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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第四部
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81の話~誘拐~

 船上の様子が、遠く離れたヴィンチェンツォからもはっきりと遠眼鏡越しに見て取れる。

 老人と、華やかな女性達の群れと、それから少し離れたところに、アルマンドの姿があった。

「放っておけば、あと数年でくたばりそうな爺さんだ。お盛んなのは結構だが、美しくない光景だな」

 時期国王と目される王太子は既に四十代になる息子の一人であったが、彼があまりぱっとしない性格のせいか、他にもいる大勢の王子達の後見を務める貴族達の諍いは絶えない。

 さっさとこの老人が消えてくれた方が、ヴィンチェンツォ達には都合がよかった。


「遠路はるばる、ご苦労であった。今宵は肩肘はらずにくつろいで欲しい。望みがあれば、なんなりと申せ」

 コーラー国王のセルジュ四世は、アルマンドの記憶では七十代後半の老人だった。

 自分の孫娘ほど年若い姫君達を侍らせ、王はまだまだ現役と言わんばかりに、うす笑いを浮かべながら、両隣の寵姫達を引き寄せる。


 色ボケも大概にしてほしいわね、とアルマンドは皺だらけの国王の顔を営業用の微笑みで見つめ返した。

「いえ、今宵は、陛下と姫君達に、田舎者なりの手土産を持参したまでにございます。もったいないお言葉、まことにありがたく存じます」

 アルマンドから献上された、七色に光る装飾品を手にとって眺め、姫達はご満悦のようであった。

 その若い姫君達の中に、確かにイザベラ・マレットも存在した。


 アルマンドの品には興味を示さず、イザベラは相変わらず気だるそうに杯に口をつけていた。

 以前から濃かった化粧も、更に濃さを増しているように見える。

 白い美しい手で大きな葡萄の粒を摘み、王の口元へと運ぶ。

 異国の品らしき豪奢な絨毯の上で国王はくつろいだ様子であぐらをかき、イザベラはそっとその膝にもたれかかった。

 蔑むような眼差しをひとつアルマンドに送ると、イザベラは退屈そうにあくびをした。


「あの踊り子達も、もうそろそろよろしいのではなくて。無駄に鈴やら笛の音がうるさくて、落ち着かないわ。あっちの国では、これが普通なのかしら」

 そうかそうか、と国王はイザベラのご機嫌を取るように、猫なで声を出す。


「何を話しているのかわからんな。ロッカがいたらよかったのに」

 媚びるような仕草をするイザベラの姿に、ヴィンチェンツォの眉根が自然と険しくなる。

 お役に立てなくてすみませんね、とランベルトがぶっきらぼうに答えた。

「爺転がしがお得意のようだ。適材適所とはこのことを言う。うちの陛下が、あれくらい年寄りだったら、お互いうまくいっていたかもしれないな」


 舞台のロメオ達に動きがあった。

 いつの間にか音楽が鳴り止み、深くお辞儀をする踊り子達の姿が見える。

「国王達の方は、まだまだ終わりそうに見えないな。仕方ない、アディ達が戻るのを待とう」

 初めて訪れた異国の離宮というせいもあり、地の利を得ないヴィンチェンツォ達は、自然と慎重にならざるを得なかったが、ヴィンチェンツォはなんとも歯痒そうにしている。

 俺達二人だと、実に危ない橋の連続だな、とランベルトは遠くの同僚達の姿を思い浮かべるのであった。



***



「もうそろそろお戻りになるでしょう。皆様かなりお酔いになられているようでしたから、このまま進めても問題ないかと。あまり時間をかけるのは危険ですが」

 しばらくしてから、息を切らせて戻って来たアデルはそっとささやき、イザベラの自室らしき扉を指し示した。

 そうか、とヴィンチェンツォはうなずき、一瞬で済ませるしかないな、と簡単に言い捨てる。

 私達は近くで待機します、とアデルは言い残し、付け毛が気持ち悪いと文句を言い続けるロメオを引きずりながら、暗闇に消えていった。


 無理な注文だ、とランベルトは「あの人が泥酔してるならともかく、騒がれたらおしまいなんですけど」と冷や汗をかきつつ、異を唱える。

「ここまで来たら、やるしかあるまい。とにかく気配を消せ」

 ヴィンチェンツォは滑り込むように部屋に入ると素早く辺りを見渡し、暗がりの中で身を隠せそうな場所を探した。

 ランベルトが慌てて後を追う。

 分厚いカーテンの影に隠れ、二人は息をひそめていた。

 とてつもなく長い時間が経過したように感じられ、ランベルトは我慢我慢、と何度も心の中で言い聞かせる。


「そろそろここの生活も飽きてきたわ。何か真新しい事はないかしら。今日は珍しいお酒をいただいたのが唯一の収穫ね。あれをもっと取り寄せるように、お願いしておいてちょうだい」

