第三十三話 王の存在意義
「では私は一体…」
「だから言っただろう、フレッドはやめておけと。ここまで見事に術中に嵌ったお前を哀れみこそすれ、助ける気には残念ながらならないよ。アビゲイル、お前がこの国に来てたった一年でどれだけの民がお前を憎んでいるのか知らないだろう。もう庇う庇わないの問題ではなくなってきているんだ」
顔面から色を失った妹を哀れみの篭った目で見やる。
この子は本当に愚かだ。フレッドに心を奪われたばかりに、自分の未来を不意にしてしまった。妹にもっとなにかしてあげられることがあったのではないだろうか。そんな儚い事を思ってしまう。しかしながら、同情こそすれ助ける気にはならない。
グレイプニルは次期王としての教育を幼い頃からされている。その為に、かけるべき所への救済を心得ている。アビゲイルを妹として救済したいと思っても、それをしてはいけないと弁えているからこそここに来た。本来ならば、ヴァシュヌにいて采配をしていればいいだけなのに、わざわざカーンに来た理由。
アビゲイルが自分でして来た事を理解させるためだと言えば聞こえはいいが、結局は最後に助けてやれなかった妹に会っておきたかったのだろうと思う。
自分の自己欺瞞にしかすぎない感情ではあるが、これが節目となるだろう事もどこか醒めた頭でわかっている。
アビゲイルが起こした今回の一件は、自分に対しての戒めのようなものだ。民を蔑ろにすれば如何に王とて倒される。それがどれだけ困難な事であろうと、民は必ず立ち上がる。抑圧された中でも、一縷の希望に縋ろうとする彼等を笑うことは出来ない。自分に課された使命と責任。その重さを誰よりも理解しているからこそ、アビゲイルの一件は忘れる事が出来ないだろう。
アビゲイルが犠牲になったとしても、それを自分は喜べないし、そうするつもりもない。むしろ、ルビーに恨まれる覚悟すらしている。あの優しいルビーは、アビゲイルが犠牲になった事を決して許しはしないだろう。それがフレデリックの思う通りなのだとしても。
「グレイプニル様、そろそろ…」
「ああ、聞こえてきているよ。城門が破られたみたいだね」
「ティソーン、そっち持ってくれる?」
ティソーンはコラーダに言われた通りに、マルスを拘束している腕を掴み直そうとした瞬間、思いがけない力で押しのけられた。
次いで、ティソーンの持っていた剣をマルスの素早い動きで抜き取られ、ティソーンは顔面を殴られて一歩下がった。
「ティソーン!!」
「貴様等…どいつもこいつも馬鹿にしているぞ…私が噛ませ犬になっただと…」
ブツブツと呟いて剣を構えたマルスは、恨みの篭った眼でグレイプニルを睨みつける。その目線を真っ向から受け止めたグレイプニルは、動じた風もなく、むしろどこか憂いを帯びていた。
「貴様、全てわかっていて、この私を…」
「そうだよ。それの何が悪いんだ?」
「なっ…!!」
「全ての事象には必ず理由があるんだよ。君が王位に就けたのだって、アールマティ殿が君なら大丈夫だとお膳立てをしてあげたから就けたんだ。一体何を勘違いしたのか知らないけど、それを君一人の実力だとでも思った?だからこの国を自分一人で動かせるとでも?全く、おかしすぎて涙が出るね。国は決して一人の力では動かせない。それを自覚していないばかりか、慢心してたった二年でここまで荒廃させたのは、誰あろう君だ。アビゲイルもその一端を担っているが、それでも君が王位に就いている以上、民の憎悪対象は間違いなく君だ、マルス。聞こえているかい、この怨嗟の声。これら全てが君とアビゲイルを憎んでいる証拠だ。君が戴冠してたった二年。だけど、この二年でどれだけの民が虐げられて来たんだろうね」
冷静に言ってのけたグレイプニルとは対象的に、マルスは明らかに混乱している。こんなところでもグレイプニルとマルスの格の違いがよくわかる。どこか冷めた目で見ながらも、そんな事を考えていたアビゲイルは、マルスの視線を感じてそちらに目線を動かした。
「アビゲイル…お前…」
「私からはもう何も言う事はありませんわ。貴方も聞きたくないでしょう。そう、お兄様の言う通りだったのかもしれませんね。私はお兄様の言いつけを破った。それのしっぺ返しが今来たんでしょうね」
「アビゲイル、私は一体…」
「貴方はカーン王国の王、マルスです。誰よりも尊く、誰よりも強い。それでいて、誰よりも愚かな王。それが貴方。役に立たなかった哀れな道化」
アビゲイルが何の感慨もこめずに言った言葉は、マルスの頭に血を昇らせた。剣を握る手が白くなるのにも関わらず、ぎりりと柄を握り締める。
コラーダがピクリと動いたのを感じたティソーンは、痛む頬を忘却し、油断無く状況を把握した。
自分達はグレイプニルを護る為にここにいる。それ以外の任務はないが、グレイプニルに命じられれば話は別だ。隙なく己の剣を構えるマルスを注意深く観察する。今にもアビゲイルに切りかかりそうな空気を醸し出している。
マルスの剣は一国の主としての素質は備えている物らしいが、実際にその腕前を見た事は無い。先程はシャリヴァーの腕前を目の前で見た。国を放逐された者であるのにも関わらず、親衛隊の自分たちの剣を受け止めたばかりか、コラーダを瞬間的にだが本気にさせた。
元々砕けた性格をしている双子の兄は自分より格上相手だとわかると、気持ち声が低くなっていつもより表情が明るくなる。機微な変化だが、それを感じ取れるのは双子である自分以外、総隊長以外いないであろう。実際、自分達より格上なのは総隊長以外は各隊の隊長だけなのだが。
「グレイプニル様…」
「うん。コラーダ、私が命じる。動いたら止めろ」
「御意」
じりじりとした睨み合いがどれだけ続いたのかわからない。
マルスが動くと同時に、コラーダとティソーンも動いた瞬間、赤い鮮血が謁見室に飛び散った。




