話聞こえました?」
「ん? いやなにも。シエルさんは昔から耳が良いですよね」
俺はシアドに今の会話を教えようとしたけどウィオラと女性兵官疑惑の会話が気になるから「まあ」という返事だけにした。少し聞き逃した。
「おすすめ日替わり定食って贅沢しないのですね。先程あれだけ稼いだのに」
「遊び用の金額は決めてあります。お金は大切です。それにおすすめの内容はとても美味しそうです」
「目標金額が貯まったらお店を出て行くのですか?」
「ええ、そうです。地味な仕事で平凡に生きていきます。貯金がしっかりあれば安心です」
従業員が似たような話をしていたな。家の借金を返したら自分で人生を選びたい女性だと聞いた。嘘か本当か不明だけど。
「家には帰らないんですか? 北地区でしたっけ」
「中央区です」
「前は東地区と言いませんでした? その前は西地区です。これで王都一周です」
「ふふっ。嘘つきです。借金で一家離散や没落で見下されるという悔しい思いをしたので守銭奴です。私に家はありません」
「前は婚約者が暴力男で家出って言いませんでした? 他の者達みたいに言うことがコロコロ変わりますよね」
「はい。婚約者が大嫌いで結婚したくないから家出です」
「あはは。また違いますね。ついさっき没落と言ったのに」
「はい。私は嘘つきです」
声色が低く切なげに変化したのでつい振り返るとウィオラは寂しそうに微笑んでいた。よるべないというかなんというか。二人に料理が運ばれてきた。
「本日も有り難くお恵みをいただきます」
ごくごく自然な当たり前みたいな顔と動作のウィオラをやはりミレイみたいなそれなりの家のお嬢様のようだと感じた。
「ああ、そうでした。本日も有り難くお恵みをいただきます」
「そうですかとはなんでしょうか」
「ウィオラさんに雇われてこうしてたまに一緒に食事を出来るので真似をしたら品良くなって縁談で役立つと思っています。役立ちました」
「お見合い話の続きを聞きたいです。真似でしたらお箸はこのように、器はこうです」
ここからは女性兵官疑惑の女性が自分の縁談話を始めた。
俺としては興味のない会話になったので食事に集中。
二人と会計時間を合わせたシアドが「道芸を見ました。素晴らしかったです」と話しかけたら「お嬢様はどなたとも話しません」と女性兵官疑惑の女性に一刀両断。雇用と言っていたし用心棒なのは確かなようだ。
ウィオラは俺達から顔を背けながら会釈をしてさらに背中を向けながらそそくさと店を出て行った。
すれ違う際、ウィオラの横顔は若干顔色が悪かった。
シアドに尋ねたら煌護省や屯所でお金を払うと家柄や家業制限はあるけど兵官を私的に雇用出来る制度があるそうだ。
お金がありそうなウィオラはその制度を使って女性兵官と海観光へ来た可能性大。道芸で事件に遭いたくないのだろう。謎人物の謎はますます深まってしまった。
働いて帰宅してメルに道芸の内容を話したら考察してくれて内容理解が深まりより楽しかった。
狐の剃刀は彼岸花の仲間。アンジュを恋慕って裏切られた感じの主役女性は狐、化狐だったという終わり方だけど蘇ったから副神様の可能性。
副神様は動物によく化ける。なので狐と人の悲恋物語のようで悪色欲を持つ者を懲らしめる天罰教訓話でもある。
「えっ? どういうことですか?」
「彼岸花は龍神王様が罪人に与える花です。神とは我也という台詞があったなと戻って考察です。龍歌も天罰が下りますよという龍歌ですから」
「ああ、点と点が結びついていませんでした。さすがメルさん」
人は生来悪四欲であるので死を迎えた者は皆罪人。善四欲を得ていれば彼岸花は白い彼岸花、曼珠沙華に変化して天の国への通行手形となる。
明らかな罪人、龍神王様が天罰を下す者には決して変化しない彼岸花が降ってくる。
