笑って許せる男の見栄
『今、流行りの「君を愛することはない」と言われましたわ』のスピンオフが降りてきました。
本編は王女が結婚式の翌朝に執事を蹴散らして外遊に出る話です。
「俺はシルヴィア嬢に誘われたことがあるんだぞ!」
「・・・・・・は?」
マルタは婚約者の言葉が耳から入って頭の中で迷走して、理解できずに淑女らしからぬ声を漏らしてしまった。
シルヴィアというのは、今、社交界を騒がす令嬢だ。高位貴族の令息ばかりを周りに侍らす彼女の出自ははっきり言って悪い。
悪いにも関わらず、伯爵家の令息だけでなく、公爵家の令息や王太子まで骨抜きにしている。
「だから、俺はシルヴィア嬢に誘われたんだ!」
もう一度、言われて、ようやく、マルタは理解できた。
理解できたが、焦ったようなウオーモの態度に他のことも理解した。
「そんな・・・」
「だがな、俺は婚約者がいる、と言って断った」
ショックを受けたようにマルタが振る舞えば、ウオーモはそう言って、フンスとばかりに鼻の穴を大きくした。所謂、ドヤ顔である。
ウオーモは男爵家の、それも跡継ぎですらない。シルヴィアは高位貴族の令息しか相手にしない肉食女子だ。相手にされるわけがない。
ただ、社交界で話題の人物に話しかけられた。それだけで話題の人物に誘われたのだと、見栄が張りたかったのである。
マルタはそんなウオーモの見栄に、気付かない振りをすることにした。
◆◇◇
「俺はシルヴィア嬢に誘われたことがあるんだぞ!」
結婚式のあった日も、ウオーモの見栄は絶好調だ。
まだ同じ見栄を張っているのは、シルヴィアが王太子に公爵家の令嬢と婚約破棄させて、自分がその後釜に座ったからである。
「それは・・・私との結婚を白い結婚にするということなの?」
シルヴィアに心奪われた令息たちが、初夜に「お前を愛することはない!」と宣言することが多発している。そのせいで、新妻たちが荒ぶっていたり、悲壮感を漂わせていたりで、お茶会の雰囲気はおかしくなってしまっていた。
「いや、そうじゃない」
「じゃあ、なんで、そんなことを言うの?」
「お前と結婚した男は、王太子の婚約者すら振った男なのだ! 心しておくように!」
結婚生活の第一歩でガツンと、言っておきたかったようだ。
見栄の理由がわかったマルタは、元気良く答えた。
「勿論よ!」
◇◆◇
「マルタ! 急いでベッドの用意をしてくれ!!」
ある日、仕事に出かけたウオーモが突然、帰って来て、そう言った。
「どうしたの、ウオーモ? こんな時間に戻ってくるなんて・・・――」
メイドたちと家事を一緒にして、午後のお茶で一緒に休憩をとっていたマルタは、ウオーモの声で玄関に向かった。
そこにあったのは、血塗れでぐったりした男を担いだウオーモの姿だった。
ショッキングな光景にマルタの顔から血の気が引いた。騎士の妻とはいっても、大多数は流血を見慣れているわけではない。マルタもそんな一人だ。
「ウオーモ! 大丈夫?! どこを怪我しているの?!」
蒼白な顔で、マルタはウオーモに駆け寄って聞いた。
「大丈夫だ。俺は怪我していない」
「じゃあ、この血は――」
「カール卿の血だ」
「カール卿?」
「俺の恩人だ。カール卿を休めたいから、ベッドの用意をしてくれ」
「あなたの恩人なのね。すぐに用意するわ。メグ! シーナ!」
マルタは空気を呼んで部屋の隅にいるメイドたちを呼んだ。
「メグ、客室にベッドの用意をして! シーナはお医者さんを呼んで来て!」
「はい、奥様!」
二人のメイドは別々に動き出す。マルタの中年のメイドのメグはリネンを置いている部屋に。若いメイド見習いシーナは外に出る為に厨房横の勝手口に。
マルタは客室に向かった。
使う予定のなかった客室は毎日、空気の入れ替えがされていて、定期的に掃除もされている。しかし、布製の家具には埃除けのシーツが掛けられていて、すぐには使えない。
マルタは窓を開けて、埃除けのシーツを剥がしていく。
ベッドはマットレスに埃除けのシーツが掛かっているだけで、メグの運んでくる毛布やシーツがなくては、怪我人を寝かせられない状態だ。
「奥様!」
「毛布から掛けていくわよ!」
「「せーの!」」
メグの運んで来た古い毛布を二人がかりでマットレスに敷き、次いで清潔なシーツを敷く。これで血を拭う前の怪我人を横たえてもマットレスには着かない。
「じゃあ、ウオーモを呼んでくるわ。メグは埃除けの後片付けをお願い」
「わかりました」
マルタは怪我人を背負っているウオーモを呼びに行った。
もう一枚の清潔なシーツと古い毛布、ベッドカバーをベッドの足側の端に畳んで置くと、メグは窓を閉めた。
そして、埃除けのシーツを折り畳んでリネンの保管場所に運んだ。
「ウオーモ、ベッドの用意が出来たわ」
「わかった」
怪我人を背負って手が使えないウオーモに代って、マルタが先導して扉を開けて、二人を先に通した。
「子ども部屋にするはずだったのが、カール卿に先に使わせることになるとはな・・・」
ウオーモとマルタの客など、同じ王都内に家を持っているか、部屋を借りていて、この家に泊まる利点など全くなかったから、客室は子ども部屋にと、二人で話していたのだ。
「・・・」
二人は無言で怪我人を横たえた。
「・・・」
ウオーモがカールを横たえるのを手伝いながら、客が使わないはずの客室が客室として使われていることにマルタの心も複雑だった。
