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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第三部
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55の話~紺碧の町で~

 今日もいい天気、とロメオ・ミネルヴィーノは天を仰いで寝転がり、つばの広い帽子を顔に乗せた。主の手を離れた釣竿から、垂れた糸が風に揺られている。港町のスロは、このところ毎日が晴天続きである。朝晩は潮風がまだ肌寒かったが、風が止むととたんに暑い。


 白壁の続く町並みは、真っ青な海によく映えて美しかった。

 岩山だらけで味気ないカプラよりは、美しく穏やかなスロでは実に開放的な気分になった。

 あれからロメオは、ビアンカを送り届けて王都に戻るやいなや、スロの司法局へ出向するように、と本部局長から辞令を受け取った。ヴィンチェンツォの差し金であるのは言うまでもなかった。

 結局心配なのね、とロメオは諦めて再度スロに向けて旅路についた。


 地方都市でも、カプラのように激しく交易商が出入りする町ではなく、単なるのどかな漁師町であるスロの司法局では、あまりすることがなかった。せいぜい荒っぽい漁夫達の喧嘩くらいしか、事件は起こらない。

 貴族の別荘も幾つかあり、避暑地として真夏はそれなりに活気溢れた。


 大都市の華やかさがないのは多少寂しかったが、暇なのは大いに喜ばしかった。住めば都、とあまり大きくない繁華街でも、お気に入りの娼館を見つけた。

 ロメオのような貴族然とした洒落た男は珍しかったので、行けばいつでも歓迎された。それに、こんな田舎でもいくつか珍しい話は入ってくる。


 今日はどうしようかな、と帽子の下でぼんやり考えていると、頭上から柔らかな声が降り注ぐ。

「今日はいかがですか。釣れましたか」

 だるそうに帽子をよけ、ロメオが、やあ、と言った。


 ビアンカは、見習い用の白い修道服で全身を覆い、豊かな栗色の髪でさえも白いベールでぴっちりと隠されていた。琥珀色の瞳だけ見れば、ビアンカと識別できるようなものである。

「そんな格好、見てるだけで暑いんだけど」

「そうはおっしゃられても、これが制服のようなものですし」

 その辺に無造作に投げ捨てられた、司法局の印章が刺繍された上着を横目に、ビアンカが言った。


「そろそろ帰る時間なのかな」

 ええ、とビアンカは頷いた。ビアンカの隣には、年若い見習いの少女もいた。

 じゃあ僕も一緒に行こうかな、と言うロメオに、ビアンカはすばやく「駄目です」と言った。

「ロメオ様がいらっしゃると、皆の気が散るのです」

「そんなの僕のせいじゃないだろ。だいたい、年頃の子があんな所に閉じ込められて禁欲的に生活する意味がわからないよ」

 ビアンカはくすりと笑い、ならば隣の孤児院で子ども達の相手をして下さい、と穏やかに言う。

 露骨に嫌そうな顔をするロメオに、再びビアンカの笑みがこぼれた。



***



 そろそろ正式に修道女になろうという時期に王都へ出てしまい、ビアンカにしてみれば、一日も早くこの白い見習服から卒業したい思いが強かった。

 六月になり、ビアンカはまた一つ年を重ね、二十歳になった。本当だったら、二年くらい前に薄ねずみ色の服に変わるはずだったのに、と思う。

「焦らず、目の前のお勤めをこなしていくことが大事です」

 と院長は焦るビアンカを諭した。


 今日の夕食に、港から届けられたアジを開き、香草焼きを作る予定だった。他の見習いの少女達と一緒に、大量のアジを処理する。見習い修道女の中でも、ビアンカは最年長であったので、彼女等のまとめ役となって厨房で指示を出す。料理は好きだが、早くねずみ色の服になりたい、とくるみを搾った油と香草をアジにふりながら、またもやビアンカは思った。


 ビアンカが属する修道院は、『翼を持つ聖人』と語られている、聖オルドゥを信仰する宗派であるが、旧オルド教とは違い、正式にはプレイシア正教会という名称であり、教義も同じプレイシア内であっても、地方によってさまざまであった。基本、肉は出ないが、ここでは港町のせいか、魚は食卓に出た。ビアンカは、王都で鴨をよく食べた事は黙っていた。


 そういえば王都では内陸のせいか、あまり海で獲れた鮮魚を食べることがなかった、と思い出す。流通してはいるが干物か酢漬け及び塩漬けが一般的だった。比較的手に入りやすい淡白な川魚を何度が口にはしたが、それでさえ少々値がはる食べ物だった。


