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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第四部
99/136

96の話~恋と病~

 その日もよい天気に恵まれ、ビアンカ達は王の果樹園でひと時の穏やかな時間を過ごしていた。

「この大きな黄色い実は、何に使うのかしら」

 アデルが不思議そうに尋ねる。

「風邪薬です。抽出に時間がかかりますが、喉に大変よく効きます」

 ビアンカは楽しそうに歌を口ずさみながら、いくつかの子どもの頭ほどの大きさの黄色い果実をかごに入れていた。


 遊びに来ていたメイフェアが、その作業風景を眺めながら、差し入れのつもりで持ってきたりんごのパイをもぐもぐと口にしている。

「ステラ様も修道女姿が板についてきたようですわね。時々転びそうになっていますけど」

 両手に重い果実が詰まったかごを難なく抱え上げ、ステラは「この程度は朝飯前です」とたのもしい言葉を発している。


「でも、いいんですかね。あれから騎士団は、随分様変わりしたようですけど。いいような、悪いような」

 個人的に寝酒を造りたかったアデルは、王の山葡萄を少々拝借して、鋏を入れていた。

「ステラもたまに、荒れることがあるようだけど、それなりに消化してるんじゃないかしら」

「何をのん気な。ロメオ様がやりたい放題ですからね、本当にあれでいいのかしら。騎士団をハーレムと勘違いしてらっしゃるみたいだし。まあ、半分は冗談だと思いますけど」


 ステラが副団長に就任してからは、詰所内での賭け事は禁止されてしまい、それまでは団長が黙認してくれていた密かな楽しみが消えてしまい、騎士団の中からは「堅すぎる」という声が上がっていた。

「やることやってれば、何してもいいんじゃないの」

 と、早速ロメオが率先して、暇つぶしにカード遊びを始めていた。

 式典もせまりつつあるというのに、本当に大丈夫かしらね、とメイフェアはため息をついた。


 それだけではなくメイフェアは、最近ロメオ様があまりおうちに帰ってこないんです、とエミーリオから聞かされていた。

「朝帰りは駄目だという決まりもありませんし。ヴィンス様もそこまで気にとめていらっしゃる様子もないんですけど、以前と比べたら、明らかに不健康な生活で、心配です」


 ふうん、と呟くと、アデルは無意識につるから引きちぎるような手つきで、乱暴に山葡萄の房を籠に投げ入れる。

「年増で、可愛げがなくて、優しくなくて、悪かったわね」

 ぶつぶつと小声で呟くアデルを、メイフェアはしまった、という顔で眺めていた。

 もう少し丁寧に扱わないと、実が傷つきます、とモニカが慌てて飛んでくる。


 そうだわ、と思い出したようにビアンカが言い、モニカに尋ねた。

「まだ、北の庭園には石鹸草は残っているのでしょうか。しばらくあそこを訪れていないので、何が残っているのか知りたいです」

「よろしかったら、ご一緒しましょうか。今が刈り時ですよ」

 二人はいそいそと、北の庭園に向かっていった。

「あの子も、なんだかんだで楽しそうにしてるわね。思いつめて変なことされるよりは、ましだけど」

 メイフェアは複雑そうな顔で、その後姿を見送った。

 


