第九話 腐敗
先王マキディエルが崩御し、ルビーがカーン国に来た時、既にアールマティの姿は無かった。
カーン王国マキディエルの正妃だった彼女は、夫が亡くなって喪が明けるとあとはマルスにまかせると言って息子であるシャリヴァーを引き連れ、一緒に視察と銘打った旅をしていた。少数だけの共を付け、王都を後にした彼女を止める者はいなかった。と皆が口を揃えて言っていた。
しかしそれは表向きで、本当はマルスの勅命で追放されていたのである。
皇太后アールマティとマルスは血が繋がっていない。
マルスは、マキディエルの第二妃から生まれた子であったが第一子であったのと、いらぬ争いを厭う王妃自らの後押しもあり、そのままマルスは王位に就いた。
アールマティの子であるシャリヴァーを推す意見もあったのだが、シャリヴァー自身があっさり継承権を放棄、義母兄マルスの補佐に付くとはっきり明言していたので、何事もなく収まったのである。
アビゲイルとの結婚式の際もマルスの母は出席していたものの、皇太后アールマティとシャリヴァー殿下の姿は無く、カーン王国の民はこっそりと落胆の息を吐いていた。
元々マキディエルの治世はさしたる諍い事もなく、隣国との関係も良好で、まるで包み込むかのような穏やかな統治方法は近隣諸国にも有名であった。その為マキディエルとアールマティの人気も高く、特にアールマティの人気は熱狂的だった。
アールマティはルビーの母ウンディーネに負けず劣らずの人格者であり、農地改革や、孤児院の設立などに尽力し、カーン王国では『恵み深い王妃』として有名だ。
カーンの発展にはマキディエルの尽力と、アールマティの支えがあったからこそ、新しき王であるマルスの結婚式に、親愛なる亡き王の妻であるアールマティの姿が無かった事が、民にため息を付かせる要因にもなった。
事実マキディエルが崩御し、マルスが王位に就いてから、カーン国には不穏な空気が流れる。
マルスが王となったと同時に、組閣が行われたのだが、そこで筆頭に立ったのが、ベルフェゴールである。彼は、自分が優位に立てる内閣をマルスに提言、そして実現して行った。
気がつけば、それまで王を支えていた大臣貴族が少しずつ姿を消し、代わりに佞臣が増えていった。
佞臣共がすることと言えば決まっている。
富と権力の集中
その愚にもつかない考えによって、税率は少しずつ増加。マルスが王になってからたった一年で、全ての商品に二割の課税が成され、王都や王家直轄地以外の税率は既にその二割を超えた。
その為、徐々にではあるが王都の人口が増加しているという問題が持ち上がった。人口の増加に伴う犯罪件数の増大、都市以外の農村部の過疎化、過疎化による農家の担い手不足が穀物や野菜価格の上昇を伴い、マルスの治世になってから、それら負の部分がカーン国民にのし掛かったのである。
当然、各地から反発の声は上がった。
だが、マルスはそれを力でねじ伏せる。
マルスは皇太子であるが、父マキディエルの存命中は軍に所属していた事もあって、軍に対する影響力は非常に高い。
マルスは優秀だった。
父のマキディエルから威風堂々たる容姿を受け継ぎ、次期王としての教育も徹底的に成されている。
穏やかな政治手法を駆使した父と違い、マルスの政治手腕は強引かつ苛烈。しかし、そのやり方で、マキディエル時代に困難だと思われていた案件がいくつも解決したのである。
それ故に、心ある大臣や貴族が何も言えなくなり、それが更にマルスの慢心と絶対的な自信を植え付け、果てはベルフェゴールや他、佞臣共の増長を招く要因となる。
マルスは、父マキディエル王を超えたと自負するようになった。
あの手の届かなかった偉大な父ですら解決出来なかった事をやってのけたのだ。
これで全てが完璧になる。
己の決めた事に対して、盲目的過ぎるほど完璧を求めるマルスは、自らの生まれである『第二妃の子』と言う立場がコンプレックスだった。
王妃アールマティから嫌われてはいない。むしろ、教師達と一緒になって沢山の事を教えてくれるアールマティをマルスは心から敬愛していたし、アールマティ自身も助言や心配こそすれ、他は実母の様にいろいろな事に心を砕いてくれたのである。
それなのに、アールマティはアビゲイルとの婚姻を決して認めなかった。
