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第四十四話 アスクレピオス

白い女は足音もさせずにルビーの方へと移動する。

それを見ていた面々も、一様に驚いた顔をしているが、彼女が進む方向を誰も阻もうとはしなかった。


白の女…アスクレピオスはルビーが横たわっている側に跪くと、彼女の青ざめた頬にそっと自身のたおやかな手を差し伸べた。

その手には、先程大の男を毒で死に至らしめた白蛇が紅い舌を出しながら巻きついている。



「なるほど…。これは危ないわね…」


「治せるか」


「もしも、治せなかったら?」


「言わずもがな」


「……ふっ。相応のモノはもらえるんでしょうね?」


「10でどうだ」


「20ね」


「12」


「19」


「13」


「……そうね…もう一声ってところね」


「15だ。それ以上はさすがに譲れない」


「…んー…、まあ、それで手を打ちましょう。さ、総隊長。ルビー様をどこか休める場所に移して差し上げないと。ここでは治るものも治らないわ」


「そうだな」



そう言うと、フレデリックは横たわらせていたルビーを再び己が腕に抱き上げると、視線でアールマティらを促した。

アールマティ達もはっと我に返ると、先を歩いていたフレデリックとアスクレピオスの後を追いかけた。


暫く進むと、後宮の門が見えた。

そこから王宮へと繋がっていて、そしてそこにはアビゲイルとマルスがいる。


累々と積み上げられた死体の側を何の感慨もなく歩き去って行く彼等二人から遅れて付いて行くが、後宮の表口を通り過ぎ一先ず空いている部屋に向かうまでの道中、血を流して倒れていた者が自分達が来た当初よりも増えていることにシャリヴァーらは戦慄を覚えた。


この量はフレデリック一人の仕業ではない。十や二十では聞かない数なのだ。

いや、彼ならばこれだけの数を一人でも相手に出来るだろう。しかし、彼は自分達と一緒にいた。


と言う事は、この量を捌いたのは他の親衛隊員達だろう。

先程会った糸目の男も親衛隊員だし、反省室にいた男女も親衛隊の服を着ていた。現在アビゲイルとマルスと対峙しているグレイプニルにも双子が付いている。

もしかしたらまだ隊員がカーンに潜んでいるのかもしれない。シャリヴァーはその事を聞いたが、否と答えが返って来た。



「グレイプニル様の部隊で来ているのは、先程皆様が会われましたカイムと双子のコラーダとティソーンだけです」


「…そ、そうなのか…?」


「とは言え、カイムは青の部隊長ですので。一般隊員より優秀ですよ」


「なにより貴方がいるからね。ね、総隊長?」


「ふっ。まあ、否定はしませんがね」



くすくすと笑い合う、全く対象的な白と黒の男女を見ながらそれまで口を閉ざしていたグロアがおずおずと前に出てきた。

アールマティがどうしたものかと問いかけるが、彼女がそれを笑んで止めた。



「あ、あの…お話をお聞きする限り、貴方様がお噂で聞く、アスクレピオス様なのですか?」


「うふふ、どんな噂かわからないけど。そう、私が先代の『アスクレピオス』よ」


「…?先代?貴女、名前が『アスクレピオス』なのではないのですか?」


「少し、ややこしいのですよ、皇太后陛下。詳しい事は総隊長にお聞き下さい。着きましたね。さあ、貴女、私の名前を知っていると言う事は医女なのでしょう?私を手伝いなさいな」


「わかりました!まさかアスクレピオス様の奇跡の手を間近で見られるなんて…!感激です!」


「患者がルビー様じゃなかったらもう少し気楽に出来たのだけど、あまり気楽になりすぎて不手際があったらこの黒い死神が私達に微笑んじゃうわ。だから、貴女には詳しい指示を出さないわよ。必死に私に来なさい」


「はい!!」



フレデリックがベッドに降ろすなり、彼女達二人がかりで手当てを始めた。

薬などはアスクレピオスが持って来ていたのだろう、どこから出したのかかなりの数が揃っているのを見てグロアのみならず、フレデリック以外全員が驚いた。

治療の邪魔だと寝室を追い出されたフレデリック達は、一様に心配そうにしながらもフレデリックが大丈夫だと請け負った事に安堵した。


ソファーに座りこんだ面々は、フレデリックからアスクレピオスについて聞いた。



ヴァシュヌ王国は医療が発達している国であると同時に、医者を育成するための専門機関が存在している。

その専門機関を優秀な成績で卒業し、城下での五年間の厳しい研修と、同じく五年間の独立した医者の期間。そして圧倒的に受かる確立が少ない宮廷医試験を受かった者だけが勤める事が出来る宮廷医が存在し、その宮廷医の最高位が侍医長である。

そしてその侍医長の中でも、優れた治療技術と圧倒的な患者の生存率の高さを誇るものだけが与えられる名がある。



それが『アスクレピオス』



長いヴァシュヌ王家の歴史の中でも四人しか存在しないその名前の持ち主のうち、ここ百年の間で確認されているのは、さきの白い女ただ一人。

他の三人はヴァシュヌ建国から数えた方が早いほどの歴史的な人物達で、全員が男だった。

いくら男女同権である国内といえど、当然医局内では大論争が起きた。しかし、既に彼女は侍医長に就任してから何人もの患者を救っている。それが王家の者であろうと無かろうと。それが暗黙の了承なり、結果医局どころか、国内中で彼女に『アスクレピオス』を拝命するようにと期待がかかった。


だが、侍医長である彼女はそれを一刀両断で断った。



『自分はまだ『アスクレピオス』の名を名乗れるような医者ではないし、ましてや医者に最高も何もない。

自分がやれる事を必死にやった事が結果として誉めそやされるような生存率の高さになっているだけで、

自分としては助けることが出来た患者がもっといたのではないかと日々悩み苦しんでいる。

助けられる命を助けてこその『アスクレピオス』。その域に私はまだまだ達していない』



そう声明を出した彼女だったのだが、ポイニクス王や皇太子の出産を世話してもらったウンディーネ王妃からも『アスクレピオス』を名乗るように促された事もあり、結局彼女はその名前を名乗る事になったのである。


『アスクレピオス』を拝命する以前の侍医長の名前は名乗れない規則になっており、故に彼女は名実ともに『アスクレピオス』となった。




「まあ、その偉大なる『アスクレピオス』を拝命してから三年で結局彼女は宮廷を去りましたが」


「何故?」


「『アスクレピオス』は医を極める者。彼女はまだ医を極めていないと突然言い出し、せっかくの侍医長の地位をあっさりと返上し、野へ降りました。現在では各地を訪ね歩き患者を治療しているようです」


「…なんと…立派なお人なのだな」


「そうね。そんな方が来ているのよ、ルビーが無事に治る事を祈りましょう」


「そうですね。………あ、そうだ。アスクレピオス殿の前の名前は何なんだ?名乗れなくなったとは言え、元はちゃんと名前があったんだろう?」



そう言えばそうねとアールマティも同意し、ミネルバも頷く。

フレデリックは彼等を見ながら、ふっと笑った。


何故かその笑みにシャリバーは寒気を覚えたが、ただの気のせいだろうと思って気に留めなかった。

だが、フレデリックの答えを聞いた瞬間、やはり間違いでは無かったのだと再認識してしまう。



「当代アスクレピオスの以前の名は、ラファエル・ファルコン。私の実の姉です」


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