第四十話 本領
血なまぐさい表現が出てきます。苦手な方は回避してください。
「フレデリック、ルビーは…」
フレデリックに抱きついたままぐったりと彼の胸に臥してしまったあまりに酷い惨状のルビーを心配して、アールマティがそっと声を掛ける。彼は何も身につけていなかったルビーに、女性親衛隊員から手渡されたローブを纏わせ、傷に障らないように、それからやはり慈しむように抱き締めていた。
アールマティの言葉に頷きながら身体を離したフレデリックは、ルビーの様子を確認しながら後ろに控えているスルトとフラウロスに視線を移した。
「意識を失われてしまいましたね…しかし、今はこれで宜しいかと。スルト、グレイプニル様がいらしていると言う事は、隊長も来てるんだろう」
「はい。アスクレピオス様をお連れしてくるようにとグレイプニル様が仰ったとの事で、こちらには少しばかり遅れて合流すると青の隊員から報告です」
「さすがグレイプニル様だな。アスクレピオスを連れてくるとは…よし、では行くぞ。ここは空気が悪すぎる」
そう言ってルビーを抱いたままスッと立ち上がったフレデリックは、アールマティらを連れてその場を離れようと動き出した。
室内には唸っている声や、悲鳴にならない悲鳴を発しながらガタガタと震え上がっている側妃達が残っているものの、全くそれに心を動かされた風はない。むしろ、フレデリックはスルトとフラウロスに冷徹に命令を下した。
「わかっているな、お前達」
「「はい、総隊長」」
「絶対に殺すな。後でコラーダ達も合流させる」
「「了解」」
短い返事をした彼等を残して、フレデリック達は室内を後にした。
後を付いて行くシャリヴァーは、平静を装いながらも今しがた起こった光景に恐ろしさを感じ、この男のビシビシと痛いほどの凄まじい怒りを感じ取っていた。
*
無作為に探し回るのは早々に止め、ルビーがいたと思われるアビゲイルの部屋を探すことにしたのだが、その室内にもルビーの姿はなかった。
それどころか、後宮全体がひっそりと静まり返っていたのである。
あまりの静寂さに嫌な予感が否が応にも高まってしまう。アールマティとミネルヴァにも焦りの色が見られる中、目の前の黒の男はピクリとも身動きしなかった。
「いませんね…」
「本当に…どこに行ってしまったのかしら…。早く探し出さないと…」
「危険よな。後宮内にあれだけいる側妃も、侍女すらもどこにもおらん。アビゲイルが操っていたのは側妃達もだったか…ええい、全く悪知恵が働くな」
ぐるりと辺りを見回していたフレッドだったが、突然鋭い目になった。そして、口許に手を当てて静寂を促すと、自らは室内入り口の扉の横に身を隠した。
その光景を見たシャリヴァーらも急いで身を隠し、誰が入ってくるのかと緊張しながら待った。
カチャリと扉が開いて入って来たのは、侍女だった。その侍女が入ってきた時、シャリヴァーは眉を顰めた。見知った顔でないばかりか、如何にも犯罪者上がりの雰囲気を漂わせていたからである。
見知らぬ顔に疑問が浮かび上がったアールマティだったが、ミネルヴァがボソリと呟いたのに素早く反応した。
『…あれは…』
『…ミネルヴァ…?あれは誰なの?』
『アビゲイルの侍女だ。確か…ガープとか言ったか…まぁ最も、あの侍女は滅多に表に出てこないから、拙も今初めてマジマジと見たが…』
『?表に…って。どういう事ですか?』
『あの侍女は裏の仕事をしていると噂で聞いた事がある。何でも汚い依頼は何でも受けると評判の侍女でな…専らアビゲイルが専任したようなものだが、あれが絡む事件は一気に解決するらしい。まぁ、本人が突然消えたり、自ら命を絶つようなどうにも胡散臭い結果になるのだが…』
『そんな侍女がルビーの消えた件に絡んでいるなんて…これはかなりマズイですね…。あの侍女は雰囲気が悪すぎ…』
そうコソコソと話し合っていると、シャリヴァーが喋り終わらないうちに目の前の情勢が一気に変わった。
「きゃあ!」と言う悲鳴が聞こえたと思った瞬間、既に侍女はフレデリックによって壁に顔を押し付けられていた。片手でその頭を鷲掴みにし、またもう片方の手には抜き身の刀身が握られて首に添えられている。あまりの早業だったために、何も反応が出来なかった侍女は一体何が起きているのか判断するのが遅れた。
「なっ…!」
「ルビー様はどこだ」
「…え!?」
「もう一度聞く。ルビー様はどこにいる」
冷たい声が響く中、フレデリックはその手の力を緩める事はなく、むしろ早く答えない侍女に苛立った様子で、握っている剣を直の事侍女の首に食い込ませた。
つぅ…と首から血が流れて、ようやく自分の置かれた状況がわかったのか、侍女ガープは必死に叫んだ。
「…し…知らない!!知らないわよ!!」
「知らないわけがないだろう。どこにいる」
「っ!!だから!!知らないと言っているでしょう!!大体、お前、私が誰だかわかっているの!?王妃様付きの侍女よ!?」
「だから?」
「……え?」
「あの女の侍女だからどうした。俺の質問の答えになっていない」
ギリリと頭を押さえつけている力が強まり、ガープは苦しげな声を出したが、フレデリックはそんな様子に一向に構う様子は無い。流石にやりすぎだと思ったアールマティが止めに入ろうとした時、入り口の扉が開いた。
