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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第三部
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62の話~アデル・バイオレット~

 心臓が苦しい、とヴィンチェンツォは何度も荒い息を吐き続けた。

「閣下、お願いですから、離してください。逃げたりしませんから、だから」

「いやだ。逃げるに決まってる」

「どうして信じてくださらないのです」

 ビアンカは、だんだん腹が立ってきたのか、少し大きい声になった。

 引っ込みがつかなくなってしまったヴィンチェンツォは、もがいているビアンカを無理やり押さえつけるように、再び腕に力を込めた。


「すまない。どうしていいか分からない。何というか、こんなつもりじゃなかった」 

 ヴィンチェンツォの声が裏返り、言葉に詰まる。

「…恥ずかしくて顔が見れない。察してくれるか」

 抵抗を表すかのように、身を固くしていたビアンカの中から、急速に力が抜けていく。


「それなら、目を瞑ればよろしいのでは」

 恥ずかしいのは自分も同じだった。

「そんなことしたら、また逃げるじゃないか」

「しつこいです。逃げないと言っているではありませんか」

 二人の会話は、堂々巡りであった。



「しつこい男は嫌われるよ。あ、もうとっくに嫌われてるからいいのか」

 ロメオの声に弾かれたように、あれほど固執していたビアンカから、瞬時に身を離すヴィンチェンツォだった。

「ずいぶん遠くまで逃げたんだねえ。ビアンカ、助けに来たよ」

 緊迫感の無いロメオに向かって、ビアンカは微笑むが、その顔は完全に引きつっていた。


「襲われてたらどうしようかと思った。未遂でよかった。未遂でも犯罪だけどね」

 ヴィンチェンツォはロメオを無視して、草むらに座り込んでいるビアンカに向かい、片手を差し出した。

 ビアンカはためらいながらも、自分の体を引き上げてくれたヴィンチェンツォに、ありがとうございます、と礼を言う。

 困惑ぎみのビアンカの顔を見て、ヴィンチェンツォは思わず吹き出した。戸惑うビアンカの顔に手をやり、ところどころに付着した土を拭った。


「先程、盛大に顔から転んでいたな。傷は無いようだが、大丈夫か」

「大丈夫です。草がたくさん生えていたので」

 優しくヴィンチェンツォに問いかけられ、逆に恥ずかしさに身を縮めるビアンカであった。

 ロメオが面白くなさそうな顔で、二人の間に、ぐい、と割り込んだ。

「聞きたくないけど、なんでお前がここにいるのか説明してくれる。こんなところで油を売っていていいのかな」


 ヴィンチェンツォは、そこでようやく自分がスロに来た理由を思い出す。

 不思議そうに自分を見つめるビアンカを直視しがたく、ヴィンチェンツォは気づかれぬように、ゆっくりとビアンカから視線を外した。

「ウルバーノが行方不明になった」


「あなたとは、きちんと話をしなければいけないと思っていた。あまり巻き込みたくはなかったが、あなたはもはや、無関係ではいられないようだ」 

 動揺するビアンカを気遣いながら、ヴィンチェンツォは静かに語り始めた。

「あなたの母君は、オルドの巫女なのか」

 唇をかみ締め、俯くビアンカの口から、一言だけ放たれた。


「そうです」



***



「聖都では、オルド教徒の残党が動き始めている。おそらく、ウルバーノは奴等と繋がっているのだろう。本当は、あなたさえも利用するつもりだったのではないか。奴等はこう言っているそうだ。『神の系譜が、オルドの巫女が復活する』と」

 本当の価値を知らない、と挑発的に言い残したウルバーノを思い出し、ヴィンチェンツォは思わず拳を握り締めた。


「それがあなたを指すのか、母君を指すのかはわからぬが、あなた達親子の存在を、彼等は知っているのだろう。そして確実に実行する為に、動き出したと見てよいと思う。最後に奴は言っていたよ、あなたには価値があるのだと」


「私は巫女ではありません。利用価値など無いも等しいはず」

 甘い、とヴィンチェンツォは厳しい顔つきになる。

「極論だが、私がオルド教徒なら、あなたを新たな巫女に仕立てて人心を掌握するのに一役買ってもらうだろう。もしくはあなたを盾に、母君を脅して協力させるとか」

 相変わらず黒いね、とロメオが皮肉な笑みをもらす。


「不審者がスロに現れたのも、あなたを見張っているからだ。ここにいては危険すぎる。申し訳ないが、王都に戻ってくれるか」

 ビアンカは答えなかった。しばらくしてから、青ざめた顔を上げ、ヴィンチェンツォに尋ねた。

「母はどこにいるのでしょう」

「わからない。だが、生きていらっしゃるはず。必ず探し出す。だから、一緒に行こう」

 ヴィンチェンツォはビアンカに向かって頭を下げた。


「ここにいてはいけないのですか」

「今説明しただろう。みすみす奴等の手に渡すようなもの」


「母君がウルバーノの父と接触したのは間違いないだろう。あなたを守るためだったのだろうが、それが裏目に出てしまったのは、ウルバーノのせいだが。いつだかあなたを王宮から出そうと手助けしたのも、あなたのためではない、自分のためにだ」