 ビアンカはモニカの手を借り、様々な薬草を次々と摘んでいた。その間も、やはり楽しげに歌を口ずさんでいる。

「それだけ覚えてらっしゃるなら、式典も万全のようですね。おじいちゃんも、とても楽しみにしていると言っていました」

「おじい様のお加減はいかがですか。寒くなってきましたし、お体に堪えるのでは」

 一度きりの面会ではあったが、ファビオの芳しくない容態は、ビアンカの心に引っかかっていた。

「もう年ですから、仕方ないです。それにおじいちゃんの年なんて、誰も知らないみたいですし」

 自分が子供の頃から既に、声だけはでかいよぼよぼのじじいだった、とランベルトは言っていた。


「君たちがここに来るなんて、珍しいね。前はみんなで仲良くここで暇つぶししてたものだけど、時の移ろいは無情というか、必然というか」

 騎士団の制服を着崩したまま、ロメオがのそりと現われ、石造りの椅子に腰掛けた。

 ご苦労様です、とビアンカは言い、しばらくの間、だるそうに肩を回すロメオの様子を険しい顔でうかがっていた。


「何、何かついてる?そんなに見つめられたら照れるんだけど」

「いえ、そうではなくて…随分お顔が赤いようですけど、お風邪ですか」

 両手を頬にあて、ロメオはだるそうに言った。

「なんか熱っぽくてふらふらするんだよね。最近忙しかったからかな」

「今日は早くお帰りになって、ゆっくり体を休められた方が」

「そうもいかないんだよね。さっさと仕事終わらせて、お出かけしないと。先約があるんだ」


 それじゃあ、と言って立ち上がるロメオの視界が一瞬揺らぎ、思わず土に片手をつく。

 驚いたビアンカが駆け寄り、その体を支えて立ち上がるのを手伝った。

「すごく熱いです。お熱がこんなになるまで、放っておいてはいけません」

 ロメオの顔を見上げたビアンカの表情が一層険しくなり、乱れた襟の間から覗く首筋を凝視していた。

「あの…、この発疹は何でしょうか。もしや、お体のあちこちに出来ているのでは…」

「なんか、日増しに増えていく気がするんだけど。何か悪いものでも食べたかな」

 いいえ、ときっぱりと言うビアンカは、見たこともないような形相でロメオを睨んでいた。


「大変申し上げにくいのですが、どなたかから感染したのではないでしょうか。…花街の方とか」

 まさか、と熱っぽい顔でビアンカを見つめ、ややあってからロメオは「もしかして、あれ?」と怯えた表情になった。

 無言でビアンカはうなずき、「絶対安静です。他の方にも移りますから、隔離しないと…」と言った。

 そんな馬鹿な、と言うとロメオは今度こそ膝から崩れ落ち、ビアンカはおろおろと助けを求め、うろたえているモニカに言った。

「至急、どなたかをお呼びして下さい。旧詰所で構いません、あちらにロメオ様を移動させないと」



*** 



 移るから近寄らないように、と王宮内の医者に宣言され、たちどころに詰所内から人気が消える。

「ほんとに、ほんとなの、随分重い気がするんだけど。ぶつぶつが出る風邪とか、あるじゃない」

 苦しい息の下で、ロメオが喘いでいる。

「よくはわかりませんが、変異しているのかもしれませんね。ジュリア様の症状と、あまりにも酷似しています、むしろロメオ様の方が、重症かもしれません」


 医者に渡された薬を飲み、ロメオは再び寝台に横になる。

「それよりも、接触した方々の予防薬が必要ですね。手持ちのもので、足りるかどうか」

 ビアンカが厳しい顔をしてぶつぶつと言っている。

 それよりもって、僕はどうなるの、とロメオが情けない声を上げた。

「死ぬ病ではありませんが、あまり進行すると、お体に何らかの影響は残ると思いますよ」

 そう告げるビアンカの口調は、どことなく刺々しかった。

「取りあえず、足りない分の薬を調合してまいります。どなたか交代で看病しますから、ご安心くださいね」

 そう言いつつも、やはり巫女様の口調に優しさが足りないような気がする、とロメオは朦朧としながら思った。


 ビアンカは早歩きで外に出ると、自分を待っていたアデルを見つけ、ほっとしたように声をかける。

「調子に乗るから、こんなことになるのよ。自業自得ね」

「すみませんが、もしお手すきでしたら、ロメオ様の看病を手伝って欲しいのですが」

 嫌よ、とアデルは即答して踵を返した。

「騎士団の連中に任せればいいのよ、どうせ暇を持て余しているんでしょうし。ビアンカも、あまり長く一緒にいると移るわよ。少し懲りたらいいのよ、いえ、むしろ悪化しすぎて使い物にならなくなればいいんじゃないかしら」