「総隊長!!」
「スルト、それにフラウロス。ルビー様を見つけたか」
入って来たのはまたしても親衛隊員で、今度は華奢な体格をした女が二人だと単純に思った。
しかし、制服に付いているボタンの位置が違う。と言う事は一人は見た通り女だが、もう一人は男なのだろう。
実際、金髪碧眼で目が大きく愛らしい顔をした方がスルトで、ヘーゼルの色をした髪と、髪と同じ色をした釣り目がちだが美人な方がフラウロスだ。
今は厳しい顔をしているが、街に出かけたとしたら目立つであろう事が容易に想像出来た。
「いいえ、口惜しいですがまだです。総隊長…その女、どうしたんです」
「これが知っているようだが口を割らん」
「……ああ、この女…ガープですね。連続幼児誘拐殺人犯の。あの王妃が恩赦で出したらしいですが、汚れ仕事専門の侍女としてって事らしいです。しかし…喋らないなら喋らないなりに俺が吐かせます…いいですか、総隊長」
「ああ、殺すなよ。それから早くな」
「はい、わかっています」
そう言うや否や、スルトがフレデリックの拘束を解かれたガープの目の前に立った。
それからは正にあっという間だった。
華奢な体格をし、一見女の子のように見えるスルトが殴る蹴るの暴行を全く表情を変えずに行っている。ある種、そのギャップが激しすぎて目の前の惨劇も相まって絶句してしまったシャリヴァー達。
それを見ていた黙って見ていたアールマティは、顔面から血の気を失った。
しかし止めようと動いた瞬間、フレデリックに制されていた。
「止めないで貰えますか。これは必要悪です」
「しかしこれでは…っ!貴方達は暴力で暴力を押さえ込もうとしているだけじゃないの!!これでは何の解決にもならないでしょう!!」
「俺は機会を与えました。それに、連続幼児誘拐殺人犯にそんな情けをかけて一体どうするんです。いちいち、非情な殺人犯に情けをかける?それこそ滑稽な話です。甘っちょろいのもいいですが、締めるところは締める。それが今。だからここは俺達の指示に従ってもらいます」
「…フレデリック…貴方…」
唖然としているアールマティを尻目に、ガープを暴行しているスルトを眉を動かすことも無く見ていたフレデリックだったが、何も言わないガープに痺れを切らしたのか、ふー…とため息を付いた。
「スルト。もういい」
「しかし、まだ何も…」
「そうです、総隊長!これではルビー様の居場所がわからないままです、総隊長。早くしないとルビー様が…」
「わかっている。おい、お前。もう一度聞く。ルビー様はどこにいる」
「……こ…殺さな、いって…約束…して…」
「ああ。わかった。どこにいる」
「は、反省室にいる…。そ、こに……あん…た…が探して、る奴もいるし、側妃様達がぜん…いん…いる、わ…」
「反省室?」
その言葉に反応したのはミネルヴァだったが、耳にした記憶がない言葉だった。この後宮にはそんな部屋は存在しない。と言う事は、自分が出て行った後に作られたのだろう。
「おい、嘘つくなよ。反省室なんてどこにもないぞ」
「本当。嘘付くなんて、悪い子ね」
「嘘じゃない!!後宮の最奥にある壁!あれを押すと扉になってる!!そこに反省室があるわ!!」
「こいつの言ってる事…信じますか、総隊長…」
「…とりあえず行ってみないことにはな…」
呟くように行言ったフレデリックの言葉に倣ったスルトとフラウロスは、「見て来ます!!」と叫び、部屋を後にした。残された面々は、息も絶え絶えなガープに対し駆け寄って手当てしようとしたアールマティだったが、ミネルヴァに制された。
何故止めるのかと彼女の方を振り返ったアールマティだったが、すぐさまそれを良かったと思う事になる。
「ぎゃあぁあああっ!!!!!!!!!!!」
「ったくこれだから…女の悲鳴は甲高くて煩い事この上ない」
そう呟いたフレデリック。
一体何が起こったのかとアールマティは震えながら悲鳴の上がった方を振り返ろうとすると、蒼白になったシャリヴァーにふるふると首を振られた。
「は…母上…。見ないほうがいいです…」
「アールマティ…見るな…あれは見てはならん…」
ミネルヴァですらそう言って顔を背けてアールマティが振り向くのを止めたが、一体何が起こっているのか。自分の目で確かめなくては気がすまない。恐る恐る首をそちらに向けると、血溜まりがこちらにまで忍び寄って来ていた。
「皇太后様。シャリヴァー殿下が仰られたでしょう?見るなと。ご子息の忠告には従ったほうが御身のためですよ」
にっこりと艶然と微笑んだ男の頬には、紅い水。
そしてその血まみれの手には、赤黒い肉が乗っていた。
アールマティは侍女の方に視線を移した。
ガープは血の海に溺れるようにして絶命していた。
口を大きく開け放ったまま。
そして、そこにあるべきものを失ったまま。
「…ふ……フレデリック……あ…あな、あなた……」
「嘘付きに舌は必要ないでしょう?」
蕩ける様な笑顔を浮かべたフレデリックは、確かに美しかった。
そして、恐ろしいほどの恐怖でもってしてその場を支配していたのである。
…そろそろ本領発揮かな?って感じです。