 彼女は、まだウルバーノを信じているのだろうか。また怒り出すのではないか、と思いつつも、ヴィンチェンツォは心を鬼にして言った。

「信じたくないだろうが、そのうち嫌でもわかることだ」


「お時間をいただけませんか。今すぐと言われても、心の準備が出来ていません」

 もしここを離れたら、おそらく二度と帰って来れないだろう、とビアンカは思った。

「結果は同じだと思うが。心の準備とやらに少々お時間を差し上げよう」 

 ひとまず、ビアンカの無事を確認できた事もあり、ヴィンチェンツォは譲歩したつもりだった。

「明日もう一度会おう。ロメオ、頼んだぞ」

 はーい、とあくびをしながらロメオが頷いた。



***



 桟橋近くの、小奇麗な宿の一室を取り、ヴィンチェンツォは床に服を脱ぎ捨てると、疲れ切った体を横たえた。

 疲れた、と口に出して呟き、枕に顔を埋める。

 食欲は無く、このまま寝てしまおう、とヴィンチェンツォは睡魔に身を委ねていた。


 岸壁にぶつかる波音が心地よかった。

 茜色の空が、ゆっくりと夕闇に染まるのを閉じたまぶたで感じながら、ヴィンチェンツォは本格的な眠りについた。



 波音とは違う、不快なざわめきが遠くから聞こえてくる。

 ヴィンチェンツォは一度目を開け、ずいぶん寝た気がするが、まだ真夜中のようであった。

 人の声だ。怒号さえ聞こえるのは、酔っ払いの喧嘩だろうか、と再び寝入ろうとするヴィンチェンツォだった。


 扉が激しく叩かれ、ヴィンチェンツォは寝たくても寝られない状況に不機嫌になる。しぶしぶ内鍵を開けるやいなや、ロメオが部屋に転がり込んでくる。

「何だ急用か。ビアンカがまた逃げでもしたか」

 それならいいんだけど、とロメオがヴィンチェンツォを睨みつけた。

「早く服を着ろ。修道院が燃えてる。僕は先に行くよ」

 半分寝ぼけているヴィンチェンツォを残し、ロメオが素早く部屋を出て行った。


 ロメオの言葉を反芻し、ヴィンチェンツォは眠気が一気に吹き飛んでいくのを感じた。

 慌てて着替えて外に出ると、ヴィンチェンツォも修道院を目指して坂道を走り始めた。



 修道院に近づくほどに、何かが燃えるような匂いが鼻につく。火の手が上がる建物の姿が、遠目でもはっきりとわかる。

 まさかとは思うが、奴等が強硬手段に出たのかもしれない、とヴィンチェンツォは思う。 

 自分がスロに来たタイミングでの出火に、はらわたが煮えくり返る思いがした。


 白煙と黒煙が入り混じり、修道院は炎に包まれていた。逃げ出してきた修道女達の中に、ビアンカの姿を探す。

「ビアンカがいない。逃げ遅れた者がいないか確認すると言っていたそうだ」

 ロメオに連れられた少女が、泣きながら座り込んだ。

 どこまでお人好しなんだ、とヴィンチェンツォの怒りは爆発する。


「火はどこから出たんだ」

「厨房の辺りらしいんだけど、やけに火の回りが速いんだ」

 礼拝堂の辺りは、まだ火が回っていないようだった。

 ヴィンチェンツォは人の流れに逆らうように、修道院に向かって走り出した。

 ヴィンス、無理だ、と叫ぶロメオも、この上なく憎かった。



 ビアンカは、火の手に阻まれながらも、まだ燃えていない礼拝堂の裏口に向かっていた。 

 煙を吸わないように、手で口元を覆う。こんな状況でも、寝巻きなどとんでもない、と修道服に着替えたビアンカだった。

 聖具室の方に、出入口があるのは知っている。手探りで前に進みながら、ビアンカは何かにぶつかる。


「お迎えにきました。いつまでたっても出てこないので、心配しました」

 知らない若い男の声だった。

「誰です」

「あなたを守る者です。一緒に参りましょう」

「最近、私の周りで探るような真似をされていたでしょう。知っています」

 ビアンカはとっさに後ずさるが、後ろにも火の手が迫っているのは分かっていた。

「自分で行けます。先に案内してください」

 慎重に答えるビアンカに向かって、男は苛立ちを隠さなかった。おもむろにビアンカを担ぎ上げると、裏口目指して走り出した。


「自分で歩けますから、降ろしてください」

 悲鳴を上げるビアンカを無視して、男は外に出ると、裏の菜園に足を踏み入れた。

 この男は、どこへ行こうとしているのか、とビアンカは反対方向に向かう男に不審を抱くが、時既に遅く、もう一人の男が目の前にいた。


「あなた方は誰です。…まさか火を放ったのもあなた達ですか」

「すまないな。邪魔が入りそうだったので、今日中にあなたを連れて行く事に決めた」

 ビアンカは呆然と男達の顔を見た。


「うるさくされると面倒だ。さるぐつわでもかませておけ」