 ぷりぷりと怒っているアデルの後姿を、ビアンカは困ったように眺めている。

 二人は無言になり、礼拝堂に戻っていった。


 丁度その時、いくつかの書類を抱えて、ヴィンチェンツォとランベルトが礼拝堂から出てくるのが目に入った。

「騎士団が大騒ぎのようだが、また何かやらかしたのか」

 いつになく彼女の表情が恐いのは気のせいだろうか、とビアンカの顔を眺めながら、ヴィンチェンツォが尋ねる。

「ロメオ様が、倒れました。少々感染力の強い病気のようでして…感染経路はおそらく、その…」

 いい難そうにしていたビアンカが、意を決してきっぱりと「花街の方から移ったのではないでしょうか」と言った。

 ひいっとランベルトが呟き、隣にいたヴィンチェンツォに何かを耳打ちしていた。

 しばらく考え込んでいたヴィンチェンツォが、ごくりと喉を鳴らし、「そうか」と重々しく言った。

「閣下から、エミーリオに移る可能性もありますから、旧詰所には近寄らない方がいいと思います。ロメオ様も、高熱が当分続くと思いますし」

 気が付けば、肩まで伸びている髪をかき上げ、ヴィンチェンツォはもう一度「そうか」と言った。


「あなたも、移らないように気をつけるといい。ご迷惑をおかけした」

 思わず顔が引きつるヴィンチェンツォを、不思議そうにビアンカが見つめている。

「だからほどほどにって言ったのに、経費だからとかなんとかって理由つけて通いすぎたんだな。馬鹿だなあ、あいつ」

 経費…?といぶかしげな顔になるアデルに気付き、ランベルトは慌てて目をそらした。

「ええと、まあこちらでも、王都の情報集めでロメオの力を借りたのだが、奴が調子に乗り過ぎたということで…俺もうっかりしていた。人選を間違ったようだ…」

 呆れたように宰相閣下を見上げ、アデルは「あなた方、馬鹿でしょ」と言い捨てて中に入っていった。 


 ビアンカは無言で頭を下げ、アデルの後を追っていった。

「あの、単に遊びが過ぎた結果という訳でもないようですし、仕方ないこととはいえ、早く治るとよいですね」

 アデルの機嫌を取るように、ビアンカが珍しくたくさん話しかけていた。

 肩を震わせているアデルを見て、ビアンカは心が縮こまる思いだったが、やがてそれは笑いをこらえているのだと気付く。

「薬、作るんでしょ。一応騎士団全員分必要ですもの、急がなきゃ」

 はい、とビアンカは嬉しそうに答え、奥にいるステラを呼びに行った。



***



 苦しい、とロメオは呟き、ゆっくりと目を開けた。

 部屋の中は真っ暗で、しかも誰もいない。

 みんな酷いよ、とロメオはかすれた声を出し、月明かりを頼りに、水はどこかと手探りで探す。

 水を一口飲むのも辛く、ロメオは倒れるように寝台に転がり、息も絶え絶えに寝具にくるまる。

 熱い、寒い、痛い、ひりひりする、かゆいし、もう全部いやだ、とロメオはぶるぶると震えながら、意識がまた徐々に落ちていくのを感じていた。


 その時、かすかに花のような香りが漂ってくるような気がした。

 自分がよく知る、あの人の香りだ。

「アデル…?」

 幻覚症状だろうか、とロメオは混濁する意識の下で思った。

 アデルは無言で、そっとロメオの額に手を当てた。気持ちいい、とロメオは思い、固まった体が触れられたところからほぐれていくような感覚がした。


 首筋や腕に、ぬるりとした感触が伝わってくる。

 ビアンカが作った塗り薬だろうか、とロメオは目を閉じたまま、優しい手つきに癒されてゆく。

 本格的に、深い眠りに落ちていくロメオの穏やかな寝顔を見つめ、アデルは終始無言であった。

 廊下に出ると、ビアンカが心配そうにこちらを見ている。

「言われたとおり、全部体中に塗りたくっておいたわよ。のん気にすやすや寝てるわ」

 ありがとうございます、とビアンカがほっとしたように言い、二人は再び詰所の外へと向かっていった。



 それから、三、四日ほど高熱が続き、ロメオは苦しさと戦っていた。

 何度も「死んじゃうかも」と呟き、その度に「死なないから」と冷たくランベルト達に返されていた。

