表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
漂う白花  作者: 渡部ひのり
第四部
97/136

94の話~燃えるmeteorite~

 ステラは詰所に戻り、真っ直ぐバスカーレの元へ向かう。

 バスカーレは書類から顔を上げ、「戻ったか」と言った。

「なんですか、あの人は。勝手なことばかり。まさか団長、アンジェラを奥様に渡したりなさらないですよね」

 ステラの剣幕に怯え、他の騎士達が逃げるように退室していく。

「お前さんにも世話をかけたな。今日はもう帰っていい」

 バスカーレは質問に答えることなく、椅子から立ち上がった。

「団長!」

 机を両手で激しく叩き、ステラが怒った顔でバスカーレの顔を覗きこんだ。


「俺も、どうしていいかわからないんだ。巻き込んでしまって、すまなかった。アンジェラとも話し合うから、だからお前はもう気にするな」

 ふいにステラから視線を外し、バスカーレは弱々しい声になる。

「それはあなたが、アンジェラと離れてもかまわないということでしょうか」

「そんなことは言っていない。ただ、マグダの言うことにも一理ある。…お前にも、長らくアンジェラの世話をしてもらって、本当に感謝している」

 真剣に自分を見つめるバスカーレの力強い瞳に、ステラは言葉を失った。

 それはやはり、アンジェラと離れるということを意味しているのだろうか。


 思えば、自分は意見する立場になど、ない。

 ステラは両手を握り締めると息を整え、静かに言った。

「差し出がましいことを申し上げました。少し、驚いてしまったので」

「そうか。俺はお前に怒られ慣れてるからな、いつもどおりだ」

 バスカーレは優しい笑みを浮かべ、もう一度「帰って寝ろ」と言ってステラの肩を叩いた。



***



 バスカーレに言われたとおり、素直に帰宅して寝るステラではなかった。

 いつもの食堂で一人、無言で酒を飲んでいる。

 何杯目の酒だったか数えるのをやめたころ、自分に声をかける者がいた。

「今日はお一人ですの、珍しいですね。アンジェラはもう帰ったのですか」

 ランベルトとメイフェアをちらりと見上げ、ステラは「ああ」と無愛想に言った。


「たまには、子守をお休みするのも必要ですわ。いつも子連れでは、一向に出会いが生まれないではありませんか。もったいないです、すごくもったいない」

 メイフェアはステラの隣に座り、「麦酒ください、大きいの三つ」と言った。

「いったいどこの誰が、私などに興味を持つというのだ。馬鹿馬鹿しい」

 吐き捨てるように言うステラの様子が、いつもと違う、とメイフェアは気付いた。

「とにかく、飲みましょう。それが一番です」


 何も知らない妻の無神経な発言に、ランベルトは冷や冷やしていた。

 今日、バスカーレの元妻が、詰所を訪ねて来たのは知っていた。

 おそらくその件でご機嫌斜めなのだろう、とランベルトは思い、黙って椅子に座っていた。

 女心ってやつね、とランベルトは心の中で呟き、運ばれてきた麦酒に口をつけた。


「そうですねえ、実際、ステラ様ほどのお方になると、そうそう釣り合うような男性もいらっしゃらないですし。今でも充分、貫禄がお有りだから」

 ちょっとやめてよ、とランベルトは焦りながらメイフェアの膝をつつく。


 ランベルトが学生の頃、数少ない女生徒達によって「ステラ様を見守る会」なるものがアカデミアに存在していた。 

 その辺の男の子より、ずっとずっと素敵、と目を輝かせる女生徒達を横目に「君らも不甲斐無いですね」とクライシュが言っていた。 

 それでも、美しいステラに思いを寄せる男子生徒もいた。

「私に勝ったら、考えてもいい」

 とステラは言い放ち、そしてその男子生徒を容赦なしに叩き潰した。