彼岸花は口にしたら死ぬ、血飛沫のように見える唐紅の花なので龍神王様が天罰を下す者には決して白く変化しない彼岸花が降ってくるという。
悪者は血飛沫をあげて死ぬという意味だ。酷い浮気をするような人間は龍神王様や副神様が罰を下して懲らしめる。
こういう知識はあるのに物語とは繋げられなかった。
「遊霞さんの……」と口にしたら和やかな空気が一変、メルに突然睨まれた。
「毎日、毎日、遊霞ってうるさいですよ!」
「えっ」
「デレデレ鼻の下を伸ばして惚けた顔で遊霞。今夜なんて急に話題変更。毎日気分が悪くて限界です!」
怒った。メルが嫉妬で大激怒。こんなメルを初めて見た。
多少妬かれたいと思っていたのにこの激怒に大粒の涙は全く嬉しくない。
話題変更って道芸は彼女の……まだ遊霞がしていた、とは言っていなかったな。今言おうとした。
「彼女にデレデレではなくて素晴らしいからメルさんが喜ぶ……」
「せめてこっそり通って顔にも出さないで下さい! こんなものまで家に持ち込んで!」
足元に投げつけられたのは手紙と小さい鞠のようなもの。
泣き続けるメルは俺に背を向けて家から出て行った。追いかけたけど見失って行方不明。
手紙はなんだと思ったら最近つれなくて寂しいです。あの言葉を信じて待っています。お揃いの誓いの証を眺めて頑張ります。そういう内容。名前は書いてない。
(……げっ。見送りに来た撫子さんな気がする。遊ばれた! 便乗客で無料で遊べるのに高い自分と遊ばないのかと怒らせたか、この手紙を気にした俺がまた来るようにって罠か何かだ!)
ほろ酔い、演奏に大満足、かなり会いたくなったメルに会いに帰る、あの演奏を二人では喜ぶし俺も楽しいだろう、メルと一区へ日帰り旅行、みたいに上機嫌だった。
確か俺は店の出入り口で泊まっていってという撫子の手を気分が悪くなると払ったな。宴席中も似たようなことをしている。
あの浮かれ気分の間に、既に不機嫌だった彼女に袖の中に手紙を入れられた疑惑。
思い当たるメルの行き先……と思って彼女の幼馴染の家に行ったらいた。とりあえず連れ帰り。
それで寝室で話し合い。やましい事はないから普通に説明したら「謝りもしないんですね」とまた睨まれた。
「そりゃあ、謝ることを何もしていないです」
「手紙が嫌がらせか営業でも、毎日寝る前に遊霞は大不満です」
「ですからそれは話した通りメルさんと聴きたいとか喜ぶかなみたいな思考回路です」
涙を拭おうと手を伸ばしたら手を払われた。
「遊び回った手で触らないで下さい!」
「遊び回った事なんてありません。遊び回るどころか一度も遊んでいません」
「男性は多少仕方ないと言いますけど他の女性を可愛い可愛いなんて大変不愉快です」
言ったっけ。言ったな。いや、でも可愛い言動だったから男が釣れていたとか、お嬢様が嘘でも信憑性があるという台詞の枕詞だ。
「客観的意見です。感想ではなくて考察です」
「客観的ってシエルさんの主観です。考察は感想です」
「何もしてないしメルさんの事ばかり考えていたのにそんなに怒られても困ります。困るというか疲れるというか」
俺はずっと律儀で信用のある男なのにこの不信感に若干嫌悪感。いや嫌悪感。嫉妬くらいしてくれと思っていたけど掌返し。
「居場所の分からない外泊をしたことなんてないし余所見をしていないのはよくご存知なのに。メルさんこそ前科者で地区兵官とすれ違うと目で追って……」
これは口が滑った。もういいや。この際だから言ってしまえ。なにせメルはとても気まずそうな表情を浮かべた。これにはムカっ腹。
「不愉快なのはこっちです。俺はあの時君の話を鵜呑みにしたけど聞く耳持たず。結納時から今日まで腹の中で何を思って過ごしているのでしょう」