 てんぱんに並んだアジを眺め、王都の皆にも食べさせてあげたいな、とぼんやりするビアンカであった。

 残ったアジは、酢漬けにして明日出す予定だった。

 干物にする事もあったが、これから鳥や猫に取られないように網をかけたりするのも、少し面倒だった。

 窯の温度を確認して、たくさんのアジを少女達と焼き始める。別の窯では、三日分のパンが焼き終わろうとしていた。


 以前ビアンカとメイフェアがここにいた頃に比べ、人手が増えたせいか、忙しさは幾分減っていた。国王からの金銭的な援助もあり、王都の正教会からも修道女が派遣されてきたからである。

 隣接する孤児院の運営も問題ないようで、ビアンカはエドアルドに深く感謝していた。


 厨房を少女等に任せ、庭の菜園へ出る。潮風に強い品種の薬草がたくさん植えられている。とある若葉に手を伸ばし、摘み取る。これも王宮にあればよかったのに、と匂いをかぎながら、またもやビアンカは思う。

 ことあるごとに、王都での生活を思い出している自分をふがいなく感じながら、気を取り直すかのように、無心で薬草をかごに摘んだ。



***


 

 その夜ビアンカは、ほの暗い蝋燭のそばで、メイフェアから届いた手紙を読んだ。蝋燭も、むろんここでの手作りである。ミツバチの管理は難しく、ビアンカはまだ養蜂には関わっていなかったが、それもそろそろかな、と思っていた。

 各地の修道院の蜂蜜は、王都では高級品であった。ランベルトが何度かおつかいで蜂蜜を買いに行っていた事を思い出す。


 数枚の紙に、びっしりと文字が埋め尽くされている。最近の王宮内の出来事が細かく記されていた。お妃様の話から、騎士団の面々、ロッカやエミーリオの話などがてんこ盛りである。ヴィンチェンツォの話も最後に書いてあった。

 お隣に引っ越してきたのは宰相閣下です、でもなんとかうまくやっているから大丈夫、と結ばれていた。

 下の方に、追記があった。


 耳に入っているかもしれないが、イザベラがコーラーの宮廷にいる、何もないと思うが念の為、と走り書きしてあった。


 田舎過ぎる為その報告は、当然ビアンカにとっては青天の霹靂であった。王都の噂など滅多に耳にする事はない。エドアルドの三番目のお妃が離縁されたという話も、話題にもならなかった。

 ビアンカは多少の緊張感を覚えながら、最後の文を読み返した。


 やはり手引きしたのはフォーレ子爵だったのだろうか、と思った。

 だが、自分がスロにいるからといって、どうということもないだろう、との結論に達し、ビアンカはイザベラの件は忘れる事にした。


 スロに戻ってきた事は、ウルバーノに知らせていなかった。モルヴァに宛てて、手紙を書いた方がいいのだろうか、としばし悩み、明日院長様に聞いてみよう、と思った。ビアンカの為にマレット家が手厚く寄付をしてくれていた事は知っていた。


 もう少し時間が経てば、王都の話を聞いても、心がざわめく事もなくなるのだろうか、と手紙をたたみ、ビアンカは封筒にしまった。

 就寝時刻を過ぎてはいないだろうか、とやや慌てながらも蝋燭の火をそっと消し、静かに海の方を向いた鎧戸を閉めた。



***



 次の日、ビアンカは早速院長にウルバーノの話をする。

「モルヴァに移られてからも、相変わらず援助してくださっていますよ。たまには、あなたからお手紙を差し上げたら。きっとお喜びになると思います」

 笑顔で院長がビアンカの質問に答えた。

 はい、と純粋に嬉しくなってビアンカは返事をした。


 その後、朝食の支度に追われながらも、何を書こう、と手紙に思いをはせていたが、王都での事件をふいに思い出してしまい、皿にパンを盛る手が止まってしまった。 

 

 ウルバーノがモルヴァに左遷された理由が理由であっただけに、ビアンカはだんだん気持ちが暗くなってきた。

 悪い事をしたから、罰せられたのだ、と頭では理解していた。ヴィンチェンツォ達の言った事が、まるきり間違っているとも思っていない。


 この目で、コルレアーニ男爵邸でコーラーからの禁制品を見た。以前、アルマンドだってウルバーノやイザベラになにやら加担していた。

 だが心のどこかで、何か理由があるのでは、とつい考えてしまうビアンカだった。

 

 こんな調子だからまだまだ世間知らずだ、と言われてしまうのだ、とビアンカは気を引き締め、パンを残った空の皿に載せていった。





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