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第六話 存在価値

ルビーが洗濯室の前で倒れてから既に一時間以上経っていたが、一向に誰も気にかける者も居ないし、助ける者も居なかった。

そればかりか、わざと乾いたばかりの洗濯物を踏みつけて行ったり、手元が狂ったと称して持っていたバケツの水をかけたりして散々な目にあっていたのだが、意識を失っているルビーには知る由もない事であった。


ようやくルビーの意識が戻ったのは、既に日が中天を越した頃。

朦朧とする頭で辺りを見回すと、倒れる前には綺麗に乾いていたはずの洗濯物が、水に濡れ踏みつけられ、ぐちゃぐちゃになったままそこここに散らばっていた。

自分が気を失っていた間に起きたであろう事は容易に想像出来る。それだけにルビーは何も言えない。

悪いのは、洗濯物を抱えながら、意識を失って倒れた自分だ。せめて、乾いたそれらを届けてから倒れれば良かったのだが、もう既に終わってしまった事を嘆いたとてしょうがない。



挫けそうになる気持ちを必死に鼓舞し、汚れてしまった洗濯物を集めるのだが、手が震えて目が霞む。額にはびっしりと汗をかき、口から漏れる呼吸は荒いを通り越して喘鳴(ぜんめい)混じりのものだ。

それでもなんとかかき集めた洗濯物を再び洗濯室に運ぼうと思い、立とうとするのだが、足に全く力が入らない。なんとか腰を浮かしたものの、すぐにぺたんと座り込んでしまう。



ルビーは笑いたくなった。


ままならない体。

何も出来ない自分。

何よりも、自分の身に起きている全ての事に。



あのまま倒れていても、誰も助けてはくれないだろう。



現に、遠巻きながら自分をくすくす笑って見ている侍女達には、助けてあげようとか、気遣ってあげようという感情は全く感じられない。

彼女達の目にあるのは、皇女であったルビーが地を這い(つくば)って仕事をしている事に対する、優越感。私達ですらやらない事をやらせているんだと言う愉悦。


侍女ですらそうなのだ。主である側妃達はもっと酷い。


わざわざ入念に汚されたリネン、目の前で割られた調度品、宝石の紛失騒ぎはいつも自分が犯人扱い。

しかし、犯人扱いされても何故かすぐに元の仕事に戻される。


だが、決して誤解が解かれる事がないまま。



飼い殺しの状態を望むアビゲイルの思惑で、裏から密かに手を回している事を知らないルビーは、周囲から手癖が悪い皇女のレッテルを貼られ、尚更孤立したのである。




力を振り絞って立ち上がって、洗濯室まで歩く。既に洗濯室で働く下男下女達が忙しなく動いているが、ルビーを見る者は誰もいなかった。

そんな中でも責任者の女に近づいたが、あっさり無視されて、ルビーは必死に後を追った。



「あの…すみません…」



声をかけても、あからさまに嫌そうな顔をされる。その顔を見て、一瞬怯んだが、汚れてしまった物を出さなければならない。



「申し訳ありませんが、これも洗ってはもらえないでしょうか」



差し出された物を見て、女は苛立ちのため息を吐いた。



「あんた、これ今日持って行ったやつじゃないか。何だってこんなにすぐ汚すんだ。」


「…申し訳ありません…」


「謝りゃいいってもんじゃないだろう!だいたい今何時だと思ってんだい!こんなに日が高くなっちまったんだ、今から洗ったって乾くはずがないじゃないか!!」


「…すみません…」


「二言目にはすみませんすみませんって。あんたあたし達を馬鹿にしてんのかい?」



違うと言ってもどうせ信じてはもらえまい。俯いて洗濯物を下げた。

それが、女の勘気に触れた。



強い衝撃が頬に当たった。

殴られたのだと認識したのは、ぼんやりとした頭の片隅でだった。

目の前の女は手を振り下ろしたまま、しまったと言う顔をし、驚愕した顔の下男に取り押さえられている。



ルビーはヴァシュヌ王国の皇女である。

一国の皇女に手を上げたのだ、極刑は免れないであろう。

だがしかし、それはあくまでもこのカーン国以外で事であって、この国でのルビーの存在価値は、市井の孤児より低い。



それがわかっているからこそ、ルビーはただ耐えるのだ。すみませんと謝りながら。



「…洗ってやるからそれ置いてきな」



ぼそりと声がした方を見ると、女を取り囲んでいた下女の内の一人だった。



「ありがとうございます」



そう言って頭を下げた。

洗濯物を彼女に渡して、もう一度すみませんと謝った。

彼女は不機嫌そうな顔ながらも、「次は無いからね」と言って奥へと消えた。



洗濯室を後にしたルビーの体は、既に限界を超えていた。

なんとか後宮の庭まで辿り着いたものの、再び意識を失った。

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