第四十五話 覚悟
「姉って……」
アスクレピオスの名前を聞いたはずが、何故ここでもファルコン家が出てくるのか。
唖然としている三人を他所に、フレデリックは静かに立ち上がり窓の方へと歩み寄り、その外の様子を伺った。
「どうやら…反乱軍は城門を突破したようですね。城内に乱入してくるのも時間の問題かと…お三方、お覚悟は決まりましたか?」
「覚悟だと?」
「ええ。マルス王と王妃の廃し、その空いた座にシャリヴァー殿下がお座りになる。そのお覚悟ですよ」
静かにフレデリックがそう言って、窓を見ていた方から振り返る。
そうやらアスクレピオスの事はこれ以上言うつもりはないようで、三人はそれ以上深くは聞けなかった。だが、頭の片隅には彼女もこの黒い悪魔の姉なのだと言う警戒心が芽生えていた。
しかし、フレデリックからされた質問で我に返ったアールマティとミネルバがシャリヴァーを見ると、彼は唇を引き結んで固く目を閉じていた。
既にわかっていた事だった。
眩いばかりの兄がいるお陰で、自分は王位継承件を放棄した。その事を悔やみはしないが、何故国も兄もこうなるまで何も出来なかったのかと言う後悔はいつまでも残るだろう。だが、兄が処刑されたとしても、『王』と言う強大な指針を失うであろうカーンを混乱の中に放り込むのは、自分が王家に生まれた事の義務を放棄する事だ。
兄を自分の諫言で正しい道へと導くことが出来なかった罪悪感に苛まれるのは、今ではない。
今、考えるべき道は一つ。
シャリヴァーはフレデリックの目を真っ直ぐに見て答えた。
その顔は、正に王者たる風貌。
「ああ。出来ている」
その嘘偽りのない答えに満足したのか、彼は口許だけを綻ばせた。
一方、皇太后であるアールマティと現王の生母であるミネルバは膝を着いて、頭を垂れた。
「シャリヴァー、貴方に全部を押し付けるわけにはいきません。私も微力ながら手を貸します」
「拙も同じく」
「感謝します、お二人とも。でも、顔を上げてください。なんだか、私より偉い方々に頭を下げられるのはどうも……」
そう言って一気に情けない顔へと戻ると、それを見たミネルバが素早く「情けないのう」と笑った。
温かな空気が部屋を包んだその時、ルビーを治療していた隣の部屋からアスクレピオスが顔を見せた事で、素早く元の様に緊張感に包まれた。
少し疲れた表情をしていた彼女を見たシャリヴァーらは、万が一の事も覚悟したが、次にアスクレピオスが見せた笑みでそれが杞憂だとわかった。
「少し危ない状態でしたが、一先ずは安心です。暫くはお眠りになっていますが、じきに目を覚ますでしょう。後はルビー様にどれだけ後遺症が残らないか…でしょうね」
「後遺症?」
「精神的な…ね。あれだけ大勢に暴行されたんですもの。ルビー様が精神的にやられていてもおかしくないわ。傷が消えても、残る物はいつまでも残るのよ」
確かにアスクレピオスの言う通りだ。
いくら助けられたとは言え、集団暴行を受けた事実は覆せないし、ましてや犯される寸前だったルビーの心境を考えれば、精神的に参っていても仕方が無い。
再び頭を擡げる問題に、三者は一様に考え込んだ。
一方、白と黒の対比も鮮やかな姉と弟は、三人に聞こえないように小声で話しこむ。
「………なるほど…では早い所、ヴァシュヌにお連れせねばな…動かせるか?」
「絶対安静…と言いたい所だけど、そんなことも言ってられない状況ですもの。なんとかするわ。幸いにも、あのグロアとか言う子、なかなか使える子だしね。なんだったら弟子に欲しいくらいだわ」
ふっと楽しそうに笑んだ姉に対し、弟はぴくりと眉を動かしただけだった。
「貴女の弟子は彼女には到底、勤まりませんよ。あのような真面目な者には」
「うふふふっ」
口許を不気味に歪めて笑んだアスクレピオスの顔を、三人ながら見る事は無かった。
ルビーの大事がわかった事で、今まで捨て置いていた問題を解決する用意が整った。
つまりは謁見室に置いてあった問題を。
「ルビー様は私が見ているわ。だから、いってらっしゃいませ」
アスクレピオスがそう言ったので、シャリヴァーは腰に差していた剣を改めて差しなおすと、フレデリックの方を見た。
きっと彼は来ないだろうと思ったのだが、意外にも返事は是だった。
「私も行きます。大切な御身、僭越ながら私がお護りいたします」
「…いいのか?」
「先刻の様に、隠密が出ないとも限りませんので。人数は多い方がよろしいでしょう」
そう促されて、三人はルビーとアスクレピオス、グロアを残して部屋を後にした。念の為に付いて来ていたアールマティの護衛も外に配置しておいた。
随分と閑散としてしまった城内だが、外からは耐えず喧騒が聞こえてきている。
もうすぐ城は落ちる。
マルスとアビゲイル、そして隣国の皇太子がいる謁見室に足早に向かう途中、尚も部屋に残してきた彼女らが不安だったミネルバが何度も後ろを振り返った。だが、それに気付いたシャリヴァーが気遣わしげに彼女に「戻るか」と聞いたが、頑として首を縦に振らなかった。
「愚息の後始末はしかと見届けねば。だから、拙は行く」
「そうですか…」
すると、前を歩いていたフレデリックが何でもないように言った。
「アスクレピオスがいるんです。大丈夫ですよ」
「だが、彼女は女だぞ?」
その答えにはっと笑った彼は、後ろを振り返る事なく言い切る。
「腐っても、あれはファルコン家の人間ですのでご心配なく」
彼等の目に謁見室の扉が見えたと同時に、中から絶叫が聞こえた。