 抵抗するビアンカは後ろ手に縛り上げられ、言葉の自由さえ失われた。それでも精一杯、身をよじり、声を上げ続けるビアンカだった。

 誰か気付いて、とビアンカは必死で声を上げる。

「痛い目に合いたくなければ、大人しくした方が身のためだ」

 男達は冷ややかに言い、再びビアンカの体を担ぎなおす。


 私がつまらない意地を張ったりするから、修道院の皆にも迷惑をかけた。宰相様のおっしゃるとおりだった。こんなことなら、一緒に行くと言えばよかった。

 煙で目も痛いし、喉も煙で痛い。もうこれ以上声が出ない。

 涙が溢れ、ビアンカは嗚咽した。


「どこへ行く気だ。彼女を降ろせ。ゆっくりだ」

 暗闇から、低い男の声が響く。男達は振り返り、剣を抜いたヴィンチェンツォの姿を見た。

 月夜に照らされ、暗闇でもはっきりとわかる。

 見たこともない殺気を放つ姿に、ビアンカは息を飲んでヴィンチェンツォを見つめた。


「ここは俺に。お前はその娘を連れて先に行け」

 男は、ビアンカを担ぎ上げているもう一人の男を促し、自分も剣を抜く。

 暴れるビアンカを押さえつけ、男は走り出した。


 奇声を上げて、ヴィンチェンツォに突き出された剣を、宰相は一太刀で跳ね返す。

 すかさずヴィンチェンツォは男に向かって足を踏み出し、横から刃をはらう。男は飛び退き、間合いを取りながらヴィンチェンツォを睨みつけた。


「その顔は見た事があるな。お前の主は、ウルバーノはどこにいる」

「答える必要は無い」

 男は言い捨てると、再びヴィンチェンツォの頭上から剣を振り下ろす。それを両手で握る剣で受け止め、ヴィンチェンツォは力いっぱい押し返した。間髪入れずに左に持ち替えた剣を、男の腹めがけて再びなぎ払った。


 男はうめき声を上げて腹を抱え、よろめいた。ヴィンチェンツォはふらつく男に向かって、剣を持つ手を思い切り蹴り上げた。重い音を立てて、剣が土の上に転がった。地面に倒れ伏す男を一瞥すると、遠ざかっていく白い塊に目をやる。

 ビアンカ、と呟き、再び追いかける。


 その時、闇を切り裂くような音がどこからともなく聞こえたかと思うと、もう一人の男の叫び声と、何かが落ちる音がした。

 

 地面に振り落とされたビアンカは、痛みをこらえつつ逃げようとしていた。

 誰かが近くにいる、とビアンカは気付く。月明かりを頼りに、走ってくるヴィンチェンツォに目をこらす。

 再び、肩を押さえて地面に転がっていた男が、ぎゃっという悲鳴を上げた。

 後ろから素早くさるぐつわを解かれ、ビアンカはありがとうございます、と誰かに向かって礼を言った。

 手にかけられた縄を解く姿に、ビアンカは驚きを隠せなかった。


「酷い目に合ったね。大丈夫だよ。間に合ってよかった」

「ヴィオレッタ様…?」

 ビアンカの縄を解き、再び男に近寄って蹴りを入れるヴィオレッタの姿があった。

「誰か助けてくれたようだが…」

 ヴィンチェンツォが、ショートボウを片手にこちらを振り返るヴィオレッタに、かすかに眉をひそめた。


「お久しぶりでございます」

 ややあってから、信じられない、とヴィンチェンツォの驚いた顔に、満足そうに微笑むヴィオレッタだった。

「アディか。どうしてこんなところに」

「ビアンカ殿を守るように仰せつかっておりました。ご無事でようございました」

「ヴィオレッタ様とお知り合いなのですか」

 事情を飲み込めないビアンカが、ヴィンチェンツォに尋ねた。


「うん、そうだな。同級生だ。一瞬俺も誰だかわからなかったが」

 動揺するヴィンチェンツォに、ヴィオレッタはにっこりと微笑んだ。

「いえ、さすがでございますよ。いまだに気付かない馬鹿者もおりますし。ですから、まだ内緒にしておいてくださいね」


「今は誰に仕えているのだ。お父上のところか」

「それは秘密です。そのうちまた、お会いすることもありましょう。人が来たようなので、これで失礼します」

 あっけに取られる二人を残し、ヴィオレッタはあっという間に姿を消した。


「ヴィオレッタと名乗っているのか。それにしても見違えたな。俺もよく気付いたもんだ」

 まるで別人じゃないか、とヴィンチェンツォは感心していた。

「同級生とおっしゃってましたけど」

「年は一つ上なんだが。本名はアデル・バイオレットという。オルド戦役で活躍された、傭兵隊長のお嬢さんなんだ」


 二人の名を呼ぶ声が、遠くから聞こえてきた。

「あれがおそらく、いまだに気付かない馬鹿者だ。面白いから内緒にしておこうか」




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