第三十話 フレッドという男
「駒…?駒って一体どういう意味ですか」
グレイプニルの言った言葉の意味がわからずに、問い返す。椅子にゆったりと腰かけている兄は、相変わらず気味の悪い眼でアビゲイルを見ていた。
クスリと笑ったグレイプニルは、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「言葉通りの意味だ。お前はフレッドの駒でしかない。あいつはルビーを手に入れる為だったら、私ですら手駒にするような男だからね」
「もちろん僕達もですよ」
「それを承知であの人に従っているんです、酔狂だとは思いますがね」
「諦めの境地とでも言えばいいのかな。ま、私が王になる為の障害になるわけでもないし、ルビーも好いている男に絡め取られているのを、自身で気付かない内にフレッドのものになるんだから…それはそれでいいと思うけどね。手段はどうあれ」
コラーダとティソーンが顔を見合わせて頷いた。それに反論はしないらしい。
だが、アビゲイルは違った。何を意味のわからない事を言って勝手に納得しているのだろうと、怒りすら湧いてきていた。フレデリックは自分のものだ。ルビーのものになど絶対にならない。
「ルビー、ルビー。フレデリックの頭の中にはルビーしかいないんですか?第一、第一皇女だった私の命令を無視してルビーの部隊にいたのだって元はと言えば、お兄様が仕組んだ事じゃないんですか?お兄様は私がフレデリックに近づくのを良しとしませんでしたよね。昔言われましたもの、あいつはやめておけと」
「確かにね。私はお前が傷付くからフレッドは止めろと言った。あれは誰も見ていないからとね。ただ、あいつにとってルビーは違う。あいつがルビーに持っているのは、お前がフレッドに抱いているような執着のような生易しいものではないぞ。それから…お前の部隊にフレッドが入らなかったのは、私が仕組んだなんて事は無いよ。フレッドは持てるコネを全部使って、自らルビーの部隊に入ったんだ。本来ならば、皇太子である私の部隊に所属するのが当たり前なんだ。なにせファルコン家の人間だし、次期総隊長の呼び声も高かったからな。それを父親であるファルコン卿をも欺いて水色の腕章を手に入れたんだ。大体フレッドが総隊長になったのだって、国に残るであろうお前の部隊や他の誰かの部隊に入りたくなかったからだ。簡単にはなれない総隊長の座をあっさりとモノにするだけの実力を持ちながら、ルビーの部隊に甘んじていたフレッドの執念たるや…いやはやルビーが可哀想になるね」
ふぅとため息を尽きながら、どこか遠い目をしながらグレイプニルは窓の外を見た。
しかしアビゲイルはその言葉では納得出来るはずがなかった。フレデリックが自分ではなく、ルビーしか見ていないのは気付いていた。だが、手駒にされていたとは聞き捨てならない。
「だから手駒って何です?私はそんな物になった覚えはありませんけど」
「そりゃあ気付いていたら、最初からお前はフレッドを好いたりはしないだろう。変なところで鈍いな、アビゲイル」
くすりと笑った兄を睨み付けて、次いで崩れ落ちているマルスをチラリと見る。役者不足のこの男や、国の官僚達はひれ伏した。それなのに鈍いと言うのか。
「お前が何を思ってフレッドを好いているのかは知らないが、あれはお前が言う優しい男なんかではない。そんな男であったなら、総隊長になどなっていない。アビゲイル、お前は知らないだろうが、ファルコン家の嫡男に生まれたからには狂気と言う名の絶対的な忠誠心と、それを抑えるための強大な精神力が要求される。フレッドの忠誠心は舌筆に尽くしがたいものがあるが、ルビーに対しては違う。忠誠心なんかじゃない、妄執ではないかと疑いたくなるぐらいの執着心だ。多分…いや絶対にフレッドはルビーを逃がさない。その為にお前を利用したんだ」
「だから、それがわからないと言うんです!何故ルビーを逃がさない為に私が利用されるんですか!?」
「…アビゲイル、お前は第一皇女の立場を利用して、フレッドに近付く女を排除しただろう。それはフレッドにとって都合の良い事だとは思わなかったのか?お前が他の女を寄せつけさせなかったおかけで、フレッドはルビーと一緒にいれたんだ。それこそマルスから婚姻の書状が届くまでね」
はっとしてグレイプニルを凝視する。
言われてみれば確かにフレデリックの近くから女の影を排除した。そのおかげでフレデリックに近付く女はいなくなったが、逆に言えばルビーを相手にする事が多くなった事を意味した。
フレデリックとルビーの年の差は十三。兄グレイプニルと同じ年の彼には、決められた婚約者がいたと言う話は聞いたことがない。排除している時にも聞こえてこなかったが、考えてみればおかしな話だ。
あのような家柄と社会的地位にある男に縁談が舞い込まなかったはずがない。それなのに、夜会やら何やらで隣に立つ女はいなかったし、いたとしてもアビゲイルが手回しをして排除した。
ルビーが正式に社交デビューしてからは、常にルビーの隣に立っていたし、それが仕事だと言われれば異議を唱えられよう筈もなかった。だからと言ってアビゲイルの誘いを断れるわけでもなく、仕方無く一曲ダンスを踊ったとしても如何にも社交辞令的だった。
そして、曲が終わるやいなやルビーの元に真っ直ぐと歩き去る。そのあと、二人はいつもの様に微笑みあって踊るのだ。周囲の羨ましげな視線など気にならないといった風に。
「お前は実にわかりやすいね。フレッドも操りやすかった事だろう。事実ルビーがこの国に嫁ごうとした時、私は反対したんだよ。勿論フレッドもね。まぁ、フレッドと私の反対した理由は違うが、私達はお前をマルスに嫁がせようと思っていたんだ。マルスとお前は年が近いし、帝王学を修めていたお前ならきっと国の礎になれると思っていたからね。それにヴァシュヌを出て、この国に嫁いだ方が良いと思ったんだ。まぁ…それを見事に裏切ってくれるとは。やってくれるね、アビゲイル」
「…何を…何を今更…!何でいまさらそんな事を言うのですか!今までそんな事言わなかったくせに!!」
認めてもらえなかった。誰にも。
認めて欲しくて勉強を頑張っても、父は何も言ってくれなかったし、母は自分を疎んじた。今このような事を言うグレイプニルですら期待を込めて何かを言われた事は無かったし、見て欲しかったフレデリックには一度も気にしてもらえなかった。
それなのに、今更になって言うのか。
期待していたと。
「言われなければわからないのか。やはりお前は馬鹿だね。そこがルビーと決定的に違う所だ」
先程まで笑んでいたグレイプニルの顔から笑みが消えていた。




