第3話 空と闇の邂逅
『僕を、助けて』
セレスが森の中を走っている途中、少年の声が頭の中に響いた気がした。
※※※
カーネリアンよりもさらに後方に、セレスは立っていた。
彼女の金の瞳が光り輝き、遠くで靄に包まれた少年を狙っている。
彼女は、どこから持ってきたのか、弓に矢を番え、弦を引き絞っている。矢の先に魔力をため込んでいるようだ。
「どいて!」
まだ幼いとも言える年齢の彼女の気迫に、兄のアズライトは怯んだ。彼は、彼女の言うように身体をその場から動かす。
限界まで張り詰めた弦が鳴る。
矢が、少年目がけて一直線に走る。
彼に纏わりつく靄へと矢が到達すると、光が爆ぜる。
少年の周囲の視界が晴れた。
彼を中心にして、騎士や魔術師達が折り重なって倒れている。
また靄が、少年に集まろうとする中――。
いつの間にかセレスが少年に先にたどりついた。
アズライトは、驚きで目を見張る。彼は妹に向かって叫んだ。
「セレス、危険だ! まだ靄が残って……!」
※※※
セレスは兄の制止を聞かず、黒髪の少年の元に近づく。少年と言っても、十一歳の彼女からすれば、だいぶ体は大きい。ただ、彼の細い体では成人しているのかどうか、一見して判別がつかない。
彼は、地面にうずくまり、苦し気に呻いている。
(先ほど視た未来……。お兄様とカーネリアン王子様が、闇に飲み込まれる未来は避けることができた。あとは、この男の人をどうにかすれば、お兄様をお守りすることが出来る)
『僕を、助けて』
森の中で聞こえた声は、この男の人のものだと思う。
何ふり構わず、この人の元に来てしまった。
(どうやって助けたら良い?)
セレスは、少年の近くに膝をついた。
少年が顔をもたげ、彼女を視界に捉える。
(紅い、瞳――)
彼女がそう考えた瞬間――。
「「セレス!!」」
兄アズライトとカーネリアン王子が、彼女の名を叫んだ。
――気づけば、四散していた闇が再び戻り、セレスと少年を取り囲み始めた。
※※※
兄の命を護ることで頭がいっぱいになっていて、自身の身の安全がおろそかになっていることに気づくことができなかった。
セレスは、自身の行いを少しだけ後悔していた。
闇に包まれ、どうなるだろうと不安になったが、不思議と痛みなどは来ない。
むしろ、なぜかその場所は、暖かいとさえ思った。
地面に手を着きながら、肩で息をする黒髪の少年を見る。
彼が、苦し気な表情のまま、セレスをじっと見ていた。
表情こそ歪んでいるが、彼が人間離れした美しさを持つ少年だということが分かる。
(人形みたいな顔の、男の人――)
再び、彼の紅玉色の瞳と、セレスの金の瞳が出会う。
彼の赤い瞳には、妖しい光が宿って見える。
「金の、瞳の、女……」
震えるように、彼はそう口にした。
セレスの眼前に、少年の顔が迫る。
「え――?」
少年の白い手が、セレスの頭を掴む。彼女の水色の長い髪が、乱れた。彼の細い腕にどこにそんな力があったのだろうか、強い力で引き寄せられる。
気づけば、彼女の唇に、柔らかい何かが押し当てられていた。
突然のことで、まだ幼い彼女は反応出来ない。
少年の唇が、自分の唇をふさいでいるのだと気づくのに時間がかかった。
セレスは彼を押しのけようとするが、ぴくりとも動かない。
見知らぬ男に長い間口づけられたままだ。彼女は、彼に恐怖を感じはじめてきた。息が出来ずに苦しい。
彼女は必死に抵抗するが、彼は離れてくれない。
(怖い……!)
そんなに長い時間ではなかったが、いつ終わるのか分からない不安から永遠にも感じた。
混乱していると、やっと少年がセレスから離れる。
彼女の頭は、彼の手に掴まれたままで、彼の端正な顔も相変わらず近い。
少年は、彼女に向かって、悠然と話し始める。
「まだ幼いが、お前は俺の贄だろう?」
まだ少年らしさの残る軽やかな声だが、高貴な印象を受ける話し方だと、セレスは思った。
彼女は、彼に問われている意味が分からずに悩む。
そうしたところ、彼の手が彼女の頭から離れる。少年がまた、胸を抑えて苦しみ始めた。
「大丈夫、ですか?」
先ほどまでの行為は恐ろしくはあったが、目の前で辛そうにしている人を放ってはおけない。
セレスは、黒髪の少年の肩に手を当てる。
少しずつ呼吸が落ち着いてきたようだ。
彼の紅い瞳と、再度目が合った。
(あれ――?)
彼の瞳に宿る光は柔らかく、穏やかな印象へと変化していた。
身に纏う雰囲気が変わったのが、セレスには分かる。
「僕はスピネル。僕を助けてくれた君は、誰?」
先ほどとは異なる話し方に、セレスは少しだけ戸惑う。はじめはぎらついた印象があったが、今は柔らかいと言って差支えがない。
彼女はなんとか、彼の問いに答えた。
「……私はセレス。セレスタイト」
ふわりと黒髪の少年は微笑んで、彼女にこう告げた。
「君の髪、本で見た空の色と、同じ色をしている」
(本で見た……?)
セレスは、彼の言葉に違和感を覚えた。
気づけば、二人の周囲にあった黒い靄も気づけば消失していた。
今日は生憎の曇り空だ。晴天の時とは違い、灰色に淀んでいる。
「あなたは――」
『誰?』
そう彼女が、黒髪の少年に問いかけようとした時。
突然、彼の身体が傾いだ。そのまま、セレスの体に倒れ込んでくる。
少年は気を失ったようだった。
セレスの小さな体では、彼を支えることが出来ず、そのまま共に倒れ込んでしまう。
気付けば、自身も頭がぼんやりしていることにセレスは気づいた。
「「セレス」」
声の方を振り向く。
二人の近くへと、兄アズライトとカーネリアン王子が駆けてきていた。
彼らを見たのを最後に、セレスはそのまま気を失った。




