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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第二部
49/136

46の話~査定~

 ヴィンチェンツォがフェルディナンドを連れて騎士団の稽古場へ赴くと、ちょうどランベルトがバスカーレと稽古中であった。

 弟に声をかけず、フェルディナンドは遠くからその様子を観察していた。

 ヴィンチェンツォが稽古場に顔を出すのも久しぶりであったが、ロッカが訪れるのもそうそうあることではなかった。かつて王宮騎士団の双璧と言われた、片割れのロッカの姿に、騎士達の間に緊張感が走った。


「なんだその中途半端な剣は。バスカーレお前もだ、遠慮せずに叩きのめせ。ランベルトは隙だらけではないか」

 突如、鬼のような形相でフェルディナンドが怒号を飛ばす。団長より、いや副団長より恐い、と騎士達は縮み上がる。

「父上の話は本当だったのか。最近色気づいてやる気がないとか聞いてはいたが、酷いな。あれで真面目にやっているとでも」

 ヴィンチェンツォは困ったように、肩をわななかせているフェルディナンドにやんわりと異を唱える。

「そうはおっしゃいますが、最近のランベルトはしごく真面目ですよ。心配なくらいに」

 納得いかない顔をして、フェルディナンドは弟を食い入るように見つめている。

「余計な事に気を取られているようだな。俺にはすぐわかるぞ」


 ロッカは二人の会話を聞きながら、黙ってランベルトを見ていた。

 フェルディナンドは、イライラしながら、休憩がてら挨拶にこちらに向かってくるランベルトに、更に怒号を浴びせた。

「そんななまくらの剣で王都を守れると思うてか。しばらく見ないうちに、三流に成り下がったか」

 普段は人のよさが全身から滲み出るフェルディナンドであったが、ことランベルトの剣の事となると、人が変わる。数いる兄弟の中でも、ランベルトの剣士としての素質は他とは比べ物にならないほど天才的であった。だからこそ、幼い頃から厳しく稽古をつけてきたはずだったのだが、その剣はお飾りか、と怒鳴りたくなるような有様に、フェルディナンドは憤りを感じていた。


 そこまでの違いは、ヴィンチェンツォにはわからなかったが、ここ数日、ランベルトがまたもやおかしいという話は聞いていたので、大方悩み事でもあるのだろう、としか思っていなかった。

「そこまでおっしゃらなくとも、三流とは言い過ぎでは」

 お前は黙ってろ、と宰相に向かって大声を出す兄に、ランベルトは久しぶりに会うにも関わらず、挨拶もせずに食ってかかる。

「ヴィンス様にそんな口の聞き方すんなよ」


 詰め寄るランベルトの頭を片手で押さえ込み、フェルディナンドは怒りを込めた言葉をぶつける。

「お前の数々の不可解な行動は、父から報告いただいている。去年も、騒ぎを起こして謹慎処分をくらったそうではないか。聞けば、何やら恋人が出来てからおかしくなってしまったとか。どこの性悪女だ。そんなもの、捨ててしまえ!」


 ランベルトは、黙ってフェルディナンドの罵声を聞いていた。ヴィンチェンツォ達は居心地悪そうに、どうしたものかとその場で立ち尽くす。バスカーレは無言で頭を下げ、稽古場を後にする。後を追うように、たちまち他の騎士達も立ち去って行く。逃げるタイミングを失ったヴィンチェンツォは、心の中で舌打ちする。

 ランベルトは、フェルディナンドの手を振り払うと、怒ったような顔をして稽古場から立ち去った。その場に残された者は、なんとも気まずい陰気な顔を見合わせる。


「彼女は働き者の、いい子ですよ。少々気が強いですが、真面目な女性です」

 珍しく、ヴィンチェンツォはメイフェアを庇うように言う。なんだ、尻に敷かれているのか、とフェルディナンドが図星を突いた。

「そうですね、もし彼女をうちの姉と戦わせたら、姉に勝てるかもしれませんね」

 わかりやすい例えであった。そうか、と若干狼狽した様子でフェルディナンドが相づちを打った。



「先程ランベルトとすれ違ったが、恐い顔だったぞ。また怒られてたのか」

 エドアルドがその場の沈黙を破るかのように稽古場へやって来ると、のん気に声をかける。間が悪いです、とヴィンチェンツォがエドアルドをじろりと軽く睨む。今朝も、この方のせいでピアと変な会話になってしまった、とヴィンチェンツォは怒りの矛先をエドアルドに向ける事にした。


「ヴィンス、お前もその顔恐い。姉上からお手紙をいただいたのだが、あとでちょっと話を」

 エドアルドの腕をぐいと掴み、ヴィンチェンツォは柱の影に移動する。

「人の生活をかき乱すようなことはやめていただきたい。姉と一緒になって、私に嫌がらせをしているとしか思えないのですが」

 周りには聞こえないように、小声でヴィンチェンツォは言った。

「心外だ。俺はみなが幸せであるように、影ながら微力を尽くしているだけなのだが。そうだな、まず久しぶりにお相手願おうかな。たまにはお互い、体を動かす事も必要だろう」

 エドアルドは気持ち悪いくらいの、人の良い笑顔で言った。



***



 アルマンドがビアンカの元を訪れて、商売がてら世間話をしていた。これからコーラーに買い付けに行く前に、何かご所望の物があればお申し付けください、とアルマンドは商売っ気たっぷりに微笑んだ。

 ちょうど、ロメオも暇つぶしに遊びに来ていたところだった。久しぶりに賑やかになったビアンカの部屋に、メイフェアは胸をなでおろしている。


 ロメオから、エドアルド達の昔話を聞かされ、メイフェアは何度も笑い転げていた。いくつかのヴィンチェンツォ達の秘密の話を仕入れて、メイフェアは弱みを握った、と心底嬉しそうにしている。