そればかりか、アビゲイルは油断がならない、信用出来ないとまで言ったのである。
マルスは、自らの感情の赴くままに行動した。
はっと我に返ると、アールマティは口から血を流して床に倒れていた。哀しげに伏せられた瞳に映った自分は何と情けない事か。右手を見ると、アールマティを殴った時と同じく、握り締められ、カタカタと震えている。
だが、それをマルスが自分の招いた愚行だと認める事は出来ない。
それからマルスは、アビゲイルを王妃に据える事をアールマティに明言、彼女からの反論を全く受け付けなくなった。
マルスは当初の予定通り、ルビーとの婚姻を目的に彼女をカーン国におびき寄せ、ヴァシュヌ国の名代として来るアビゲイルを王妃とする旨をアールマティを無視して進め、結果、その通りにしたのである。
カーン王として起った自分には、アールマティなど些細な存在でしかない。
その為、極秘に追放の勅を出した。反対する者などは既に存在しなかった。例えいたとしても制裁を加え、政治の全権を剥奪と領地没収という強制排除を断行。そこまですればさすがに誰も進言しなくなる。
アールマティと仲の良かったマルスの母が知る頃には、もう国にアールマティとシャリヴァーは存在せず、その母も猛然と抗議したが、全く意に返さなかった。
アビゲイルとの結婚式にもアールマティを出席させなかった。弟シャリヴァーと共に、一応どこにいるかと報告はさせているが、それに興味を抱くことは無い。流石に野垂れ死はしないだろう。まあ、他国でそうなった場合カーン側の責任ではないし、最悪その報告自体を握りつぶす。
それで丸く収まるとばかりに、全く居なくなった皇太后と王弟の事を気にする事なく式は厳かに進んで行った。
しかし、それが更なる国民の失望感を煽る事となる。
王弟シャリヴァーは、母アールマティと風貌の似た地味な人物である。
だがしかし、シャリヴァー自身は母から多大な影響を受け、異母兄マルスが軍に所属したのに対し、自らは内政、特にカーン王国の産業の開発や、民の救済の方面に力を入れた。
シャリヴァーが取り組んだ産業の一つに、カーン王国で採れた宝石類を他国に輸出、その売上の一部を金属加工の方に回し、それによって新たに出来上がる装飾品をまた他国に輸出するという事がある。
そして、その装飾品を加工するために一般の民から求人を募り、労働者を雇う事で失業率の上昇に歯止めをかけていた。
その活動の成果によりシャリヴァーは王位に就くことを望まれたのだが、私は兄を支えていくのが性にあってますと言ってあっさり断ったのだが、国民の中でシャリヴァー人気は強かった。
しかし、アールマティを疎んじたマルスが王位に就いてからは、その活動も打ち切られた。そして遂には、アールマティとシャリヴァーはカーン王国を追放されたのである。
その結果、彼らを失ったカーン王国はずるずると貧困への道を辿る事になった。
図らずも、アビゲイルもその一端を担っていた。
アビゲイルが身に纏うドレスや装飾品、はたまた夜会が行われる度に振る舞われる豪華な料理。
それを実際用意したのはマルスだが、アビゲイルはそんな豪華な毎日を望んだのである。
アビゲイルが実際露骨に口に出すことはない。
だが、ふと零すのだ。
「ルビーはいつも豪華なドレスを着ていたわ。私はいつもそれを見ているだけ。おかげで裁縫が得意になりました」
「このネックレス、ルビーが持っていた物と似ているわ。私、一度貸してもらったことがあるんです。だけど、ルビーに返したはずなのに、無くなってしまって…違うと言ったんですけど、結局信じてもらえたのかどうか…」
「夜会はいつも一人でした。だって私は側妃の娘ですもの。正妃の娘であるルビーに誰もがひれ伏すのを当たり前だと思っていたんです」
そう言うと、必ずアビゲイルは哀しそうに笑う。
それを見たマルスはアビゲイルに対しての庇護欲と、ルビーに対する憎悪を募らせて行く。
結果、マルスはアビゲイルに似合う豪華なドレス、国家予算にも匹敵するほどの値段のする宝飾品、毎夜繰り広げられる夜会を主催し、ルビーに対しては、自らの後宮に集められた側妃達や侍女、使用人や貴族に至るまで徹底的に辛辣な目に合わせたのである。