マルタはカールに上掛けのシーツを掛け、毛布とベッドカバーも掛けた。
カールはその間も意識を取り戻さなかった。
「マルタ、話がある」
マルタがウオーモに続いて部屋を出て扉を閉めたところで、ウオーモは振り返ってそう言った。
ウオーモが向かったのはサロンだった。
サロンは先に戻ったメグが後片付けをしてくれていたらしく、ティーカップとポットが消えていた。
「詳しくは知らないが、カール卿を助けたことで、王太子殿下の逆鱗に触れるかもしれない」
「どういうこと?」
「カール卿は王太子妃殿下の護衛騎士に選ばれていた。そのカール卿が血を流して倒れていても、手当てを許されなかったということは、そうしたのは、王太子殿下の意志である可能性が高い」
「!! あんな酷い怪我なのに、手当てを許されなかったというの?!」
「王太子殿下の不興を買ったんだろう」
「そんな・・・!」
「手当てを許されず、倒れていたカール卿を連れ帰ったんだ。俺もお咎めを受けるかもしれない」
「・・・!」
そう言われて、マルタは気付いた。ウオーモは生まれこそ男爵家と低いが、騎士団に入った当初は王宮内勤務だった。王太子妃の護衛騎士に選ばれるようなカールとも面識があったが、何かがあって、平民の騎士がする街の警備に回されたに違いない。
『俺はシルヴィア嬢に誘われたことがあるんだぞ!』
あれは男の見栄ではなく、本当のことで、それを断ったから平民の騎士がおこなう業務に飛ばされたのではないか。
それでも王都内に留まれていたが、王太子殿下の命令に逆らったのだ。次は辺境に飛ばされるかもしれない。
生まれ育った王都を離れるかもしれないと思うと、マルタは身体が震えてくる。
でも、自分の為に浮気の誘いを断り、人として無くしてはいけない慈悲の心のままにカールを助けたウオーモに何の落ち度があるというのだろうか。
むしろ、王太子殿下の命令に従って、カールを見殺しにしたウオーモに対して、今までと同じようには接しられないだろう。
「何、言っているのよ! 私は王太子妃に誘われて断った男と結婚したのよ!」
話題の女性に言い寄られたことが男の見栄なら、人として正しい道を選んで夫が左遷されたからといって、動じないのが女の見栄。
・・・さっき、震えたのは武者震いだ。決して、動じたわけじゃない。
◇◇◆
「俺は悪女シルヴィアに誘われたことがあるんだぞ!」
すっかり、髪に白いものが混じっている男が、まだ言葉の意味も分からない幼い孫に自慢気に言う。
それを見ていた子どもの母親が男の妻に言う。
「ねえ、母様。あれ、本当?」
「さてね~」
意味ありげに男の妻は笑う。
「だって、あの悪女は高位貴族しか相手にしなかったんでしょ? 父様はその頃、ただの騎士だったんでしょ?」
「旦那様は騎士だから、若い頃はただの騎士でもおかしくないでしょ」
「でも、今は騎士伯じゃない」
「それは旦那様の日頃の心掛けが良かったからよ」
あの後、予想した通り、ウオーモは辺境に左遷された。マルタはピクニックにでも行くかのように、赴任先について行った。
慣れない辺境の地で戸惑うこともあったが、二人は決して後悔しなかった。
護衛対象の王太子妃を見失って護衛騎士をクビになったカールも、自分を助けた為に左遷されたウオーモを一人で行かせることが心苦しく、辺境に来てウオーモの同僚になった。
カールや事情も聞かれずに解雇された専属侍女の処遇を見て、近衛騎士たちと侍女たちは、王太子妃のせいで処罰を受けないように努力した。
その結果が、王太子妃の秘密の逢瀬の相手を王太子妃を襲った慮外者としてその場で対処することである。
元から噂はあったが、出るわ出るわで、子弟を失った下位貴族が騒ぎ立てようが、王太子は妻の浮気に気付かなかった。
恋に目の眩んだ王太子がようやく、気付いた時には、貴族たちが外遊に出ている王女に、国に戻って女王になってくれと、嘆願した後だった。
王女が帰国し、カールや王太子妃の専属侍女の解雇は取り消され、ウオーモも元の王宮勤務に戻された。
王女の元夫をはじめとした王太子妃に侍っていた高位貴族は、托卵を企んだ罪を公表しない代わりに多額の金品を王家に差し出した。その為、目減りした不動産を考えて、生活レベルを下げられなかった高位貴族は十年ほどで没落していった。それほどの金品を王家に差し出して、高位貴族であることを望んだのだ。
浮気が座右の銘であった王太子妃は不義密通の罪で、身分が低かったことから呆気なく処刑された。
自分の兄弟や息子を失って怒り心頭だった下位貴族たちも、高位貴族たちが金品を王家に差し出す理由を噂で聞いて、藪を突いて蛇が出ようものなら、我が家は爵位返上するしかない、と大人しくなった。托卵による国家反逆罪を犯したのは、何も高位貴族だけではないのである。
カールのように王子の指示で降格されたり、解雇された人員の調査がおこなわれ、正当な評価をうけることとなった。
ウオーモの騎士伯授与は、そんな被害者への慰謝料と口止め料の結果だった。
そして、カールは王子が最愛の女性の護衛に付けただけあって、騎士の中でも指折りの護衛だった。その彼は今、帰国して王太子となった王女の護衛騎士に指名された。
ウオーモの爵位には、やがて王女の護衛をする騎士の命を救ったものも含まれていたかもしれない。