 それ以来彼女は、男性からアプローチされることが皆無になった。


「あ、でも、そう考えると、やっぱりバスカーレ様が一番なのかも。一緒にいると、仲睦まじい親子のようですし」

 それまで黙りこくっていた、ステラの手が止まり、麦酒を持つ手がぶるぶると震えはじめた。

 酔った目でメイフェアを見つめ、ステラが「親子…?」と呟いた。

 もうやめて、とランベルトがメイフェアに懇願する。

 後で殴られるのは俺だ、とランベルトは怯えた表情でステラを見た。


「ええ、可愛い女の子と、頼りがいのある旦那様と、…って、ちょっと、痛いわよ」

 ランベルトを軽く睨み付け、メイフェアが麦酒の入った器をテーブルに置く。

「お、俺、先に帰っていいかな。用事を思い出した」

「家で何の用事があるのよ」

 無理やり特大の麦酒を飲み干し、ランベルトは急いで立ち上がる。

「ヴィンス様に用があるんだよ、うん。二人は飲んでて」

 ちょっと、と口を尖らせるメイフェアを置いて、ランベルトが脱兎のごとく逃げ出した。


「妻を一人置いて帰るなんて、薄情な奴だな」

 ため息をつき、ステラが皿の上の果物をつまんだ。

「…私は父がいないから、きっと、団長に父を見ているのだと思う。あの方は、お優しいし。もちろん、アンジェラも好きだ。あの子は可愛い」

 ぼそぼそと呟くステラを、この人も可愛い、とメイフェアはにやにやしながら眺めている。


「そうですか。やっぱり、ステラ様にはバスカーレ様のような年上の方がお似合いですよね」

「…何故そこに結びつけるのだ。やめてくれないか」

「だって私、ずっとそう思ってましたもの。三人でいるのが、すごく自然で」

 ステラは再び無言になり、突然テーブルに突っ伏した。

 何、とメイフェアは驚きながら「大丈夫ですか、そういえば、かなりお飲みになっているようですし」と言う。


「ずっと、一緒にいるのが当たり前だと思っていたんだ。でも、もうそうじゃないのかもしれない。私など、必要ないのかもしれない」

 何のお話かしら、とメイフェアは眉根を曇らせた。

 ステラの艶やかな黒髪を、優しくメイフェアは撫で続ける。

「そんなことありませんよ。何があったかは知りませんが、皆、ステラ様を必要としています。一緒にいて、楽しいと思っていますから」

 そうかな、とステラは声にならない声を出し、ゆっくりと身を起こす。

「元気出してくださいよ。…そんなお顔されるのも、また新鮮ですけどねえ」 



 あたまいたい、とステラはうめき、深く寝具に潜り込んだ。

 昨日は少々喋りすぎた、と後悔する。

 ヴィンチェンツォと違い、ステラはどれだけ飲んでも、記憶を失うことはなかった。

 飲みすぎて眠りが浅かったのか、いつもどおりの時間に目を覚ます。

 外はまだ、暗かった。

 今日もまた、あの女性と顔を合わせるのだろうか、と思うと、ステラの気は重かった。

 行きたくない、と初めてステラは呟き、自分の体に、柔らかい毛布を引き寄せた。



***



「団長にお話があります。聞いていただけませんか。ずっと考えていたのです」

「なんだ。…アンジェラのことか」

 はい、とステラはうなずき、血走った目でバスカーレを睨んでいた。

「言いたくないが、お前には関わりのないことだ。お前が、アンジェラを可愛がってくれているのはわかっている。その気持ちだけで充分だ」

 そうではありません、とステラはバスカーレを遮った。


「私では、アンジェラの母親になれぬのでしょうか。本当の母ではありませんが、あの子を大切に思う気持ちは、団長にも、奥様にも、負けません」

「…お前、何を言ってるんだ」

 困惑した表情で、バスカーレはステラを見下ろした。

「ですから、私と結婚してくれと申し上げてます!」

 息を切らし、ステラが肩で息をしている。