 聞き覚えのある居丈高な女の声がする。

「だいたい、あんな食べ残しの汚らしい殻で作った細工物をありがたがるなんて、こっちの人たちも洗練されていないのね。港町に行けば、腐ったような臭いにうんざりよ。あのみすぼらしい小娘を思い出して、気分悪いわ」


 酩酊状態なのか、言葉はところどころ不明瞭だったが、まぎれも無くイザベラだ、とヴィンチェンツォは確信する。

 一人の侍女が中に入り、手にした明かりをテーブルに置く。

 部屋の中に明かりを灯し終ると、イザベラがゆらりと中に入ってきた。

 不思議な甘い香りが、部屋をじんわりと包み込む。

 この香りにヴィンチェンツォは覚えがなかったが、生理的に不快な事に変わりはなかった。


 イザベラを一人残し、侍女が何か思い出したように退出して行った。

 その様子を気に留める事もなく、イザベラはわざとらしいため息を誰にともなく吐き出し、寝台にその身を投げ出した。


 願っても無い好機、とヴィンチェンツォは思うが、はやる気持ちを押さえ、イザベラの様子を注意深くうかがっていた。

 ゆっくりと体を起こすと、イザベラは乱暴な手つきで首飾りを外し、テーブルに放り出す。

 一人で夜着に着替えようとしているのか、うっすらと明かりの灯された部屋で、衣擦れの音がかすかに聞こえる。

 酔っているせいか、一向に着替えが進まないようであったが、ふらふらと体を揺らしながら、身に纏ったドレスを脱ごうとしているのはわかった。


「よろしければお手伝いいたしましょうか。男性から言わせれば、脱がせがいのあるドレスのようではありますが」

 思いがけない、男の低い声に、イザベラはゆっくりと辺りを見回す。

 とっさに大声を上げるでもなく、イザベラは平然としていた。

「どなたかしら。聞き覚えのあるような気もいたしますけれど、記憶が古すぎて判別しがたいですわね」


 後ろから忍び寄る影の動きは俊敏であった。

 気が付けば自分の喉元には、冷たい短剣が添えられていた。

「面白い趣向ね。今宵はどのように楽しませて下さるの」

 それは元来の気の強さからくるのか、それとも単に酩酊状態で自身の状況を把握できずにいるのか、ランベルトにはわからなかったが、自分の想像以上に、イザベラは豪胆な性格のようであった。


「今までに無い、緊張感と興奮の連続ですよ。どこまであなたが耐えられるか、正直こちらも楽しみだ」

 短剣を添える手を緩める事なく、ヴィンチェンツォがその刃と同じくらい鋭い言葉を投げかけた。

「こんなところまでおいでになるとは、どういった心境なのかしら。お忙しくて、それどころではないのではなくて」

 イザベラは朦朧としつつも、祖国にいるはずの美貌の宰相の声に驚き、何処までが現実か、思いあぐねていた。

「今更、私がここに来た意味がわからぬあなたでもあるまい。いつまでも戻らぬイザベラ様を、お迎えに参ったまでです」


「わたくしを忘れられなくて追いかけてきてくださったのなら、大歓迎ですけれど。残念ながらあなたに限っては、それは在り得ないわね。なにせ、子ねずみみたいな女の子がお好きのようですし」

 イザベラは、喉元の短剣を気にかける素振りも見せず、大胆にも酔いの回った体を、後ろのヴィンチェンツォに預けてささやいた。

「聞いてるわ、あの小娘にすっかり骨抜きにされているとか。あの子も大人しそうな顔して、随分したたかなのね」

 霞がかった瞳でヴィンチェンツォを見上げ、イザベラは故意に一つ、甘い吐息をもらした。


 この匂いも嫌いだ、とヴィンチェンツォは顔をしかめるが、その険しい顔を崩さずに、自分の真下にあるイザベラの妖艶な顔を睨みつける。

「で、どうなされます。ここの生活に退屈されているとか。祖国に戻れば、また違った刺激を受ける日々が待ち構えていると思われますが。…もとい、首だけでも、あなたをお連れするつもりで今日は参った。覚悟はよろしいか」


