49の話~罰~
ある日、メイフェアはいつものように厨房へ顔を出し、頼んでおいたイチジクのタルトを受け取った。その日はいつもより肌寒く、室内でさえも、空気がぴりぴりと肌に突き刺すように感じた。焼きたてのタルトをもらい、なるべく暖かいまま、ビアンカに出してあげよう、とメイフェアは思った。
途中、他のお妃付きの女官とすれ違い、メイフェアは人当たりの良い笑顔を向けて挨拶する。だがその日は、女官達の様子がいつもと違った。メイフェアの顔を見ないように、うつむきながら通り過ぎて行く。
メイフェアは、自分は何か失礼な事でもしただろうか、と首をかしげたが、特に思い当たるふしもなく、そのままビアンカの元へと向かった。
「今日はお寒いですね。暖かいもので、体を温めましょう」
メイフェアは、あまり器用な方ではなかったが、毎日の習慣となると、さすがに今ではお茶を淹れる作法も板についたようであった。慣れた手つきで、お茶をカップに注ぐ。
ビアンカは、黙々と針仕事に没頭しているようであった。大きめの膝掛けのようなものを作っている。
テーブルの上には、色とりどりの糖衣に包まれた、木の実の菓子も置かれている。昨日、ヴィンチェンツォからだと、ロッカが若干うろたえながら置いていった物であった。そしてその前の日には、デオダード造園からかごいっぱいの花が届けられている。
あれだけの迷惑行為の後なのだから、これくらいの気遣いは当然、とメイフェアは思う。だが日がたつにつれ、思い出すと笑いが止まらなくなってしまうようになっていた。
あれからビアンカの表情にも変化が現れ、思い詰めたような陰気な雰囲気を纏わなくなっていた。
「失礼します」
と外から声がかかり、メイフェアが扉に向かう。今日は、エミーリオの番のようであった。一輪の白いバラを携え、エミーリオが部屋に入ってきた。
「公爵邸の庭のものです。気に入ってくださると嬉しいのですが」
エミーリオが浮かない顔をしている。ビアンカはどうもありがとう、と礼を言って受け取った。イザベラの庭園は、色の濃いバラばかりだったので、ビアンカは素朴に嬉しかった。
「閣下にお礼を伝えておいて下さい。それと、お気持ちは充分伝わったので、これ以上お気遣いなく、とお伝えいただけるでしょうか」
「何言ってるの。もう少し様子を見て、搾れるだけ搾り取るのよ」
メイフェアが途端に抗議の声を上げた。
いつもはにかんだような微笑を見せるエミーリオが、今日は何故か暗い顔をしていた。メイフェアは笑わないエミーリオに、「せっかくだから焼きたてのタルトでもどう?」と椅子を勧める。
いえ、と言ってエミーリオはしばらく下を向いていた。こころなしか、肩が小刻みに震えている。顔を上げたエミーリオのつぶらな瞳から、大きな雫が零れ落ちた。
驚く二人に向かって、エミーリオは途切れ途切れに言った。
「閣下とロッカ様が、投獄されました」
今朝、執務室にバスカーレとステラが部下と一緒に現れ、何か一言二言会話をしたかと思うと、突然二人を乱暴に連れ去ってしまった。慌てふためくエミーリオに、ステラが一言「こればかりはどうにもならぬ。陛下のご命令だ」と険しい顔で言った。あの様子は、どうみても宰相閣下に対する態度ではなかった。ランベルトを探してエミーリオは、騎士団の詰所へ駆け込んだが、ランベルトは「しばらく拘留されるそうだ」と悲しげに言うだけだった。
「どうして」
すっかり青ざめているビアンカに、エミーリオはしゃくり上げながら言う。
「僕もよくわかりません。王宮内の風紀がどうとかステラ様はおっしゃっていましたが。…ヴィンス様が、この花をお届けするように、と僕に言い残されて行ってしまいました」
やはり、先日の泥酔騒ぎの件だろうか。それにしては投獄とは随分厳しい、とメイフェアは思った。あの日、女官長がいつものように睨みをきかせ、騒ぎが外に漏れないように手を回してくれていたはずなのだが、やはり人の口に戸は建てられないということなのだろう。
「陛下のご命令なのね」
ビアンカが、静かに問いかける。
「だそうです」
エミーリオの鼻をすする音が部屋に響く。
「そう、なら私、陛下にお会いしてきます」
ビアンカの言葉に、メイフェアは弾かれたように言葉の堰を切る。
「何言ってるの。駄目よ。放っておけばいいじゃないの。反省するいい機会になるわよ」
「でも」
「まさか可哀相とか思ってるんじゃないでしょうね」
ビアンカは言葉に詰まり、下を向いた。
「そんな目に合うほど、悪い事をしたわけでもないのに、きっと誤解があるのでは」
「だーかーらー、あんたはいっつもそればっかり。情けは無用よ」
メイフェアは、でも、と言い続けるビアンカに苛立っていた。