イラッとしてつい吐き捨ててしまった。ここまで言う必要なんてないのにこの台詞とは積もっていたようだ。最悪。
彼女の気持ちが自分に向くのを隣でずっと見てきたし、最近気になっただけなのにこんな八つ当たりの仕方。心が狭くて情けない。
メルは予想外のことに無表情で涙を流して部屋から出て行ってしまった。
(反論してくれよ……。ずっとって嘘だろう……。いやでも俺と結婚は利害の一致が一番大きくて……)
信じていたはずなのに足元がガラガラと崩れていくような感覚がする。
イルへの嫉妬心なんて長年忘れていてふと気になってイライラしだしただけだ。
メルに触ってなさそうな恋人未満だったイルなんて無関係で、苛立ちの根本はご無沙汰や態度から感じるメルから俺への気持ちに対する不安。
なのにずっとメルの想いを疑っていたみたいに伝わってしまった。
スパンッと襖が開いてメルは俺に紙を投げつけてきた。それで彼女は何も言わずに襖を乱暴めに閉じた。
何の手紙と思ったら「遊霞さんへ」という出だし。
メルと確実に演奏を聴きたいと思ってお礼の手紙と予約の依頼と思い、途中まで書いて住所を調べたり忙しくて書こうとしたこと自体を忘れていた。
(……。悪戯手紙とこれってまるで状況証拠……。うわああああ。違うのに!)
最悪なことにここにも知り合った頃の義姉のように可愛らしい言動でどう考えてもそれなりの育ちの方、って書いてある。書いたな。
没落華族なら辛いだろうとか、遊女ではなく芸妓でいられるあの腕はどう磨いたのか気になり過ぎて書いた。
(せめてそこまで書けよ俺! 色春を売らない芸妓なのにってそこまで書いて力尽きろよ! ここまでだとお礼と可愛いしかなくて、妻のつの字もない!)
やましい内容ではないから放置して眠いから寝てメルが読んで激怒という流れだ。
机の上からなくなったことさえ失念。メルが今夜まで黙っていたのは俺の素行調査とか信じようとか何かしら。
俺は毎日遊霞という単語を口にしていたようなので、我慢出来ずに噴火ってこと。
(最悪過ぎる誤解だ……。そこに俺は最悪な追撃をした……)
信用信頼は積み重ねだけど破壊は一瞬とはこれのことかも。
その日からメルは俺と寝室を分けて親と寝るようになり全然俺と口をきかないし目も合わせない。おまけにかなり食べない。
話しかけようとしたら逃げるので話し合いにならない。四日後、予定していた南西農村区の村と街へ出張する日を迎えた。
従業員二名とハンと農家へ挨拶や契約話や手伝いに街で商品を売ったり色々。今回はシオン家族も旅行でくっついてくる。
「あの、シエルさん。行かないか後日に……」
「かなり前から予定調整したのに何を言うているんですか。行ってまいります。帰ってきたら話し合いましょう。もううんざりです」
しなくて良い喧嘩を続けるなんて無意味だ。限定浮絵と無料で雲の上の花魁を見られる事に釣られたせい。
手紙の悪戯に気がつかないぼんくらだし、毎日デレデレ顔なら多分デレデレしていた。
メルがあの感じだと良いなとメルに繋げていたけどそういう言い方をしていない。
助けられたお礼だけ、少し話してみるだけ、お礼の手紙を一度送るだけ……とメルは初恋の君と距離を縮めていった。
俺もお礼の手紙、から始まってかもしれない。
あの謎だらけのウィオラは気になって、彼女の顔色がなぜ悪くなったのかとか、あの寂しそうな顔やよるべなさは何か聞きたいと思ってしまうからズルズルは無くはない。
最初に理性、なら俺は仕事で儲かる可能性があるからハインに付き合うなんてしてはいけなかった。
そうしたらメルと結婚後初の調味料みたいな痴話喧嘩ではない嫌な喧嘩をしなくて済んだ。
明日は危ういと知っているのに、おまけにメルの勘は時に鋭いのに、メルの出張中止か後日という言葉を無視したり、仲直りを後回しにした俺は大馬鹿野郎だ。