 ランベルトは息を飲み、おろおろと辺りを見回す。侍女が戻ってくるのも、時間の問題だった。

 ヴィンス様、お早く、と焦るランベルトを無視して、二人は無言で睨み合っていた。



***



 しびれを切らしたアデルが部屋へ押し入り、失礼、と言い捨てるやいなや、ヴィンチェンツォを突き飛ばす。

 イザベラを背後から驚くほどの早業で、頚動脈の辺りを締め上げ、完全に自由の効かなくなった彼女の体を床に横たえた。


 ランベルトは血の気が引いた顔でアデルを見下ろし、裏返る声で「今の何」とだけ言った。

 知ってはいたが、実践出来る人物を見るのは初めてだった。

 剣以外での、人体への影響を目の当たりにし、ランベルトは軽いショックを受けているようであった。


「死んでないよな。死んでても、仕方が無いが」

 ヴィンチェンツォは申し訳なさそうにアデルに言った。

「おそらく、失神しているだけかと思われますが。なにせお酒が入っているお体でしたから、多少の手加減はいたしましたよ」

 気が付けば、ランベルトとロメオは無言で互いに身を寄せ合っていた。


「時間がありません。一刻も早く、ここをお出になって下さい。アルマンドも、既に馬車庫で準備できております。いざとなれば、私が身代わりでここに残る事も可能です」

 アデルの落ち着き払った声に後押しされるかのように、ヴィンチェンツォも次の行動に移るべく、意識の無いイザベラを担ぎ上げる。

 ランベルトも気を取り直し、ヴィンチェンツォの後に続く。

 振り返るランベルトの視線に、踊り子姿のロメオは戸惑ったような顔をする。


「行くなら今よ。だけど、その服だけは脱いだ方がいいかもね」

 軽く首を横に振り、ロメオは素っ気無くランベルトに言う。

「早く行けよ。国境には、知り合いはいくらでもいるんだ。僕はどうにかなる。離宮を出るまで、サポートするよ」

 ベール越しにこちらを見据えるロメオに、軽く頷くと、ヴィンチェンツォは小走りに駆け出した。


 二人の後に続きアデルとロメオも、足音を立てずに回廊を移動する。

「自分で言い出した以上は、自力でどうにかしてね。悪いけど、あんたのぶんの通行許可証は無いから」

 わかってるよ、と言いかけるロメオの前を、ふわりと何かが立ちはだかる。

 アデルは思わず息を飲み、その人物の前で立ち尽くす。


「何をそんなに慌てているのかな。今日はもう終わりだよ。休むなり飲むなり、好きにするといい。それとも、私の部屋で朝まで過ごすのもまた一興だが」

 ヴィンチェンツォの物言いとはまた違う響きのある、妙に傲慢ささえ感じさせる話し方だった。

 ロメオは思わず顔をしかめ、その声の主に不躾な視線を送る。


 アデルは無言でロメオの袖を引き、一緒に跪いた。

「ありがたいお言葉ではありますが、私のような下賎な身では、キーファ様のお側などあまりにも恐れ多い事でございます。キーファ様も、今宵はゆるりとお過ごし下さいませ」


 幸いにも彼には、ヴィンチェンツォ達の姿を目撃されていないようだった。

 珍しくかしこまるアデルの様子を不思議に思いながら、ロメオもアデルに習い、ひたすら頭を下げる。

 残念だね、とあまり残念そうに聞こえない声で、キーファは言った。

 褐色の指先一つ一つの動きが、実に優雅な蝶を思わせる男性だった。今日の踊り子の誰よりも美しい動作だ、とロメオは面白くなさそうに観察している。


 かすかな靴音を立て、キーファはゆっくりと遠ざかって行く。

 完全に彼の姿が見えなくなってから、ロメオは顔を伏せたまま、「あれは誰」と言った。

「一座の、興業主のキーファ様よ。紹介してなかったけど、あの方を敵に回したら大変な事になるわ。帝国の諜報員には違いないわね」






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