「しばらく様子を見た方がいいわ。いいわね、放っておくのよ」
そんな会話をしながら、メイフェアは、ヴィンチェンツォとビアンカが口論していた夜の事を思い出した。
この子の思考回路がだんだん分かってきた、これじゃあ確かに閣下でなくても、無駄にお人好し過ぎるのはイライラするわね、とメイフェアは呆れていた。
***
「しばらくそこで、頭を冷やせ。お前らは何をやっているんだ。夜中に騒いで、後宮の女官達から苦情が来たぞ。何か申し開きはあるか、間男」
エドアルドのよく通る声が、辺りに響き渡る。ありません、とヴィンチェンツォは低い声でぼそりと言った。最後の一言は余計だ、と思ったが、反論するのも虚しかった。
「休暇が欲しいと言っていたそうだな、しばらく仕事から離れられて丁度よいではないか」
不公平だ、とロッカは単純に思った。ランベルトは謹慎で済んだのに、どうして自分達は投獄なのか、そもそも自分は完全に巻き添えを食ったとしか思えなかった。エドアルドは今一度二人を一瞥すると、荒々しい足取りで底冷えする牢から立ち去っていった。
「だからあの後、僕と一緒に行けばよかったのに。あんな泥酔状態で王宮に戻ったりするからこんなことになるんだよ」
鉄格子の前でロメオがしゃがみ込む。
食事中に偶然二人がロメオと会い、ロメオが面白がって落ち込むヴィンチェンツォに飲ませ続けたのも一因であった。その後馴染みの店へ一緒に行こう、というロメオの誘いを振り切り、王宮へ戻ってからの乱行であった。
「ほんと馬鹿だよね。とうとう宰相がイザベラの魔の手に落ちたって噂されてるよ。たった数日でも、狭い王宮の中ではあっという間に広まるんだねえ」
噂の発端は、イザベラの所へ深夜酔ってやってきた宰相閣下が、そのまま朝帰りする姿を見た、とある女官が興奮気味に同僚に語ったからであった。女官長のマルタが気づいた時には、すっかりその話が後宮内に伝わりきっていた。
ヴィンチェンツォは冷たい床に座り込み、うなだれている。顔は見えなかったが、相当憔悴しているさまが、ロメオには滑稽だった。
「どうなるのかなあ、姦通罪で首刎ねられちゃうのかなあ」
「お前が言うな!」
突如、ヴィンチェンツォの怒鳴り声が響く。こわいこわい、とロメオはにやりと笑い、
「じゃあね」
と言うと足取り軽く、去っていく。
残された二人は、無言であった。
***
またもや、ビアンカから光が消えたようになってしまった。針を手にしたまま、虚ろな目で白いバラを見つめている。
メイフェアはビアンカの手から針を取り上げ、片付けることにした。タルトに手をつけようともせず、お茶はすっかり冷め切っていた。
思えば、廊下ですれ違いざま、他の女官がこそこそとする場面に何度も出会った。主人を守る為、いちいちめげてもいられなかったが、これからどうしたものだろう、とメイフェアは胸が苦しくなるのを感じた。
「雪…」
窓の外を眺めながら、メイフェアはぽつりと呟いた。
***
「ヴィンス、雪が降ってきましたよ」
明り取りの小さな窓の外の様子に、ロッカが声を上げた。
「何も狙ったかのように、こんな寒い日でなくとも…。凍死したら洒落になりません」
あれから幾分落ち着いたのか、ヴィンチェンツォも多少ロッカの問いに受け答えするようになっていた。
「お前、脱獄の知識はあるか」
「ありませんよ。あっても、逃げてどうするんですか」
そうだな、とヴィンチェンツォは呟き、両脇に添えられた粗末なベッドにごろりと寝転がる。
「鳥以外に、犬とか猫とか調教して外と連絡取ったりできないのか」
「それは、自分の永遠のテーマでもあるのです。猫で試してみましたが、なかなか上手くいきません。芸をいくつか仕込むのでいっぱいいっぱいでした」
ロッカの胸元には、日頃から鳥笛が隠されているが、ここで使っても意味がなさそうであった。
つまらん、とヴィンチェンツォはもう一度呟き、壁の方を向いた。
「明日も、いくつか打ち合わせがあったのですが、どうしたらいいんでしょう」
「知るか。俺は休暇中だ」
壁を向いたまま、ヴィンチェンツォは素っ気無く言う。
「自分達はともかく、ビアンカ殿は大丈夫でしょうか。陛下もお分かりでしょうから、咎めるようなことはなさらないとは思いますが」
「お前、やけに今日は饒舌だな。気を遣わなくてもいい。俺は悟りの境地に達しそうだ」
はあ、とロッカは言い、ポケットの中に何か道具はないか探した。護身用のナイフは取り上げられ、目ぼしいものは無かった。唯一、持ち歩いているチョークくらいしかない。手持ち無沙汰に、壁に向かって何やら落書きを始めるロッカを一度振り返り、ヴィンチェンツォは、相変わらずマイペースな奴だ、とロッカの背中を見つめた。




