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第四話 陥落

カーン王マルスに伴われ、後宮にある豪奢な正妃の部屋へと戻ったアビゲイルは内心ほくそ笑んだ。


異母妹のルビーを心配しているかの様に振る舞うのは、アビゲイルにとってはお手の物。ルビーが生まれてからこの方、何年も取り繕っている優しい姉の仮面は強固で、既に表情の一部となっている。

何時も心の中では、悔しさと嫉妬心、そして嗜虐心が吹き荒れる嵐の様でも、表面上は穏やかに微笑み続ける事で、あのヴァシュヌ国の後宮内で生きてきたのだ。

今更、これ位どうという事はない。



現に、マルスが心配しているのは自分だ。

他の側妃達から池に落とされたのであろう、哀れなルビーを叱責こそすれ、助けの言葉もかけなかった。そう、マルスが見ているのは、誰あろう、アビゲイルだけなのである。





* * * *


カーン王国へと向かったアビゲイルは、喪中だと言う事もあり質素な喪服を纏って葬儀へと出席した。斎場である教会には、亡くなった前王を偲ぶため沢山の民が集まっていて、ヴァシュヌ王国からの使者であるアビゲイルも教会の中に入るのに一苦労して、ようやく入ることが出来た。


アビゲイルが席へと着くと、教会の中にいたカーン国の王侯貴族達はアビゲイルに息を飲んだ。


先程まで顔を覆っていたヴェールの中に隠されていた素顔が、あまりにも美しかったからである。

結い上げられた髪は、光を弾き金色に輝き、涙に濡れた瞳は吸い込まれそうなほど青い。

そして、喪服に身を包んでいるとは言え、思わず喉が鳴るほど官能的な身体は、質素なそれでは覆いきれないとばかりに色香を漂わせていたのである。



葬儀の場が俄かに色めき立ったのは、全てアビゲイルの計算の内だった。

そう、これからが大勝負の本番。

こんな序盤早々で舞い上がっていたのでは先が思いやられると、胸の内で観客を嘲笑う。



アビゲイルが入場した事でざわついた式場は、マルス殿下の登場によって静寂が引き戻された。



この葬儀が終われば早々に、マルスは王位へと就くことが決まっている。次代の王を見極めようと、周辺諸国からの使節団がこの葬儀にやってきているのだ。

緊張感が否が応でも増していく中、アビゲイルは極々小さな嗚咽を漏らした。

それがこの状況でどう捉えられるかも全部わかった上で。



案の定、マルスは視線をアビゲイルに移したが、一瞬目を見開いた後にすぐ先程まで見ていた場所へと戻した。



これで布石は敷き終えたとばかりに、後はつまらない葬儀が早く終わらないかと欠伸を堪えていた。

大体先代の王とは会ったこともなく、アビゲイルにとっては全く知らない人の葬儀だ。本来ならば、出る義理もなければ泣いてあげるほどの情もない。ただ、目的を完遂する為に利用させてもらうだけである。その事に、少しばかりの感謝をした。



長い葬儀が終わり、次の日には、各国の使節団が王宮に集められて弔いの言葉を述べる場が設けられた。

その場を今か今かと待ちわびていたアビゲイルの、一世一代の大勝負がここから始まったのである。



「ヴァシュヌ王国ポイニクス国王陛下に成り代わりまして、第一皇女アビゲイルが僭越ながらお悔やみのを申し上げます。」



実に優雅な一礼をしたアビゲイルに、謁見室にいた人々は感嘆の息を吐いた。

喪中なので派手な衣装を身に付けていないが、匂い立つような色香と、悲しみに沈んだその容貌。

アビゲイルの風貌に、不謹慎な事を考える輩も多かった。それもそのはず、アビゲイルはワンサイズ小さめのドレスを身に付けていたからである。

元々アビゲイルは体の造りが派手で、出ている所は出て、締まっているところは細い。そのため、ワンサイズ小さめのドレスを着ることは、胸を強調し、腰を細く見させるだけではなく、もう一つだけ目的があるのだ。


自分がヴァシュヌ王家から虐げられているのは、周知の事実。だからこそ、わざと小さめのドレスを着て、次期国王マルスに謁見したのである。


百聞は一見に如かず。


アビゲイルのドレスに僅かばかり眉を顰めたマルスは、何かを堪えるかのように憂いを湛えた顔になった。



「アビゲイル皇女、ヴァシュヌ国よりの弔いの言葉確かに受け取った。隣国とは言え、わざわざ有難い」


「いえ、ようやくわたくしに与えられた役目…あっ…」


「どうした?ようやくとはどういった意味だ」



哀しげに伏せられた目を見て、何かを察したマルスは人払いをしてアビゲイルと二人きりになった。その途端涙をあふれ出し、マルスに縋り付いてきたアビゲイルにぎょっとしたものの、反射的に腕を回して支えていた。


焦りながらもどうしたのかと聞くと、ヴァシュヌ王家で自分が置かれた現状を切々と訴え始め、最後まで聞いたマルスはあまりの酷さに怒りを覚えた。アビゲイルの母は、元々がカーンの民である。その自国の民と、娘であるアビゲイルが過ごした日々は想像に余りある。

憤怒の表情を浮かべたマルスを見て、アビゲイル心の底から暗い悦びを得た。



誰かに気にかけて貰った事などないアビゲイル。


生まれてからほとんど存在を無視した父、恨み言ばかり言い聞かせる母。

嘲笑を浮かべる貴族令嬢、ひそひそと裏で噂話に花を咲かせては馬鹿にしていた侍女連中。


全てが憎らしく、腹立たしい。



そして、アビゲイルの憎しみの一切がルビーへの憎悪として膨れ上がったのである。



だからその恨みを晴らす為には、目の前のマルスを利用しても良心は痛まない。

これから起こるであろう出来事で、ルビーが泣こうが喚こうが、私の受けた粗末な扱いに比べればまだまだ足りない程だ。



そうして全ては動き出す。



話の一切合切を聞いたマルスは、先代の喪が明け次第、正妃としてルビーを娶るとヴァシュヌ側に了承を取り付ける。ただそれは表向きで、実際はアビゲイルの立后へと舵を取ったのである。

アビゲイルが正妃となるのを知っているのは、即位して間もない王であるマルス、そしてカーン国総理ベルフェゴールの他数人だけの極秘事項であったために、ルビーがカーン王国に来てから初めて知った。



カーン王国の正妃はアビゲイルだと。



当然ながら、ヴァシュヌ国から激しい反発があった。約定が違うではないかと。

しかし、マルスは当然それを黙殺。ヴァシュヌ側からの要求の一切を拒否し続け、更にはルビーを帰国させずにアビゲイルの侍女に付けた。


だが、それで終わりではなかった。


侍女の仕事が全く出来ないルビーは、当然失敗ばかりを繰り返した為、懐妊したアビゲイルの側には付けられないとして、後宮内の下女に格下げされたのである。



アビゲイルは今まさに、これまでの惨めな境遇を取り戻すかの如く隆盛を極めようとしていた。


カーン国王マルスは、アビゲイルの言うことは無理でない限りは聞いてくれるし、ヴァシュヌでの扱いに同情してくれる侍女達や、母の実家である公爵家の威光も手伝って、もはやルビーに居場所は無いも当然。



でも、まだ足りない。


もっともっと傷付けばいい。



私の受けた屈辱はあんなものではない。



マルスに抱き締められながら、ほの暗い愉悦に浸かったアビゲイルが留まることはない。

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