「お前が治るまで、俺も家に帰れないんだよ。メイフェアが嫌がって、当分帰ってくるなって言うんだ」

 ああそう、とロメオは投げやりに言う。

 幾分熱が引いたせいか、少しずつ食事も取れるようになっていた。


 なんでお前なんだろうね、と文句を言いつつ、ランベルトから粥を食べさせてもらっていた。

「文句言うなら、俺ももう来ないぞ。女の子達はここに来ちゃ駄目って言われてるし、仕方ないだろ」

 不器用な手つきでひとさじずつ、ロメオの口元に運んでやる。

「そういえば、アデルって、ここに来たっけ」

「来るわけないだろ、ものすごく怒ってたぞ。絶対嫌、って言ってたし」

 そうか、とロメオはもぐもぐと呟き、あれはやはり幻覚だったか、と思うことにした。



***



 その夜、帰宅が遅くなったバスカーレは、使用人たちに外套を手渡し、そのままアンジェラの部屋へと向かった。

 寝台の上では、くまちゃんを抱きかかえ、アンジェラが窓の外を見ている。

 バスカーレの姿に、アンジェラは喜んで寝具から這い出してきた。

「今日も楽しかったか。すまないな、今騎士団もビアンカ様もいろいろ忙しくてな、あまりお前と遊ぶ暇がないのだ」


 アンジェラは王宮で遊ぶ代わりに、最近は毎日のように母親と過ごしていた。

「うん、今日もおかあさまに、いっぱい買ってもらった。お菓子とか、新しい髪飾りとか」

 そうか、とバスカーレは呟き、寝台の上でアンジェラを膝に乗せる。

「おかあさまと一緒で、楽しいか」

 しばらくしてからアンジェラはうなずき、「でも、お城でも遊びたい」と言った。


「聖誕祭が終われば少し暇になるのだが、それまでは我慢してくれるか。…それに、おかあさまがいるだろう」

「だって、ロッカにも、ステラにも、ずっと会ってないもん。ビアンカも、新しいひざ掛けくれるって言ってたもん。それに、一緒に聖誕祭の贈り物見に行くって、ステラと約束してるの」

「おかあさまと一緒に行けばいいじゃないか」

 黙りこんでしまったアンジェラの頭を撫で、バスカーレは優しく言った。


「アンジェラは、おかあさまは好きか」

 うん、とアンジェラはうなずいた。

「もし、これからずっと、おかあさまと一緒に暮らすことになったら、どう思う」

「みんなで一緒に暮らすの?」

「いや、おかあさまはお仕事があるからな。アンジェラが一緒に、おかあさまのお仕事を手伝いながら、旅をすることになるかもしれんが、それは嫌か。確かに、旅はまだお前には辛いな、でもおかあさまはそれを望んでいる」


「…わかんない。私は、お父様も一緒がいい。それに、みんなに会えなくなるのはいや」

 バスカーレは無言になり、ひたすらその柔らかい髪を撫でていた。

「おかあさまは、アンジェラと一緒にいたいそうだ。異国に行って、いろんなものを見せたいと言っていた」

「お父様は、寂しくないの。一人になっちゃうよ」

 意外と、子どもらしくない気遣いをするものだ、とバスカーレは苦笑する。


「…でも、ステラがいるから、寂しくないかな…お父様のおかあさまは、ステラだもん」

 眉間に自然と皺を寄せるバスカーレであったが、黙ったまま、アンジェラの話を聞いていた。

「おかあさまのお父様も、優しくてカッコいいんだよ」

 そうか、とようやくアンジェラの言う意味がわかり、バスカーレは寂しげに呟いた。

 もう寝なさい、とバスカーレは言い、アンジェラとくまちゃんを寝台に横たえた。


 扉の外で、しばらく肩を落としてため息をつくバスカーレだった。

 あの子の心を乱すようなことを口走って、よかったのだろうか。

 けれど、マグダが現われた時から、それはアンジェラもわかっているはず、とバスカーレは自分に言い聞かせていた。

 いまだに何一つ、答えを見出せないまま、バスカーレは寝る前の一杯を求めて、階下に降りていった。






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