「それにしても、ロッカ様に弱点はないのかしら。何してても様になるというか、王子よ、王子。あなた知ってる?ロッカ様って、絵もお上手なのよ。ロッカ様の絵は、きっと高く売れるわ」

 アルマンドはうっとりとした表情でメイフェアに語りかける。

「それは是非、拝見したいですわね。ちょっと無愛想ですけど、基本はよく気の利くお優しい方ですし、素敵ですよね」

 いつのまにか、アルマンドとメイフェアは意気投合しているようであった。


「いいのかな。言いつけちゃおうかな、ランベルトに。まあ、君も早まったよね。あの辺で手を打っちゃうあたり」

 ロメオは、単純に自分以外の男を褒める二人が、気に入らないようであった。

「あら、一般論ですよ。子犬のランベルトとは違いすぎますから、比較の対象になりません。アクイラ様が人気あるのもわかりますわ。ねえ、ビアンカ様」


 同意を求めて、メイフェアがビアンカに視線を送る。今すごく酷いこと言ってたよね、とロメオは誰にともなく呟いた。

「ええ、とても素敵な方だと思います」

 ビアンカの言葉に偽りは無い。確かに、何を考えているのかわからない部分も多々あるが、ぼうっとしている時も多く、本当に何も考えてないのかもしれない、とビアンカは思うようになった。



 そんな賑やかな中、女官長のマルタが現れ、いつものように「お客様です」と言った。先程まで、女性達の会話の主になっていたロッカが、見知らぬ男性を連れていた。誰かに似ている、とメイフェアはその蜂蜜色の髪の男を見て思った。

「ランベルトの兄上のフェルディナンド様です。王都に出張でして、ご挨拶をと」

 それじゃ私はこれで、とアルマンドやロメオがフェルディナンドの固い表情を見て何かを悟ったのか、逃げるように退室していった。


「お初にお目にかかる。ランベルトの兄でございます。イザベラ様にも、今までお目通りする機会もありませんでしたが、是非ともご挨拶にと参りました。いつもランベルトがお世話になっているようですね」

 はあ、とビアンカは返事を返し、お茶の用意を、と女官長に頼んだ。ランベルトとメイフェアの仲は、もはや王宮公認のようなものであったので、おそらくフェルディナンドの耳にも入ったのだろう、とビアンカは思った。


 ランベルトの相手と言われる、赤毛の女官を真正面からじっと見据え、フェルディナンドはしばらく無言であった。緊張した面持ちで、メイフェアが直立不動で佇んでいる。

 ものすごい美女でもないが、何がそんなにランベルトを狂わせるほどすごいのだろうか、とフェルディナンドは腑に落ちなかった。

 メイフェアは、ランベルトの家族と顔を合わせるのは初めてであったが、歓迎されていないのは一目でわかった。


「私に何か御用があっていらしたのでしょう。お顔に書いてあります」

 初対面のフェルディナンドにでさえも、メイフェアの言葉は直球であった。なかなか手強いかもしれない、とフェルディナンドは、二十近くも下の小娘に対して嫌な焦りを感じた。

 私はここにいていいのだろうか、とビアンカは不安げに二人を交互に見比べ、ロッカに助けを求めるような視線を送る。そんな落ち着きの無いビアンカにメイフェアは「ご心配なく。どうせすぐ終わりますから、皆さんここにいらして結構です」と言った。


「正直に申し上げると、あなたがどのような方なのか、気になって見に来た。ランベルトは私の一番弟子でもあるからな、気にならない方がおかしいだろう」

「その言い方ですと、私にご不満があるようですが」

「あなたのせいだとは言いたくないが、ランベルトの腕が落ちたのが私には信じられないのだ。私の最高傑作が、今ではあのような剣しか使えないなどと、受け入れ難かった。あなたとの関係に問題があるのでは」

 

 メイフェアが怒り出さないのが、ビアンカには意外だった。もしかしたら今回、二人の関係について考えるところがあったのだろうか。ビアンカは二人を応援していたので、はっきりとした理由は聞いていないものの、最近顔を合わせようとしない二人を心配していた。

「仮にそうだとしても、その程度で乱れるような剣であれば、ランベルト様も大したことありませんね。王宮一などと人々に持てはやされ、慢心しているのではありませんか。私の方こそ、迷惑です」

 メイフェアは驚くほど素っ気無く自分の意見を述べた。

  

「あなたのおっしゃるとおりだ。奴よりすごい剣士など、世の中には山ほどいる」

 深く頷きながらフェルディナンドは、にこりともしないメイフェアを見つめていた。

「不愉快な思いをさせたようなら、お詫びする。これは奴の問題だ。実にすがすがしいほどの正論であった」

「いえ、私の方こそ、ランベルト様の立場も考えず、配慮が足りなかったように思います。申し訳ありませんでした。フェルディナンド様のおっしゃる事にも一理あります。私もけじめをつけなければいけないとは思っておりました」

 いつになく大人な対応のメイフェアに、ビアンカはただ驚くだけであった。

 知らぬ間に、人は変わっていく。少し大人っぽい顔つきでフェルディナンドと対峙するメイフェアを見て、ビアンカは、いつまでも成長しないのは自分だけなのだろうか、と空しさを感じていた。


「ヴィンチェンツォの言ったとおりだったな。とてもしっかりしたお嬢さんだ。ランベルトには少々もったいないかもしれない」

 帰り間際に、フェルディナンドはもう一度メイフェアの顔を見ると、ランベルトのような人懐こい笑顔を見せた。




 


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