 バスカーレは固まったまま、その手から書類の束を取り落とした。


 ステラはぜいぜいと息を吐きながら、しゃがみこんで散らばった紙をかき集めた。

 どうぞ、と硬直するバスカーレに手渡し、ステラは獣のような瞳でバスカーレを捕らえた。

「お返事をお聞かせくださるか」

「…俺の為なら、やめてくれ。それに、俺は、優秀な部下がいなくなっては、困る」

「今までどおりでよいではないですか。ただ、私が妻になるというだけです。アンジェラと一緒に、三人がいいのです」


 バスカーレは天井を見上げたまま、静かに言った。

「今言ったとおりだ。お前は若い。俺のような甲斐性無しの男に、同情してはいけない。この先、いくらでも良縁があろうに。アンジェラのことは、本当に感謝している。男には気付かない、細かい配慮をしてくれて、感謝してもし足りないくらいだ。だがな、やはり母親と一緒にいる時間も必要なのかもしれない、と俺は思っているんだ。今まであの子を、独り占めしてきたんだ、少しぐらい、マグダに母親をやらせてやってもいいという気がしている。二度と会えぬわけではないし、マグダと和解した方が、アンジェラの為にもなる」

 ステラは、自分を見ようともしないバスカーレの態度に、心が切り裂かれる思いだった。


「…私のことは、どう思っておいでか」

 残りの気力を振り絞り、か細い声でステラが問いかける。

「大事な部下だ。俺は、お前がいなければ、生きていけない」

 ステラの瞳から、一粒の涙が零れ落ち、床に染み込んでいった。

 細い肩を震わせ、ステラが耐えかねたように、無言で走り去る。

 扉の外で、例のごとく盗み聞きをしていた面々が、ステラの泣き顔にぎょっとし、いっせいに後ずさった。


 去ってゆくステラの後姿を、エミーリオが泣き出しそうな顔で見つめていた。

「私が余計なこと言ったせいかしら、焚き付けたのは私なの?ねえ、どうしよう」

 ランベルトをがくがくと揺さぶり、メイフェアが半狂乱になってわめき散らした。

 騎士団の崩壊だ、とロメオは頭を抱えて座り込んだ。

「えーと、どうなんだろう…いや、君のせいじゃないよ。たぶん。ステラが決めたことだし」

 ランベルトは説得力皆無の声でそう言うと、窓辺に立ち尽くすバスカーレの落ち込んだ姿に、自分も肩を落とす。


 音を立てないように扉を閉め、ランベルトはメイフェア達をうながして外へ向かった。

 でも、言っていることが滅茶苦茶なんだよな、とランベルトは冷静に分析する。

 団長の最後の言葉なんて、どう聞いても告白にしか聞こえないんだけど。



***



 もう駄目だ。自分は今日にでも、辞表を書こう。

 ステラは放心状態で、とぼとぼと馬の上で揺られていた。

 ステラは鼻をすすり上げ、時折こちらをちらりと見る通行人に、殺気立った視線を投げつける。

 最初は、自分がどこに向かっているのかわからなかったが、身についた習性なのか、王宮の方へ自然と足を向けていることに気がついた。


 嫌だ、こんな顔、誰にも見られたくない。

 ステラは再び溢れ出る涙を拭い、馬を止める。

 自分は何の為に、騎士であるのか。果たして、今ここで自分が離脱して、どうなるというのだろう。

 自問自答するステラの頭には、ヴィンチェンツォやロッカ、エドアルドやエミーリオ達の顔が次々と浮かび上がってくる。

 皆大変な時期なのに、和を乱すような真似をして、自分はなんと愚かな人間なのか、とステラは絶望感に襲われた。

 この落とし前は、自分自身で、つけねばならぬ。


 ふいに、ビアンカの笑顔が浮かび、ステラは「そうであったな」と独り言を言った。

 まだ私に、やれることがある、とステラは軽く深呼吸をすると、勢いよく馬を走らせた。





 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